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12-1 火前坊

R2.11.4 修正

 あなたと会えるのを毎日楽しみにしています

 あなたのくれる笑顔が私に幸せを運んでくれるのです

 僕がこの世界に感じる孤独を癒してくれるのは貴女だけ

 そんなあなたに、私の愛を届けたい

 この気持ちを伝えたい


 ――こんな手紙が。

 高級そうな便箋にしたためられた手紙が、靴箱に入っていた。

 便箋を買った事に満足したのかお世辞にも丁寧とは言い難い筆跡。多分男の人が書いた文字だ。しかし差出人の名前は書かれていない。

 普通なら、辺りをキョロキョロしながらポケットに捩じ込むとかするのだろうけど――問題なのは、封筒には署名も無く、勿論くれた相手も皆目見当が付かない、という事だった。

 差出人の分からない自分宛の手紙を眺めながら、木村瑞雲みずもは首を傾げて考えた。

 何故、私みたいな地味な子に…ラブレター?この女子高には私なんかよりずっとスタイルも良いし美人な子が沢山いるのに。イタズラなら、どこかに呼ぶとかもう少し手の込んだ事をすると思うし、なによりこんな事をされる心当たりが無い。文面から察するに毎日会っている人なのだろうけど、そんな男性は通学途中にあるカーネル人形くらいしか思い浮かばない。

 とりあえずこの手紙を教室で見せるのは良くも悪くも騒ぎになるだろう。帰り道に同じクラスで一番仲の良い友達、マキを誘って聞いてみよう。


「これどう見ても男の字だよね。古文の山内の字でもないし、数学の村上は…あいつ新婚だもんな…やっぱり侵入者?うわキモッ。マジかー」

川沿いの道を歩きながら、汚物のように手紙を摘んで目を通し、可愛い顔を思い切り歪ませてマキが言った。歩くたびにポニーテールの髪と胸が元気に揺れている。男の人ってこんな元気で可愛い子が好きなんだろうな。

「キモいは言いすぎじゃ…ないかな?こうやって手紙くれた訳だし…」

それではさすがに手紙をくれた人が可哀相だと思っての発言だったけれど、マキから更に注意を受けるハメになってしまった。

「いやいやいや、なぁに甘っちょろい事言ってんの!?その方法がもう異常なんだからね?!女子高に侵入して手紙を仕込むとかもうヤバいっしょ!しかも今時靴箱にって!ウケるどころかマジヤベぇしょ!そんな行動力があるなら瑞雲に直で声かけろってのよ!ってそれも困るか…っていうかさ?脂ギトギトで汗くっさくていつもハァハァ言ってるような豚が『すすす好きですブヒィ!』とか言って来たらどうすんの?!」

ちょっと喩えがあり得なさ過ぎとは思うけど、確かにそれはちょっと遠慮したいかも。

「それは…そうだけど…」

「それに、こんな捻くれた事する奴ってのはね、その行動がベストだって自信があって行動してるの。そうする事で『きゃっ!私の為にこんな事を?ステキ!抱いて!』なぁんて言ってくれるぅなんて安やっすい妄想に涎垂らして相手の事を一切考えてないアブナい奴なんだからね」

「けっこう辛辣だね…」

「当然っしょ!!私の可愛い瑞雲のために注意してんだからね?お前はもっとイイ男と付き合うべきなのっ!良いトコのお嬢様なんだからぁ!」

そう言いながらじゃれて抱きついてくるマキ。

「良いトコったって…ただのお寺だよ?それに可愛くなんて…」

「いいじゃんお寺!お賽銭ガッポガッポっしょ!しかも継がなくて良いって言われてんしょ?いいパパじゃん!」

まだこの辺は「檀家」と「檀那寺」の関係が保たれてはいるからいいが、そんな関係性も破綻している都会の方では、寺を持たずに葬儀社と提携したり『派遣坊主』としてあちこちに呼ばれては経をあげて生活している僧侶も多いという。

 そんな「毎日が修行サバイバル」なお坊さん達からすれば、「檀家」と「檀那寺」の関係がしっかりした、安定収入の見込めるお寺を継げる、となったら飛びつきたいだろう。そんな美味しい職場に、更に『美人の嫁付き』なんてエサをぶら下げてやる必要は無い。パパはそう言って笑っていた。

