#9 『異界』二人の葬列
列車は走り続けている。
走行風はかなりのもので、車外にいる僕らに容赦ない空気抵抗を加えて吹きっさらしを浴びせてくる。
一方、足から伝わる振動も凄い。
硬い鉄張りの床面から軋むような車輪と線路の摩擦の衝撃が伝わってくる。
しかし、それよりも重要なのは…、
「僕も…、死ぬ…?」
あまりに突拍子もない発言と、そして死ぬという現実味のない内容に僕は戸惑い、思わず疑問が口をついて出る。
本当は期待していたんだ。
「冗談…だよ」
そんな風に言ってくれる先輩を。
しかし、僕の疑問に先輩の回答はなく、それどころか悲しげに俯く。
その様子が先程の言葉の肯定である事を示し、逃れられない現実である事も僕に知らしめる。
何も言えなくなってしまった僕に、先輩が呟く。
「この列車は、葬送列車と呼ばれているの…」
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「葬列…、列車…?」
聞き慣れない言葉に僕は単語を鸚鵡返しする。列車という単語は分かる、今乗ってるぐらいだし。
でも、『そうそう』とは何だろう?
そんな事を考えた時、訥々と先輩はこの列車について話し始めた。
今からおよそ百年前…、世界は第一次世界大戦の真っ只中にあった。
否応なく多数の死傷者が出る事は言うに及ばず、祖国を離れ慣れない異国の地に赴けば思わぬ傷病に悩まされる事もある。その一地域の風土病に過ぎなかった物が、世界を混乱の渦と恐怖のどん底に突き落とした。
『スペイン風邪』、今でいうインフルエンザである。
当時世界人口は約20億人、そのうち1億人が亡くなったと言われ、致死性の高さのみならず感染力も非常に高く欧米に限らずアジアの孤島サモアにまで蔓延した。
その為にスペイン風邪は、死亡する恐怖のみならず、感染力の高さは人間同士の疑心暗鬼をも呼び些細な発熱や咳一つで人を排除する要因ともなり、その恐怖と疑心暗鬼が最高潮に達した時に起こったのが『葬送列車』である。
葬送列車は一言で言えば、人間狩りである。
感染者、あるいは感染の疑いがある者を蒸気機関車に強制的に押し込め、目的地に向け出発させる。
その行き先は、自然災害で線路が破断した崖の上であり、当然そこに到達すれば脱線し崖下へ落下する。
蒸気機関車は車内の炉で石炭を燃焼させる。
炉の中で石炭は高熱を発し燃焼をする、それを落下させれば蒸気機関車は衝撃で破壊される。当然、炉も破壊され炉内では取り入れられなかった無尽蔵の新鮮な外気…酸素を取り入れる事ができ、鉄をも溶かす石炭の燃焼は文字通り爆発的な物になる。
それは蒸気機関車である先頭車両はもちろん、連結し後に続いてきた車両をも一度に爆発炎上に巻き込み、感染者達の命とその亡骸の始末とその者達が触れた車両を一気に炎上、いわば殺害と火葬と殺菌消毒をも一度にする事ができる。
乗せられた者が帰る事はない、
それが別れの『葬送列車』である。
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葬送列車の事を聞き、僕は暗い気分になる。
致死性は高いと言えど、助からない訳ではない。
なのに、確実に人を死に追いやる事がやるせない。
だけど、当時は感染していない大多数の人の狂気とも言える感染者への排除の機運を誰も止められず、また自分達が助かる事が是とされ現代ならば大問題になるこのような事もまかり通ったのだそうだ。
このような事は各地であり、臨時の救護所とされた建物に感染者達を強制的に閉じ込めた上で火を放ち殺害かつ後処理とした事例など何らかの形で感染者を死に追いやり疾病対策としたのが記録に残っている地域もある。
僕が悲しみとも怒りとも言える感情が沸き立つ中にいると、先輩がいつの間にか僕の目の前にまで来ていた。
ノースリーブのシンプルな膝下位まであるシンプルな服。よく見ればレースのカーテンに使うようなシンプルではあるけど模様もある。
