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2-1 飛頭蛮

R2.10.2 一部加筆

 朝早く、家の電話が鳴った。こんな早くから何の用だというのか。主婦の朝は戦争だと言うのを知らないのか。無視しようとしたが鳴り止まないので結局電話に出ると、理沙の通う高校の先生からだった。非常に慌てながら、落ち着いてください、と繰り返している。先ずはあなたが落ち着きなさい。


「理沙さんが、学校の、ベランダで――首を吊っています」


 受話器を投げ出し、慌てて理沙の部屋を確認する。本当ならまだ寝ているはずだ。だがベッドは空だった。

 出勤直前の夫に電話の内容を伝え、二人で高校まで車を飛ばす。

 そこで私達夫婦が見たものは。


 ベランダの手すりに結ばれた紐。その先で揺れる、変わり果てた娘の姿。

 見慣れたはずの顔から飛び出さんばかりに開かれた目、異様に太く長く突き出た舌。よほど長時間ぶら下がっていたのか、ゴム人形のように長く伸びた首。

 そしてその様子をスマホで撮影する生徒達。

 遠くから聞こえてくる救急車のサイレン。

 衆人環視の中、一羽のカラスが理沙の頭に止まり――

 飛び出た理沙の目に嘴を突き刺したところで私の記憶は止まっている。


 気が付いたのは病院のベッドの上。横には青ざめた顔をした夫が座っていた。足元にはスーツを着た男女が立ち、私を見下ろしていた。

 そして衝撃の言葉を聞かされる事になった。

「娘さんは常習的に暴行を受けていた形跡があります。心当たりは?」

そして私はまた気を失った。


 意識を取り戻した私が警察から聞かされた話では、理沙の身体には腹部や臀部にタバコを押し付けられたような形跡があり、不審なアザも体中にみられていた、という事だった。

 勿論夫も私も煙草は吸わない。その事を話すと

「では、学校でイジメを受けていたとか、そういった相談を受けた事は?」

家の中での様子はどうでした?と警察に聞かれた。

 家では普通に振舞っていた。だが、そういわれてみれば、夏になっても半袖やショートパンツ姿になるような事はなかった気がする。でもそれは理沙の趣味の問題だと思っていた。そう話す私達。

「では、私達は学校の方に事情を伺ってきますので。お母さ――奥さんも娘さんの部屋を調べてみてください。例えば――遺書めいたものや日記が隠してないか、とかを」

それではお願いします、と言って警察の二名は病室を出て行った。

 あの警官、お母さんを奥さん、と言い直しやがった。それで気を使ったつもりか。


 夫と二人で理沙の部屋を捜索し、ベッドの下から一冊の日記帳を発見した。

 最初は仲の良いグループだったらしい。

 だが、理沙がある男子生徒から告白された事により、その関係は崩れ始めていった様だ。

 その男子生徒は、グループ内でのリーダー各として扱われていた、気の強い、亜理須という女子生徒が好意を寄せていた相手だったらしく、それを知らなかった理沙はグループ内でどうしたらよいかと相談したらしい。当然、そのリーダー各の女子生徒は怒り、泣き喚いて理沙をその場から追い出した。驚き、そして怯えた理沙は、告白してきた男子生徒に『自分は付き合えない』と断りを入れた。そしてそれを亜理須に伝えたらしい。

 だが、それが余計に怒りを買う原因となったようだ。

 翌日から無視が始まり、無視されないようになったと思ったら直接的なイジメの対象とされはじめた。使い走りに始まり、机や教科書へのイタズラ、靴を捨てられるというのは日常的だった様だ。

 学年が上がり、クラスが変わった事で理沙をイジメる生徒は増えていた。亜理須という女子生徒が扇動したのだろう。性質の悪い男子生徒からもイジメられるようになり、その内容は一気にエスカレートしていった。

 身体を灰皿代わりにされたり。

 大勢の生徒の前で裸にさせられた事もあったようだ。

 そして次第に手や口を使った性的な内容が増え始め――

 最後のページにはこうあった。

『大貫に、「明日は本番やるからよぉく洗っておけよ」と言われた。これを許してしまえば、私は遅かれ早かれどん底に落とされる。これは私の最後の意地。私は悪くない。悪いのは――』

そしてイジメに関わった六名の名前が記された後、殴り書きでひと言、


『みんな呪ってやる』


 私達はこの日記帳を持って理沙の高校へ向かった。

 ここに名前のある生徒全員を訴えてやる。理沙を死に追いやった報いを受けて貰うため。

 当然ながら理沙はもうぶら下がっていないが、その場所には青いシートが被せられていた。それが私にはまるで、理沙がいじめで自殺した事を学校が隠しているかのように見えた。

