好敵手
『レディイイイイス!アンド、ジェントルメーン! 諸君らを熱狂させる最高のエンターテイメント、その開幕となる素晴らしいショーの始まりだァ!』
場違いなほど陽気な男の声が、巨大な魔石を介してコロシアム全域に響き渡る。同時に魔石が淡い光を放ち、その表面に鮮明な映像が浮かび上がった。
ゼロが他の囚人たちと共に待合室のベンチに腰掛け、興味深そうにその映像を見つめる。
魔石に映し出されたのは、広大な円形競技場の中心に佇む一人の男の姿だった。背は高く、引き締まった肉体は多くの拘束具で覆われている。そしてその周りには五体の巨大な石像──ゴーレムが鎮座していた。
「へぇ……案外元気そうだねジーク」
ゼロは薄く笑みを浮かべる。もうすぐサファイアから伝えられている作戦開始の時間、様々な感情が沸き上がる中で、彼が最も意識を向けていたのは画面越しに映る旧友であった。
コロシアムの観客席は、この日を迎えるために招かれた各国の王侯貴族や富裕層で埋め尽くされていた。彼らはみな仮面を付け、互いの身分を秘匿したまま、眼前の光景に釘付けとなっている。誰もがこれから始まる血湧き肉躍る宴を待ち望んでいた。
『それじゃあ今回の主役のご紹介といこうか! その力は国家一つを転覆させたという逸話あり、五年前の魔神との戦争にて五体の魔将を単身で打ち取った実績あり、嘗て【死神】と共に【天災】と呼ばれ世界を震撼させた男。その大罪人の名は──、ジーク・フリートォオオ!!』
司会者が叫ぶと同時に、ジークの身体を覆っていた麻布が払い除けられる。観客たちからどよめきが起こった。
ジークはまるで断頭台に送られる罪人のように無防備な姿勢で立っていた。その双眸は黒い革で覆われ、視界を完全に遮られており、口元には頑丈な鋼鉄製のマスクが嵌め込まれており、呻き声すら許されない。両手首には分厚い鉄枷が噛みつき、わずかな可動域しか与えられておらず、その足元には、到底人間の脚力を以てしても砕くことなど不可能であろう巨大な鉄球が三個も繋がれていた。常識的に考えれば、このような拷問器具に等しい拘束を受けた人間がまともに戦うことなどありえない。普通であれば。
『それじゃああいってみようか!デモンストレーションの開始だ‼』
司会者の宣言と同時に、五体のゴーレムが一斉に動き出した。それぞれが拳大の岩塊を投擲し、あるいは棍棒を振り下ろそうとジークへ迫る。
観客席から歓声が上がる。悲劇的でありながらも英雄の最後の雄姿を見ることができるという愉悦。彼らにとってはどちらが負けても良い。見世物として楽しめるかどうか、それが全てだった。
しかし──
次の瞬間、その期待は粉々に打ち砕かれた。
「……」
ジークは何も言わない。言えない。だが、その刹那、彼の筋肉が爆発的に膨張した。鉄球を繋ぐ鎖が甲高い悲鳴を上げ、地面に刻まれた亀裂が広がっていく。一歩、たった一歩踏み出しただけで大地が抉れ、衝撃波が観客席まで届く。
刹那の出来事であった───。
ゴーレムの巨体が宙を舞った。一体、また一体と次々に粉砕されていく。ジークの動きは常人の肉眼では捉えきれず、ただ残像だけが幾重にも重なり合って見える。鉄球すらも武器となり、まるで目が見えているかのように対象を確実に破壊する。
わずか数十秒後、コロシアムの中央には瓦礫の山だけが残っていた。そしてその頂点に立つのは、傷一つ負っていないジーク・フリートだった。
一瞬静まり返ったコロシアムが、次の瞬間、割れんばかりの拍手喝采に包まれた。これこそが彼らが求めていたエンターテイメントだった。
ジークはゆっくりと瓦礫の山へと腰を下ろす。疲労の色は見えない。むしろ退屈そうに欠伸をした。
「いやぁ〜一瞬だったな、ていうかマジでゴーレム相手にあれってどういう筋力なんだよアイツ……」
待合室の映像を観ながら呆れたように呟くゼロ。
「あの、ホントにコロシアムに向かうんですか?」
不意に声がかかり、ゼロは視線をそちらへ向けた。そこには久しく顔を出していなかったヴァルであった。
「久しぶりだねヴァル君、最近姿を見ていなかったけど元気そうで何よりだよ」
「ええ、最近他の刑務作業をしていたので……。それよりジャックさん、今すぐこのコロシアムの参加を辞退してください」
ヴァルは真剣な表情でゼロに訴えかける。
「どうして?」
ゼロは興味深そうに問い返した。
「見てわからなかったんですか!あの男は怪物です!一度対峙すればただでは済まない。僕は貴方みたいな人にそうなってほしくはない!だから直ちに辞退を……」
ヴァルの言葉には必死さが滲んでいた。
「これは僕が決めたことだから大丈夫だよ。この試合に勝てば釈放されるんだろ、こんなチャンスなかなかないさ。それに僕以外にも他の腕自慢の囚人も何人かいるし案外どうにかなったりして」
(まぁ、ジークを脱獄させるための作戦なんて口が裂けても言えないけど)
ゼロは内心苦笑する。
