#12 『異界』立てろ!僕らの 生存フラグ・後編 〜奇跡の壁ドン〜
やっちゃった…。
いわゆる「俺について来い」的なセリフ。
イケイケキャラからは程遠い、陰キャの僕が吐いてしまったダサいセリフは、今時オラオラキャラのヤンキーでも言わないだろう。
…いや、田舎の周りが見えていないイケイケヤンキーあたりなら迷いもなくこのセリフなんかを吐いているのかも知れないが、そんな価値観とは程遠い陰キャな僕は軽く自己嫌悪。
ひゅ〜とアニメなどでお寒い場面に吹きそうな風がタイミング良く吹いた。
ホント、しょっぱいなあ、僕…。
だけど、とある刺激に我に返る。
いや、本当にしょっぱいぞ!!
辺りには塩辛い風が吹いている。それも砂混じりの。
風に乗って運ばれたザラついた砂が一粒、
唇の端に張り付いたので下で舐めとり、
ぷっと吐き出した時に得た感想がそれだ。
…もしかしたら、この辺りの土地は塩分が多いのかも知れない。
先程までの見渡す限り広大な平野、農地にもってこいの土地だろう。しかし畑作もされず、ましてや建物の影すら見当たらない荒野になっているのは、この土地が作物の生育に適さず、居住地や工業地域にすらならない程に塩分が含まれているのだろう。いわゆる塩害、それも過度のものである事で土地の活用ができず、手付かずの荒地になっているのだろうか…。
そんな荒野の中を疾走かける蒸気機関車、
僕と先輩だけが乗っている。
先輩の美しい姿が手に取る様に分かるのはやたらに明るい夜のせいかな、黒と赤が混じったような暗いおどろおどろしい空だったのに…、もしかして今夜は満月なのだろうか。
しかし、上を向いて満月かどうか確認する余裕はない。
なぜなら、僕のやらかしたセリフのせいで、目の前で固まってしまっている先輩からさすがに視線をそらして月を眺める訳にはいかない。
僕が変なセリフを吐いてしまったので、反応に困っているのかも知れない。
…どうしたら良いんだろうこの空気…、そう思っていると…、
「………って」
風に消え入りそうな小さな声。
先輩!?何か言いました?
その瞳には意思の光が宿っている。
それも、強い。…強い光。まっすぐに僕を射抜く。
「…あ、あの…?」
「………言って」
「…え、え?」
戸惑う僕。
「…もう一度、…言って?」
まっすぐに僕を見つめ、先輩はそう口にする。
「私の為に…、もう一度言って?」
僕をしっかりと見つめ、確かに先輩はそう口にしたのだった。
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僕は今、一人の女性に見つめられている。
それも、浮世離れした海外のお伽話でしか登場しないような絶世の美女に。先輩は制服のリボンの色から二学年上な訳だから14か15歳…。それなのに美少女というよりは、美人とか美女という大人びた表現がふさわしい。
あるいは、森の妖精と言われるエルフの女性がこの世に存在するのなら、その姿はきっとこの先輩のような綺麗な人なのだろうか。
その先輩が僕に求めている。
言って、ってさっきのアレだよな?
先程の僕にとっては口にするのが非常に恥ずかしいセリフを。
戸惑う。困った。
しかし、先輩がそれを求めている。
まっすぐに、そして真剣に。
先輩は今まで病弱な為に、外に出る事さえなかなか出来なかった。
僕らがたやすく出来る当たり前の事が、先輩にとってはとてもとても高い壁で、それをずっとずっと求め続けた。憧れ、切望、そんな言葉で定義されるであろう先輩が手を伸ばし続けてきたこの気持ちは、そんな単語の一つや二つで表現するにはあまりにも釣り合わないのではないだろうか。
だから僕は言う!
せめて今だけても、僕だけでも、先輩の願いを叶えたいと思うから。
可能な事ならこれからも、そんな先輩の小さいけれど大切な願いを叶えたい。
まずはその一つ目を、しかも僕に出来る事。
迷うな!躊躇うな!
先輩の手を僕は再度両手で包むようにして…
「僕にッ…、ついて来い!先輩ッ!」
さっきより強い声でしっかりと言う。
「ッ!!」
ピクッと先輩の体が反応する。
僕の声が先輩の心だけでなく、肉体にも響いたのだろうか、反応の後には先輩の体は少し震えていた。
しかしながら先程まで僕を見つめていた視線は、僕の言葉のせいか俯いてしまい、その表情は窺い知る事ができない。
再度の沈黙…。
その時、線路の上に異物でもあったのか、ガタンッと音がして何かに乗り上げたような衝撃が起こった。
そのはずみで僕たちはバランスを崩し、先輩は後方に倒れかかる。
僕はと言えば、前方に倒れるようにバランスを崩した。
このまま行けば…先輩の上に倒れ込むような形で…ぐふふ。
…ち、違う。ふ、不可抗力なんだからしょうがないんだからねっ(ツンデレ風)なんて考えてないです、ホントです。
そんな事が一瞬頭をよぎったが、後ろにバランスを崩していく先輩を見て直感する。先輩の後ろに機関室の外枠の壁がある、このまま行けば頭を打ってしまうかも知れない。
ダメだ!
前方にバランスを崩し掛けている僕は、この時後ろ足になっていた右足を強く踏み出す。100メートル走のスタート一歩目のように全力の踏み出し、前に倒れ込む勢いにスタートの一歩目の勢いを加えて今までに感じた事がないような早く鋭い踏み込みになる。
一瞬で先輩に肉薄し、間近で見る先輩の顔。
見惚れていたいけど、先輩を守るのが先決だ!
