緋色の意思 【前編】
重い衝撃と共に背中を打ち据えられた。瓦礫の山に埋もれたフェイ身体が痺れ、崩れ落ちる砂埃の臭いが喉を刺した。
(ここは……?他のみんなは……?)
思考が混乱する。直前までの騒然としたコロシアムが嘘のように静寂であり、耳鳴りの向こうで自分の呼吸だけがやけに大きく響いており、それに伴い焦りが脊髄を這い上がる。
(離れ離れにされた……!砂埃のせいで匂いじゃ皆のことを辿れない!とにかく今は皆を見つけないと――)
拳を強く握りしめる。とにかく仲間を探すためにフェイは、崩れたコンクリート片を払い除け立ち上がろうとした瞬間だった。
「あら、そんなに急いでどこに向かうのかしら?」
氷のように冷たい声が廃墟の虚無を切り裂いた。その声が染みついた漆黒の瘴気が瓦礫の隙間から湧き出してくるようだった。振り返ると、十メートル程前方にぽっかりと開いた空間に女性が立っていた。
細身で無駄のない体つきは、長年の鍛錬を思わせる引き締まった印象を与える。背筋は常にまっすぐで、その立ち姿だけで相手に無言の圧をかけており、髪は深い銀灰色で、腰に届くほどの長さを一つに束ねており、切れ長の瞳は濃い紫色で、感情を測らせない静けさの奥に、獲物をいたぶる者特有の愉悦が潜んでいた。また、彼女の手には黒い鞭のような物が握られている。
フェイは咄嗟に身構えた。瓦礫の山を背に、いつでも飛び退ける姿勢を取る。
「……どうやらあんたを倒さないと私は先に進めないってことでいいのかな?」
警戒を声に滲ませるフェイに対し、女は口角を吊り上げた。
「話が早くて助かるわ。でも、一つだけ間違いがある。あなたは……ここで終わるのよ」
次の瞬間、トルメスは手に握っていた鞭をしならせる。鞭の先端が光を帯び、瓦礫の山を弾きながらフェイへと伸びていく。フェイは反射的に跳躍し、紙一重で鞭を躱す。
「まだまだ行くわよ」
トルメスは畳み掛けるように連続で鞭を振るう。瓦礫が砕け、灰塵が舞い散る中、フェイは身を捻りながら回避を続ける。フェイは右へ左へとステップを踏みながら鞭の軌道を見定めた。鞭は長さを自在に変え、時には蛇のように地を這い、時には鳥のように空を切る。
(……見えた!)
フェイは躱しながらトルメスの正面へ走り込む。拳を握りしめ炎を纏わせ、間合いを詰め切る。
(獲った!)
トルメスのガードの隙を捉え拳を繰り出す。
「『竜の一撃』!」
フェイの拳がトルメスの顔面へ迫る。その瞬間――
ガンッ!
フェイの右拳がトルメスの頬骨を抉る鈍い衝撃音と全く同時に、自分の額に何か硬いものが打ちつけられたような激痛が奔った。
(な……っ!?)
衝撃で視界が白くちらつき、互いに後ろへと下がる。フェイは頬を押さえつつ相手を見る。トルメスは殴られた箇所を赤く腫らしながらも、口元には妖艶な笑みを浮かべている。
(私が攻撃したのと同時にカウンターを合わせた?いや……あの体制からどうやって⁉)
疑念が胸を渦巻くが戦闘は待ってくれない。トルメスが鞭を薙ぎ払う。フェイは地面を滑るように回避しつつ距離を取る。しかし胸中の困惑は消えない。
「あら、もう終わりかしら?」
トルメスの声が廃墟に響く。
(……わからない。けど、考えてる余地はない……。なら次はカウンターすら狙えない一撃を‼)
フェイは意を決して疾走する。それに合わせてトルメスは鞭を躍らせる。瓦礫が砕け飛び散る中、フェイは地面を蹴り上げるその勢いを利用し上方へジャンプした。
「すばしっこいわね!」
トルメスは見上げながら鞭を振るうが、フェイはこれを読んでいた。身体を翻し鞭を交わすのと同時に足に炎を纏わせる。回転と落下の勢いを合わせトルメスの肩を狙い踵を落とす。
「『竜の裂脚』!」
ズンッと靴底が肉を打つ感触が伝わる。トルメスの肩が沈み込みその体勢が崩れる。しかしそれと同時、
バンッ!!
フェイの左肩に焼けるような激痛が走った。まるで見えない拳で殴られたような強烈な衝撃だ。思わず呻き声を漏らし着地バランスを崩してしまう。
(……!今のが本当のカウンターじゃない‼)
フェイは、呼吸を整えながら肩を抑える。脳裏に閃く仮説。先程の顔への打撃と今の肩への衝撃……攻撃地点とタイミングが完全に一致している。
「攻撃の反射……?」
フェイがそう呟くと、トルメスが愉快そうに鞭を揺らす。
「ようやく気づいた?まあ、厳密には少し違うけどね」
その言葉が仮定を確信へと繋げる。フェイは歯噛みしながら体勢を立て直し距離を取る。トルメスは悠然と佇み、肩を揉む仕草を見せた。
「いいわ、答え合わせをしてあげる」
トルメスはそう言うと、腰からナイフを一本取り出した。その動作自体はごく自然なものなのに、フェイの本能が警告を発する。
(投擲か…⁉)
フェイは全神経を集中させ迎撃態勢を整える。だがトルメスは不意に笑みを深めると――
シュッ!
