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13-3 一つ目小僧

「小嶋一郎、起きろ」


 牢の外から威圧的な男の声が聞こえた。眠い目を擦って暗い牢の中から外に目をやると、逆行で顔や衣服は分からないが、おそらくは刑務官であろうシルエットの人物が立っていた。僕は横になった身体を起こし、牢の前に立つその人物と向かい合う形で床に座った。

 いつ触れたのか、がちゃこんと音がした後に牢の扉がキキィとゆっくり軋んで開いた。

「出ろ」

刑務官の声に従いゆっくりと牢から出る。廊下の明るさに眼を細めている間に刑務官は僕の背後に回ると、慣れた手つきで腰にロープを回してゆく。

「歩け」

刑務官が後ろから僕の背中を押した。前を歩けという事だろう。僕は素直に従って歩き出した。

「こんな夜中に移送ですか?もしかして世論、炎上しちゃってますかね?それとも別件で僕、また何かやっちゃいましたか?」

気持ちが浮ついて、つい口が軽くなる。しかも僕の言動で世間が騒いでいる、というのだから、まさに気分爽快だ。けれど刑務官はそんな態度が気に入らないのか、僕の背後から、

「黙って歩け」

とひと言声をかけるだけだった。

 人感センサー付きの廊下なのか、僕の歩みに合わせて天井の明かりが移動している。さすが税金で建てた施設は違うなとも思ったが、廊下の先が真っ暗だというのはさすがに落ち着かない。その上、曲がり角はおろかエレベーターや階段、他の部屋への扉すら左右に見あたらず、窓の外は街の明かり一つ見えない真っ暗闇。無機質なビルの質感が後押しし、どれだけ歩こうが、進んだ実感が感じられない。いつになったら――いや、本当に歩いているのかさえも信じられなくなってくる。次第にそんな不安が上下左右から僕を押し包み始めていた。

「け、刑務官さん…」

僕は永遠に歩き続けるような錯覚に耐えかねて、後ろを歩く――歩いて居る筈の刑務官に声をかけた。

 しかし返答は無い。けれどその靴音は明瞭(はっきり)と聞こえていた。でも――振り返って誰も居なかったらどうしよう。

「刑務官さ――」

「振り向いて良いのか?」

僕が足を止めて振り向こうとした時、それを遮る様に刑務官の声がした。でも“振り向くな”なら分かるけど“振り向いて良いのか”ってどういう事だ?

「振り向いたら終わり――いや、始まりか」

背後からの声は馬鹿にするようにくっくっと笑っている。

「何をふざけてるんですか?僕は――」

不安が苛つきに変わった僕は文句を言いながら振り向いた。最初は逆光で見えなかった刑務官の顔が――


 目が。


 顔の真ん中に目がぎょろりと一つだけ。

 僕の方を見ながら、瞬きをひとつして、濡れて光る瞳のその下で大きな口がぐにゃりと笑っていた。

「振り向いちまったなぁ…見ちまったなぁ?」

山鳥が人の声を発した様な耳障りな笑い声をあげながら、腰を抜かした僕を見下ろして笑う一つ目の刑務官。


 僕の全てが、こいつから逃げたいという一心で身体を動かした。僕の二つの目と、刑務官の姿をした一つ目の男――その目が合った瞬間、この一つ目の男に、この男が僕の中に侵入はいり込んできたような不快感と、そして、全てを晒されたという絶望的な確信に、犬の様な悲鳴を上げていた。

 体中の毛穴からずろずろと体内に侵入されて這い回られるような、抗いようの無い不快感が耐えられなかった。妄想を書きとめたノートを発見された時の様な隠れようの無い恥ずかしさに涙が溢れた。


 逃げたい。この眼が届かない所へ逃げ出したい。

 死に物狂いで動いた手足が床を蹴っていたのは幸運だった。

「何処行くんだぁ?逃げられると思っているのかぁ?」

背後から『一つ目』の声が聞こえる。けど身体の中を這い回る不快感は続いている。まだ――見られている。

 もっと離れなきゃ。見えない所へ行かなきゃ。

 立ち上がって駆ける事すらもどかしく、必死に手足を動かし続けた。


 不快感が体内から消えた事に気が付いた時には、周りを鬱蒼とした森林に囲まれた小道に居た。何処をどう逃げたのか、此処はどこなのか。そんな事より、あの不快感から離れられた事に安堵した。