「それにねぇ…瑞雲は美人だよ?でもそんな自信無さげなところが男ウケするんだろうなぁチクショー!」

それは褒めてるのだろうかと思いながらも、日頃からマキは私の事を“可愛い”と褒めてくれる。嬉しい反面、少しむず痒い。

「でも…」

「デモもスーモもないのっ!こんなものはぁ…」

そう言うとマキは差出人不明の手紙をビリビリと破り、

「悪霊ぅ退散!」

そう言ってバラバラの紙片を川に投げ捨てた。そうして流れ去る紙片に向かいパンパン、と両手を合わせ、

「もう二度と迷い出てくれるなよぉぉ」

と念を込めて拝んでいた。

「それ神社の拝み方…」

「気にしないっ!よし!これでもう大丈夫っ!」

そう言って屈託無く笑顔を見せるマキ。


 そんなマキが入院したと聞いたのは翌日、学校のホームルームだった。

 先生は『ケガをした』と言っていたが、生徒の間では『暴漢に襲われた』という噂が広まっていた。帰り道を暗がりに連れ込まれて暴行を受けたのだという。


 もしかして――私のせいなのかも。

 あんな相談をして、あんな事をしちゃったから。

 何をされたのだろうという心配と、身近な人が狙われたという理不尽さ。

 胸の奥で粘液の様にこびり付く疑心と不安を、刃物の冷たい確信と恐怖に変えたのは、再び靴箱に置かれていた一通の手紙だった。


『不安にさせちゃったのかな?ごめんね?瑞雲さんの相談した友達は怒っていたようだけど…ひどく興奮して話を聞いてもらえなかったのはとても残念です。でも誤解だからね?ちゃんと話し合えば分かって貰えると信じています。とにかく、一度きちんと二人で会ってお話しましょう。今夜0時、2丁目中央公園のブランコで待っています』

 パパとママに相談しよう――もう私の手に負える範疇を超えている。

 封筒の中には、手紙と一緒に一握りの髪の束が入っていた。

 毛先をほんの少しだけ脱色した、お気に入りだと言っていつも指先でクルクルしていた――マキの髪の毛が。


「公園に行く必要は無いよ。警察に相談して犯人を捕まえて貰おう」

意を決してパパに打ち明けた。パパは少しの間真剣な表情を浮かべていたけど、すぐにいつもの穏やかな表情に戻り、そう言ってくれた。そしてママが近くの交番に電話して、すぐにお巡りさんが家に来てくれる事になった。

 がっしりした体格をして背の高い、頼りになりそうなお巡りさんが来てくれて、自宅周辺の巡回をする約束をしてくれた上、念のため私の部屋に盗聴機が無いかと、大きな身体を縮めては部屋の隅々まで調べてくれた。

 部屋の調査が終わって客間に戻ろうとした時、お巡りさんに「犯人の男に心当たりは?」と聞かれたけれど、心当たりが無いと正直に答えたらお巡りさんはニコリと笑い、

「僕が絶対に守りますからね!瑞雲さん!」

とお巡りさんは張り切った様子で胸を叩いていた。


 そして客間に私達家族3人とお巡りさんとが集まり、そこで話は続けられ、そしてその場で私は、既に何ヶ月も前から不審な出来事が続いているという事を初めて知らされた。

「…では、ここ数ヶ月間、男性の体液が付着した差出人不明の郵便物が直接何通も投函されていた、という事ですね?」

お巡りさんが手帳にメモを取りながら、時々私の方を見ながらパパの話を聞いている。けれど私はそれに応じる余裕も無く、ただ初めて知らされる気色の悪い行為に青褪めるばかりだった。

「はい…瑞雲…娘には伝えないようにしていたのですが…まさか学校にまで来るなんて…」

「その手紙は瑞雲さんにお見せになりましたか?」

「いえ、あんなもの見せられません…私が全て処分しました」

その言葉に一瞬眉を顰め、だが素早くメモを取り終えたお巡りさんが次の質問に入る。

「処分…そうですか。手紙の中には、例えば…『殺してやる』とか、乱暴する予告の様な脅迫めいた言葉はあったんですか?」

「いえ…そういったものは、無かったと思います」

お巡りさんによる父への質問は続いている。けれど――

 体液の付着した差出人不明の手紙が何度も投函されていた。

 そんな気持ちの悪い現実を耳にして、私に向けられている一方的な執着と、そして私がそのような形で狙われているという生々しい現実に眩暈と吐き気を覚え、あろうことか客間で嘔吐してしまい、パパとお巡りさんに抱えられてベッドへと運ばれてしまった。

