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11-3 笑い般若

R2.11.4 修正

 ヤシフと巡視を代わる時間なのだが、肝心のヤシフが見当たらない。

 土埃を孕んだ冷たい風が吹く巡回ルートを回りながら、ハサンは面倒そうに溜息を吐いた。

 夜の巡回を担当する兵達が上に内緒で作った『仮眠スポット』も探してみたのだが何処にも見当たらない。

 雲の切れ間から時々月が顔を覗かせる以外は明りの点る気配も無い、山岳部の寂れた村域だ。日々の慣習的意味合いで巡視は行われているが、こんな辺境に敵など来る筈も無い事は、俺ら末端の兵士にだって分かる。

 しばらく前までは巡視の合間に女を抱いて遊べたのだが、誑かされた新兵による手引きで、確保した女達全員に逃げられてしまうという失態があったばかりだ。

 脱走に手を貸した新兵は簡易法廷で裁かれ、その場で銃殺となった。

 それは当然だ。失態を引き起こしておきながらお咎めなしとあっては、我等“新しい世界”軍は立ち行かなくなる。我等は厳しい戒律の下で、教義によってのみ生きると誓った軍なのだから。

 ――と言うのは建前で、要は女を抱けなくなった腹いせだ。

 聖戦で手柄を上げて女を褒美に貰える奴なんて一握り。

 教義だの使命だのと散々謳ってはいるが、要は自分が奪われる側に回りたくないだけ。あの頃よりまともな暮らしがしたい為。それだけだ。教義や使命なんぞで銃を握っている奴なんて何処に居るというのだ。

 家の仕事を継がせて貰えない次男坊や三男坊は、ロクな仕事にもありつけない。そうなると結婚すら覚束なくなる。という事はつまり、神に召されるその日まで“女”を知らずに生きるという事になる。

 俺の叔父さんも、アラドのとこの叔父さんだってそうだった。

 ――あんな暮らしはまっぴらだ。だから俺はこの波に乗るしかなかった。他の奴等だってみんなそうなのだ。

 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、地面に倒れた何かが懐中電灯の明りに照らし出された。いや何かじゃない、誰かが倒れている。あの服装は――ヤシフか?

 倒れたヤシフの横に女がしゃがみ込んで、体を前後に揺らしている。

 女は非常識にも頭を覆ってすらおらず、黒く長い髪が扇情的に揺れていた。

 なんと許し難い。これは仕置きが必要だろう。

 下卑た考えを湧き上がらせながら、倒れたヤシフの横で身をかがめる女に声をかけた。

「そこの女!ヤシフと何をしている?」

声をかけると女はピタリと動きを止めた。


 その時、正面からぬるりと風が吹いた――濃密な血の臭いを纏わせて。

 そしてゆっくりと振り向いた奴隷女は、何かを滴らせている歪に丸い何かを両手に抱え、それに口元を埋めたまま、上目遣いで男を見た。

 ライトを女の顔に向けると――

「ひぃっ?!」

 その女はライトに顔を照らされ、口元を埋めた何かから口を離し、ゆっくりと顔を上げた。

 女の口元は鮮血で濡れていた。

 そのまま先程まで両手で抱えていた、一心不乱に齧り付いていた何かをゆっくりと顔の隣まで持ち上げる。

 そこには、左側頭部に大きく穴を開け、血を滴らせたヤシフの首があった。倒れている身体に目をやると、地面に横たわるヤシフの身体に、首はついていなかった。

「き、貴様ぁ!」

肩に担いでいた銃を構え、そのままの勢いで3発。だが女に当たった様子は見られない。

 目の前で女がゆらりと立ち上がる――ヤシフの首を片手に下げたまま。

「うわああああっ!」

変な声を上げながら、ハサンは何度も射撃を繰り返した。

 だが当たらない。目の前に立って、ゆらゆらとこちらに近付いていると言うのに、銃弾は一発も当たらなかった。

 逃げなきゃ。知らせなきゃ。けれども足が動かない。ライフルの撃鉄を引く指だけが何度もカチカチを寂しい音を立てていた。

「やだ…やめてくれ…あぁ…これからは真面目にお祈りします…お願いです…」

何度も神への祈りを繰り返すハサン。しかし目の前の女はそれを嘲笑うかのように、

「残念。ここで貴方の声を聞いているのは――私だけ」

カチカチと寂しげな音を立てる撃鉄を引き続けながら祈りの言葉を呟き続ける男の目の前で。

「くふふふふふ」

歪なほどに口の端を釣り上げた女の笑い声と、その隣で揺れるヤシフの首は、ぽかりと空いた頭の穴がよく見えていた。


「夜警の兵と、交代に向かった兵からの定時連絡が途絶えています」

ラシード隊長は部下のユーセフから報告を受けていた。

「…今夜の担当は誰だ?」

「前半がヤシフ、後半がハサンです」

この村は食料と女の略奪に寄っただけだったが、この地点が本部より中継基地としての有用性を見出され、私達がそのまま駐留する事になった。

 些細な事でも連絡するように、と常日頃から言い聞かせているのだが、夜警が時々姿をくらますのはよくある事だ。

 ――奴隷の女が居る状況であれば、の話だが。

 下級兵士の鬱憤の捌け口として、その程度は黙認しているのだが、生憎と現在は奴隷に逃げられてしまっている。

 政府軍の攻勢があるという情報は聞いていない。米軍はこちらの地域まで勢力を広げていない。ならば別の何かだろうが、この付近に抵抗勢力レジスタンスが残っていたとは考え難い。

