1-4 絡新婦
R2.10.2 一部修正
『○○日未明、小夜鳴市内のマンションで身元不明の死体が複数発見されました。遺体は損傷が激しく、現在警察が身元の確認中です。なお、この部屋に住む満屋皇帝さん(24)と連絡が取れなくなっており――』
ニュース番組で報じられたマンション、そして名前。間違い無かった。
もしかしたら――とは思っていた。
夢で見たからだ。
壮絶な。口に出すのも躊躇われる様な。けれど胸のすくような悪夢だった。
私の祟りが、奴を殺したのだ。
その悪夢の中で私は、あの時の制服姿で妖怪となり、あいつらを皆殺しにしていた。あの一つ目金魚が言った『誰かではない何か』とはそういう事だったのだ。
私は、仕事を始めてから殆ど手を着けていなかった給料を全て引き出すと、午前中のうちに再びあの店へと向かった。心なしか足取りも軽く、久しぶりに晴れた天気の下に出たからなのか、目に入る全てが眩しくキラめいている様に見えた。そのせいだろう。路地裏やゴミ箱の隅がやけに暗く、その奥で何か蠢いている様にも見える。
カフェ、タタリアン。開店直後なら、まだそれほど忙しくないだろう。
ドアを開ける。からりんと鳴るベルの音色も心地好い。案の定、格好良い店員さんが声をかけてきた。
「いらっしゃいませ」
イケメン過ぎる男性店員さんの、眼福とも言えるような爽やかな挨拶。一方の一つ目金魚は知らぬ顔で店の中を泳いでいる。
「おはようございます。先日のお礼をお持ちしたのですが…」
男性店員さんに頭を下げ、話しかける。
「あぁ――わざわざご苦労様です」
危険物の様な爽やかな笑みが近付いてくる。その横からふわふわと一つ目金魚が宙を泳いで近付いてきたので、そちらへ向き直り声を掛けた。
「金魚さんもおはようございます。またお会いできましたね」
すると一つ目金魚が空中で大きく飛び跳ねた。とても驚いた表情――といっても魚の表情なんて初めて見たけれど。目を見開きながら空中でビチビチと跳ね回っている。
「あっ、ごめんなさい!驚かせちゃいました?」
あまりに驚いたのだろうか。未だに空中でまだビチビチしている金魚に声をかけた。
すると、まるで死者が蘇ったかのような驚愕の表情をしたイケメンフェイスが私に言った。
「し…失礼ですがお客様、もしかして――これが見えているのですか?」
イケメン店員さんが、漸く落ち着きを取り戻しはじめた金魚を指差しながら私に質問する。
「?…はい。ここでビチビチしてましたよね」
そう言って一つ目金魚の方へ視線を向けた。こちらもようやく落ち着いたようで、あぁびっくりした、などしきりにブツブツ言っていたが、私の方に向き直ると、
「ま、また会えるとは思わなかったぜ…」
と“驚いていませんよ”的な素振りを見せた後、一人と一匹は店の端へとすっ飛んでいき、大声で秘密の会話を始めていた。
「おいおいどういう事だ相志?何故あの娘にまだ俺様が見えている!?」
「知らん!僕が聞きたい位だ!」
「貴様、薬の分量を間違えたんじゃねぇだろうな?」
「それは無い!一回分毎に分包しているのはお前も知っているだろ?」
「だが薬も無しで俺達式神が見えるってのは物怪か陰陽師くら…い――」
そこで何かに気付いた様で、互いに話すのを止めてゆっくりとこちらに顔を向けた。
「と言う事は――だな相志…」
「こんぺい…という事はまさか――」
互いの名を呼び合う店員さんと一つ目金魚。
その時、店の奥から、『祟り庵』で聞いた、あの女性の声が聞こえた。
「彼女には才能があった、という事でしょうね。それが『儀式』で刺激され、覚醒めたのでしょう」
てっきりあの和服みたいな姿の女性が出てくるのかと思ったら、意外にも普通のパティシエさんの衣装を着た女の人がそこに立っていた。年齢は私と同じか、少し上といった位だろう。だが、女の私が見ても見惚れてしまいそうな程に儚げで、そして美しい女性だった。
「紫苑様?!――いえ店長、そんなことがあり得るのですか?」
男性の方が店長かと思ったら、女性の方だったのか。しおんさん、と言うのか。
「無い、とは言えないでしょう。現に薬の力も無く、式神が見えているのですから」
紫苑さんはそう言うと、私に優しく笑いかけた。
