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10-1 影女

R2.10.7 加筆修正

「すいません、このショートケーキ二つ、持ち帰りでお願いできますか?」

自然と緩んでしまう顔を隠し切れない、三十代前半くらいの男性客。これからとても幸せな事が待っているのだろう。そんな想像が容易に付いてしまう表情をしている。

 ――けれど

「何か良い事でもあったんですか?」

私はどうしても気になってしまい、思わず聞いてしまった。すると男性客は嬉しそうに、

「これから、娘に会いに行くんですよ」

と、教えてくれた。

 娘に会いに――離婚して、親権を元妻に持っていかれた、というところだろうか。子煩悩で優しそうに見える男性だけど。

「あっ――ちょっとお待ち下さい」

その幸せそうな表情に、私も何かしてあげられたらと思い、厨房に行って小さな包みをひとつ持ってくると、男性に直接手渡した。

「試作品なんですが、良ければこれ、娘さんと召し上がってください」

そう言って私が男性に手渡したのは、お菓子造りの練習で相志さんに教えて貰いながら作った、ネコの形をしたクッキーだ。相志さんの教え方が上手なので、私としてはこれ以上無いくらいに良く出来た代物だ。なので、お客様へのプレゼントという形で提供させて頂いている。

「あはっ!ネコ型のクッキーですか。娘がネコ大好きなんで、きっと喜びます!」

そして男性客は丁寧に礼を述べ、満面の笑みで『タタリアン』を後にした。


 男性の事が気になった理由。それは――男性の背後に辻神が何匹も群がっていたから。

 さすがに『タタリアン』の店内にまでは入ってこられなかった様だが、男性が店を出ると待ち構えていたかのようにわらわらと背後に廻り、男性の歩くその後に付き纏っている。

 辻神が特定の人間に付き纏う理由。それはその人の身近な者に不幸が訪れる前触れと紫苑さんに教わった。辻神が間接的な不幸の匂いを感じ取り、そのおこぼれに預かろうと言うつもりらしい。

