2-2 飛頭蛮
R2.10.2 内容一部修正
大きなバッグを抱えた、笑顔を浮かべた夫婦が来店されました。
「いらっしゃいませ」
静かに、そして丁寧にお客様をお迎えする相志さん。
接客は相志さんが主に行っています。私はまだ“表”も“裏”も慣れていないので接客は出来ず、専ら皿洗い…なのですが、正直そこまで流行っているお店という訳では無いので、正直ヒマな時間が多いんです。いっそ妖怪『皿洗い』となって「皿を寄越せぇー」とでもやり出そうかと思っていた矢先の来客でした。
ちなみに店の中に紫苑さんの姿はありません。店に並ぶケーキ全てを、夜のうちから一人で作っているので、作り終えた後は寝ているのだ、と相志さんが教えてくれました。陰陽師とパティシエ、二束の草鞋は大変なのだろう。
仲睦まじそうな夫婦はにこやかに語り合いながらイートインコーナーのテーブルに腰を下ろしました。 幸せそうな普通の夫婦に見えたので、それだけに相志さんがオーダーを聞いて戻ってきた後、テーブルの端に藤紫の花を置いたのを見た時にはショックでした。
あんな仲の良い夫婦に――何が?
「相志ぃ、裏の客だぜ。行ってくらぁ」
紫の花を確認したこんぺいさんが相志さんに声をかける。分かった、と無愛想に答える相志さん。
「初めてなので、若葉さんはそのまま裏から見ていて下さい」
分かりました、と返事をして夫婦に視線を戻すと、ふよふよとこんぺいさんが夫婦の近くまで接近し、その一つ目をカッと見開きました。サーチライトの様に光る目で夫婦をじっと見つめています。
「あれは…?」
思わず出た私の疑問の声に、相志さんがテキパキとティーセットの支度をしながら答えてくれました。
「あれはこんぺいがお客様の『怨みの記憶』を見ているんですよ」
「怨みの…記憶?」
「えぇ。若葉さんも初めて来た時、何も聞かれなかったでしょう?あれはこんぺいがあぁやって怨みに関する記憶情報を確認しているからなんですよ」
成程。口に出したくない人も居るだろうし。ましてや堂々と重要事項説明書や個人情報保護の契約書を交わす事も出来ない事柄だからこそ、なのか。
「個人情報の保護と言う観点からすればとんでもない事ですけどね」
私の考えを見透かしたように笑う相志さん。
「若葉さん、ちょっとこちらへ」
二人分のおすすめセットを準備し終えた相志さんが私を呼びました。その手には薄い紙を折り畳んだ包みが二つ握られています。まるでお薬の包みみたいです。
「これが、『夕鈴見ゆうすずみの粉』。式神が見えるようになり、『夕闇の境』へ入れるようになる、若葉さんが陰陽の力に目覚める契機となった薬ですね。製法はいずれお教えしますので」
薬を作る…コウモリの羽とかトカゲの黒焼きとか入るのかな…なんて思い浮かべながら説明を受けていると、こんぺいさんが店の裏に泳いできた。
「間違いねぇぜ。イジメで娘が自殺してる。内容も酷ぇもんだ」
「分かった。ではこんぺい、案内を頼んだぞ」
相志さんはそう言うと包み紙を開き、中にある灰色の粉を二つの紅茶に溶かし入れました。
「ちなみにこれ、無味無臭です。若干、紅茶の色は冴えなくなりますが、味の邪魔はしませんよ」
と、どうでもいい情報まで丁寧に教えてくれる相志さん。紅茶には拘りがあるのだろう。こんぺいさんは店の裏口にある猫用ドアから、ちゅぽんっと出て行った。あの丸さであのドアを抜けられる事に驚く。握るとぶにょっと潰れるオモチャのような体質なのだろうか。試してみたいとは思わないけど。
相志さんがおすすめセットを二人のテーブルへと運び、戻ってきました。
「それでは、僕は紫苑様のところへ行ってきます。若葉さんは会計をお願いしますね」
言いながらテキパキと腰のエプロンを畳む相志さん。
「は、はいっ」
「あくまで控えめの笑顔で普通に。表情に出さないようにして下さいね」
そう言われても、あんな和やかそうに見える夫婦が、それほどの怨みを抱えているなんて。どう対応すればいいのだろうと考え込んでいると、相志さんがそうそう、と再び声をかけてきた。