「式神…?なんか本で読んだことあります。忠実な召使いみたいな」
「その認識で問題無いと思います。忠実な可愛い子ですよ」
その言葉にこんぺいは鼻を鳴らして偉そうにふんぞり返っている。金魚に鼻があるのかは分からないけど。
「コイツに限っては、一部再教育の必要があると思うけどな」
相志はそう言って、こんぺいを指さした。
「俺様はいいんだよ。姐さんの一番なんだからな」
ふんぞり返り過ぎて殆どひっくり返っているこんぺい。
「相志、少しお願い出来ますか?彼女と話をしたいのですが」
「――かしこまりました。紫苑様」
真面目な顔付きで紫苑さんが言うと、こちらへどうぞ、と私を店内のテーブルへと促す相志さん。まるで執事の様に紫苑さんへと恭しく礼をして応じている。
私と紫苑さんが席につくと、相志さんが紅茶を二つ運んできた。私の方には普通にティーセットを置き、紫苑さんの方には砂糖とミルクを入れてからテーブルに置いた。量も味の好みも理解しているのだろう。
紫苑さんは相志さんへ丁寧に礼を言い、紅茶に口を付けると静かに話し始めた。
「神は罰してくれない。社会も裁いてくれない。そんな時、人はどうすると思いますか?」
私に尋ねている。
私は――何も出来なかった。怨みに痛む魂を押さえつけ、もう痛くないよと笑いながら、陰で泣くしか出来なかったから。何も答えられず、首を横に振る。
「祟るのです」
「――たたる」
「そう。無念の思いは祟りを為すのです。貴方も聞いたことはありませんか?天満天神、関東の新皇、日本国の大魔縁」
確かに昔、何処かで聞いた様な気がする。
「作法を知らぬ人達は、その怨みと執念で、己の命と引き換えに祟りを成してきました。でもそれはとても――辛い事です」
紫苑さんは言葉を続けた。
「怨みに報ゆるに徳を以てす。と言った人もいますけど、目の前で大切なものを奪われても笑っていられる人間なんて居ませんわ」
少し悲しそうな。そして強い意思を感じさせる表情を浮かべている。
「紫苑さんは、その――祟りを起こして人々の怨みを晴らす仕事をなさっている――という事なんですか?」
「そう言えば善行のようにも聞こえますが、要は『殺しの手伝い』です。素手の人にナイフを渡すのと同じ事。胸を張って言える事ではありません」
私達の間にしばし沈黙が流れた。でも少しだけ安心した。こんな時に“正義”とかそんな言葉を振り翳すような人間は大概、病んでいるかこじらせた人だから。
でも――
「でも、そのおかげで私は、前を向いて歩けるようになりました」
私が答えると、
「でも、その所為で貴女は夕闇の境に立つ運命となってしまった」
少し悲しそうな表情を浮かべ、紫苑さんがそう言った。
「夕闇の――境?」
聞いた事が無い。地名か何かだろうか。立つ、というのは一体――などと考えていると、紫苑さんが重大発表の不意打ちをしてくれた。
「不本意かも知れませんが、貴女には巫術の素質があるようです。それもかなりの」
「――巫術?」
「超自然的な存在を感じ、使役する事の出来る力を、私達陰陽道に生きる者はそう呼びます」
「――陰陽道?」
初めて聞く言葉だらけでただオロオロする私に向かい、紫苑さんは話を続けた。
「貴女はこの店に入り、テーブルに紫苑の花を置きました」
何も答えず頷く。紫苑さんが続ける。
「あの時の紅茶には、ある薬が入っていたのです。一般人にかりそめの巫力を与え、普通の人にも式神が見えるようになり、『夕闇の境』に立ち入れるようになる薬が」
夕暮れ空の隠れ里。それは――
「それってもしかして、黒い板塀が続く――」
店を出た直後に居た、あの世界の事か。紫苑さんは静かに頷いた。
「あの薬は、せいぜい三十分しか効果がありません。巫力の無い只人には式神を視認する事は不可能――つまり、あの日から数日経っても、この子が見えていると言うのは、本来ありえない事なのです」
「じゃあ、つまりお化けや幽霊が見えるようになった、という事なんですか?」
これについては首を軽く捻り、
「まぁ、そういう認識で構わないのですが、見えるようになったという事はつまり、相手からも貴女が見える、という事なのです」
店までの道程で感じた、暗がりの奥で何かが蠢く感触――あれは本当に何かが居たという事なのか。額を冷や汗が伝う。
