翼があっても飛べない少女
学校に入る前の話。
田舎町に生まれた僕には、友達と呼べるものは一人しかいなかった。
どこを見渡しても畑と田んぼしかない、退屈の極みみたいなこの町で、それでも悪い記憶がないのはその友達のおかげである。
特に夏、らんらんと輝く太陽をバックにその翼は白く光った。
羽ばたかせ空中で僕を手招きする表情を、僕は決して忘れないだろう。
小さい体に、白く大きな翼をはやした少女。それが友達の正体である。
突然変異体。いつ世界の歴史に登場したのか定かではないが、一種の奇病として大昔から存在したのは間違いがない。
近年増加傾向にあるようで、一クラスに一人の割合で発症する。
奇病、というのも最近はいろいろ配慮する必要があるので今では「ぬえ」と呼んだりする。ともかく、人でありながら他の動物の特徴をその身にやつすもののことを言い、しっぽが生えていたり、ひれが生えていたりする。彼女の場合は白い翼であった。
しかし、社会はいまだにこの突然変異体に対応できていないのは事実だ。
そして、そんなことを幼い僕たちが知る由もなく、社会の縮小版である小学校に通うことになる。
こういうと、あたかも学校よりも社会の方がきつい、と言ってるように思われるかもしれない。しかし、あまりに合理的な社会ではあるものの、時としては学校よりもましなのだ。
子供というのは時としてあまりに残酷である。
春、入学式。満開の桜が僕たちを迎えてくれた。
ランドセルを背負う僕に、少女は花のような笑顔で話しかけた。
「楽しみだねぇ。小学校。友達もいっぱい作ろうね」
「どうだろう。もしかしたらとんでもなくひどい目に合うかもよ。今、いじめとか問題になってるじゃん」
と、僕。昔っからひねくれものなのである。
ふい、と顔を背ける。
友達なんてのは必要ない、と言わんばかりの態度だ。
「まったく正直じゃないんだから。そんなんじゃ地獄に落ちちゃうよ」
「願ったりだね。捨てる神あれば拾う神あり、だ。誰かが救ってくれるまでゆっくり待つさ」
「じゃあ、私が助けてあげるね。この翼で天国まで連れてってあげる」
一年はつつがなく終わった。
少女は持ち前の明るさで、クラスの人気者になっていたし、僕は僕で似たような人たちと固まっていた。
クラスメイトに翼を指摘されることもあったが、彼女は笑顔で「いいでしょ」というと、皆それ以上は気にしな風であった。
少女は時に、空を飛んだ時の話をしてくれる。
僕たちが住んでいる町をはるか上空から見た話は、本当に同じ町の話なのかと疑うほどだった。
一気に語った後はこちらを向いて、やはり「いいでしょ」と笑うのであった。
そんなこんな、なんとも味気ない日々であった。こんな日が続くのかと思っていた。
二年の夏。日差しが容赦なくアスファルトに突き刺さり、地面がゆらりゆらりと揺れるころ合い。事件は起こる。
冷たい視線は、僕ではなく彼女に突き刺さる。
ことのいきさつは以下のとおりである。
とある女子生徒の、教室に飾ってあった作品が無残に破壊された。
一番に登校してきた奴が発見したのだ。前日は何ともなかった。
このようないたずらができないように、教室を使用しない際は必ず鍵を閉めていたし、皆が下校した後も先生がしっかりと施錠する仕組みになっている。
窓にしたって、僕たちの教室は二階にあるし、空でも飛べない限り不可能であるとされた。
そう、空でも飛ばない限り。
先生方は結局、犯人探しをすることを禁止し、このいたずらを不問とした。
しかし、それは大きな誤りであったと断言する。
少なくともあの場で、誰が犯人であるかしっかり議論するべきであった。
ちゃんとした場で、ちゃんと議論して、ちゃんとした罰則を与えるべきであった。
だから、不適切に、あやふやな憶測で、彼女は勝手な私刑にあったのだ。
私刑にあい続けたのだ。
三年の秋。少なくともみんなにとってはどうでもない日。
ふっとした拍子に、その言葉が零れ落ちた。
「君はいいよね。普通の人間で」
最初、何を言われたのか分からなかった。
彼女の口からひがみのような、そんな悪意ある言葉が出てきたことに対してでもある。
しかし、それ以上に、
「僕は、あったほうが、いいと思う」
「それ、嫌み?こんな目になってる私に対しての嫌みなの?」
「そんなんじゃない!!僕は本当に――」
「じゃあ変わってよっ!!こんな翼あげるから、私の立場と変わってよ。こんな体と変わってよ」
三年にもなると体格差もかなり出てきた。
でもそれは、単に男女として、という意味ではない。
彼女の体は一向に成長しないのだ。
いや、多少は成長しているかもしれないが、周囲の女子と比べれば愕然とした差がある。
それはおそらく、羽根に栄養が行くからか、体が大きすぎると飛べなくなるからか。いずれにしても翼のせいである。
「私は……こんな体に生まれたくなかった」
「でも」
「もう、私の前から、消えて」
そういって駆け出す彼女の白い背中を、僕は追えなかった。
こうして四年の冬を迎える。
僕は放課後まで残って、これからのことを考えていた。
それがいけなかった。
ふっ、と影が差した。
窓を見ると、彼女の姿が、間近にあった。
飛んでいるのだろうか。
しかし、彼女は背中から落ちて
ど、うし て
か じょ が ?
僕 い ら、 を き した
な ん こ まま じゃ
死 … ?
目 が 合 っ ――。
僕だけが五年生を迎えた。
彼女の一件は、事故死ということになったらしい。
空を飛ぶのが好きだった少女が、たまたま足を滑らせ、いや、翼を滑らせ落ちてしまったらしい。
学校でのいじめは特に発見されなかったらしい。
らしい、というのも僕はあれ以降学校に通っていない。
一日という一日を部屋の中で過ごし、出かけるとすれば月に一度程度である。
花を買って、彼女に水をかけてやるための外出であった。
「今でも思うのだけど、あの時僕はなんて声をかければよかったのだろう。喧嘩さえしなければ、君は今でも生きていたのだろうか」
存在しないifの話だけど、僕はここに来るたびそんな妄想を繰り返し話した。
「そうだよね。翼なんてあるだけ厄介だよね。そんなもののせいで君はいじめられてしまったのだから、あのとき『あった方がいい』なんていうべきじゃなかったんだ」
ああ、でも、それでも僕は――
『いいでしょ』
「君の翼が好きだったんだけどなぁ」
翼があっても飛べない少女は、僕に重りをつけて逝く。