法の執行者
コロシアムの中央には奇妙な静寂が漂っていた。観客席は空っぽになり、騒がしい喧噪は影も形もない。広大な砂地に落ちる二つの影だけが、この空間に生きている証のように映った。二人は互いに向かい合う形で簡素な木製の椅子に腰掛けていた。
ヴァルグリスは脚を広げ、膝に肘を乗せて前傾姿勢で座り、一方のゼロは背筋を伸ばし凛とした佇まいを見せている。
「さて、何から話そうか……」
ゼロは静かに言った。その声は不思議と響き、空虚な空間に溶け込んでいった。彼の黒い瞳がヴァルグリスを捉え、探るように揺れる。ヴァルもまた、ゼロの反応を伺うように視線を固定していた。
「……単刀直入に言おう。ゼロ・グリムロード、我々聖騎士団の仲間になれ」
ヴァルの低い声が沈黙を破った。彼の眼差しは冷徹でありながらどこか懇願するような熱を持っていた。その矛盾した感情が彼の顔に奇妙な緊張感を与えていた。
「……驚いたね。僕たちは君たち聖騎士にとって敵の筈だけど」
ゼロは微かに笑みを浮かべながら答えた。しかし目は笑っておらず、むしろ冷たい分析の色が強かった。
「確かに、この国において魔導士は悪であり、お前たちグリム・ライトは世界を滅ぼしかけた大罪人どもだ。それが覆ることはない」
「尚更なぜ僕を誘う?君のその定義に従うなら大悪党の大罪人だよ」
ゼロの問いかけに対しヴァルは一瞬の沈黙を挟み込んだ後で言葉を選んでいるようだった。やがて深い息とともに次の言葉を紡ぎ出す。
「俺から見てアンタがいい奴だったからだ」
ヴァルの言葉が空間に響き渡った瞬間、ゼロの表情が一瞬凍りついた。その瞳がわずかに見開かれ、珍しく驚きの色を浮かべる。ゼロの思考が一時停止したかのような空白の後、堰を切ったように大笑いが噴出した。
「ハハハハハ!面白いことを言うね、君!でも、そんな理由で罪人を仲間にするんだったら法律なんて意味がないじゃないか!」
ゼロは腹を抱えて笑いながら椅子から前のめりになる。その反応があまりにも大きかったため、コロシアムの高い天井にまで声が反響し、虚空に吸い込まれていった。笑い声が少しずつ収まると、彼はようやく姿勢を正した。その瞳にはまだ笑いの名残りがありながらも、鋭い洞察が宿っていた。
一方でヴァルグリスはじっとその様子を見つめていた。彼の表情には感情の起伏は見えなかったが、ゼロの反応を見極めようとする慎重さがあった。
「ゼロ・グリムロード、法とはなんだと思う?」
ヴァルの問いかけは唐突だった。しかしその声には重みがあり、まるで長年熟考されてきた疑問を提示するような響きがあった。彼の目が細くなり、視線はゼロの顔から離れることなく固定されている。その問いかけに対するゼロの反応を探ろうとしているようだった。
ゼロは一瞬考え込む仕草を見せた。指先で顎を軽く撫でながら言葉を選ぶように小さく唸った。
「難しい質問だね」
彼はゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「一般的には社会秩序を保つための規範だと思うけど……」
その答えに対してヴァルは静かに頷いた。
「……当たり障りのない答えだな。だが、俺が聞きたいのはそんな一般論じゃない。かつて多くの悪をその手で殺してきた《死神》としてのお前に聞いている」
ヴァルの声は一段と低くなり、空間全体がそれに呼応するように緊張感を増していく。ゼロは一瞬だけヴァルの真剣な眼差しを受け止めると、何かを考えるように視線を遠くへ向けた。そしてしばらく沈黙した後に口を開いた。
「そうだね……あの頃の僕だったらその答えを持っていたのかもしれないけど、今の僕は君の満足のいく答えを持ち合わせてない。ごめんね」
ゼロは軽く肩をすくめながら答えた。その仕草には軽妙さと自嘲が同居しており、かつての自分への未練と諦念が垣間見えた。
「……そうか」
ヴァルは静かに息を吐き出した。ゼロの言葉には嘘偽りがないことを感じ取り、それで十分だった。
「それじゃあヴァル、君にとって法とはなんだ?」
ゼロの問いかけが返ってきた。それはヴァルの本質を見極めようとする鋭い視線と共に投げかけられた。ヴァルはしばらく沈黙し、思索に耽る。彼の目が細くなり、その奥に宿る決意の色がさらに濃くなった。そして彼はゆっくりと口を開いた。
「俺にとって法とは単なる強者が弱者を縛るだけの方便でしかない」
その言葉には揺るぎない信念が込められていた。ゼロはその言葉を受けて再び微笑んだ。今度は純粋な好奇心を含んだ笑みだった。
「へぇ〜、面白い解釈だね」
ゼロは感心したように頷きながら続けた。
