看守長
静かで暗い廊下、そこを一人の少年がゆっくりと歩を進める。廊下の壁には『関係者以外立ち入り禁止』と書かれている。
「ジャックさん、面白い人だな。次会ったらどんな話をしようかな」
少年ヴァルはそう呟きながら廊下の奥の扉を開けた。
「よぉヴァル、随分とたのしそうじゃねぇか。そんなに囚人生活ってのは楽しいのか?」
その部屋には、サングラスをかけ金品に装飾された制服を身にまとった男がソファくつろいでいた。
「ダリオン、もう来てたのか」
「お前が遅いんだよ。まぁそのおかげでこっちの仕込みは出来てるけどな」
そう言うとダリオンはテーブルに置いてある酒瓶の蓋を開け口に含んだ。
「あ、看守長!いつの間に来てたんですか!?」
そんな中、扉を開けて入って来たのは、山積みの書類の紙を抱えた女性看守のエルシアがヴァルに向かってそう言うと、次にダリオンの目の前に書類を置いた。
「こちら囚人リュウとその周りの取り巻き達の情報をまとめたものです。どうぞ」
エルシアは、そう言うと一歩下がって頭を下げた。
「流石ぁ~、エルシアちゃん。シゴデキだねぇ~」
ダリオンは茶化すように言った。
「いえ、私はただ記録していただけで、ほとんどトルメスさんが拷問してくれたおかげで分かったことです」
エルシアはそう言いながら、近くの棚から看守服を取り出し、ヴァルに渡した。
「どうぞ、看守長」
「あぁ、すまないな」
ヴァルは着替えながら書類に目を通す。その姿は先ほどまでの囚人とは違い、背筋は伸び、姿勢は凛としており、その目には鋭い眼光が宿っていた。
「そうか…やはり黒だったか。それでリュウは今どうしてる?」
「あいつならまだ拷問室でトルメスの奴が可愛がってるだろうよ」
ダリオンは酒を飲みながら答えた。
「そうか……」
ヴァルは書類を閉じ、席を立った。
「二人ともご苦労だった。今日はもう休め」
ヴァルは二人にそう指示を出し部屋を後にした。
そうしてヴァルはさらに廊下の奥にある階段を降りていくとそこには、冷たい石の壁に囲まれた狭い空間が広がっていた。その空間には拷問器具が置かれており、中央には一人の男が手足を拘束されていた。
「あら、もう時間だったかしら?」
その男の元に近づいてきたのは、腰まで届くほどの長さの銀灰色の髪が特徴的な女性であった。彼女は両手に赤く染まった包帯を巻いており、口元は血で赤く染まっていた。
「トルメス、後は俺が引き継ごう」
ヴァルは彼女にそう言うと、机に置いてあった鉈を手に取った。
「あらぁ、もうおしまい?せっかく楽しくなってきたのにぃ」
トルメスは不満げに言った。
「悪いな、あとゆっくり休んでくれ」
「分かったわ……、あら?」
「ん、どうした」
「ボス、何かいいことあった?」
「……どうしてそう思う?」
「う~ん、なんとなく。いつもより表情が柔らかい感じがするから」
トルメスはヴァルの顔をじっと見つめながら言った。
「そうか……」
ヴァルはそっと自分の口元に手を当てた。
「些細な事だ」
そう言った彼の顔は、まるで能面の様に表情が抜け落ちていた。
「そっか、それじゃあ私はもう行くわね」
トルメスはそう言うと、拷問室を後にした。
「さて、お前もそろそろ起きろよ」
ヴァルはそう言うと、目の前に吊るされている男の腹部を殴打した。
「がぁ!?」
男は悲鳴を上げ、意識を取り戻した。
「て、てめぇ、もう話すことは全部話した!!もう開放してくれ!!」
男は懇願するように言った。
「目覚めたか、拷問の時間は終わりだ」
ヴァルは近くに置いてあった椅子を引っ張り出し、そこに腰を下ろした。
「お、お前、よく見たらヴァルじゃねぇか!?なんでお前がここにいる!?」
男は驚愕の声を上げた。ヴァルは椅子に腰を下ろし、リュウを見上げた。その表情は氷のように冷たく、感情の欠片も感じられない。