あろうことかトルメスは持っていたナイフを逆手に持ち替え自らの左の太ももへ突き刺したのだった。
「……なっ!?」
フェイが瞠目する暇もなく、鋭い痛みが電流のように彼女の左足を貫いた。
グチャ……
実際に刺されたわけではない。衣類も無傷だ。しかし痛みだけは確かにそこにあった。灼熱の針が肉を抉るような激痛にフェイは呻き声を漏らし膝をつく。
(なんで……私の足にまで!?)
トルメスは己の足からナイフを引き抜き血を舐めながらこちらを見下ろす。彼女の太ももからは鮮血が滴っているのに、平然と微笑んでいる。
「わかった?これが私の固有魔力【共有】の力よ」
トルメスはナイフをさらに深々と刺し、フェイの反応を楽しむ。
「ック……」
「攻撃された痛みはもちろん……こうして自分で負った傷の痛みまで共有できるの。便利でしょう?」
フェイは蒼ざめたまま歯噛みする。
「……確かに厄介。でも、テメェも同じく痛みがあるはず……。なのになぜ、そんなに平気な顔できるんだ?」
痛む足を引きずりながらも、闘志はまだ消えていない。それを見てトルメスは再び微笑んだ。
「昔ね、この魔法のせいでひどい目にあったことがあんのよ。だから慣れちゃった♪」
彼女は再び片足を振り上げると、もう片方の足にも突き刺す。あまりの自虐行為にさしものフェイも絶句してしまう。
「おい、何してんだお前……!」
怒りを込めて睨むがトルメスは全く意に介さず笑っている。そして両足に突き刺さったナイフを一気に引き抜く。瞬間、傷口から血が噴き出し辺りに飛び散った。地面に広がる赤い池の中で、トルメスはなおも微笑を湛えていた。それはまさに狂気としか言いようがなかった。ただ見ているだけのフェイですら背筋が凍りそうになる光景である。フェイはその異常性を肌で感じ取り、直感する。
(このままだと……負ける)
だからこそ彼女が取るべき手段は一つしかなかった。決意を固め、彼女へ向かって駆け出す。相手は明らかに油断しており、勝機はあると判断したのだ。
「まぁ、そう来るわよね」
トルメスは冷笑を浮かべながら、鞭を鋭く振り上げた。瞬間、瓦礫の陰から鞭の先端が矢のように走り、フェイの右手首に絡みついた。鉄のようなしなやかさで締め付けられ、フェイは驚愕して立ち止まる。
「なっ……!」
トルメスは鞭を持つ手を一気に引き絞り、フェイの体を引っ張り寄せた。そして即座に反対側の手首にも鞭を巻きつけ、完全に自由を奪う。
「さあ!貴女はどんな悲鳴を聞かせてくれるのかしら……!」
トルメスが鞭を力任せに振り回す。フェイの身体が宙を舞い、猛烈な勢いで瓦礫の山へ叩きつけられる。鈍い衝撃音と共に肺から空気が押し出され、視界が白く濁る。さらにトルメスは巧みな鞭捌きでフェイを旋回させ、四方八方に積み重なっている瓦礫の山に衝突させる。鋼鉄のように堅い石材の群れが何度もフェイの身体を容赦なく打ち据えた。
(まずい……意識が……!)
フェイは霞む視界の中で懸命に抗おうとする。しかし体の至る所が悲鳴を上げ始め、抵抗する体力が急速に削られていく。そして鞭が一際激しく振るわれた時──ついに手から力が抜け、大切な媒体であるグローブが宙に放り出された。トルメスは鞭の先端を器用に操作し、落下していくグローブを絡め取る。そしてそれを自分の手元に引き寄せると、満足げに微笑んだ。
「対魔導士においてのセオリーは、如何に魔法を使わせないか。いろんなやり方があるけど最も手っ取り早いのは、媒体を奪うことだと私は思うのよ。だって媒体がなければ魔法の出力は劇的に下がる……当然のことよね?」
その言葉がフェイの鼓膜を叩くが、既に返事をする余裕も残っていない。視界は徐々にぼやけ始め、世界の輪郭が曖昧になっていく。全身が痺れ、重力に吸い込まれるように足元から力が抜けていくのをフェイは感じた。
「だいぶ、私好みの良い顔になったわね」
トルメスの冷笑が遠くで響く。次第にフェイの意識は次第に薄れていく──。
投稿が安定せず申し訳ない




