③ヴァンパイア
翌朝
コンコンコン……ガチャリ
部屋の扉をノックする音。部屋の主……レインの返事を待たず、扉が引き開けられる。入ってきたのは白髪のヴァンパイア───ミナだ。
「朝よ。さっさと起きなさい」
毛布の膨らんだベッドに近づく魔女。その手が布団に触れようとした次の瞬間、頭上から黒い影が彼女を襲った。
「あら、そんなところにいたの」
即座に振り返ると共に、自身を襲った銀の刃をあっさりと指の腹で挟んで受け止めるミナ。そのまま彼女が手首を捻ると、黒い影は短刀を落としたかと思うと、「ドシンッ」という鈍い音と共に床に叩きつけられた。
「ぐっ……」
「まったく。レインは朝から血気盛んね」
余裕を感じさせる笑みを浮かべる魔女に対し、むすっとした表情を返すレイン。部屋に向かってくる足音が聞こえてすぐ、頭上から奇襲を仕掛ける作戦を思いついた。布団の中には座布団を詰めるという小細工も弄したし、気配は完璧に消せていたはずだ。抜かりはない。にも関わらずあっさりと失敗。
これは前途多難である。
小さくため息を吐く少年を見つめながら、指先で取り上げたナイフを弄ぶミナ。
「どう? 昨日はよく眠れた?」
「ヴァンパイアの住み家で眠れるわけないだろ」
寝不足に目をしばたかせる黒服の少年に、「あはははは、それは災難だったわね」と笑い声をあげる魔女。小首を傾げながら、少年の顔を覗き込む。
「いまから眠る?」
「いや、いい。どうせ寝れない」
首を横に振るレイン。
「そう。じゃあ付いてきなさい。朝食に行くわよ」
そうして魔女に促されるまま部屋を出るレイン。魔女の背を追って階段を降りると、食堂へと案内された。途端、肉の焼ける良い匂いが鼻を突き、少年の腹が「ぐう~」と鳴る。
「あらあらまあまあ」
「こ、これはちが……」
ニヤニヤとまるでいたずらっ子のような表情で、レインの赤くなった顔を覗き込む魔女。黒衣の少年は気恥ずかしさに、ミナの彫刻のように整った顔から視線を逸らした。
「ははぁ。朝からお盛んなこって」
そんなレインの視界の端から現れる金髪金眼、長身のイケメン。アニムスだ。エプロンを付け、両手に皿を持っている。
部屋の中央に置かれた四角いテーブルに皿を並べる青年。その様子を何気なく見ていたレインだったが、テーブルに置かれた皿の中身に目を丸くする。
「これ、おまえが作ったのか!?」
煮物、肉、野菜、パン。美しく彩られ、細部までこだわられた品々。その出来栄えは高級料理店に出しても通じそうなほどだ。とても昨夜の狂人と同一人物が作ったとは信じられない黒衣の少年。
それに対してアニムスはニヤリと口角を上げる。
「ああ。おれが作った」
鼻高々に答えるイケメン。その横で魔女も得意げに胸を張る。
「驚いた? アニムスの料理は絶品なの。おまけに家事、戦闘、知略、何でもこなせる。性格以外は非の打ち所がない万能な奴よ。わたしの眷属で右腕的存在なの」
「んっんー。惚れてくれてもいいんだぜ? ボス?」
流し目と共に、グイッと整った顔をミナに近づけるアニムス。魔女は冷笑と共にそれを押し返す。
「あとすぐ調子に乗るところも欠点だったわね」
「ははぁ。これは手厳しい」
アニムスが身を引きながら、降参と両手を頭の上に上げる。そんなやり取りを呆然と見ていたレインに、ミナが弾けんばかりの笑みと共に手を差し伸べる。