 ――逃げた女たちが米軍を動かしたのか?

 それはあり得ない。以前ならともかく、今の米軍にそこまで利益を度外視した局地的な作戦行動を取る余裕は無い筈だ。

 では、あの女たちの中に居た『日本人ヤパーニ』が軍を呼んだのか。

 日本が相手ならば、採算や効率を度外視した作戦行動も納得が行く。

 だが既に『日本人』は逃亡に成功しており、無事に帰国したとの情報も得ている。

 ならば目的は?報復か?自前の軍を使えない国が?それにこの村を攻めるという戦略的有用性も見当たらない。

 想定されうる可能性をあれこれ考慮したラシードは、

「オマルとアフマドの隊を起こせ。夜襲の可能性もある。周辺の警戒を厳にせよ」

と報告に来たユーセフにそう指示を出した。

 見張りが姿を消すのは異常の先触れでもある。戦略目的を見抜けないからと言って、防衛を放棄する訳にはいかない。

 だが手持ちの兵では正規軍に対してどれだけ凌ぐ事ができるのか。正直心許ないのも本当のところだ――逃げ時だけは見極めなければと思いながら、ラシードが新しい煙草に火を点けた時だった。

 先程の兵士、ユーセフが俯き加減で入口に立っていた。

「どうしたユーセフ?まだ何かあるのか?」

だがユーセフは突っ立ったまま動かない。

「…ユーセフ?」

立っているユーセフの身体がぶるぶる震えたかと思うと、ごぼりと大量の血を口から溢し、顔面から地面へと倒れこんだ。

 背中には小剣が突き立てられていた。

「ユーセフっ?!」

床を血に染めながら痙攣する同士に駆け寄ろうと立ち上がった時、戸口から美しい声がラシードに聞こえた。

「失礼致します」

我々の勢力圏内で奨励している伝統的な女性の衣装――全身を黒の布で覆い、目の部分に網をかけた、ブルカ姿がそこに立っていた――女か。

「女!貴様何をしに来た?ユーセフを刺したのはお前かっ?!何が目的だっ!」

もの凄い剣幕で捲し立てるラシードを尻目に、ヤレヤレと言った様子で肩をすくめて手を挙げる女。ブルカのせいで表情までは分からないが、侮蔑の表情を浮かべているというのは容易に想像できた。

「一度にあれこれ聞き過ぎですよ?…意外と小心者ですねぇ」

たかが女にここまで侮蔑される。ラシードは脳味噌が沸騰するような怒りに身を任せそうになったがそれをどうにか抑え付け、腰の拳銃を抜いて女に向けるに留めた。

「次にそんな口を利いたら額に新しい尻の穴を開けてやる。いいか女、答えるんだ」

恫喝に怯える様子も無く、ブルカ姿の女はラシードへと向き直り、

「探しものをお届けに参りました」

と、丁寧に答えた。

「…どういう事だ?」

「これを――お探しではございませんでしたか?」

ゆったりとした黒いブルカの間から取り出したそれを、机の上へ放り投げる女。

 ゴロゴロと机の上を転がるそれらと、隊長は目が合った。

 頭に大きく穴を開けた、オマルとアフマドの首だった。

「女性に殺されると天国にイケないそうですね、オマルという男が言っていました…『殺さないで、殺すならせめて男に殺させてくれ。じゃないと魂が天国に行けないから』って。無様に涙を流しながら、地面に頭をこすり付けて、たかが女に懇願しておりましたよ」