「お会計が終わったら、『準備中』の札を提げて裏の階段を上がって二階の障子を開けて入ってきて下さい。ミスマッチな障子なので、見ればすぐ分かりますよ」
相志さんはそう言ってさっさと店の二階へと上がっていきました。
結局、どんな顔をして対応したのかよく分からないまま、店のドアをくぐって『夕闇の境』へと足を踏み入れてゆく夫婦を見送りました。
相志さんに言われたとおり、二階への階段を上がる。二階にしては広めの廊下と、建物の外見からは予想も出来なかった純和風な空間。だが廊下の突き当たり。そこに黒い木枠の障子が異物感満載で設えられていました。
多分これの事だ。失礼します、と声をかけて障子を開いた。
十畳くらいの広い畳の部屋。障子を開けてすぐ横の所に相志さんが正座している。
そしてその奥。神社の神主さんが着ている様な古風な形の、薄紫色の装束を纏い、蝋燭の灯りに照らされて障子の前に座る紫苑さんがそこに居た。
ここはもしかして――
「ここは紫苑様が依頼を受ける部屋になります。若葉さんが見上げていた、あの部屋ですよ」
あの障子は『夕闇の境』に通じていたのか。
「いつもはギリギリか、少し遅れるんですが、今日は若葉さんが会計をしてくれたので助かりました。」
「そんなに余裕、無かったんですか?」
「えぇ…今までは会計を済ませてからの支度だったものですから。正直、厳しかったです」
成程。『夕闇の境』を結構歩かされたのは時間稼ぎもあったのか、と可笑しくなって小さく笑ってしまいました。
「それもこれも紫苑様が――」
相志さんが何か愚痴ろうとした時だった。障子の向こうからこんぺいさんの声が聞こえました。
「お客様をお連れ致しました」
こんぺいさんが、あの夫婦をここへ連れてきたようだ。その声に応じ、紫苑さんが依頼人の夫婦へと声をかける。
「一人娘を自殺に追い込まれ、その理由を知る事も加担者への怒りも、全てを捨てるよう強いられた、狂おしい痛みに震える魂の持ち主よ」
こんぺいさんが依頼人の記憶を見て、それを伝えている、という事なのだろうか。
「あの…紫苑さんは『怨みの記憶』をどうやって――」
そっと小声で相志さんに質問すると、相志さんは嫌な顔一つせず教えてくれました。
「こんぺいが見たモノは紫苑様にも見えるのですよ。こんぺいがライブカメラと考えて頂ければ、分かり易いですかね?こんぺいは紫苑様の式神ですから、繋がりがあるのですよ。それも今までは時間的にかなりギリギリでしたが、これからは、若葉さんのおかげで余裕を持って支度が出来ます。」
そこまで言うと相志さんは私に向け、頭を下げました。
「あんたが…娘の仇を取ってくれるっていう祟り屋さんか?」
障子の向こうから、先程まで店内で笑顔を見せていた男性の声が聞こえました。だがその声色は店先の温和なそれとは全く違う、悲痛な感情がひしひしと伝わる、必死なものでした。
「頼む!娘の…理沙の!俺達家族の怨みをっ!」
言葉に詰まる男性に代わり、女性の方が答えます。
「お金なら、ここにあるだけ持ってきました。お願いします…お願い…」
だが、その声も嗚咽と共に細々と消えていく。代わるように男性が語り始めた。
「私達は、一人娘を死に追いやった相手に金を貰って口を塞ぎました。従業員の生活を守る為にと思って…けど、それも失ってしまいました。全ては…無駄になったんです」
男性の訴えに、女性の嗚咽が大きくなる。
男性は続けた。
「ここを知ったのは、理沙の友達がくれた手紙です。普段なら、笑い飛ばして終わりな話でした。けど、どうせ最後なら、と思って来てみたんですが…お願いします。どうか――あの六人を祟って下さい…」
二人の魂が籠った訴えに紫苑さんが静かに言いました。
「我々、闇の陰陽師が、貴方のその怨み――祟りと成しましょう」
障子の向こうから、夫婦の感謝が繰り返し響いてくる。
紫苑さんは同情も慰めの言葉も言わなかった。言った所でどうにもならないし、祟りを依頼する人が求めている物はそれじゃないという事を理解しているのだろう。
紫苑さんはそのまま服の内側へと手を差し入れ、人型に切り抜かれた紙――形代を取り出すと、障子に向けて勢い良く放った。