「ほら、ぼーっとしてないで。冷めちゃう前に頂きましょう」
コクリと頷き、その白い手を取るレイン。そんなこんなで3人は席につくと、手を合わせる。
「「いただきまーす」」
美しい所作でナイフとフォークを使い、料理を口に運ぶミナ。「んー!」と頬に手を添えると共に、表情を綻ばせる。
「美味し~い! さすがはアニムスね!」
「ははぁ。お褒めにあずかり光栄ですぜ、ボス」
次々に料理を口に運び、口いっぱいに頬張るミナ。手に持ったパンから視線を上げ、リスのように頬を膨らませたミナに視線を向けるレイン。今朝から感じていた違和感について尋ねる。
「2人はヴァンパイアだよな? 日光が苦手なはずなのに、なんで朝から活動している? それに食事も血を飲むだけでいいはずだ。なのになんで普通の人と同じような食事を……」
ヴァンパイアは日光が苦手だ。死なないまでも、直射日光に晒され続ければ身体が焼ける。だから普通のヴァンパイアは日中は眠り、夜に活動するものだ。
さらに言えば、ヴァンパイアは血を飲むだけで生きていける上に、人間の血をなによりも美味に感じる生物だ。だから普通の人間がするような食事は必要ないはずなのだ。
にも関わらず目の前の2人のヴァンパイアは朝早くから活動し、肉や野菜など人と同じ食事を摂っている。それはレインが今まで遭ってきたどのヴァンパイアとも違う、明らかに異常な行動であった。
そんな困惑する少年を、じっと見つめる魔女。
「わたしたちがなぜ人間と同じような生活をしているのか……理由は単純よ。心までは怪物にならないため」
「心までは、怪物にならないため……?」
首を傾げるレイン。ミナは大きく首を縦に振る。
「そう。言い換えれば、人間であったころの心を忘れないため。ヴァンパイアは鬼術や、大木をへし折るほどの筋力、永遠にも等しい寿命を持つわ。人から見れば化け物と言う他ない、強大な存在。そんな強大な力に溺れ、自分自身を見失い、自分が人間だったころのことも忘れて身も心も怪物に成り果てた仲間を、わたしは何人も見てきた。快楽に溺れ、人を人とも思わず、その命をゴミ同然に扱う。わたしはそんな風にはなりたくない。だから人と同じように生きるの。朝起きて夜は寝る。ちゃんと食事は3食摂って、栄養バランスも考える。心まで化け物に堕ちてしまわないために」
「人の心を忘れないために、人間の生活を真似している……」
口の中で小さく反芻するレイン。しかしあまり釈然とは来ていない様子。なぜなら、
「それ、失敗してね? だって……」
レインはアニムスを指差す。
「こいつに人の心があるとは、とても思えん」
「それは例外。元からイカレてんのよ、そいつ」
「そうそう。おれは人間だった頃から、なにも変わっちゃいないぜ。生まれつきの変態。弱い者いじめが好きで、ボスが大好きで、子どもがちょっと好きな狂人。それがおれ、アニムス・カリオストロだ」
そう言って「よろしく」とニタニタ笑う狂人。
その癇に障る笑みに、ジト目を向ける少年。
金髪の男は元から狂った人格。人を人とも思わず、その命を簡単に、残酷に踏みにじる。レインにはそんの言葉が信じられなかった。いや、そもそもヴァンパイアたちの言うことなどアテになるはずがないのだ。
レインの知るヴァンパイアは私利私欲に生きる生物。自分の利益のためなら平気で嘘を吐く。
人の心を忘れないために人の生活を真似る?