「別にどうだっていいんですよ……、分をわきまえない外道どものことなんて……」
「ん?何か言ったかいヴァル君?」
ゼロは耳を澄ますが、ヴァルの声は小さすぎて聞き取れなかった。
「なんでもないです……。それでも僕は───、」
ヴァルが言葉を続けようとした瞬間、兵士が割って入った。
「ジャック、準備完了だ。出ろ」
兵士は無機質な口調で命令する。ゼロは小さくため息をつき腰を上げる。
「悪いねヴァル君、ちょっと行ってくるよ」
そう言って歩き出すゼロに、ヴァルはなおも何か言いたげな表情を浮かべたが、結局言葉を飲み込んでしまった。
『さあさあさあ‼ 皆さんお待ちかねの大乱闘の時間だ‼これから始まるのは命の奪い合い、文字通り生死を賭けた戦いだ‼ 』
司会者の煽りに観客たちは興奮し、次々と声援を送る。その熱狂ぶりは凄まじく、競技場全体が揺れているかのようだった。
『ルール単純明快、このコロシアム内で最後まで殺し合う。最後に生き残った奴が勝者だ!!もちろん、紳士淑女の皆様には勝者が誰か予想してもらい金額をかけてもらうシステムもある。ベットは開始一分後には締め切らさせてもらう。さぁ、盛り上がっていこうぜ!!!』
その言葉と共に巨大な門が開き、待機していた囚人たちが一斉に走り出す。我先にと競技場へ殺到していく姿はまさに獣の群れだった。
そんな中、ゼロは一人ゆったりとした足取りで歩いていた。その様子は緊張感など微塵もなく、むしろ楽しげですらある。
(ふぅ、始まったな。さて、最後の問題はどうやってジークに接触するかだね……)
ゼロは頭の中で考えを巡らせながら、前方に目を凝らす。ジークの成約を解除するにあたって重要な項目は2つあった。
1つ、ジークからゼロに危害を加えなければ成約違反とみなされない可能性があること。
2つ、ジークの行動はあくまでも監獄(聖騎士団)側が握っており、いつでも制限が可能であるということ。
この2つを前提とした場合、ゼロが取るべき行動は非常に限定される。前者の条件は、完全にジーク次第になる。ジークの行動原理を考えると、少なくとも条件は満たせる。だがもしジークが最初から全力で仕掛けてきた場合は話は別になる。いくらゼロとて無傷でいられる保証はない。そして後者の条件が厄介だった。なるべく自然にジークに近づく必要があり、不自然な行動を取ればすぐさま監獄側にバレるだろう。ジークの脱獄を早期に終わらせたいゼロ達にとってはこれは非常に不利な状況だった。
(やはり、早い段階で仕掛けるしかないね)
ゼロは覚悟を決めたように目を細める。他の囚人たちも各々の戦闘姿勢を整え終っていた。その時、会場に仕掛けられた魔法石から大きな音声が響き渡る。
『それじゃあ行くぜ、戦いの火蓋を落とせ! 大乱闘スタートォオオオオ!!!』
一斉に囚人たちが動き出す。競技場は一瞬にして修羅場と化した。雄叫びと共に飛びかかる者、怯えて逃げ惑う者、罠を張る者……十人十色の思惑が交錯する。
(さてと、まずはどうやってジークに近づくかだけど……)
ゼロは冷静に周囲を見渡す。ジークは依然としてコロシアムの中央付近に悠然と佇んでいた。まるで挑戦者を待つかのように。
(やっぱり正面突破しか無いかな……、他に方法もないし……)
ゼロは小さく頷く。このまま膠着状態が続いても仕方がない。彼は意を決して駆け出した。
だが、その瞬間───
「⁉」
突如として猛烈な殺気が背後から迫る。反射的に振り返り腕を上げガードを固める。次の瞬間、骨が軋むような衝撃と共に体が宙を舞った。
「ぐっ……!」
ゼロは何人かの囚人を巻き込み、コロシアムの壁へと叩きつけられた。壁には結界が張られているらしく壁自体にはダメージは無かった。しかし、衝撃で舞い上がった砂煙がお互いの視界を一時的に遮断した。
「…ったく君は昔から喧嘩っ早いのが悪い癖だよ」
口角から滴る血を拭いながら、ゼロはゆっくりと立ち上がる。砂煙が収まった視線の先には、腕の錠と顔の拘束具を破壊し、獰猛な笑みを浮かべるジークの姿があった。
「よお!久しぶりじゃねぇかマスター‼何年ぶりだ⁉なんでマスターがここにいるか知らねぇが、いい機会だ。喧嘩しようぜ‼」
ジークは愉快そうに笑いながらゼロに向かって拳を構える。その顔には久しぶりの好敵手との出会いに歓喜の色が浮かんでいた。
「はぁ……今はそんな場合じゃないんだけど……。君はそういうやつだったよ。いいよ、こうなれば最後まで付き合ってあげるよ」
ゼロは溜息混じりに呟くと、両腕を前に出し臨戦態勢に入った。二人の間の大気が歪みマナの濃度が濃くなり始める。
「いくぞ、ゼロ‼」
「来い、ジーク‼」
コロシアム中央で激しくぶつかり合う拳と拳。轟音が響き渡り、衝撃波が周囲の囚人たちを吹き飛ばし戦闘不能にさせる。
その光景を映像で見ていたヴァルはジークの言葉から放たれた真実に戦慄していた。
「あの男が、ゼロ・グリムロードだと……⁉」
まだまだ第5章続きます