 ほっとしたところで膝と掌が痛い事に気が付いた。それに肺も焼けるようだ。掌はあちこちから出血していたが、それよりも今は身体を休めたい。

 四つん這いの格好から、小道の地面に腰を下ろし、呼吸を整える。目の前を季節外れの蛍が飛び交って――いや、これは酸欠で自分の目の前を星が飛んでいるんだ。それに喉がヒリヒリして痛い。しかしこんな所では自販機もコンビニも――


 その時、目の前にひょい、とミネラルウォーターのペットボトルが差し出された。

「もう降参か?」

そして、顔の上からずいと覗き込んでくる――『一つ目』

 狂人の様に叫び声をあげながら駆け出した。

 もう侵入って来ないでくれ。覗かないでくれ。やめてくれ。


 夜の闇の所為なのか、何処を走っているのかも分からない。自分の眼が朦朧としているのか周りが不確かなのかさえも分からない。何も見えない中を何度も転びながら走った。

 そして僕は、冷たく固いなにかへ強かに顔面からぶつかり、地面に転がった。

 あまりの痛みに顔面を押えて転げまわる。顔に触れる手は濡れた感触を伝えてきたが、それが汗なのか血なのかは分からなかったし、どうでもよかった。覗かれている感触がしない――それだけで十分だったから。


 しばらく地面に蹲り、そうしてあの不快な感触がしない事、周りがほんの少しだけ明るい事に漸く気が付いた僕は、顔だけを上げてゆっくりと辺りを見回した。

 きっとまだ山の中だ。でも周囲は少しだけ拓けており、夜空の月がほんのりと辺りを照らしている。

 そして僕の周りには、僕よりほんの少しだけ低い程度の柱が林立していた。

 角が取れ、丸みを帯びてきてはいるが、このシルエットは――墓石だ。

 およそ十基ほどの墓石が並んでいる。墓石が倒れているものもチラホラと見えた。ずっと昔に使われなくなった集落墓地なのだろう。きっと僕はこれに衝突したんだ。

 そのまま地面に寝転がり、夜空を見上げる。僕の荒い呼吸と木々のざわめきだけが響いている。


 状況が落ち着き、呼吸も落ち着いてくると思考も巡るようになってきた。そして浮かぶ尤もな疑問。

 奴は一体何なんだ?どうしてあんなに気持ちが悪い?

 それにだ。

 何故僕がこんな目に遭わなきゃならない?人を殺したから?

 僕は社会のルールに則り、それに従っただけだ。それに望んで罰は受けているのだから怨むのは筋違いも甚だしい。

 僕は僕の為に行動しただけなのに。


「――その為にはアカの他人を殺しても構わない。ってか?」


 僕以外の声に顔を向けると、立ち並ぶ墓石のひとつ、その上に膝を揃えてしゃがみ込んでいる刑務官の姿が。でも顔には木の影が落ちていて、あの『一つ目』は見えない。そのおかげなのか、逃げ出したくなる程の不快感には襲われなかった。それにもう逃げる体力も気力も尽きていた。

「逃げられると思ったか?」

両手を脇にだらりと垂らして、その一つ目を月光から隠し尋ねてくる。

「なん…なんだよ…」

唇は汗か血で濡れてはいるが、喉も口の中もカラカラの僕がようやく言えた言葉だった。

「俺ぁお前さんの悪行を測る目だ」

『一つ目』はその目を影に隠しながらそう答えた。

「目…?」

そう言うと『一つ目』はひょいひょいと墓石から墓石へと飛び移り、僕に一番近い墓石に飛び乗ると、「酷ぇつらだ」と言いながら、ペットボトルの水を僕の顔に振り撒いた。

 僕は思いがけない出来事に驚き慌てながらも必死に口を開けて水を飲んだ。

「何で自分がこんな目に…って、考えていたな?」

「それも…見たのか…」

「んな事ぁ見なくても顔つきで分からぁ」

『一つ目』は僕にその“目”を見せぬまま、再び墓石の上を飛び跳ね、今度は足元の方へと回った。そして足元の墓石に、残った水の入ったペットボトルを供え、静かに言った。

「自分を捨てた両親への腹いせ、そして何も考えず楽に暮らすその為に。自分が刑務所に入る為だけに、楽しんでヒトを傷付け、殺したな」

「裁判で有罪判決を受けた…その結果だろ…偶々僕の…希望通りだった…だけじゃないか…事件は…終わったんだぞ」

そうだ。僕の()()()()については、この国の法律によって裁かれている。これは誰も覆しようが無い事実だ。これ以上僕に何かを行おうとするなら、それは法に違反する行為だ。つまり僕は守られる立場になっている。