 気が付くとママがベッドの脇で心配そうに私を見つめていた。お巡りさんは既に帰った後だったけれど、早速今夜から近所の巡回を始めてくれるという話だった。その事にはほっとしたのだけれど、けれどどうしようもない位の心細さを感じ、潜り込んだベッドから出る事が出来なかった。


 そしてその日の深夜。夜の境内を乱雑に歩き回る砂利の音に、布団を被って震えながら朝を迎えた。

 その事を朝のお勤めで早起きしたパパに伝えると、パパは即座に交番に通報してくれた。学校にも事情を説明し、念のためにとその日から暫く学校を休む事にした。正直、学校どころか外に出る事にすら恐怖を憶えずには居られなかったから有難い。

 そしてその間も先日のお巡りさんが何度か訪れては、異常が無いか確認してくれたり、私の様子を気遣ってくれたりしていたらしいけど、窓から顔を出すのも怖かった私は、お巡りさんが去っていく足音にただ感謝を捧げる位しか出来なかった。


 そうして2日経った日の朝、身が覚めた私は部屋の窓ガラスに紙が貼り付けられている事に――気が付いてしまった。

 カーテンを開けたら目の前にあったのだ。しまったと思いながらも、その存在の不気味さに目が離せなくなってしまい、つい書かれた文章を読んでしまう。


『いきなり夜の公園に呼び出すのは唐突過ぎたかな?でも僕の事を分かって貰うためにはこれが一番良いと思ったからなんだ。瑞雲にはまずこの事を理解しておいて欲しい。僕は決して君に危害を加えようとしている訳じゃないんだ。むしろ驚いて感激してくれると思う。ただ僕の愛を受け止めて欲しいだけなんだ。君の父さんと母さんの呪縛から解放してあげたいだけなんだ。君を守ろうとして、僕達の幸せの前に立ち塞がる障害を排除しようという決意を分かって貰いたくて。そして応援して欲しいんだ。だからこそ僕の事を誤解しないで欲しい。あれから毎日君に会いに行ったんだよ?窓の外から君の事を考えただけで胸が張り裂けそうになるんだ。笑いかけてさえくれないのは辛すぎるよ。本当に誤解なんだよ。君が欲しいんだ。お願いだから声を聞かせてよ。僕が君を縛り付ける全てから解放してあげるから、僕のところへ翔んでおいで。僕のために笑いかけてくれよ。お願いします。こんな僕を受け入れられるのは君だけなんだ。君の事を信じていいんだよね?僕の事を愛してくれていると信じていいんだよね?』


 もはや文章には丁寧さも失われ、有るのは焦り、不安、必死さと欲望が攪拌されて醸造された――妄執だ。

 しかし何故、ここが私の部屋だと?私がここに寝ていると知っているの?

 そして手紙の右下には、溢したスープか何かが赤茶色に変色したのかと思って居たが、よくみると指紋が浮いている。これは――血だ、まさか自分で血判を押したというの?

 足元から這い登ってきた大量の蚯蚓ミミズが身体を這い回るような、不快という言葉では収まりきらない嫌悪感に、立って居られず床に座り込んでしまう。


 何で見ず知らずの変態の愛を受け止めなきゃならないの?

 勝手に障害を作らないでよ。立ち塞がっているのはアナタでしょ?

 何で“私なら受け入れられる”なんて思っているの?

 信じていいんだよねって…何を言ってるの?


 どこまでも独りよがりで自分勝手――

 そして分かった。

 この人は、既に私を「手に入れたもの」だと思っている。

 けれども思っているようにラブストーリーが伸展しない。その事に焦り、“手に入れた筈の私”が居なくなる事にひどい恐怖心を感じている。情けない、惨めな自分を見せれば相手が立ち止まって手を差し伸べてくれると信じている。