形代は障子の間をするりと抜けて向こう側へと飛んで行った。多分あの夫婦の前へと飛んで行ったのだろう。これも術なのだろうか。
「その形代に、貴方の血を頂きます」
そうしてこんぺいさんが依頼人の指に噛み付き、形代へと血を付ける。
あの時は暗い興奮もあって気にならなかったけれど、今考えると正直ちょっとだけ、気持ち悪いよね。こんぺいさんには申し訳ないけど…生あったかくてヌルっとしてたし。
「貴方の身体に流れるその怨み――ここに頂きました。この形代が貴女の血と怨みを受け継ぎ、祟りとなるのです」
こう言われ、心の白い部分も黒い部分も、言い様の無い満たされた感じになったのをよく覚えている。全く知らない何かじゃなくて、自分の血が祟りとなる。その事に満たされたのだ。
「それでは――この祟り、存分に味わって頂くとしましょう」
そして二人はお金の詰まったバッグを置いて『夕闇の境』を後にしました。
紫苑さんが正面の障子を開き、こんぺいさんがふよふよと入ってきました。
「今時のイジメってのは酷いもんだねぇ陰湿過ぎらぁ。お、若葉ちゃんも見学してたのかい」
紫苑さんがこんぺいさんの頭を軽く撫でる。
「加害者は遊んでいるだけ、という感覚なのでエスカレートしやすいのでしょうね。それだけに、性質が悪い」
相志さんが相槌を打つ。そして紫苑さんが静かに立ち上がった。
「では、若葉さんも参りましょう」
「あっはい…っと、何処へ行くんですか?」
「夕闇の境――『鬼哭の辻』へ向かい、『祟り』を成します」
2階の部屋の戸から外に出ると『祟り庵』の前に出てきた。建物を振り返ると、やはり2階のある建物には見えない。この世界ではそういう当たり前の法則などお構いなしという事なのだろうか。紫苑さんと相志さんの後を付いて歩いていると、黒い板塀の道はいつの間にか終わっていて、回りの風景は背の高い草が茂る荒れ野を突っ切る一本の道、といった様相に変わっていた。ますます訳が分からなくなっていると、草むらに埋もれそうな首の無いお地蔵さまを通り過ぎた辺りで、目の前に一本のうねった枯れ木と十字路が見えてきた。
「あそこが『鬼哭の辻』です」
相志さんが教えてくれた。いつの間にか大きめのバッグを肩に掛けている。
「ここで…何をするんですか?」
私は相志さんに聞いてみた。
「勿論、『妖怪』を呼び出すんですよ」
「妖怪を?道の真ん中で――ですか?」
「紫苑様の儀式を見学しながら、説明をした方が分かり易いでしょうね」
そうこうしていると、紫苑さんが十字路の手前で立ち止まった。相志さんが隣へ歩み寄り、声を掛ける。
「今回は、何をお使いになりますか?」
「『画図百鬼夜行 陽』をお願い」
紫苑さんの言葉を聞いて相志さんは、バッグに手を突っ込み、一冊の本を取り出した。糸閉じの、所謂、和閉じというかなり古めかしい本だった。
「では、支度をお願いします」
紫苑さんの言葉に相志さんとこんぺいが頷いた。相志さんが十字路の中央へ輪を描くように蝋燭を六本立て、その中央へ『画図百鬼夜行』を置いた。
相志さんが蝋燭の輪から離れると、今度はこんぺいさんがふよふよと近付き、その口から細い糸の様な炎を吐いて蝋燭に火を灯した。
「骨鈴を」
紫苑さんの言葉に、相志さんが鞄から妙な物を取り出した。ハンドベルにも似ているが、鈴は付いておらず、代わりに白く小さい骨が何個もぶら下がっており、それを紫苑さんに手渡す。どう考えても、フライドチキンの骨ではなさそうだ。紫苑さんが左手に骨鈴を持ち、辻の真ん中に並べられた蝋燭の輪に近付く。そして左手の骨鈴を軽く振ると、カラカラという身体の奥に沁み込みそうな怖気が走る音が周囲に響いた。
そして、紫苑さんが呪文を唱え始めた。
「双盃の左 塵玉の右 天を地と成す 逆撫の社」
唱えながら、左足の草履をたんたんと踏み鳴らす。でもその草履の音は唱える呪文や骨鈴の音と微妙にタイミングがズレており、それが妙に不快感を掻き立てる。
紫苑さんが右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立てた。これはマンガとかでも見たことあるや。