 対応した校長、教頭、学年主任の意見は耳を疑うものだった。


「名前が書いてあるだけじゃないですか。その生徒達全員が直接、娘さんに被害を加えたという証拠とは言えないのではありませんか?」


「この中には議員さんの娘さんの名前もありますが、このお嬢さんはとても真面目で優秀な生徒だ。イジメなんかに加わる訳が無いのです。だいいち、生徒達にも確認を取りましたが、お宅の娘さんをイジメていたという事実は確認出来ませんでしたよ」


「警察で何と言われたのか分かりませんけど、こちらとしては…あまり大事にしても双方に利益は無いと思うのですがねぇ?」


「思春期の生徒の心理というのは、非常に不安定ですからねぇ。同情はしますよ」


 そして向けられる、迷惑そうな眼差し。まるで話にならない。

 トボトボと家に帰り、警察なら事件にしてくれる筈だ、と今度は警察署へ行こうとした時だった。

 訪れたのはある議員の使いの者、と名乗る男だった。ある議員、としか言わず、それ以上は何も答えなかったが、玄関先に紙袋を数個置くと、あくまで事務的な口調で話し始めた。

「五千万円あります。これで収めて頂きたい」

 金を握らせて黙らせようと言う事か。私も夫もその紙袋を蹴り飛ばそうとした時だった。

「工場の経営、だいぶ厳しいらしいですね」

私たちの家は、所謂町工場というやつだ。原材料の高騰、税金、卸し先からの値切り交渉に設備の維持管理にも金がかかる。正直、畳んでしまった方が良いのではという経営状況だ。

「よければもう一度お持ちしますよ?ただし――娘さんの手記、遺書、そのようなものがあればこちらで引き取らせて頂きたい」


 そして私達は、その男が帰った後、紙袋の前で、二人して声を上げて泣いた。

 私達だけならどうなっても構わない。だが長年一緒に働いてきた従業員が居る。彼らをそう簡単に切り捨てる事は出来ない。そして、一介の町工場が議員に立ち向かえるとは思えなかった。

 この金さえあれば、生き延びられるかも。せめて充分な退職金は支払ってやれる。

 相手が悪すぎたから。私達に力が無さ過ぎたから。

 私達は理沙の怨みを売り飛ばした。


 理沙の葬式の日。本当に仲の良かった数人の生徒が、手紙を添えて弔問に来てくれた。訪れる人足が疎らになった頃、校長と担任の先生が来たけれど、帰ってもらった。

 工場の経営は一旦持ち直したように見えたが、数ヶ月もせずして結局倒産となった。

 工作機械も全て処分され、がらんとした工場に夫と二人で立つ。

「何もかも失っちゃったね」

隣に立つ夫に声をかける。

「うん。仕事も、将来の希望も。みぃんな失った」

この手に残るのは夫婦の絆と、多少のお金だけ。

「どうしよっか――」

溜息混じりに聞いてみた。

「――理沙に会いに行くのも、悪くないかもな」

夫も同じ考えだった。

「寂しくしてるかもね」

理沙と一緒の死に方をすれば、同じ所に逝けるかもしれないね。

 そう言いながら、互いに見詰め合っていた時だった。

 夫の腹の虫が鳴いた。私はクスリと笑って夫に言った。

「お昼にしましょうか」

「こんな時にでも腹は減るんだな」

 夫と居間に戻ると、仏壇の引き出しが少しだけ開いており、中から白い紙片が覗いていた。何故か気になり手に取ってみると、同級生で唯一、最後まで仲の良かったという友達からの手紙だった。その時は読む気になれず、仏壇の中に放り込んでいたものだったが、改めて封筒を見ると、宛先は娘の理沙宛ではなく、“理沙さんのご両親様へ”となっていた。

「手紙かい?」

夫が手元を覗き込みながら聞いてきた。

「えぇ、お友達の衛莉那ちゃんからですけど…でも私達宛てだったみたい。気が付かなかった…」

「理沙宛てじゃなく?…読んでみようか」

「そうですね…今更ですけど」


 何枚もの便箋に綴られた内容は、理沙が日常的に受けていたイジメの内容と、それを認めながらも黙認していた担任の所業について記されていた。そして、自分が力になるよ、と声をかけた時、『衛莉那ちゃんも巻き込まれたら、私は死ぬほど後悔するから。もう声をかけないほうがいいよ』と距離を置かれた事が記されていた。文字が所々滲んでおり、紙も歪んでいる。きっと泣きながら記してくれたのだろう。