「職務に入る前に少し訂正しておこうか」
ヴァルは淡々と口を開いた。
「俺はお前たちが知っている『ヴァル』じゃない」
その言葉にリュウの目が大きく見開かれる。
「な……何を言って……?お前は確かにあの……」
「黙れ」
ヴァルの声が石壁に反響し、リュウの言葉を遮った。彼はゆっくりと立ち上がり、拘束されたリュウの顎を掴み上げる。
「お前が知っているヴァルは、お前たちを監視するために創り上げた実際には存在しない囚人だ」
ヴァルの瞳が冷たく光る。
「俺はお前たち咎人を監視する者。そして……」
彼は自分の看守服の襟元を軽く指で摘んだ。
「この監獄【クロス】の看守長、ヴァル・グリスだ」
リュウの喉が乾いた音を立てた。目の前の男の気配が一変していた。リュウの知る弱虫の囚人とは明らかに違う、研ぎ澄まされた殺気と威圧感。それはまさに『管理者』の風格だった。
「馬鹿な……お前が……看守長だと……?ふざけるな!そんな話信じられるか!」
リュウは嘲笑しようとしたが、声が震えていた。
「なら話そうか。お前たちがただの山賊じゃないことを」
ヴァルはリュウの拘束具に軽く触れると、金属が擦れる不快な音と共に鎖が緩んだ。だがそれは慈悲ではない。
「お前は【帝国】第九師団副師団長、コードネーム『スネークアイ』。違うか?」
その瞬間、リュウの全身が硬直した。額から冷や汗が流れ落ちる。
「なぜ……それを……」
「驚いたか?確かにお前は拷問では口は割らなかった。流石と言ってもいいだろう……。だがお前の部下はそうでもなかったな」
ヴァルの言葉にリュウの目が狂気を帯びて見開かれた。
「部下……だと?ふざけるな!アイツらは帝国軍人だ!簡単に口を割るはずが……!」
「その軍人は、別の仲間が目の前で拷問されているのを見せつけたら……驚くほど饒舌になったぞ」
ヴァルは淡々と言い放った。その口調には嘲りも同情もない。
「う……嘘だ……!あいつらは帝国の中でも精鋭部隊だ!そんな簡単に……!」
リュウの叫びは虚勢だった。ヴァルの言葉が真実であることを本能的に理解していたからだ。
「精鋭部隊か。あの皇帝は本当にそう思っていたのか疑問ではあるが、要するに...」
ヴァルは冷ややかに続けた。
「この監獄に送り込まれた時点で、お前たちは既に詰んでいたんだよ」
その言葉がリュウのプライドを完全に打ち砕いた。彼は狂ったように叫び始めた。
「ふざけるな!俺たちにこんなことをしてただで済むと思うなよ!今頃俺たちの本隊……【第九師団】の魔獣軍団がこの国を蹂躙してるはずだ!この監獄も例外じゃない!すぐに仲間が押し寄せてお前たちを皆殺しにしてやる!」
リュウは唾を飛ばしながら吠えた。もはや半狂乱だった。
「魔獣軍団?」
ヴァルは僅かに眉を寄せた。そして次の瞬間、彼の淡々と告げた。
「ああ、それなら安心しろ」
その言葉にリュウの動きが止まる。
「何……?」
「今朝方、お前たちの言う【第九師団】の魔獣軍団は、我が国の聖騎士団長二人によって完膚なきまでに討伐された」
ヴァルの声は静かだった。だがその内容はリュウにとって絶望以外の何物でもなかった。
「な……何だと……?」
リュウの顔から血の気が引いていく。
「証拠が必要か?お前たちが密かに持ち込んでいた通信魔石を使ってみるといい。本隊との連絡が取れればいいな」
ヴァルは手にした小型の水晶球をちらりと見せた。それは通信を傍受するための魔道具だった。
「そんな……馬鹿な……!あの魔獣軍団が……たった二人の騎士に……?」
リュウの目は焦点を失い、虚空を見つめていた。彼の計画、帝国の威信、そして彼自身の命運が一瞬で粉々に砕け散った瞬間だった。
「言ったはずだ。お前たちがこの監獄に送り込まれた時点で詰んでいたと」
ヴァルは静かに言い放った。その声には最早一片の慈悲もなかった。
「お前たちの役目は終わった。あとは……」