「黄幡の御座は地に伏して 歳破の兵主は我が前に集う」
その言葉に応じるように、四辻の草むらから草履を履いた黒い足首が現れた。ざりざりと地面を歩き、地面に立てられた蝋燭の前にそれぞれ足を揃えて並ぶ。あれは――よくないものだ。直感的にそう感じるし、その上見ているだけで背筋を冷水が伝うような冷たさが走る。それに理由までは分からないが、アレを見ていると不快な空気が感じられる。
そんな私の恐れを感じたのか、相志さんが教えてくれた。
「あれは辻神。凶事の塊です」
「凶事の――塊?」
「不幸な出来事、所謂凶事というのは道からやって来ます。そんな道が交差する場所、というのは凶事が吹き溜まり易い、その凝った塊を辻神と呼ぶんです」
今まで見えていなかっただけで、道にはあんなバケモノが居るのかと思ったら、うかうか外を歩けなくなりそうだ。
「見ていて気持ち悪いでしょ?」
相志さんは辻神の一つを指して続ける。
「あの足、左右が反対なんですよ――悪いモノの特徴なんです」
言われてよく見ると、確かに右足の位置に左足が、左足の位置に右足が立っている。この違和感が気持ち悪さの正体なのか。
「今後、道で見掛けたら避けて下さいね。重なると必ず事故に遭いますから」
間違っても近付くものか。相志さんの説明は続く。
「辻神だけでは、ただの不幸な出来事ですが、それに姿形を持たせて、方向性と手段を与えて『祟り』とする作業。それが、これから紫苑様が行う『怪威招来の儀』です」
そして、『辻神』の様子に満足した紫苑さんが再び呪文を唱え始めた。
「逢魔が時より出るモノ
誰そ彼に横たわる形無き理の貌よ来たれ
絵姿に寄りてここに現れよ
怨みを糧に踊り出で怪異きを為せ」
円の中に置いた『画図百鬼夜行』の頁がパラパラとひとりでにめくれてゆき、やがてピタリと止まった。
粋な衝立。立て掛けられた手鏡。只人の住まう部屋では無い。床に転がる櫛と枕。その横ばらには艶やかな衣姿が横たわる――花魁なのだろうか。
だが首が無い。枕の上にあるべき頭が無い。何故なら首は根元からにゅるりにゅるりと細い糸を引きながら伸び、衝立の向こうから顔を見せているからだ。
頂に登りつめた女でも、恋しい男を待ち焦がれるのか。娑婆へと思いを馳せるのか。だがその伸びた首は縛られた廓から出られずに彷徨うばかりである。
そんな絵が、描かれていた。
紫苑さんは狩衣の胸元に右手を差し込み、依頼人の血を受けた形代を取り出した。
「怪威招来――飛頭蛮!」
その言葉と共に、紫苑さんが円の中に形代を飛ばし入れる。
すると、呼応するように黒い足首、『辻神』達も囲いの中へ我先にと足を踏み入れた。
途端、排水溝に吸い込まれる汚水のように、黒い足首達が血の付いた形代へと渦を巻いて吸い込まれていく。そして全ての辻神が吸い込まれた途端、円を作るように置いていた蝋燭の火が火柱となって吹き上がり、そしてそれは渦を巻き、巨大な焔の竜巻と化した。
炎熱と轟音が掻き消え、煙と土埃が残された『鬼哭の辻』に現われたのは――
地味で控えめそうだけど可愛い女子高生が、一人、そこに立っていた。
女子高生は紫苑さんの方へ静々と歩み寄り、深々と頭を下げ――首の位置がずれた。
いや、首が伸びている。太さを殆ど変えぬまま、糸巻きから糸を引き出す様にするすると伸びているのだ。
首はぐるりと輪を描き、のびあがり、遥か高くまで伸び上がると、何かを探すように辺りを見回している。
「相志さん、あ、あれって…」
私は飛頭蛮から眼が離せないまま、相志さんに尋ねていました。
「あれが今回の祟りの形。飛頭蛮。首が伸びる妖怪ですね。陰湿な、それでいて凄惨な祟りをもたらす妖怪です。あの姿は、亡くなった娘さんのものでしょうね」
私が祟りを依頼した時、絡新婦は自分の顔をしていた。そして今回の飛頭蛮は、本人ではなく娘さんの姿をしている。これが祟りを形にするという事なのか。
相志さんの説明を聞いていると、飛頭蛮は一つの方向を見つめニヤリと笑みを浮かべると、胴体を引き摺る様にして飛んでいった。
その走り去る背中を見送りながら、紫苑さんが呟いた。
「祟り――ここに成されたり」