 そして、自殺する数日前にやっと二人で話ができた事。そして、その時に二人で見たものについて記されていた。


------


 あの日の二日前、私は理沙ちゃんと話をする事が出来ました。


 私は理沙ちゃんの名前を呼んで追いかけましたが、理沙ちゃんは私に気が付くと逃げようとしました。それでも追いかけて、どうにか私の方を向けると、理沙ちゃんは制服もしわくちゃで、少し変な匂いもしていました。きっと酷い事をされていたのだと思います。

 私は先生に何度も理沙ちゃんのいじめについて相談していました。けどその度に『あの子達がそんな事をする訳が無い』と相手を無実と決め付けていたので、私は警察に行こうよと言ったけど、理沙ちゃんは『きっと信じて貰えない』というだけでした。

 そして、『死んだら楽になれるのかな』と真剣な目つきで、口元だけで笑う理沙ちゃんを見て、私は、ただ抱きしめてあげるしか出来ませんでした。

 すると理沙ちゃんは泣き出しました。私も悲しくなり、そのまま二人でさんざん泣きました。

 そうして落ち着いた頃、抱き合ったままで理沙ちゃんはボソリと言いました。

「悔しい。悔しいよ、悔しいよ――殺してやりたいよ」

私も同じ気持ちでしたが、その時は何も言えませんでした。

 そしたら理沙ちゃんのスマホが光り出して、不思議な声が聞こえてきました。


 それが終わった後、理沙ちゃんは、

「もし私が死んだら、衛莉那ちゃん――これ、パパとママに伝えてくれる?」

と私に言いました。

 その時は冗談交じりに笑って流したけれど、あの時の理沙ちゃんの眼は忘れられません。

 そして理沙ちゃんはこちらではなく、自ら命を絶つ選択をしました。

 理沙ちゃんのお父さん、お母さん。理沙と私を信じてください。お願いします。

 どこかに、うらみをはらしてくれるおみせがあるんです。


------


 しわくちゃの手紙はそこで締め括られていた。最後の方の文字は震え、涙に濡れてかろうじて読める具合だった。


 町のどこかに怨みを晴らしてくれるお店がある。

 どこかに怨みを晴らしてくれる人がいる。

 ――悪い夢とも思えるような内容。

 けれど、あの時の理沙は“そんな夢”に縋りたいほど追い詰められていた。

 周りの大人が頼れないという中、そんな夢に縋るしかなかった。

 けど、それを実践する事を選べず、自分が旅立つ道を選んでしまった。


 さぞ――怨んでいたろう。


 さぞ――悔しかったろう。


 さぞ――無念だったろう。


 手紙を握り締めながら声を上げて涙を流す夫。

 その夫に縋り付きながら私も声を上げて泣いていた。

 娘にこんな選択をさせるまで追い込んだ全てが憎い。

 何も出来ず、なにもしてあげられなかった自分達が怨めしい。

 けれども、私達にはもう、声をあげて泣く事しか残されていない。

 その事が――かなしい。


 その時だ。

 仏壇の前に蝶が停まっているように見えた。

 蝶はテーブルに置いていたスマホの辺りに漂うと――消えた。

 そして――声が聞こえてきた。 



 怨む相手が居るのなら

 殺したい程に

 死んでしまいたい程に

 赦せぬ相手が居るのなら


 しるし一つだけ持ち来たれ


 汝が怨みは祟りへと変じ

 祟りは相手を滅ぼすだろう


 怨みひとつだけ持ち来たれ



 夫も部屋の中を見回している。きっと同じ声を聞いているのだろう。

「あなた、これって…」

「あぁ。これはきっと理沙が聞いたっていう――」

「夢じゃ…なかったのね…」

テーブルのスマホが点灯している事に気が付いた。そこには小さなお店。そして紫色の花の映像。


 娘と最後まで親友でいてくれた子の手紙に記されていた都市伝説。幼稚な幻想と笑われてしまいそうな話だが、こうして今、私達夫婦の前にそれが現実として現れた。

 もう迷いは無い。

 私達は見つめ合い無言で頷くと、夫は残った金をバッグに詰め込み始め、私は仏壇に供えてあった藤紫を一輪取りだし、丁寧に紙で包みはじめた。

 理沙。父さんと母さんがその無念、晴らしてあげるからね。

 そうしたら――

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