捜索・接近
綺麗だろう、と魔物は言った。実際、少年も綺麗だと思ったし、永遠にここで蝶と戯れていたいとさえ思った。
しかし、少年は花や蝶を見にここへ来たのではない。魔物を憲兵隊を名乗る女から助けるために来たのだ。少年が魔物にできる唯一の恩返しとして、少年はなんとしてでも魔物を助け、これからも一緒に暮らしたいと考えていた。
少年は言った。
「あの人たち、憲兵隊なんだって。ちょっと話したんだけど、君を殺そうとしてるんだと思う」
「……そうか。なんとなく、そうだろうとは思っていた」
二人はしばらくの間黙った。別に話したいことがなくなったからではない。むしろ、言いたいことや聞きたいことは少年の頭に山ほど浮かんでいたはずだ。しかしそのことは口に出さなかった。口に出せなかったという方が正しいだろうか。
微妙な空気が漂う中、少年は口を開こうとした。それと同時に、別の話し声が聞こえてきた。
「あの子供、どこにいったんでしょうね?」
「あの子が本当に魔物の存在を知らなくても、このままこんなところには住まわせられないよね。どこかに連絡して保護してもらわなきゃ」
「肝心の魔物はどう殺すんです?」
「大丈夫。あの魔物を殺す算段はついてる。だけど、子供がもし魔物の存在を知っていて、それを隠したんだとしたら、子供にも罰は受けさせないといけないね」
ヘリコプターから出てきた憲兵隊の声だった。どうやら、少年の跡を追いかけてきたらしい。少年は思わず震え上がった。声を出して魔物と逃げ出したい気分だったが、それは憲兵隊に自分の居場所を教えることになってしまう。
今の会話を聞いて逃げられないと悟ったのか、魔物は小さな声で言った。
「少年。私を殺せ」
少年は、まるで訳がわからないと言った様子だった。自分は魔物を助けにきたのに、なぜその自分が殺さなければいけないのか。魔物は、さっきの自分の発言に捕捉した。
「何も、殴って殺してくれとは言っていない。私の力を受け取ってくれないかということだ」
「力?」
「言っただろう。私は人を傷付けるためではなく、人を助けるために神に造られた魔物、守護者だ」
魔物は話を続けた。
「守護者は、別の生物に力を渡すことができる。ただその代償として、元の力の宿主は命を失うのだ。力が無くなれば、人を守ることはできなくなる」
魔物の口から出てくる難解な言葉に少年はすっかり参っているようだったが、話の腰を折るまいと、脳の細胞をフル動員して話を理解しようと努めた。それを知ってか知らずか、反応がない少年をよそに魔物は話を続けた。
「どうせ人間は一人では生きていけないのだ。それはお前が弱いというわけではない」
「じゃあなんでお前が死ななきゃいけないんだよ……」
魔物は場所を変えるか、と言った。すぐそばに憲兵隊が来ていて、見つかってしまうのも時間の問題だと思えるからだった。
少年と魔物は音を殺して移動した。憲兵隊に見つからないように移動するのに、音を立てたせいで見つかってしまっては元も子もないからだ。
色とりどりの花が咲く煌びやかな場所から、緑と土しかない場所に移動し、魔物は話しの続きを始めた。
「私だってこの森で永遠に暮らしていたい。できることならな。だが、憲兵隊に見つかってしまった以上、それは無理なことだ。見つかれば私は殺されるし、お前は施設に連れていかれる。そうなれば、本当に二度と我々は会えなくなってしまうだろう」
「?どっちかが死ねば、もう二度と会えないでしょ?」
「死んだ守護者は天界に移動するんだ」
魔物は、辺りを見回してから話した。憲兵隊が来ていないか警戒したのだろう。
「いつか天界に来い。そこでまた会おう」
「天界って……どうすればいいの?」
「憲兵隊隊員なら、天界に来れる可能性がある。だから、お前には憲兵隊に入ってほしい。これは私の我儘だがな。力を受け取った後は、お前がどうしようが勝手だ」
そう言うと魔物は少年の胸に手を置いた。少年は、魔物が訳の分からないことを言い続けるので頭がこんがらがってしまっていたが、その頭でもこれからどうなるかが痛いほど分かった。
魔物は、自分に力を渡して死んでしまうのだ。
「……私の夢は、魔物と人間が仲良くする世界を作ることだ。お前なら、それができると私は信じている。最後に、私の力について話そう。私の力は、任意の倍率で身体能力を強化できる。だが気をつけろ。あまり倍率を高めると、体がついていけずに怪我をする可能性がある」
魔物は、少年の胸に置いている手に力を込めた。少年は、自分の体に何かが流れてきているのが分かった。おそらく、力を譲渡している途中なのだろう。少年は意識が朦朧としてきた。昔、高熱を出した時の感覚に近い。その時も魔物が付きっきりで看病してくれた。
少し時間が経った後、近くに魔物が倒れていた。魔物は、自分が憲兵隊に捕まった後の少年のことを考え、手に職をつけさせることが最も少年にとっていいと考えたのだろう。そして、少年が憲兵隊の隊員として成功した暁には、自分に会いに来て欲しいと思ったに違いない。
魔物の死体を持って、少年は憲兵隊の女の前に現れた。
「僕を憲兵隊に入れてくれませんか?」
「それ、君がやったの?」
憲兵隊の女は、質問に別の質問で返した。ただ、この疑問が出てくるのは当たり前である。自分を含め大人が必死になって追いかけても捕まえられなかった魔物を、なぜか少年が持っている。
「はい。僕がやりました」
少年は嘘をついた。生まれて二回目についた嘘だったが、初めてついた嘘にも、今ついた嘘にも罪悪感はなかった。それは、どちらも魔物のためについた嘘だからだろう。一回目は魔物を守ろうとしてついた嘘。二回目は魔物の夢を叶えようとしてついた嘘。誰かのためにつく嘘には罪悪感は生じないのだ。
「それで、憲兵隊に入れてもらえますか?」
少年は再度質問した。魔物を守れなかった以上、せめてまももも夢くらいは叶えてやりたい。そのためにも、まずは憲兵隊に入る必要があるのだ。女はしばらく近くの男と相談していたが、やがて少年の方を向いて言った。
「君がその魔物を殺したのが本当なら、今すぐに入れてもいいよ」
「本当ですよ!じゃあ、入ってもいいんですね?」
「うん、と言いたいところなんだけど……」
そこまでいうと女は口を噤んだ。何か言いにくいことがあるらしい。その様子を見て、ずっと隣で話を聞いていた男が代わりに話を始めた。
「憲兵隊に入るには、憲兵隊が開催する入隊試験に参加して、そこで合格する必要がある。なんで憲兵隊に入りたいのかは分からないが、本気で入りたいなら入隊試験を受けに来るんだな」
女が言いにくそうにしていたのはこの事だったのだろうか。別に少年はショックを受けることはなかったので、当たり前の疑問を口にした。
「はあ。で、その入隊試験はいつあるんですか?」
今度は男も口を噤んだ。何やら非常に言いにくいことがあるようだ。しばらく男と女は激しく口論していたが、やがてジャンケンで何かを決めた。負けたのは女だったが、それでもしばらく話せなかった。
何回か女は深呼吸をした後、少年に告げた。
「今日だよ」
「は?」
「憲兵隊入隊試験は、今日行われるの」
「え?」
少年は絶句した。