「こ…この女ぁっ!!」

「ご安心下さい。天国でなくとも他の場所で貴方達をお迎えして下さるそうですから」

ラシードは、迷わず女の頭部を狙い、銃の引金を引いていた。

 頭部を覆っていたフードが弾け飛ぶ。

 顔を撃ち抜いた筈だ。手応えはあった。

 しかし、そんなことはどうでもよくなっていた。

 フードを吹き飛ばされて露わになった女の顔は。

 耳元まで大きく裂けたその口は、吸血鬼のように大きな牙が剥き出しになり。

 乱れた黒髪が張り付くその額からは、悪魔の様にしなやかに伸びた角が現れていた。

「し…悪魔(シャイターン)…!」

銃撃を浴びせるラシード。何度も。何度も。弾創マガジンを取替えさらに鉛玉を浴びせ続ける。

 当たっている筈だった。現に黒衣ブルカは千切れ裂け、何箇所も穴が開いている。

 効いている筈なのだ。露わになった肌に銃弾が沈みこみ、血が弾ける様子を何度も見たのに。

 ならばどうしてこの女は薄ら笑いを浮かべながら近付いているのか。

 ラシードは理解が出来なかった。

「どうしてだっ!どうして倒れない!!くそっ!」

ラシードは壁を四角く切り取っただけの窓から外へと飛び出した。窓を飛び越えて地面をごろりと転がり受身を取る。

 その時、地面についた左掌が何かで濡れた。ほんの少しぬるりとした、生暖かい何か。

 身を起こして左側に目を向けると、首から上の無い上半身だけがごろりと転がっていた。

「ひゃっ?!」

 誰だ?誰の身体だ?!いや違う、誰がこんな事をしたのだ!

 上半身の脇に転がる自動小銃AK-74を引っ掴み立ち上がる。

「ほうら――お忘れ物ですよ?」

飛び出した建物の窓から、さっきの女がゆらりと現れた。

 右手に高々とユーセフの首を掲げて。

 先程までユーセフはまだ瀕死だったはずだ。首も繋がっていた。

 あの女はフライドポテトを摘む感覚で首を飛ばしたとでも言うのか。

 ユーセフの首。その断面からはまだ血がだらだらと流れ出ている。しかも女はその首を高く掲げ、その断面に口をつけると。

 ごくり。ごくりごくり――ぷはぁ。

 そして首を高く掲げると、ラシードを挑発するかのように反対の手で指差して

 あなたもどうですか?

 そう言って高らかに笑った。


「死ね!」

自動小銃を構え、3発ずつ。拳銃弾よりも強力なライフル弾。絶対の信頼を抱かずにはいられない最強の暴力装置を、正確に、冷酷に正体不明の女に叩き込むラシード。

 女の身体は銃撃を受けるたびに震え、黒衣は次第にその形を失いボロ屑のようになっていった。

 弾が尽き、静けさを取り戻した自動小銃を投げつけて、ラシードは叫んでいた。

「どうだこの化物お」

「ばけものおんな、がどうかしましたか?」

背後から女の声がして、思わず飛び上がって振り返り、その勢いで地面に尻餅をついてしまった。

「おや、なんとも情けない格好ですこと」

「何なんだ?!貴様は一体何なんだ!畜生めっ!」

 女は変わらずそこに立っていた。 ラシードへと侮蔑の眼を向けながら。笑い出したいのを堪えるように。

「落ち着いて、周りをよく見てごらんなさいな」

普段なら女がそんな口を聞くことを許さないラシードだが、素直にゆっくりと周りを見回した。

 足元は勿論、村のあちこちに兵士達のバラバラになった身体が転がっていた。

 まさか――この全てをこの女が?

「ご理解頂けた?残るは貴方だけ」

殆ど全裸に近いままでゆっくりとラシードに歩み寄る、女。

「よ…寄るな!この悪魔(シャイターン)め!」

後ずさりしながらも手に触れた石や草をひっ掴んでは女に向けて投げ付けるラシード。助けを求めるラシードの悲痛な叫びに薄ら笑いを絶やさない女――いや、悪魔と呼ばれたなにか。

「アクマなんてそんな大層なものではございません」

そう言いながらラシードにぐい、と歩み寄り、背後から首筋に手を回す。

 ラシードは動けない。軽く掴まれているだけの筈なのに、全身が動かないのだ。その手の冷たさに魂が凍り付いているかのように。


「貴方達が貶めてきた女達の怨みから生まれた――」

首の根元を片手で掴んで立ち上がらせる。もう片方の手で首の根元を押さえつけ――そのまま胴体から首と背骨を引き抜いた。

 村中に響き渡るような絶叫。

だがこれは痛みだけからの叫びではなかった。その証拠に、女が引き抜いた司令官の首は、首と背骨だけになりながらも、堕とされようとしている魂が畏れに叫び声をあげているように叫び続けていた。

 女は叫び声をあげ続けるラシードの背骨の端をぶらりと咥え、そのまま

 ずるっ。ぼりっ。ぼりぼりごりぼり。ぼりぼり…

 やがて顔の肉を齧り取られ、脳を啜られ目玉を飲み込まれても尚、苦痛と恐怖に震え続ける髑髏を噛み砕き、胃の腑に全て収め。

 『復讐の快楽』の絶頂に身を震え捩らせた『笑い般若』は、その余韻に顔を蕩けさせながら言った。


「――祟りでございますよぉ」


 あははははっはははははははああははははははは


 生きた人間の姿が全て消え、死体ばかりが転がる村の中、笑い声はいつまでも響き続けていた。

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