②魔女
足まである白のワンピースを纏い、悠然と佇む美しい女性。歳は17か18ほど。腰まである真っ白なストレートの髪に、背中には白いコウモリの羽。勝気そうな切れ長の赤い瞳と、口元に刻まれた自身に満ちた笑みが彼女の気の強さを窺わせる。
その女性を見たレインは大きく目を見開き、息を飲んだ。女性があまりにも美しかったから?
否
ヴァンパイアハンターとして長年培った経験が、警鐘を鳴らしていた。いままで自分が狩ってきたどんなヴァンパイアとも違う。直前に狩ったアニムス……鬼術を扱うヴァンパイアすら比較にならない、圧倒的存在感。一目見て直感した。
彼女が『魔女』の異名を持つ始祖のヴァンパイア、ミネルヴァ・メヴィウスだ。
考えるよりも先に身体が動いた。銀の短刀を抜くと共に、一息に階段を駆け上がる。そして女の心臓目掛けて抜身の短刀を振り下ろす。
始祖の身体を捉えたかに見えた斬撃。しかしレインの渾身の一撃は、見えない壁によって音もなく防がれる。
当然、始祖ともなれば鬼術は使える。奥歯を噛みしめるレイン。ミネルヴァは片手を腰に当てながら、少年を睥睨する。口角を上げ、余裕すら感じさせる笑み。
「いきなり斬りかかってくるなんて、礼儀のなっていない子ね」
その次の瞬間、横から少年の身体を強い衝撃が襲った。まるで巨大な壁が突っ込んできたかのような衝撃。苦痛の声と共に吹き飛び、廊下を転がる。すぐさま起き上がろうとするが、なぜか身体が動かない。まるで上から見えない何かに押さえつけられているかのよう。
うつ伏せの状態で指一本まともに動かせず、歯を食いしばるレイン。その少年の背に、魔女が足を組みながら腰を下ろす。
目線を動かし、ミネルヴァを睨みつけるレイン。
「ぐっ……ど、け……!」
「あら、けっこう強く押さえつけてるのに。喋れるなんて凄いわね、あなた。さっきの動きも悪くなかったし」
そう言って少年の頭をポンポンと叩くミネルヴァ。「ま、人間にしてはだけど」と付け加えながら笑い声をあげる。
「さて、それはさて置くとして……あなた、わたしを殺しに来たんでしょう? どこの差し金?」
「……」
ミネルヴァの質問に、口を噤むレイン。ただ気丈に女の顔を睨みつける。その様子に愛好を崩す魔女。
「ふーん……嫌いじゃないわよ。そういう意思の強い人。ま、どこまで持つか見物ね」
そう言って「来なさい!」と階下に呼びかける。数秒後、現れた青い氷の鎧にレインは目を見開いた。
「な……おまえは殺したはず……」
「んっんー。残念だったな。おまえが頑張って殺したのは、おれが作った分身だ」
そう言って現れたのはアニムス。組み伏せられる少年をおちょくるように、ニヤニヤとした笑みを浮かべる。
「く……そが……」
「えぇ? なんだって? 聞こえねぇなぁ?」
聞こえているだろうに、耳に手を当てて見せる。どう見てもレインをからかって遊んでいる。そんなアニムスを一喝するミネルヴァ。
「ちょっとあんたね。そうやって遊んでるから、さっきみたいに不意を突かれるのよ。反省なさい」
「はいよぉ。マイボス」
尾で器用にハートマークを作りながら、優雅に頭を下げるアニムス。ニヤけた口元から察するに、あまり反省はしていなさそう。
「でもそのガキが1パーセントでもボスを殺せる可能性があったなら、おれだってそいつを通したりしないぜ」
男のその言葉に、自身の無力感を感じる少年。自分は始祖どころか、その配下のヴァンパイアにすら歯牙にもかけられな存在なのだと痛感し、下唇を噛む。
一方、魔女は男の言い訳に小さく鼻を鳴らす。
「言い訳はいい。それで、もう一つの方は?」
「それは万事解決だぜ。ほら、周囲をうろついてたネズミどもだ」
そう言ってアニムスが小さな人影を2つ放り投げた。それは気絶した、レインと同年代の少年と少女。それを見たレインの表情が大きく歪む。
「や、めろ……そいつらに、手を出すな……!」
自身が尻に敷く少年へと視線を戻すミネルヴァ。彼女が妖しい笑みを浮かべると、口の隙間から鋭く尖った歯が覗く。
「あなたのお仲間ね?」
「そうだ……おれはどうなってもいい。だから2人は……」
「そうねぇ……」
廊下に転がる少年少女に視線を向ける魔女。つられてレインも2人に視線を向ける。
「わたしの質問に正直に答えてくれたら、考えてあげる」
2人の傍らにはニヤニヤと嫌な笑みを浮かべる氷の鎧の姿。レインの脳裏に先ほどの光景が甦る。