 自分を愛してくれていると、信じ込んでいる。


 ――気持ち悪い。あんなもの見ていない。気付いていないんだ。だからお願い――諦めてよ。

 私はカーテンを閉じてベッドに潜り、枕に顔を押し付け声を殺し泣いた。


 その日の夜、ママから『今からしばらく部屋から出ないで頂戴。私達が戻るまで、誰が来てもドアを開けちゃダメよ』と真剣な顔で念を押された。

 何かするつもりなのだろうけれど、それを知る事、耳に入れる事すら重荷に感じられていた自分にとっては、それすらも教えて貰いたくない、としか思えなかった。

 何もかも捨てて消えてしまいたいとすら思う。典型的なうつの症状だ。そんな所は冷静なんだなと自己診断しながら、部屋の明りを消してベッドに寝転がる。それからどのくらい過ぎたのだろうか。窓外が揺れるように明るい事に気が付いた。赤く明るい。

 まさかと思いカーテンを乱暴に脇へ除けて外を見ると、本堂の窓から炎が吹き出しているのが見えた。

 何故!?どうして?パパは、ママは無事だろうか?部屋から飛び出し、暗い廊下に向かってパパとママを呼ぶが、暗い廊下は無慈悲に静寂を保っている。


 ――まさか。

 外へ飛び出して本堂に向かい駆け出す。気持ちだけが先行し、水の中を駆けている様に思うように走れない事がもどかしい。

 ようやく窓から炎を吹き出す本堂の前に辿り着くと、私はあらん限りの声で両親を呼んだ。

「パパ!ママ!どこぉ?!お願い!返事をしてぇ!」

しかし私の声に反応したのは、若い男の声だった。

「瑞雲さん!大丈夫ですか?!」

振り向くと、あの時のお巡りさんがそこに立っていた。私はお巡りさんに駆け寄って必死に訴えた。

「お願いします!パパとママが…見当たらないんです!きっと消防車を呼びに――」

その時だ。本堂の扉が勢いよく外側へと破られ、大きな炎の塊が飛び出し、それと共に、本堂の入口が悠々と空気を吸い込み、ひときわ巨大な炎を噴き出した。

 飛び出した炎の塊は地面を転がると、ゆっくりと立ち上がり、やがて人の形を取った。

 まさか――

 全身を炎に包まれ、身体は黒焦げで人相も全く分からない。それでも私の方へとゆっくりと近付いてくる。

「あぁ…いや…そんなの嫌…」

そして炎を纏う炭の様になった腕をゆっくりとこちらに伸ばし――

「離れろおっ!」

その時、お巡りさんが私の前に立ち塞がり、炎に巻かれた人を思い切り蹴り飛ばした。私が言葉も出せずに固まっていると、お巡りさんは、燃え上がりながらも再び立ち上がろうとする人影をじっと睨みつけながら叫んだ。

「お父さんは錯乱している!抱きつかれたら君まで焼け死ぬぞ!」

「パパ?!まさか…でもっ!」

あれがパパなら助けたい。思わず駆け寄ろうとする身体を、お巡りさんが遮った。

「ダメだっ!君まで火傷してしまう!もうすぐ救急車が来るから」

「離してっ!嫌ぁ!パパぁ!パパを助けてよ!」

それでもパパの所に行きたい。何も出来なくてもいいから何かがしたい。しかし必死に近付こうとする私の肩を、お巡りさんが両手で固く押えていた。

「ダメだ!」

「警察なんでしょ!お願い!パパを助けてよ!ねぇお願い!助けてよ警察でしょっ!!」

私は生まれて初めてと言えるほどに大きな声で駄々っ子のように助けを求めていた。しかしお巡りさんは私の声には応えず、俯いて唸り声を上げるだけだった。

「うううううぅ…」

「…お、お巡りさん?」

「うるっさいなあぁもおぉ!俺の言う事を聞けよぉぉ!」

お巡りさんの強烈な怒声に思わず身体がビクリと跳ね上がる。そっと顔を見上げると、ワガママをいう子供が逆切れした時のような、泣きべそ顔をぐしゃぐしゃにしたような顔が私を見下ろしながら、鼻から荒い息を繰り返し吐き出していた。