「つまり君は法そのものの正当性に疑問を持っているわけだ」
ヴァルは無言で頷いた。その肯定には迷いがなく、長年の苦悩と思索を経て辿り着いた結論であることが窺えた。
「そもそも法などというものは環境が変われば容易に変動する。それこそ国によってその国の都合の良い法が作られ、時代によって人々が求める価値観に沿って変化する。そんなものに正誤を論じること自体無意味ではないか」
ヴァルの声には静かな怒りと失望が滲んでいた。
「君は随分と大人びた考え方をしているんだね。まだ若いだろうに」
ゼロは感嘆しながら言った。その言葉には単なる称賛以上のものが含まれており、彼の知的好奇心を刺激しているようだった。
ヴァルは一瞬だけゼロを見つめ返した後、視線を逸らした。そして再び語り始めた。
「……ある国で王家に金を献上する代わりにすべての犯罪を許される法があった。当然、権力を持つ者、または武力を持つ者が金を握る。金のあるやつだけが贅沢をして、持たざるものは虐げられる。傍から見れば狂った国だが、この国においては当たり前の法で、ある種の正義ですらあった」
ヴァルの声は落ち着いていたが、その奥には強い憤りが秘められていた。ゼロは彼の言葉に耳を傾けながら、興味深そうに相槌を打った。
「だが、この国は滅んだ。───なぜだと思う?」
ヴァルの問いかけは挑発的であったが、それ以上に切実な思いが込められていた。ゼロはその問いかけにすぐには答えず、しばし考え込むような表情を見せた後で静かに口を開いた。
「国民がその腐敗に耐えられなくなったから?」
ゼロの推測に対してヴァルは小さく首を振った。
「違う。原因は至極単純だ」
ヴァルは一度深呼吸をしてから続けた。
「自分たち以上の外国の暴力によってねじ伏せられた。内部で悪政をしていた国には、外の国々からも敵意を持たれていた。故に滅んだ。たった二人の聖騎士の力でな。馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが、これがこの世界の真実だと俺は思った。結局は口で話、理想論を並べた法であったとしてもそれを行使する者が力を持っていなければ、力を持っている者にねじ伏せられてしまう。どんなに高尚な理念であっても力を持たなければ守ることはできない」
その言葉には彼自身の経験に基づく実感がこもっていた。ゼロはその言葉を聞きながら思案顔になり、やがて静かに言葉を発した。
「確かにそうかもしれないね。理想論だけでは世界は変えられない。でも力だけでは本当の平和は訪れない」
ゼロの反論には冷静さと優しさが同居していた。その言葉にヴァルは一瞬だけ驚いた表情を見せたが、またすぐに冷静さを取り戻して応じた。
「それが理想論だと言っている。力なくして平和はない。だからこそお前の力を我々の法のために使わせろ。ただそれだけのシンプルな要求だ」
ヴァルの目には揺るぎない意志が宿っていた。ゼロは彼の目を見つめ返しながら小さく笑みを浮かべた。
「君は本当に面白い人だね。最初は君のことが分からなかったけど、今はなんとなく君のことを理解してきたよ」
ゼロは柔らかい声で言った。その声には温かみがあったが、同時に冷徹な観察眼も備わっていた。
「それで返答は……」
ヴァルは急かすことなく静かに促した。ゼロは一瞬だけ目を閉じて瞑想するように沈黙した後でゆっくりと口を開いた。
「申し訳ないけど、君たちの仲間になることはできないかな」
ゼロは困ったように微笑んだ。
「今の僕は友との約束を果たさないといけない。それに——」
ゼロは瞼を閉じた。脳裏には30年前の仲間たちの姿と今のギルドメンバーの姿が鮮明に蘇る。そして彼は再び目を開けて真っ直ぐヴァルを見据えた。
「僕は大切な人を守るためにこの力を使うと決めたんだ」
その瞳は紅く六芒星のマークが浮かび上がっていた。それを見たヴァルは目を見開き、驚愕した表情を浮かべた。だが次の瞬間には納得したように笑みを浮かべた。
「……あの人がお前に憧れてる理由が少しだけ分かった。話は終わりだ。」
彼は立ち上がり鉈を取り出し、ゼロへと向ける。
「我が名はヴァルグリズ!監獄【クロス】の看守長にして聖騎士団【紅の団】副団長である!これより法の執行者としてゼロ・グリムロードの刑を執行する!」
ヴァルの宣告と共に、ゼロもまた立ち上がり、静かに構える。
「どこからでも来なよ」
「ああ、それと一つだけ訂正しておくことがあったな」
ヴァルは鉈を構えながら言った。
「俺はこう見えても35歳だ」
どんどん書いていきます




