監獄の下
(いやいやいや、無理ゲー過ぎるでしょこの状況!)
岩陰にうずくまるエルシアは、目の前を悠然と歩いていく半裸の男を見つめていた。岩肌にぴったりと背中をつけ、顔だけをわずかに覗かせるその姿は、まさに野生動物に遭遇した時の小型哺乳類そのものだった。
(どう考えても『天災』とタイマンとかバカじゃん!)
岩の陰で一人、盛大に舌打ちしたい衝動を抑え込む。いや正確には、何度か堪えきれずに舌を鳴らしているのだが、「チッ」「クソ」「あの上司めぇぇ……」といった悪態が連鎖的に脳内でエコーしていた。彼女の脳内議論はすでにフル稼働中だった。
( 如何にしてこのピンチを乗り切るか?引き続き隠れてやり過ごす。いや、多分バレる。というか。敵前で何もしなかったとなれば今まで築き上げたのがパーになる。いっそのこと正面から……論外だな。それじゃあ、騙し討ちなら……いけるか?)
エルシアは各選択肢を脳内で検証するたびに頭を抱えたくなった。特に「騙し討ち」の結果は想像するだけで汗が滲む。
(いやいや無理だから!そもそも紫の副団長と一緒にあれの攻撃を受け止めたけど、片腕無くなったと思ったからね!何なら今も若干痺れてるんですけどね‼)
エルシアは息を殺しながら内心で叫ぶ。
(そもそも看守長の采配がおかしいのよ!あんな化け物級の奴とやり合える訳無いのに……!絶対私を始末するためにわざとこんな配置にしたとしか考えられない!というか、いつから私の正体に気づいて……あーもう考えるのやめよう。頭痛くなってきた)
彼女は軽く眉根を寄せて頭を振った。岩陰での孤独な内省タイムは続く。
(そもそもこの任務自体が無茶すぎるのよ。皇帝陛下と隊長が「君ならできる!」って言ってたけど、あの二人絶対適当言ってたでしょ。何なら今でもニヤニヤしながら見てるんじゃないでしょうね……)
エルシアは過去の上官たちの胡散臭い笑顔を思い出し、悔しさで拳を握った。
(というか、連中がここを攻めてきたんなら、もうこの施設もお終いよね……。それじゃあここの潜入任務もトラブルってことで早期に切り上げてもいいわよね……)
少しの沈黙の後、彼女は決意を固めて立ち上がる。
「……よし、逃げよう」
そう宣言した彼女の行動は早く、岩陰からジークのいる方向とは真逆へと猛ダッシュで走り去る。岩場を飛び越え木々の間を縫うように駆けるエルシアの姿は、さながら脱兎のごとく迅速だった。
「……なんだ、結局やんねぇのか?」
ジークは首を傾げ、訝しげに振り返る。その視線の先には、もう彼女の姿はなかった。
「……で、テメェもいつまでそこでこそこそ隠れてるつもりだ?」
ジークは呆れたようなため息を吐くと、鋭い視線を岩陰へ向けた。すると岩陰から鉄の仮面をつけ、全身を漆黒のローブで覆った人物が音もなく現れた。
「……」
鉄仮面の男は無言でジークを見据える。仮面越しでも分かる威圧感に、ジークは肩を竦めながら口を開いた。
「テメェ誰だ?その恰好じゃ看守ってわけじゃねだろ」
ジークは訝しげに男を眺める。男は微動だにせず、無言を貫く。
「答えろよ」
ジークは苛立ちを隠さずに言う。それでも尚、男からの返答はない。
「あ~、そういうタイプね。わかった、じゃあ俺が一方的に話すわ」
ため息をつくジークは、目の前の鉄仮面の男を見据えた。
「ここの看守でもねぇ、かと言ってマスター達の匂いもしねぇからギルドの関係者ってわけでもねぇ。そしてこの匂い……」
瞬間、ジークは前触れもなく鉄仮面の男の前まで距離を詰め、拳を握り構える。
「魔人特有の瘴気の匂いが少し漂ってんだよ」
ジークの拳に灼熱の業火に包まれ、鉄仮面の男の腹部へと容赦なく振り抜かれる。
「【竜王の一撃】」
拳が男の腹部に突き刺さり、鉄仮面の男は後方の岩壁を破壊しながら吹き飛ばされる。
「……ッチ!ギリギリガードは出来たみてぇだな」
周囲に土煙が舞い上がる中、ジークはゆっくりと追撃しようと歩み寄る。岩壁は崩れ、更にその奥には空間が広がっていた。
「完全に魔人かと言われればそうでもねぇ、人間や魔獣……、他にも色々混ざってんな。テメェ、何者なんだ?」
「……」
鉄仮面の男はゆっくりと立ち上がる。ローブは焼き切れ、両腕はジークの一撃により皮膚の深部まで損傷するほどの火傷を負っていたが、少しずつ傷が再生を始めている。だが、それよりもジークの注意を引いたのは右肩に彫られているマークだった。
「そのマーク……」
ジークは右肩を凝視する。そこには箱の上に逆十字のマークが刻まれており、それを見たジークは眉をひそめる。
「どっかで見た覚えがあるような……、お!思い出した。30年前くらいにマスターやエラストとかと一緒にボコった連中がそれと同じ刺青を入れてたな」
ジークはその場で記憶を漁りながら楽しそうに笑みを浮かべる。
「名前は何だったか……、忘れちまったな、まあいいか。で、お前はその一味か?ってかまだ喋らねぇのかよ」
ジークは呆れたように首を振る。
「まぁ。お前がその一味の関係者ってなら、俺がお前を生かしておく理由はねぇんだけどな。」
ジークは大きく息を吸い込み、肺いっぱいに酸素を取り込んだ。その動作だけで周囲の空気が熱を帯び始め、ジリジリと肌を刺すような熱気が拡がる。
「【竜王の豪焔吐】」
言葉と同時に、ジークの口から炎が放射された。それはドラゴンのブレスを思わせる超高温の炎柱だった。紅蓮の劫火が一直線に鉄仮面の男へと伸びていく。
「……!」
鉄仮面の男は反射的に横へ跳び紙一重で回避を行った。そして——
ドォン!!