バカバカしい。どうせそれも嘘に決まっている。無害な存在であるということを見せて、討伐対象から外してもらおうなどという魂胆なのだろう。
そう考え、一瞬でもヴァンパイアたちの言葉を真に受けてしまった自身を恥じるレイン。そうして少年が一人で考え込んでいるうちに、どうやら魔女の朝食が終わったらしい。
「ごちそうさま~。さて、出かけるとしましょうかね。幸い、今日は最高の天気だし」
その言葉につられて窓の外に視線を向けたレイン。「ん?」と首を傾げる。
「どこが最高の天気なんだ? どう見ても曇りじゃん」
「バカねぇ、あなた。ヴァンパイアは日差しが苦手なのよ? 雨はさすがに嫌いだけど、曇天はわたしたちにとって丁度いい天気なのよ」
なにがそんなに楽しいのか。ミナは天真爛漫な笑みと共に答える。そんな楽しそうな魔女に対して、「はぁ……」と曖昧な返事を返すレイン。ルンルン気分で扉へと向かう魔女の背中を見送る。
しかし取っ手に手を掛けたところで、「あ!」と言って振り返るミナ。
「そうだ、あなたたち。わたしが帰るまでに館の掃除と夕食の準備を済ませておきなさいよね」
「はあっ!? なんでおれが!?」
「あいよー、ボス」
魔女の命令に不服なレインと、骨で歯の間を掃除するという舐め腐った態度で返事をするアニムス。それに対してレインたちに向き直ったミナ。腰に手を当てながら2人を見下ろす。
「なに? 文句でもあるわけ?」
「あるに決まってんだろ! アニムスはおまえの眷属だから分かるけど、なんでおれがおまえの命令を聞かなくちゃいけないんだよ!?」
「この館に暮らす以上、あなたはわたしの下僕。命令を聞けないなら追い出すだけよ」
「なら出ていく!」
ガタンッと席を揺らして立ち上がるレイン。部屋を出ていこうとする少年の横顔を、魔女はニヤニヤと見つめる。
「へぇ? いいの? そしたら、もう二度とわたしの館の敷地は踏ませないけど? そうなったらわたしを殺すチャンスは二度とこないよ~? あなたはプライドを傷つけられて、それが悔しくて大言壮語したのに逃げ帰った負け犬になっちゃう。ハンターなのに犬……笑えるジョークだと思わない? ね? 下僕2号君?」
そう言って「おほほほほ」と哄笑を上げるミナ。レインは扉の取っ手を握ったまま、ギリギリと歯を食いしばる。そしてしばしの逡巡の後、
「分かったよ……」
悔し気な表情のまま首を縦に振った。
「決まりね。じゃああとのことはよろしく。下僕1号! 2号に色々と教えてあげてね!」
「あいよー」
気怠そうにひらひらと手を振るアニムス。それを確認することなく、魔女は取り上げていた短剣をレインに投げ返す。
「じゃあいってきまーす」
「ちょっと待て。どこに行くんだ?」
ミナを殺すため、少しでも情報を引き出そうとするレイン。振り返った魔女は天女のような微笑みを見せると、唇に人差し指を当て、
「ヒ・ミ・ツ!」
ウインクと共に、今度こそ部屋をあとにするのだった。
残されたレインは呆然とその後ろ姿を見送る。彼にはミナという存在が理解できなかった。美人だが冷たいという印象はなく、むしろ親しみやすい雰囲気。しかし昨夜の自信に満ちた、王者の風格をも感じさせる彼女の姿も脳裏にこびりついている。
いや、そもそも彼女はヴァンパイアだ。親しみやすいとか王者の風格とか、そんなことを感じる時点で間違っているのではないか。
「よろしくなぁ、後輩くん」
思考の沼に陥っていた少年を、狂人の言葉が現実に引き戻す。レインが横を見ると、いつものニタニタ笑顔で自分の顔を覗き込むサイコパスと目が合う。
ミナのことは分からない。しかし少年には一つだけ断言できることがあった。それは、
「おまえと仲良くする気はない。この外道が」
アニムスが嫌いだということ。目にも留まらぬ速さで短刀を抜くと、青年に斬りかかるレイン。
しかし、
ガチンッ
顔を襲う刃を、狂人は歯で噛んで受け止める。それどころか、ニヤニヤと余裕の笑みすら浮かべる始末。そんな人を小馬鹿にするような笑みを睨みつけ、言葉を吐き捨てるレイン。
「おれはお前が嫌いだ。腐り切った性根も、常時顔に張り付いた、人を馬鹿にしたようなその笑みも」
「熱烈なアプローチじゃねぇか! ははぁっ! だが残念。おれはお前に微塵も興味がないね。なんてったって……」
胸の前に手でハートマークを作り、ウインクをするサイコパス。
「おれが興味を抱いてるのは世界でただ一人、ボスだけだからなぁ」
そんなイカレ野郎を、まるで虫を見るような目で見上げるレイン。「チッ」と舌打ちをすると、短刀を鞘に納める。そのまま立ち去ろうとする少年だったが、その背をアニムスが呼び止めた。
「おいおい、ちょっと待て。この家のルールについて教えてやるからよ」
「お前に教えてもらうことなんてない」
「ボスに追い出されるぜ?」
無視して歩き去ろうとするレインだったが、「追い出される」という言葉に足を止める。しばしの沈黙の後、再び「チッ」と小さく舌打ちし、少年は再び席につくのだった。