「じゃあ、お前さんに質問だ。見ず知らずの他人の都合の為に死んでくれって言われたらどうする?」

だがそれを知ってか知らずか、質問を続ける『一つ目』。

「全力で拒否するよ。決まっているだろ」

「お前が殺した相手も、全力で拒否していただろ?お前を否定していただろ」

「でも僕は殺さなきゃいけなかったから頑張って殺したんじゃないか」

当たり前の事を答えると、『一つ目』は小さく溜め息を吐き言った。

「そこでもう一つ質問だ。お前は今――どっち側だと思う?」

どっち側?まさか。

「…殺すってのか?」

これ以上逃げ回る位なら、殺された方が楽に終われる。そう思い応えた僕の声に、月光に晒されていた『一つ目』の口元が、つぅ――と闇に沈んだ。そして。

「俺は殺さねぇよ。でもどっかの誰かがお前さんに消えて欲しいんだとよ」

そう言って、あの『一つ目』が月光の下に出てきた。


 月光に照らされてぬらぬらと光る目が。


 だが身体の中を蹂躙するような不快感は襲ってこなかった。

 その代わり。

 地面に寝転がる僕の足首に細く硬い物が触れ、ぐいと食い込んだ。

 頭をあげて目を向けると、地面から――骨だ。手の骨が僕の左足首をがっしりと捕まえていた。

「ひぃっ?!何?なんだよこれ!!」

反対の足で蹴り付けようと思い右足を構え――ようとした瞬間、別の骨の手が地面から現れて右足を掴みあげた。

「やめてよっ!離してよ!」

抵抗して身を捩るが、その間にも地面から白骨の腕が現れ、僕の腕を、肩を掴んで爪を立てる。

「この辺りは土葬の風習がしばらく残っていたらしいな。手は十分足りるみたいだ」

墓石の上から僕を見下ろして笑う一つ目。

「助けてよ!謝るから!お願いやめさせて!」

僕は必死に助けを請うた。でも一つ目は墓石の上から僕を見下げながら、ゆっくりと煙草に火を点けた。その間にも僕の身体は泥沼か流砂にでも呑まれてゆくかの如く、ずぶりずぶりと地面へ飲み込まれ、やがて口が埋まり、そして視界も暗い土の中へと埋もれ――




 助けを求める声も贖罪の声も、全てが地下に埋もれてしまったその後で。

 『一つ目小僧』はその口をぐにゃりと曲げて、

「謝るぐらいなら殺すんじゃねぇよ。ったく近頃の若いのは覚悟ってぇもんが足りねぇや」

そう言うと煙草を投げ捨て、山鳥の様なけたたましい声で笑った。






 生き埋めになって終わり――そう思っていた。

 だが、気が付いた。身体が動く。周りがほんのりと明るい。

 ――助かったのか?


 横たわった身体を起こし、辺りを見回す。

 滑らかだが起伏の激しい石の地面に石の壁。ここは――洞窟か?

 洞窟とは言うものの、その幅は5メートル位は軽くありそうだ。

 一方は真っ暗だが、その反対側から揺れる明かりと熱気が漂ってくる。誰かが火でも焚いているのだろうか。

 此所に居ても埒が明かない。明るい方に向かって歩こうとしたところで――

「おぉ、久々のお客さんか」

向かおうとした反対側。闇の中からぼそりと人の声がした。あの一つ目の声では無い。明かりがあるから人が居るとは思ったがまさか背後の暗闇から声がするとは。

「だ、誰か居るんですか?!」

暗闇に向かって声をあげる。

「だぁぁ!でけぇ声出すんじゃねぇ!この唐変木!静かにしやがれってんだ!」

すると暗闇の奥から小さな声ながらも勢いの良い、男の声がしっかりと返ってきた。

「す、すみません…人が居たと思ったら嬉しくてつい…」

「嬉しい、ねぇ…」

意味ありげに含み笑いをする、声の主。僕は声のする方へとゆっくり歩き始めた。

「お前さん、自分がどうなったのか、覚えてねぇのかい?」

「どうって――」

地面から出てきた骨に掴まれて地面に引きずり込まれた。けど、他人にそれを言っても精神を疑われるだけ――そう思い、どう答えようかと考えていると、向こうの方から同じ答えが返ってきた。