驚いて視線を上げると、そこにはやはり綺麗な先輩の顔。
相変わらず髪が激しくなびくけど、その美しさが損なわれる事は決してない。黒と君の悪い赤い色が混じる空を背景に真っ白な先輩の肌や銀色の髪がとても引き立つ。浮世離れした光景に言葉を失う。
「私は…、生まれつき体が弱かったの…」
「えっ?」
「幼い頃から病院か、あるいは家のベッドで過ごす事が多かったの…」
突然始まった先輩の話、僕は一言も聞き逃すまいと思った。
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「病弱だった私は、幼少期のほとんどを寝て過ごしたの…。外に出られたのは月に一度あるかないか、だから外の世界を感じられるのはその僅かな機会に、少しだけの時間、お庭を車椅子、体調が良ければ降りて少し歩く…そのくらいしかなかったの」
「………」
「他には窓から見える景色…、開けた窓から入ってくる風…、それだけが私が感じられる外の世界の全てだったの…」
首肯いて僕は次の言葉を待つ。
「でも、ある時一冊の本に出会ったの」
先輩の表情に少しだけ微笑みが浮かぶ。
「何気なく手に取った本で、少年達がイタズラで乗り込んだ船が沖合に流されてしまったの。嵐に遭い機関が壊れ航行できなくなったのだけれど、たまたま無人島に流れ着いて、そこから島での生活が始まり後に船を直し元いた都市に戻るの」
「それなら僕も知っていますよ、小学校一年生の夏休みに読みました。十五少年漂流記ですね?」
「そう!憧れたの!」
先輩の声が弾む。
「私には出来ない事だから。女の子らしくないかも知れない、でも!」
先輩が僕をまっすぐに見つめる。
「船には乗れるかも知れない。でも、嵐に巻き込まれたり、島で様々な発見をしたり、命懸けで戦ったり…私には出来ない事が生き生きと表現されていて!」
うんうん、と僕は笑顔を浮かべ先輩を見守る。
「自分の部屋と窓から見える外の景色、それが私が感じられる世界の全てで…、だけど物語は本を通じて私に外の世界に連れ出してくれて…」
徐々に先輩の声に熱が、そして生気が帯びてくる。
「この体に生き生きと外の世界を知る人の、私では知り得る事のできなかったはずの世界が…、もう無理だと思っていた…私には一生手に入らないと諦めていた…、私に沢山の物をくれた。
行った事のない場所、触れた事のない花、見た事もない大きな動物、病室では出会えない色々な国や職業の人々…。
どんなに手を伸ばしても、どんなに、どんなに手を伸ばしても手に入らなかった物が私の中に入って来るの。
一人しゃない、私にはそれまで感じる事のできなかった私も何処かでこの世界でつながっているんじゃないかって感じられて…、凄く、凄く、嬉しくて」
先輩の深紅の瞳が、その色に似合うような何か熱い感情が浮んでくる。
「それから私は沢山の本を読んだの。私には知らない事、感じられない事を一つでも埋めて行きたくて。
体調が良くなってきて、学校にも少しずつ通えるようになって…夢だった普通の生活を送れる、私の夢がやっと叶うって思ったの!」
歓喜と、そして少し遅れて悲しみの色が混じる。
「でも、ここ何日か体調が急激に悪くなって、ついに今日、今までにないくらい体が辛くなってきて…。
分かって…しまったの…。もう時間が無いって。自分の体…だから。分かって…」
先輩の瞳の端に光る物が浮かぶ。
「もう私には『時間』が来てしまったんだって…」
「時間…?」
「私の寿命が終わるんだって…、気付いてしまって…。だから、私は残された僅かな時間を…、私の思い出が残る場所に行きたいと願ったの…。生まれた街、ほとんどの時間を過ごした自分の部屋…、あまり通えなかったけど学校の教室…、そして…大好きな本に囲まれた図書室…、もう一度だけ行きたいと…」
「…先輩」
僕に何が言える…、僕は何か優れてる物なんてないけど、ごく普通…それなりに健康な体はある。