「サン、さっきの彼の後、追いかけられる?」

私は我慢しきれずサンに声をかけた。

「辻神、いっぱいついてたね?心配だよね?」

私の気持ちが伝播していたのか、サンもそわそわしながら私の方を見ていた。

「うん。だから、お願いできる?」

「はーいっ!」

勢い良く前足を上げて挙手するサン。私は玄関のドアを少しだけ開いて、サンを外に出した。

 小さな体躯とそれに似合わぬ速さで、鈴の音の足音を響かせながら、サンが道路を駆けて行く。そして先程の男性客に追い着いた。

 男性の背後をついて歩く大量の辻神達は、今や大型犬程の群体となり、ぞわぞわと形を様々に変えながら進んでいる。

『サン?!その辻神の群れ、少しでも減らせないかな?』

『やってみる!』

私の呼びかけにサンが応え、群れの中に頭を突っ込み――引っこ抜いた。サンの口には数匹の辻神が咥えられていて、そのままバキリと噛み砕くと道の脇に投げ捨てた。

 だが、そうすると建物の陰から側溝の中からと、新たな辻神が湧いて合流してきたので、道中で数を減らすのは諦めざるを得なかった。

 そして、男性は無数の辻神を従えたまま、やがてあるアパートのドアの前で足を止めた。

 男性がドアをノックし、しばらくしてゆっくりとドアが開き――




 女は男の顔を見て一瞬怯んだような顔を見せたが、すぐに邪魔者を見るかのような目つきを取り戻し、ぶっきらぼうに質問した。

「…何の用?」

染めた金髪の根元がかなり黒色を取り戻している。長い間手入れをしていないのだろう。

「ほら、今日は月に一度の面会の日だろ?電話にも出てくれないから直接迎えに来たんだ」

その言葉に女――この男性の元妻である女は小さく舌打ちをして言った。

「――萌なら熱を出して寝てる。帰ってよ」

「じゃあ、せめて顔だけでも――」

思わず身を乗り出す男性に対し、元妻は足で玄関を塞ぎ、いかにも迷惑といった様子で応じた。

「帰れっつってんだろ。不法侵入で訴えるよ」

男性はその様子に眉を顰めながら元妻へと質問した。

「…ちゃんと萌の面倒、見てるんだよな?」

その言葉に僅かだけ眉を顰めた元妻であったが、すぐに大声をあげて一気に捲し立てた。

「はぁ?ナニ、ウチが自分の娘を面倒見てないっていうの?熱出して会えないって言ってんのが気に食わなくてそんな難癖付けてるワケ?」

「いや、そんなんじゃ…」

女性の対応に少しだけ困った様子を見せる男性だったが、ひとつ大きな溜息を吐くと、財布から紙幣を数枚取り出して女性に差し出した。

「…じゃあ、これで萌に何か買ってあげてくれるか?」

男性から紙幣をひったくるように受け取り、その枚数を確認するとニヤリと笑う元妻。

「分かったよ。ちゃあんとパパからだって言っておくから安心して」

「それと…これ。途中でケーキ買ったんだ。良かったら食べてくれ」

女性は見知らぬ店名の記された箱に興味が湧かなかったが、男性に長居されるのも面倒だったのでとりあえず受け取る事にした。

「――貰っとくよ」

そのまま女性は「じゃあね」と言い残し、勢いよくドアが閉じられた。




 ドアが開いた瞬間から、辻神は部屋の中へと雪崩込んでいた。

『ママ、はいっちゃった!おっかける?』

『うん!お願い!!』

 サンの眼を通して部屋の中が見える。

 埃と塵が玉になって隅に溜まっている部屋の奥にあるなにかを目指す辻神と、それを追うサン。

 そして奥の部屋。その更に奥。隅っこのほうに。

 辻神が盛り上がり、群がっているのが見えた。

 餌を貪るように辻神が群がるなにか――いや、これは。

『サン、追い払って!』

『わかった!』

小さいながらも辻神に牙を立て、爪を振り、群がる辻神を消滅させてゆく。

 しばらくの間辻神を殲滅し続け、ようやく現れたのは――

 一人の小さな女の子だった。

 カサカサになった小さな唇。細く柔らかな髪の毛は汚れてぐしゃぐしゃだ。痩せ細った腕には火傷の痕や内出血も見えており、息も絶え絶えな姿で倒れていた。

『こどもだ!』

『そんな…!』

そして、必死にサンが消滅させたにも関わらず、何処からともなく新しい辻神が女の子に近付き始めていた。




「帰ったぁ?」

先程の男性とは違う、若い男性の声が部屋の奥から聞こえる。玄関先で元旦那を追い返した女性は、あぁ、とけだるそうに応じながらも、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて男性に言った。

「でもアイツ、萌にって五万も置いてったよ」

「マジ感謝ッスね」

「じゃ、さっそく飲みにでもいこっか」

そして男女は、部屋に転がる娘を見る事も、声をかけることも無いまま、余所行きの服に着替えて部屋を後にした。




 そんな保護者の様子などお構いなしといった様子で、サンは近寄る辻神を倒し続けながら、若葉はその視界から見える景色に目を配り、使えそうな物が無いか必死に探していた。

 だが固定電話も無い。外部への連絡手段もないし、家の住所を示すようなものも見つけられず、若葉はただ焦るばかりだった。

『サン、そこにお店のケーキがある!食べさせられない?』

『やってみる!』

サンは紙箱のテープを切ろうと必死に前足の爪を振ったが、テープは切れるどころか傷一つ付いていなかった。そこで若葉はようやく、式神は物理的干渉を受けるが物理的に干渉する事は出来ない、と教わっていた事を思い出した。

『ごめんママ、できない…やぶけない』

項垂れて落ち込むサン。急いで何とかしなければこの子が危ない。けれど部屋の中に居るサンだけでは、この部屋から脱出する事すら出来ない。

『サン、何か…部屋に何かない?』

若葉にそう言われ、ゆっくりと薄汚れた部屋を見回すサン。そしてあるものを発見した。部屋の隅。くたびれた黒猫のぬいぐるみが転がっていたのだ。

『あったっ!』

若葉の声に、何があったのかを理解したサンはぬいぐるみの元まで駆け寄った。

『サン、歳神を呼ぶよ!』

『はいっ!』

尻尾を立て、大きく左右に揺らすサン。ちりんちりん、と清々しい鈴の音が室内に広がる。

『若葉の名において――歳神よ、疾く来たれ!』




 夢見さんに頂いた『百器徒然袋』に隠された分を読み解くことで夢見さんから教えて頂いた、“葛葉”では久しく使う者の無かった術――付喪神作成の術。

 付喪神とは、魂を持たない器物が長き年月を経たりすることで魂を得るに至る、という妖怪のいちジャンルである。素直な歳神の特性を利用して、術者の直接的な手駒として命令を下す…目的で作られたのだが、実際は器の“質や経歴”に左右される事が大きく、実践には向かない術とされてきたのだ。だが夢見さんは、私がこの呪法を読み解いたことを知らせると私に、