()()()()()にとっ捕まって引きずり込まれた。違うかい?」

「な、何でそれを?」

何故この声の主はそれを知っている?あの一つ目の関係者か?そう思い、思わず身構えるが、返ってきた答えは僕の考えを遥かに凌駕していた。


「お前さん――生きながら地獄に落とされたんだよ」


「地獄?」

「あぁ。ここは地獄だ。お前さん、祟られたんだよ」

地獄だって?ここはどう見ても洞窟の中だ。ある意味地獄の様なものだけど。それに――

「祟られた?」

祟りってのはお化けとか怖いカミサマのモノじゃないのか。

「祟られるような事はしてないんだけど…」

僕がそう答えると暗闇からの声は、お前さんがやった事に興味はねぇよ、と前置きした上で、

「けどオイラが言えるのは、お前さんがそうやって自分の罪科つみとがを自覚してねぇから…って事だけだ」

と、面倒臭そうに言った。

 罪を自覚してないだって?何も知らないで答えるその態度に、僕は少し苛ついた。

「僕は法律の枠内で上手に立ち回っただけだ。そして自ら望んで刑に服するって言ってるのに…判決は受けたじゃないか!どこが悪いって言うんだよ?」

思わず食って掛かるが、暗闇の声はうんざりした様な口調で言い捨てた。

「…知らねぇよ。それにオイラが教えたところでお前さんは納得するのかい?」

はいそうですかと簡単には納得しかねるけど、この声の主以外に頼れる相手は居ない。僕は無言のままで声の方へと歩き続けた。向こうもそこまで気を悪くした訳ではないのだろう。再び自分語りを始めた。

「オイラはこの先に逝きたくねぇからこうやって隠れながら、時々お前さんみたいな、生きながら死んだ奴らの相手をしてるのさ」

生きながら死んだ?何を言ってるんだこの男。祟りでは騙されなかったから今度は『お前はもう死んでいる』か?フザケるのも大概にしろ。

「ふざけるなよ!僕は現にこうして身体はあるし、足もある!それ以上変なこと言うと殺してやるからな!本当だぞ!」

ささくれ立つ僕の気持ちとは裏腹に、暗闇の声は余裕といった様子で返答した。

「お前さん、息はしてるかい? 心の臓は動いてるかい?」

何を馬鹿な事を。呼吸ってのは意識せずとも勝手にするものじゃないか――


 それでも自分の口元に手を運んだのは何故だろう。

 手首の脈に触れてみたのは何故だろう。


 そんな。

 腹が上下していない。意識して息を止めてみても、何も感じない――脈が無い。

 まさか。まさか本当に。

 僕は暗闇の声の主の所まで急いだ。四つん這いになり、斜面を転げ降りながら急いだ。


 そして、目の前に現れた声の主は――


「ここには“死んで終わり”って事が無ぇんだ。これ以上死ねないからな」

「いつから…ここに?」

「江戸の中橋に猿若座が立ち上がった年(※)だ」※(1624、寛永元年)

江戸だって?なら四百年近く経っているじゃないか。もしそれが本当なら――僕は明るかった向こう側を指差しながら聞いてみた。

「この先には――何があるんですか?」

「殊勝な態度になってきたな――実を言うと、俺もよくは知らねぇんだ。ただ、途切れる事無く漂ってくる声を聞いてる限りじゃ、一杯飲りながら芝居見物ってわけにゃいかねぇ場所なんだろうよ」

そこまで言うとニタリと笑い、

「ようこそ地獄へ」

大きな石の上に鎮座する痩せこけた生首は狂ったように笑い出した。そしてひとしきり笑い声を上げると、今度は僕に向かって叫び始めた。

「出て行け!ここは俺の隠れ家だ!戻ってくるんじゃねぇぞ!二度と来るな!俺が獄卒に見つかっちまうだろうが!てめぇは俺の代わりになって死ね!何遍でも死ね!死んでまた死ねぇ!」

