#13 『異界』 決意と共に、僕は先輩を抱きしめた。
本編再開です。
改めましてよろしくお願いします。
僕はどうしてしまったのだろう。
揺れる葬送列車の上、塩分を含んだ砂粒混じりの強い風が吹き付ける中で、僕の胸が受け止めている先輩の綺麗な髪を視界に捉えながらそんな疑問が浮かぶ。
六年生の時の守田や田村の言動や顛末は、
少し大袈裟に言えば僕を人間不信にさせた。
親しくしているゲームや漫画仲間の清宮や、
高校野球からプロ野球まで、とにかく野球好きの田中、
熱烈な虎党である木内、
数は少ないけど気の合う仲間が何人かいる。
他には自分が浮かない程度には接している人達。
非モテなので女友達なんかいないけど、
それでも僕は満足だ。
だからこれ以上、他人に深入りする必要はない。
そう思っていたのに…。
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正直、僕は戸惑っている。
この世界で今一番近くにいる…、言い換えれば密着している
先輩との距離感に。嬉しくないと言えば嘘になる。
僕とて男子ですから!
しかもそれが、絶世の美人ともなれば!
陰キャ非モテの僕だけど、女の子に全く興味が無い訳じゃない。
そんな僕に身を寄せる先輩。
僕の服の胸元を可愛らしい小さな手で握っている。
嬉しくない訳がない。
だけど同時に不安にもなる。
『人間』は裏切る動物だ。
どれだけ熱く、愛を語り誓い合った二人でも、
時が経てばその情熱も冷却。
『二人の為に世界はある』ぐらいのテンションが、
壮絶な泥沼泥仕合になる事が古今東西珍しい事ではない。
それが単純な気持ちの冷めや憎しみみたいなのもあるだろうし、
『金の切れ目が縁の切れ目』みたいな自分にとっての
利用価値の有る無いで離れる打算的なものもあるだろう。
………。
……。
…。
中学入学したばかりの僕がこんな事を考えているのは、
見方によってはやさぐれているのかも知れないが、
例えばクラス内でのいじめは自分より弱い者や劣る者、
時には気に入らないという理由だけで寄って集って
攻撃する人間という生き物の暗い面を如実に物語る。
あるいは自分が直接的に何か悪い事をされた相手ではなくても
周りがその人をいじめるようになったから、
自己保身の為に行う同調的ないじめもある。
自分もやらないと同じ目に遭わされるからといった理由で
何の罪もない友人であった者に危害を加える。
皮肉な事にそのいじめを受けている人以外が、
一致団結してまとまる事もある。
そして最もあってはならない事に、生徒を守るべき
担任がまたそれを利用する事もある。
たった一人を置いておけばクラスはまとまるのだ。
こんなに仕事放棄な事はない。
子供とはいえその性格や背景はまさに十人十色。
てんでバラバラのクラスより、一人の犠牲で他の大多数が
一つの方向に向かうのだから担任としてもこんなに楽な事はない。
むしろ積極的にそう仕向ける担任もいる。
だから大人も子供も、人は信じられないのだ。
そう思っていたのに…。
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人間には二本の腕がある。
どこかで聞きかじった話だが、人間には本当に大切なものは
人によっても違うだろうが多くの場合たったひとつなのだと。
その大切な何かを落とさぬようにしっかりと
両手で抱え込む為に二本の腕があるそうだ。
生きたい、先輩はそれを望んでいる。
僕たちが当たり前のように送る毎日。
本を読みたい、何も贅沢な願いではない。
小さな小さな、祈るような願い。
この列車が向かう先は崖…。落ちれば当然命はない。
両足をしっかり床に付け、壁ドンしていた右手を離す。
少し躊躇いながらも意を決する。
僕は右手を先輩の背中に回した。
もともと左手は先輩を受け止める為にその背中に回されている。
自然、先輩のその体を抱きしめる形になる。
自然…、物凄く自然だった。
僕は女の子と付き合った事なんか当然無いので、
どう扱ったら良いのかなんて知る由もない。
だけど、凄く自然だった。
言葉が出てこない、こういう事に不慣れだから
気の利いた事なんて言える訳もなく…。
その時、先輩が顔を上げた。
綺麗な二つの瞳が僕に向けられ、その瞳の中に僕が映る。
先輩が何かを言おうと形の良い唇を開きかけた。
しかし、言葉が出て来ないのか悲しげに目を伏せる。
先輩はなんて言おうとしたのだろう…、そんな事を考えていると
その瞳から一雫、涙が頬を伝う。
それを見ていたら、守らなきゃとそんな感情が浮かんでくる。
なぜかは分からない…、
今日会ったばかりの人を、守るなんて。
………。
……。
…。
不快ではあるが守田や田村の転落、人は平気で裏切る。
損得で、保身で。卑屈にも傲慢にもなる。
だから僕は他人には近付かない。不用意には…。
この世には代わりの効かない人なんて滅多にいないのだ、
唯一の親友とか会社の宝だとか言っても、そんなものは
いくらでも取っ替えが効く消耗品だ。
その使い捨ての駒を時になだめ、すかし、おだて
自分の描いた絵の上で踊らせる、自分の望んだ絵になるように。
それは子供にだって起こる、対人関係の醜さ、
大人ほど複雑ではないが子供独特の陰湿さもある。
損得で人を計る他人なんかに簡単に心を許すつもりはない。
人を道具として、駒として使う奴らに!
でも、先輩はそんな事をしていない。
先輩を追いかけ葬送列車に乗り込み、再会した時にも
このままでは僕が死んでしまう事を案じると共に、
自業自得とも言える僕の軽はずみな行動に憤ってもくれた。
『僕を使って何かを』とか『僕の持っている何かを』ではない、
『僕』を見てくれている、僕に向き合ってくれている。
…都合の良い自惚れかも知れないけど、そう思った。
何より先輩は、僕を必要としているんじゃないか?
夢や希望、それどころか命そのものさえ奪われそうな今ここで、
僕の心配さえしてくれた先輩…。
…ぎゅっ。
先輩の背中に回していた手に力を少し入れる。
『背中に手を回している』というのが今までなら、
今は『背中に手を回し、抱きしめている』という状況。
都合や損得によって裏切る他の人は知らない。
でも今夜だけは先輩と、そして僕の直感を信じよう。
もし裏切られたなら、僕が愚かだったと言うだけだ。
後悔はない…。
これから何が起ころうとも…、
僕が両の手で抱きしめる先輩と、
この先どんな運命が待ち受けていようとも…、
僕に後悔はない。