『若葉ちゃんなら新しい用途を見つけ出せるかも知れないからね。二百年ぶりの歳神使いに乞うご期待、って奴だ』

と言い、私が見つけた長ったらしい呪文とは違い、簡略化した呪法を教えてくださったのだ。

 けれど勿論使うのも初めてだし、サンを通し遠隔で行うことも初めてだ。

 だが、ここでやらなければ、この女の子が危ない。

 きちんと儀式を行えば、あと数体は『歳神』を呼べた筈だが、今は時間が惜しかった。

 ようやく来た一体の『歳神』をサンが咥え、自分より大きな、猫のぬいぐるみの前に立つ。

 若葉はそのまま呪歌の詠唱を開始した。

『百年ももとせに 一年ひととせ足らぬ 付喪神 ひと歳やろか 供に参らば』

私の呪歌詠唱が終わるとほぼ同時に、サンが歳神を猫のぬいぐるみに叩き付け――中に押し込む。

 その直後、くったりと四肢を投げ出して床に転がっていたぬいぐるみがピクリと震えたかと思うと、やがてゆっくりと立ち上がった。

『出来た!』

私は辺りをキョロキョロと見回している黒猫のぬいぐるみに声をかけました。

『きみ、名前は?』

黒猫のぬいぐるみが丸い顔を傾げて数秒が経過した。

「――く…ろ…ちゃん」

青と金色の瞳でサンと、その背後に居る創造主、若葉を見つめながら、たどたどしくも幼い女の子の声で応える、ぬいぐるみの付喪神、クロ。

『クロちゃん、生まれたばかりで大変かもしれないけど、貴方の持ち主の女の子が危ないの!』


これには直ぐに反応が帰って来た。

『も――え、ちゃん?あぶない?』

首を傾げるクロ。

『そう、そのもえちゃんが危ないの。助けてくれる?』

『くろ、もえちゃんだいしゅき。たすける。』

前足をひょいと掲げてそれに応えるクロ。

『お水を飲ませてあげたいの。出来る?』

『もえちゃん、だいしゅきだから、がんばる』

クロは両の前足をポンポンと叩き合わせ、両手を挙げてその意気込みを示した。そして本物の猫と同じ様に台所へピョンとジャンプし、その辺に転がっていたプラスチックのコップを抱えて運び、蛇口によじ登ってどうにか小さなコップに水を注ぐことに成功した。

 尻餅をつきながら床に落ち、前足でコップを抱えて後ろ足でよいちょ、よいちょと言って運びながら、どうにか女の子の元までコップを運ぶことに成功した。

「もえちゃん、おみずにゃ」

重し用のペレットが入った足先で女の子の頬をぽんぽんと優しく叩くクロ。

「もえちゃん、おみず…」

反応が無かったので、今度は両手で頬をもみもみしながら女の子の名前を呼んだ。

「もえちゃん、クロだにゃ、おきるにゃ」

濡れた前足から滴った水が女の子の唇を濡らし、それが契機になったのか、女の子はゆっくりとその眼を開いた。

「あ、クロ…ちゃん…」

どうにか絞り出た声もパサついている。それでも自分の目の前で本当に動いているぬいぐるみのクロを目にして、ほんの少しだけだが瞳に光が戻ったように見えた。

「おはなし…できたね…」

「おみず、のんで?」

応える間も惜しいとばかりに前足でコップを抱え、口元へと傾けるクロ。唇がコップに触れ、大半を溢したもののどうにか水を口に含ませる事は成功した。だが女の子はもはやそれを飲み下せず、口の中に水が流れ込んだだけだった。

「もっとおいしいのがあるにゃ。そっちにするにゃ!」

水は嫌いと思ったのか、クロはケーキの箱に駆け寄り、前足のひと振りで箱を叩き壊すと、足先に生クリームを塗りつけて女の子の所へ駆け戻った。

「もえちゃん、ケーキにゃ。パパがかってくれたにゃ。たべるにゃ!」

足先に付けたクリームを女の子の唇に塗るクロ。だがカラカラに乾いた唇のひび割れにクリームが刷り込まれるだけで、女の子はそれを舌で舐めとる事も出来なかった。

「クロ…ちゃ…」

か弱い力で、目の前で動きお喋りしているぬいぐるみのクロを抱き寄せる女の子。

「これで…おかあさんいなくても…さびしく…ない…ね――」

女の子はクロをその腕に抱き

「だい…す――」

――動かなくなった。




『嘘…そんな――こんな事って…!』

その光景に耐え切れず、顔を伏せて嗚咽を堪える若葉。

 クロはご主人である女の子が動かなくなった事の理解が追い着かず、腕の先でポンポンと叩いたり鼻先でスリスリを続けていたが、女の子の眼をじっと見つめ、それでも動かない理由をようやく知った。

「にゃーん、にゃーん…にゃあぁぁぁ――ん」


 クロの泣き声が、まだ温もりの残る女の子の腕の中で悲しげに響いていた。

自分で泣きそう

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