バランスを崩した時に不覚にも先輩の手を離してしまっていたから僕の両手は現在フリー。右足が踏み切り足になっているから、当然右半身が後ろで左半身が前!
先輩に近い僕の左腕はとっくに先輩よりも向こう…先輩の背中よりも先にある。
肘を曲げ先輩の背中へと手を回す。
左手一本、先輩を受け止める!
しかし、先輩の着ている黒いノースリーブのドレスは、あまりに薄絹で先輩の体の感触をダイレクトに僕の左手に伝えてくる。あまりに軽く華奢な感じなのに、同時に女性らしさと言うか女性特有の優しい感触に一瞬我を忘れた。
わずかに惚けた僕は先輩の体を離してしまいそうになる。
しかし、それでは後方に倒れる先輩が壁に頭をぶつけるだろうし、今は僕までも先輩に向かって飛び込むような体勢になってしまっているから追い打ちにさえなりかねない。
それだけは避けなければならない!
まずは絶対に先輩の体を離してはならない!
「絶対に離さない!」
思った事が口をついて出てしまっていた。
先輩の背中側に回した左手をぐっとこちらに引き寄せる。
今度は引き寄せようとした左手を始めとして左半身が後方に、逆に右半身が前に出て行く形になる。
前に向かって勢いがついた僕の体、その先にはおそらく鉄張りの硬い列車の車体の壁。このままぶつかればただでは済まない。
幸いにも僕はこの時、右手もフリーだった。
前に出て行く右半身、右足は踏みとどまるように踏ん張る体勢を…、そして残る右手は目一杯に広げて大相撲の力士の張り手のように前方に繰り出す!
その先には車体の壁面がある、そこに向けて!
だあああああぁんっっ!!!
「ッ!」
腕の中の先輩が反応する。
列車の壁面を力強く、僕の右手が張り手のようにして打ち付けた音だ。手の平下部から手首、さらには肘近くにまで衝撃が走る。痛みもあるが、体を突き抜けるような感覚、右手がビリビリと痺れている。
先輩が軽かった事もあって、僕はなんとか二人分の体重を右足の踏ん張りと右手を壁にしっかりとつき、このアクシデントに対してケガなどしなくて済んだ。
左腕で支えている先輩に視線を向ける。
その両手は胸の前でそれぞれキュッと握り、驚いた様な瞳で僕を見上げている。きっと壁に右手をついた時に大きな音がしたから怖がらせてしまったのかも知れない。そう言えば先輩は、僕について来いって言って欲しいって言ってたっけ。
一度言ったけど、さっきは反応が薄かったからな…、次は…。
僕は先輩に安心してもらおうと、出来るだけ優しい笑顔になるように微笑む。
「先輩、ケガはない?」
コクコクと先輩が首肯いてくれる。
「良かった…」
一番大事な事が確認できて、僕は思わず顔がほころぶ。
少し安心してくれたのだろうか、先輩の驚きで強張っていた表情が少し柔らかくなる。でも少し、その瞳には涙が浮いているように思える。
耳元であんなデカい音をさせちゃったもんなあ…。
大人しい先輩は怖かったかも知れないなあ…。
すると、体の前でキュッと軽く拳を握っていた先輩の両手が開かれ、そして僕の胸元あたり…着ている服を軽く握った。
なんだろう?と思って先輩の顔を改めて見てみると、上目使いで超至近距離にある。
目は口ほどに物を言うと聞いた事があるが、正にこの事。
絶世の儚げな美しい人が、胸元でウルウルしながら僕を見つめている。おまけにキュッと服を掴まれたりなんかしてるから、まさに『こうかはばつぐんだ』と言える。
だけど、それにずっと酔っている訳にはいかない。
「先輩…」
「……。」
呼びかけた僕の声に無言ではあるけれど、先輩の体がピクッと反応したのが左腕から伝わる。胸元を握っている力も少し強くなった気もする。
「僕が…、ここから連れ出す」
「……ッ」
先輩が少し目を見開くというか、僕を見つめる視線が強くなる。そして、次の言葉を待っている様にも思える。
逃げたり、照れ隠しに茶化すような不誠実な事は言えない!
まっすぐに僕の裸の心をぶつける。
「嫌だなんて言わせない!僕についてこいッ、先輩!」
「ッ!!」
その瞬間、先輩が弾かれたよう僕の胸元に飛び込んでくる。
僕の胸元に顔を埋めて、小さな両の手は可愛い拳を作り服を握っている。
こんな近距離で女の子に触れた事なんて今までにないけど、ものすごく華奢な肩。わずかに震えているその肩の黒いドレスと真反対な色の白さに改めて僕は驚く。
こんな細い体で、小さな頃から病気と戦ってきたんだね…。
僕が当たり前のようにしてきた遊びに行く事とか、それすらも遠い世界の様に憧れて…。
図らすも壁ドンの体勢になった、壁についたままの右手が何の気なしに視界に入る。
「先輩…、僕が支えるよ…。どこにだって連れ出すから…」
胸の中にいた先輩が僕を見上げる。
まるで何か悪い事をして、おそるおそる親の顔を見上げる幼子のように。
先輩、何も悪い事なんかしてないよ。
これは僕が好きでやっている事、言っている事だよ。
「だから、僕について来て。先輩」
「……はい」
走る列車の上、風に消え入りそうな小さい声だったれど、先輩の声が確かに僕の耳に届いていた。