鉄仮面の男が避けた先でブレスが大地に衝突した。岩石が蒸発し、地面がガラス状に溶融しながら灼熱のクレーターへと変わる。膨大な熱エネルギーが一瞬で放出され、周囲の大気が歪みながら震えた。
「チッ、避けたか」
ジークは口元から煙を吐き出しながら嘲笑う。炎が岩石を溶かした際に生じた土煙が空間全体を覆い尽くし始めていた。
だが次の瞬間——
ザザザザ……
突如として空間が淡い光を帯び始める。土煙の中で奇妙な文様が浮かび上がり、ジークの放った炎が青白い粒子に変わり宙を舞い始めた。まるでジークの魔法をエネルギーに変換していくように。土煙がゆっくりと晴れていくにつれ、二人の前に新たな景色が姿を現す。
そこに広がっていたのは地下通路などではなく、遥か彼方まで続く迷宮のような巨大空間だった。壁面には古代文字と思われる象形が無数に刻まれており、それらが脈動するように青い光を放ちつつ空間全体を幽玄に照らしている。床一面には複雑な魔法陣が敷かれ、所々に朽ち果てた祭壇らしき構造物が散見された。
「なんだこりゃ……」
ジークは初めて警戒心を露わにする。空間は明らかに人工的な魔術的構造で、どこか生物的な蠢きを感じさせた。地面が呼吸するように波打ち、壁から伸びる光の紋様が生き物のように動いている。
空間の最奥には——巨大な扉があった。
高さ百メートルはあろうかという金属製の門は錆び付きながらも威圧的な存在感を放ち、その表面には茨のような装飾が蛇行している。特に不気味なのは扉の中央に埋め込まれた巨大な眼球のような結晶で、それはジークたちの到来を察知したかのように緩やかに脈動を始めた。
ギシィ……
老朽化した機構が軋む音と共に、門の正面に安置されていた一体の黒い巨人が動き始める。全高約十メートル。表面は漆黒の金属装甲で覆われ、関節部分からは青い燐光が漏れていた。頭部には獅子のような鬣型の彫刻がされており、胸甲には青白く光る球体がはめ込まれている。そして片方の手には巨大な刃が握られていた。
ゴゴゴゴ……
巨人が完全に起動すると同時に空間全体の振動が増幅する。壁面の紋様が活性化し、魔力の奔流が地表を這い回り始めた。まるでこの空間そのものが一つの巨大な装置として稼働を始めたかのようだった。
空気中に濃密な魔力粒子が充満し始め、ジークの嗅覚が反応する。
「ゴーレム……、にしては禍々しいな。まさかこの牢獄の下にこんなのがあるなんて知らなかったぜ?」
ジークは苦笑しながら拳を鳴らす。鉄仮面の男は相変わらず無言のまま一歩後退し、青く光るゴーレムを見上げていた。彼にとっても想定外の展開なのか、あるいはこれこそが狙いだったのか——判断材料は少ない。
「……ここにあったか」
突然、鉄仮面の男が初めて口を開いた。低く響く声には感情の起伏がなく、事務的とも言える冷静さがあった。
《侵入者二名ヲ検知。》
ゴーレムの頭部スピーカーから電子的な合成音声が流れ出す。機械特有の抑揚のない声が空間に反響した。
《コレヨリ、殲滅モードヘ移行スル。》
不定期投稿申し訳ない、頑張って書いてますのでよろしくです。