 これが大人の男が言う台詞か。その勢いと発言の異質さに思わず呆然としていると、その沈黙を肯定か諦観と取ったのか、お巡りさんが両手で私を抱き締めてきた。

「ふうぅー、ふうぅー、ふぅー…」

荒い呼吸が私の顔にかかる。口臭が匂う――顔を見るのが怖い。

 抱き締められた腕の中で顔を伏せ、お巡りさんの荒い呼吸が落ち着くのを待っていると、私の耳元にお巡りさんの顔が寄せられ、囁かれた。


「これからは僕が瑞雲の事を守ってあげるんだ」


 その声に粘つく様な欲望を感じ、お巡りさんの腕の中から顔を見上げると、炎に包まれ、黒く焼け焦げたパパを見下ろしながら笑みを浮かべていた。

 これが警察官のする事か。

 おかしい。異常。不気味。そして怖い。言う事を聞かなければ首を捻切られる。そんな錯覚に陥りそうになりそうな、そんな時。

 警察官の制服から漂う汗臭さに混じり、かすかな灯油の匂いがした。

 はっとなり動き出そうとしたその時、お巡りさんが安堵しきったような声で呟いた。

「ずっと信じてたよ」

 全ての感情が爆発したような怒りと、全てが凍りつくような怨みが全身を駆け巡る。

 この男がマキを病院送りにし、本堂を焼き、パパを殺した私のストーカーだ。

 火に焼かれた人影を、何故パパだと分かったの?私にも分からなかったのに。

 そうだ。お前が火を点けたんだから知っていて当然だ。信じたくは無いが、きっとママも彼岸に渡ているのだろう。

 パパは私に手を伸ばそうとしたんじゃない。伸ばされた手は私から少しだけズレていた。この男に掴みかかろうと――この男を道連れにしようとしたんだ。


 最後まで私を守ろうとしてくれたんだ。


 私を包み込むその腕に手を置き、力いっぱい爪を立てて誓った。

 この男――絶対に殺してやる。

 お前がマキにそうしたように。パパにそうしたように、私がお前を殺してやる。

 私にそんな力は無いけど、それでも殺す。殺す、殺す、殺す、殺す。絶対に殺してやる。

 私はお前のモノになったフリをして、一生を掛けて毒を盛り続けて、じわじわとお前を殺してやる。私がお前の生殺与奪権を握ってやる。


 涙を流しながら見上げる、父を殺した犯人ストーカーの顔。その向こうの夜空に。

 一匹の光る蝶が舞っているように見えた。

 逃がせば一生後悔する――なぜだかそう直感した私は、調子に乗って私の尻を触る男の足を踏みつけ、ようやく腕から離れると必死になって辺りを見回した。そうしてやっと見つけた光る蝶は、いまだに煙をあげ燻ぶり続けるパパの死体にふわりと降りて――消えたところだった。

 黒焦げになったパパの前に膝をつく。

「どうしたの瑞雲さん、危な…」

「私に触れるなぁっ!」

ストーカーがもう一度私を抱き締めようと近付いてきた時、私はあらん限りの声を上げ叫んでいた。妄想と違う私に驚いたのか、奴はそれ以上近寄ってこなかった。

 邪魔しないで。これにはきっと何かある。

 その直後。焼け焦げて真っ黒になり煙をあげるパパがゆっくりと首を持ち上げ、私の方に顔を向けた。

 鼻も、唇も焼け落ちて、その二つの窪みにあった目玉は既に融け落ちているのだけれど、顔を上げて私を見つめているというのが分かる。

 一瞬、まだ生きているのかと思ったけど、こんな姿で生きていられる筈がない。

 けれど――パパの声だ。これはパパの声だ。


 怨む相手が居るのなら


 殺したい程に

 死んでしまいたい程に

 赦せぬ相手が居るのなら


 しるし一つだけ持ち来たれ


 汝が怨みは祟りへと変じ

 祟りは相手を滅ぼすだろう


 怨みひとつだけ持ち来たれ


 そこまで言うとパパは、そのまま眠るようにゆっくりと顔を伏せた。




 今のは一体――?

 殺したいほどの怨みを…祟りって?

 パパの体も、顔を上げてこちらを向いたのは幻だったのだろうか?倒れた状態からピクリとも動いていない。

 不思議に思っていると、炎の爆ぜる音を掻き分けて遠くからサイレンの音が聞こえてきた。やっと消防車が来てくれたか。

 その音を聞いたストーカーも私に抱きつこうとするのを諦めたようだった。

 私は頬を伝う涙を拭い、その濡れた指で焼け焦げたパパの頬に触れると、その指に付いたパパを舐め取った。


 ありがとうね、パパ。今まで本当にありがとう。

 必ず仇はとるから。だからそれまで見守っていてね。




 パパが焼けてゆく煙に映る様に見えたあの店。きっとそこにさえ行けば――

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