「街灯に虫が群がる様子を見た事は?」
少しの間を置いて、紫苑さんが聞いてきた。何も反応出来ずに居る私に、紫苑さんは話を続けた。
「彼らにしてみたら、あなたは暗闇に輝く灯台。森の中を彷徨い続け、やっと見つけた家の明かりなのです。誰にも気付いてもらえず、話も聞いてくれない。そんな中で、ふと貴女と目が合ったとしたら?」
真っ黒い何かがワラワラと寄って集ってくるイメージが思い浮かび、私は身を震わせた。
「助けを求めるならまだしも、飢えた獣が寄ってくる事だってあるのです」
人に蹂躙された事はあっても、人ならぬ者に蹂躙されるのは想像も付かない。よくこの店まで無事に辿り着けたものだと、思わず信仰もしていない神様に感謝したくなってくる。
そこでふと気になった事があり、私はようやく口を開いて質問をした。
「その…そんな人って今までに居たりしたんですか?」
「道端を歩いていて、目の前に旅客機が墜落してきた事は?」
溜息と共に首を振る。それほどの確率だという事なのだろう。
「そこで相談です――うちで働きませんか?」
思わぬ言葉に目を剥いて紫苑さんを見つめてしまう。
「私達は、いにしえから伝えられる術により、晴らせぬ怨みを祟りに変える事を生業としております」
古い古い術を伝え、祟りをもたらす陰陽道の使い手。それがこの人達なのか。
「貴女には陰陽師としてひと通りの事が出来るよう学んで頂くつもりです。ですが、貴女にも『祟り屋家業』を手伝えとは言いません。少なくとも自分の身を守れるようになる程度には技術を学んで頂きたいと思っております。それが――」
そこで言葉を詰まらせ――
「巻き込んでしまった我々の義務だと思っております」
紫苑さんは俯き加減に曇った表情を見せた。
「あっいえ…そんな…私が…」
何と答えて良いか分からずオロオロしていると、紫苑さんが真剣な顔つきでゆっくりと顔を上げた。
「私達は、ある目的の為にこの仕事を続けています。ですが、貴女まで巻き込むような事したくないのです。勿論お断りしても構いません。その時には身を守るお守りの様なものをお渡しさせて頂きますのでご心配なさらないで下さい」
そして、私に向かってゆっくり、軽く頭を下げる紫苑さん。
私はどう答えるか。答えは決まっている。顔を上げてください、と紫苑さんに言った勢いでそのまま自分の気持ちを伝えた。
「私のように苦しんで苦しんで…それでも報われない人達は大勢居るはずです。その人達の為に私も何か出来るというのなら――」
その人達の怨みに代わり祟るために。
「お願いします。ここで働かせて下さい。『祟り屋家業』、手伝わせて下さい」
顔を上げ、真剣に答える私。
紫苑さんは私に対し、分かりました、と言うと、
「そう言えば、まだお名前を聞いていませんでしたね。私は紫苑。葛葉紫苑です」
従業員となった私に対しても丁寧に頭を下げる紫苑さん。
「私は飯綱若葉と言います。宜しくお願い致します」
それとは対照的に勢い良く頭を下げて答える私。
「これからよろしくね、若葉さん」
優しく微笑む紫苑さんの美しさに胸がドキリとしてしまった。顔が赤くなっていくのを感じ、思わず下を向いて顔を隠す。
「では改めまして――僕は不来方相志。紫苑様の護衛役と思って下さい」
恭しく腰を曲げて礼をする相志さん。けど護衛というよりも――
「護衛ってよりメイドさんだよなぁ。身の回りの世話ぜぇんぶしてんだもんな。フリルのエプロンはどこに置いてきた?」
一つ目金魚がからかうように言った。メイドというより執事だと思うのだが、多分ワザと言っているのだろうけど、しかし――身の回り全部している、とは?
「俺の自己紹介はもう充分だろ?世界一ダンディな式神。こんぺいだ。ヨロシクな、若葉ちゃん」
こんぺいさんの言葉にクスリと笑うと、相志さんが
「世界一のオヤジ金魚、の間違いですからね――僕は若葉さん、とお呼びしても?」
と許可を求めるように聞いてきた。
「はいっ!皆さん、これからよろしくお願い致します!」
こうして、この小さなカフェで働きながら、陰陽師、祟り屋としての修行という、私の不思議な生活が始まりました。
次なるお話は飛頭蛮。首が伸びるだけの妖怪が起こす祟りとは如何なるものか。ご期待下さい。