僕は恐ろしくなり、狂ったように叫び続ける生首に背を向けて走り出した。あんなのを相手していたらこっちまでおかしくなる。

 洞窟を元来た方向へと走る。そして向こうが少しずつ明るくなってきた。

 それに比例するように、まるで熱源に近付いているかのように辺りが暑くなっているのが感じられた。

 そして一際眩しく、赤く輝く出口が見えた。あまりの熱気に足を止め、腕で顔を庇いながら外の様子を窺う。


 そこは洞窟と呼ぶにはあまりにも――巨大だった。

 野球場の様な巨大な空間。見える限りの壁や天井は石で所々にヒビや穴が開き、高層ビルの様な石筍が林立している。どうやら僕の居る洞窟も、壁面に空いた穴のひとつらしい。

 そしてその地面では――辺り一面に炎が燃え盛っていた。そしてその中で、何人もの人間がもがき苦しんでいる。

 石筍に登って炎から逃れようとする人が居る。すると他の人がその人を引き摺り下ろそうと足を引っ張る。そいつを踏み台にして更に上を目指す人が現れる――それぞれが業火に身を焼かれながらも醜い争いは続いていた。


 こんな所、冗談じゃない。逃げよう。まだあの首に叫ばれる方が――いや、あの首を片付ければいいじゃないか。

 だが、ゆっくりと後退りする時に何かを踏んでしまい、腰がグイッと引っ張られた。

 腰縄だ。腰縄が結ばれたままだった――だが気が付いた時には穴の縁から足を滑らせていた。

 何とか落下する直前で腰縄の反対側を掴むことができた。更に運良く小さな石筍に縄が引っかかり、僕は壁面にぶら下がる形となってしまった。


 両手で細い縄にしがみ付く。けれど腰の縄が腹に食い込んで苦しい。けれどこの手を離せば死んでしまう。 けれどその前に、この下で燃え続けている炎に焼かれて死にそうな程熱いんだ。

 その時、さっきまで僕の居た壁面の洞窟から、カインカインという音が聞こえてきた。何事だと上を見ると、首の無い身体が岩を手に取り、縄を叩き切ろうとしていた。

「折角責め苦を逃れられてんだ!ここでお前さんに目立たれちゃあこっちの身が危ねぇんだよ!さっさと落ちやがれ!落ちろ!死ね!死ね!」

洞窟の奥からさっきの声がした。あの首の身体だったのか。

僕は上で石を打ちつけている男の身体に必死で助けを求めた。

「お願いします!助けて!引き上げて!お願いだから!!」

しかし僕がどれだけ叫ぼうと、腰の縄に石を打ちつける音が止む事は無かった。

そうこうしている間にも、脚の先から皮膚が次第に融け落ちはじめ、胃の腑が煮え、目玉が沸騰し、余計な脂分と水分が抜け落ちていった。しかしそれでも意識は途切れることが無く、身を燻す熱気の苦痛は止むことが無い。僕はそれでも下に落ちまいと、必死に縄を握り続けていた。


 そしてどれくらいの時が流れたのだろう。岩を打ち付ける音は途絶えていた。

 そして、握り続けていた縄がぐい、と引き上げられ――途中で止まった。まだ縄は僕の腰を締め付けている。ぶら下がったままという事だ。もう手の感触も無いけれど、それでもこの縄は手放せない。手放せば本当の地獄が待っている。


 それからどれくらいの時が流れたのか分からない。僕はあれからずっと縄にぶら下がり続けていた。身体中の肉は乾燥し、もう手も指も動かせない。それでもこの身を焙る熱気だけは感じ続けていた。

 そんな時、全く動かせなくなった僕の体が縄ごと引き上げられてゆくのが感じられた。

 どさりと地面に降ろされる僕の肉体。そして聞こえた、いつか聞いた声。

「いい感じになったな――旨そうだ」

そして僕の身体が何かに噛み付かれ、肉が噛み切られてゆく痛みが感じられた。

 きっとこの後は骨まで喰い尽くされた挙句、胃液で身体が溶かされるのを味わうことになるのか。燻製肉として。


 これが地獄。これが――祟りか。


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