4つの生首を弄ぶ男。愉悦に歪んだ顔。ギラギラと光る目。イカれてる。
ヴァンパイアは狂暴な性格の者が多いが、それでもいま目の前にいる男は群を抜いてイカれてる。そしてその狂人がいま、仲間の生殺与奪を握っているのだ。
歯を食いしばりながら、目を瞑るレイン。
正直に答えたからと言って、魔女と男が本当に2人を見逃してくれる保証はない。むしろ答えたら3人とも殺される可能性が高いだろう。けれど……
目を開くと、レインは要求を飲む。
「分かった。おまえの質問に答える。代わりに2人を殺さないと約束しくれ」
「ええ。約束するわ」
聖女のような、柔らかな微笑みと共に頷くミネルヴァ。足を組み替えながら、レインに質問をする。
「答えて欲しいのは1つだけ。あなたはどこの差し金でここに来たの?」
「……教会」
小さくぼそっと、それだけ答えるレイン。アニムスが「ははぁ」と笑い、ミネルヴァが「ふーん」と、興味を失ったように明後日の方へ視線を投げる。
「あの頭の固い老害どもね。予想通りすぎて面白くもない」
「んっんー。今回の襲撃の目的は、ボスの力量を量りつつ様子見、偵察ってところかぁ? 殺せれば儲けもの……つまりこのガキどもは捨て駒ってこった」
「そんなところね。ついでに言えば、わたしと明確に敵対するのは怖いから、こんな子供3人で向かわせた。万が一バレても言い訳できるようにね。椅子にふんぞり返ってるだけのビビりらしい、姑息な方法ね」
そう言ってレインの背から腰を上げる魔女。同時に、少年を押さえつけていた力がふっと消える。困惑ひ瞳を揺らすレイン。身体を伸ばす女の背に疑問をぶつける。
「おれたちを殺さないのか?」
「ん? 殺さないわよ。あんたたちみたいな子供を殺したら、後味が悪いじゃない」
肩越しに応えるミネルヴァ。「ほら、さっさと家に帰った帰った」と、しっしっと犬でも追いはらうような仕草を見せる。
その魔女の言葉に、レインはポカンと口を開けた。
彼女を殺しに来た自分たちを殺さないだけでも衝撃的なのに、おまけにあっさりと解放されてしまうとは。まったく予想外の出来事に言葉が出てこない。
しかし同時に、腹の底からふつふつ湧いてくる怒りにも似た感情。
レインは物心ついた時からずっとヴァンパイアハンターとして生きてきた。厳しい訓練に耐え、死線を幾度も潜り抜け、卑怯な手であろうとなんだろうと、ヴァンパイアを殺すために全てを捧げてきた。文字通り自身の命を懸けて、世界中のヴァンパイアを殲滅するために生きてきた。もはやヴァンパイアハンターそのものがレインと言っても過言ではない。だから……
だからヴァンパイアに敗れながら温情で見逃され、あまつさえ子ども扱いされることは幼い少年にとって、何よりも屈辱だった。自分自身の歩みを、覚悟を軽んじらているようで。
立ち去る魔女の背に、ポツリと呟く。
「……帰らない」
「……はぁ?」
呆れた声と共に振り返るミネルヴァ。その目を真っすぐ見つめながら、レインはもう一度、今度ははっきりと言葉を紡ぐ。
「おまえを狩るまで、おれは帰らない」
「…………いいわよ。好きにしなさい」
少年の黒い目をじっとのぞき込む魔女。その瞳に宿る強い意志の炎を見て、小さな笑みを浮かべる。
続けてミネルヴァは、横でニヤニヤとしている氷の兵士に命令を下した。
「アニムス。その子を空いてる部屋に案内してあげて。ついでに館の中も」
「りょーかい、ボス」
レインの方へ向き直ると共に、もとの人型へ戻ったアニムス。
「じゃあ行こうぜ───」
「触るな、ゲスが」
頭に触れようとした男の手を払いのける。アニムスは「ははぁ。嫌われちったか」と肩を竦める。
とそこで、館の奥に消えようとしていたミネルヴァが「あ!」と言いながらレインの方を振り返った。
「そう言えば、あなた名前は?」
「……レイン」
「ふーん、レインか。よろしくね、レイン。わたしはミネルヴァ。テキトーにミナとでも呼んで」
レインがコクリと頷く。
「ああ。おまえを狩るまでの短い間だが、よろしく。ミナ」
「はいはい。精々頑張りなさい。まあいまのあなたじゃ、逆立ちしたって無理だろうけどね」
そんな捨てゼリフとともに、今度こそ屋敷の奥へと消えていくミナ。
そんなこんなで狩人と獲物───ヴァンパイアハンターと始祖のヴァンパイアによる、奇妙な共同生活が幕を開けるのだった。