ヴァルはゆっくりと鉈を手に取った。冷たい金属が部屋の蝋燭の火を反射して鈍く光る。
「お前がこれまでに犯した罪を清算するだけだ」
リュウの喉から掠れた悲鳴が漏れた。
静寂が戻った拷問室を後にしたヴァルの耳に、待ち構えていたかのような軽薄な声が届いた。
「やれやれ……また派手にやりましたね、紅の団副団長…いや、ここではこうお呼びした方がいいですね、ヴァル看守長殿」
薄暗い廊下の先に立っていたのは、紫の団の副団長セリオールだった。腕を組み、口元には皮肉な笑みを浮かべている。
「帝国の使者を単独で始末とは……相変わらず容赦がない。ああいう手合いは生かしておいた方が情報源になるのでは?」
ヴァルはセリオールの言葉を完全に無視し、足早にその横を通り過ぎようとした。
「必要な情報はすでに得ている」
振り返りもせず、冷徹な声が廊下に響く。
「この監獄における裁量権は私にある。それは即ち──この国の法だ」
その言葉に込められた絶対的な権威が、セリオールの軽口を封じた。一瞬の沈黙の後、セリオールは苦笑しながら一歩前に出た。
「今度のコロシアムですが……例の『天災』の処遇も含めて……滞りなく進みそうですか?」
ヴァルは足を止め、ゆっくりとセリオールに振り返った。その表情は依然として仮面のように無感情であった。
「問題ない」
簡潔すぎる答えに、セリオールは眉を僅かに上げた。
「……というと?」
「あの男の力もまた……利用価値があるということだ」
ヴァルの視線が遠くを見据えるように細められた。その意味をセリオールは正確に汲み取った。
「ふっ……やはりあなたは面白い方だ、でも、気を付けてくださいね」
セリオールの声が一段と低くなった。
「何にだ?」
ヴァルは微動だにせず問い返す。
「【グリム・ライト】ですよ」
その名を聞いた瞬間、ヴァルの呼吸がほんの一瞬止まった。表情は変わらない。だが、彼の纏う空気が微かに揺らいだのをセリオールは見逃さなかった。
「あの伝説の魔導士ギルドが復活した……情報筋は確かなものです。彼らが動き出せば、コロシアムもただでは済まないかもしれませんよ?」
セリオールは探るようにヴァルの顔を見つめた。
ヴァルは数秒間、虚空を見つめていた。それはまるで思考を整理するかのような沈黙だった。やがて、彼はゆっくりと口を開いた。
「そうか……」
その声には驚きも怒りもない。ただ、何かを見極めようとするような静かな響きがあった。
「……だからどうした?」
セリオールの目が僅かに見開かれた。
「相手は伝説級の魔導士集団……そんな相手に勝算でも?」
「問題ない」
ヴァルは言葉を遮り、はっきりと言い切った。
「いつも通りだ。罪を精査し……裁くだけだ」
その言葉には一片の迷いもなかった。ヴァルは静かに微笑んだ。口元だけが僅かに歪むような、冷たく、底なしの暗さを感じさせる笑みだった。
「ただ……厳粛に、な」
セリオールは鳥肌が立つのを感じた。ヴァルの瞳の奥には、計り知れない闇が渦巻いていた。それは慈愛とも憤怒とも違う、純粋な支配者の愉悦とでも言うべきものだった。
「……そうでしたね。あなたはそういう人でした」
セリオールは引きつった笑みを浮かべるのが精一杯だった。彼は確信した。この男は、たとえ相手が伝説の魔導士ギルドであろうと、この監獄の秩序を維持するためなら、そして己の信念のためなら、一切の躊躇なくそれを遂行するだろう。
ヴァルは再び歩き出した。その背中は以前にも増して巨大に見えた。セリオールはその背中を見送りながら、静かに息を吐いた。
(狂ってる……だが、それでこそ……)
彼の口元にもまた、別の種類の笑みが浮かんでいた。それは恐怖と期待が入り混じった、歪んだ笑みだった。
ちょっと期間が空いてしまいましたが、あけましておめでとうございます。今年も今作品をお願いします