僕はそれを普通だと…、ありがたみもなく過ごしてきたけど…、僕が当たり前だと特に感謝する事もなかった…そんな『普通』を先輩はずっとずっと夢見てきたのだろう…。
「最後に図書室に行って…、一番読んでみたかった本を読んで…、あなたが私に気付いて…他の誰も私には気づかなかったのに…、私も最初はあなたには気付かなくて…でも、優しい声が聞こえてきて…」
少しずつ、先輩の声に嗚咽が混じり始め、
「私の好きな場所に最後に行く事が出来て…、
だけど、誰とも話す事もなくて…最後にあなたが私に気付いて……、私…、私…、最後にあなたと話せて…」
ぽろぽろっ…、先輩の頬から涙が伝い落ちる。
「私が思いを巡らせられた最後の瞬間、色々な願いが叶って…、夢見てきた色々な『世界』にもう一度…、そして誰か私に気付いて欲しくて!『会話』欲しくて…。あなたが最後にくれた…私が生きた『証し(よろこび)』を…。もうこれで…思い残す事はないって…、そう…、思って!」
突然、先輩が僕の胸に飛び込んでくる。
堰を切ったように激しい嗚咽、…慟哭と言っても良いかも知れない。僕の胸に顔を埋め、ずっと、ずっとずっと泣いていた。
言葉にならないのだろう。
泣きながら何かを告げようとしているが、言葉にならない。だけど、かえってそれが…、泣いている先輩の嗚咽こそが先輩の心の内そのものだったのではないかと感じた。
多分…、ずっと先輩はこうして感情を露わにする事などほとんど無かったのではないだろうか…。
全身を震わせるように泣く先輩…、それを受け止める僕、両の足で立っていた僕達はいつの間にか互いにひざまずき共に涙していた。
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人里離れた殺風景な中を行く葬送列車、疾走しているとは言え石炭が燃料…電車程は早くはない。
いつしか泣き止んだ先輩と僕は体をぎこちなく離し、ゆっくりと立ち上がる。荒れ果てたような荒野の中を走っているようだが…、視線の先に丘陵というか高地が見えてくる。
泣き止んだ先輩はやはり綺麗で、先程まであれだけ近くにいた事が思い出され気恥ずかしく、気の利いた事でも言えれば良いがやはり無理で沈黙してしまう。
「もう…、戻った方が良い…」
「えっ?」
「後ろの…車両に…戻って…」
「ど、どうして…?」
戸惑う、どうして急にそんな事?
「…時間が、来たの。この登りを超えたら『嘆きの崖』と呼ばれる葬送列車の悲劇が起こった場所…』
先輩が悲しげに微笑む。
「このまま…、このまま行けばあなたも死ぬ…。
私は…、私はもう…思い残す事なんてない…」
淡々と先輩が続ける。
「…この黒い服を…、身につけた時から…、私の心は決まっていたの…。これは…別れの時に着る服…」
「別れの…?」
日本ではお葬式で白い着物を御遺体に着せるが、この辺りではこの黒い服なんだろうか…。
「このまま崖まで行けば…、落ちて…死ぬ。
だから…、あなたは…後ろの車両に…戻って…」
先輩がまっすぐに僕を強く見つめる。
「この列車は…、先頭の車両に連結を外す装置があったと思う…。…だから、私が外す…」
「そ、そんな…」
それが出来れば、僕は後続の車両の中で生き延びる事が出来るだろうけど…、そしたら先輩は…亡くなってしまう、確実に…。
「今まで…、ありがとう。早く…行って…」
「せ、先輩ッ!」
車両を切り離すには確かに先頭車両に残らなければならない。切り離せなければ後続車両のどこにいても結果は同じ。僕を助ける為に…、何も思い残す事は無いと言った先輩…、覚悟は決めた…そう言わんばかりに…。
先輩が背を向け機関室の扉に手をかける。
「…さよなら…」
先輩は…、震えていた。
死に向き会う…、想像以上に怖い事だろう…。
いくら思い残しのないようにとは言ってはいたけど…、…いや!?
違和感、違和感がある。
「違う…、違うっ!」
だんっ!僕は一歩、前に出る!
「先輩は本当に、本当にそれで良いんですか!?」