思い出のオルゴール箱
「あれ、これって……何?」
* * * * *
私は美緒。春から大学生になり、独り暮らしを始める。
今日はもう、家を出る日だった。
「美緒は大きくなっても私の子なんだから、ときどきは帰ってきなさいよ」
「うん」
そう言って、お母さんは笑った。
新しい家に入り、手続きを済ませ、荷物を運び込む。
数日後、最後に開けた段ボール箱の中から、小さな巾着が出てきた。
「……? 何だろう、これ……」
袋の中には、装飾の付いた箱が入っていた。
箱を開けると、どこか懐かしいメロディーが流れ始める。
聞き覚えのないはずのオルゴールの音。
なのに私は、この音を知っていた。
そして、箱の裏を見ると、小さく文字が刻まれていた。
「『Mio』『Sota』……ソウタ?」
私の知っている人に『ソウタ』なんていない。
でも、何かが引っかかる……
「調べてみるかあ……」
でも私の持っている物に手掛かりなんてあるのだろうか……
とりあえずオルゴール箱を巾着に仕舞うと、かさりとした音が聞こえた。
『美緒へ。
直接伝えられなくてごめんなさい。
まだ思い出せないのなら、
昔住んでいた町に行きなさい。
そうすればきっと、思いだすから。
母より』
その短い手紙は、確かに母の書いた物だった。
私は、何か大事なことを、忘れている……?
なぜかじっとしていられなくなり、
小学校を卒業するまでいた町に向かった。
電車に揺られること数時間。
私は、生まれ育った町に帰ってきた。
(あの頃から随分変わっちゃったんだな……)
新しいビルや家、店、公園……私は確かにここにいたのに、まるで知らない町があった。
そして私は、気が付くと一軒の空き家の前に立っていた。
(あれ、この家って……)
見たことのないはずの家に既視感を覚え、訳が分からなくなる。
なぜか涙が溢れ、止まらなくなる。
(ああ、思いだした。思いだしたよ、蒼ちゃん)
私は、ゆっくりとその場を後にした。
まだ冷たい風に飛ばされた紙片が、宙を舞う。
『宮崎一家強盗殺人事件 未だ犯人掴めず』
* * * * *
娘は小さい頃、とても人見知りをしていた。
幼稚園に入れてもうまく馴染めず、一人で遊んでいた。
だから、あの日幼稚園に迎えに行ったときに聞いた娘の一言が、とても嬉しかった。
「ママ、きょうね、そうたくんとあそんだの」
蒼汰君のお母さんとは元から付き合いがあったから、よく子ども同士で遊ばせていた。
小学校に上がっても変わらず仲良しで、いつも一緒だった。
でも、もう娘と一緒にいてくれた蒼汰君は、いない。
小学校最後の夏の日だった。
珍しく夜は涼しくて、どの家も窓を開け放ったまま眠っていた。
そして、強盗が入った。
その強盗は、刃物を持っていたらしい。蒼汰君のお父さんは単身赴任で家にいなくて、眠っていた蒼汰君と妹さんと、蒼汰君のお母さんは……
翌日、学校から帰ってきた娘は、表情が抜け落ちていた。
その日はそのまま、部屋に閉じこもっていた。
次の日、娘は何事もなかったように部屋から出てきた。そして娘が言った言葉に、私は自分の耳を疑った。
「ねえお母さん、なんか部屋にこんな写真あったんだけど、誰?ちゃんと自分の部屋に置いといてね」
初めは、娘があまりにも辛かったから、いなかったと思い込もうとしているんだと思っていた。でも違った。娘は、
自分の記憶を、消していた。
閉じこもっていた間、娘に何があったのかは分からない。
けれど、娘自身が思いだすことを拒んでいるなら、それに従うしかなかった。
その日から学校は休ませ、夫と話し合った結果、引っ越すことになった。娘がこれ以上辛い思いをしなくて済むように。
そして、何事もなく小学校を卒業し、中学校、高校を卒業した。
大学は独り暮らしをしたいと言った娘を前にして、ようやく思い始めた。
(このままでいいのだろうか)
仕舞いっぱなしにしていた蒼汰君との思い出のものも、久しぶりに取り出した。その中に、娘が以前とても大事にしていたものを見つけた。それは、オルゴール箱だった。
「最後の誕生日プレゼント、だったっけ……」
12歳になった日、帰ってきた娘が嬉しそうに抱えていたのを、今でも鮮明に覚えている。
私は、娘の荷物の中にそっと仕舞った。
* * * * *
私は、町の外れに向かっていた。何かに呼ばれるかのように。
迷うことなく歩き続け、ある場所で立ち止まった。
そこは、お墓だった。
書いてあることは読めなかったけれど、ここに、あの人がいることだけは分かった。
その場にしゃがみ込み、そっと触れる。
「……蒼ちゃん」
春の日差しを受けた風が、頬を掠めていく。
言いたいことは沢山あるはずだった。なのに、喉の奥に引っかかるみたいに何も出てこなかった。
私はいつの間にか、両頬を濡らしていた。
どれ位経っただろう。日が傾き始めていた。
私はもう一度、蒼ちゃんがいる場所に触れた。
目を閉じて、もう一度あの頃を思い起こす。
一緒に遊んで、一緒に怒られて、たまに喧嘩した、あの頃を。
そして、ゆっくりと、その場を後にした。
__美緒ちゃん、また遊ぼうね。
私を包み込む風に紛れ、そんな声が聞こえたような、気がした。