9-4 死神
R2.10.7 ほんの少しだけ手直し。加筆と言うほどじゃないの
閉店まであと一時間ほど、という時の事でした。
「紫苑様が呼んでおりますので、しばらく店をお願いします」
と言い、相志さんがこんぺいと一緒に二階へと行ってしまいました。
『タタリアン』で働き始めて初の事に少し驚いていると、今ではすっかり常連客となった小鳥遊さんが店を訪れました。
「若葉ちゃーん、今日もケーキ食べに来たよー」
近頃は仕事の合間にもマカロンを買いに来たりしているが、時々こうして閉店少し前の『タタリアン』を訪れては、残ったケーキを目の前にズラリと並べ、平らげていく小鳥遊さん。いまではすっかり『タタリアン』の常連さんとなっています。
そんな大量に甘いものを食べて大丈夫なのかな…と聞いてみたら「アタシね、食べても太らない体質だから」なんてサラリと言われちゃいました。
食べても太らない人が居るなんてそんなの都市伝説だと思いたい…ですが小鳥遊さんは連日ケーキを食べまくっているにも関わらず、顎のラインが緩んでくる事も無く、お尻周りがぴっちりしてくるような気配も見られず、マンガでしか見た事が無いようなプロポーションを維持しながら、今日もフォーク片手に私の式神であるサンを愛でています。一方のサンはというと、小鳥遊さんがサンのお土産にと持ってきた、大好物のモンキーバナナを皮ごと食べてご満悦の様子です。
今度、みるみる肥えてゆくという妖怪『ねぶとり』で祟ってみようかな…
そんな黒い妄想をしながら頬杖をつき、真っ暗になった窓の外を眺めていると、いきなり小鳥遊さんに声を掛けられました。
「飯塚幸三の件――祟りだよね?」
こちらを睨む訳でもなく、咎めるような雰囲気でもなく、さっきと変わらぬ様子でケーキを頬張り続けている小鳥遊さん。
私は小さく頷いた後、そっと聞いてみた。
「逮捕、されちゃうんですか?…」
そんな私の心配を他所に、小鳥遊さんはフォークを振りながら、
「まっさかー。そんな事できないよ」
と笑って答えてくれた。
「だってあの爺さんね、あちこちにあるコネを総動員して、事件を無理矢理終わらせようとしてたんだからね?アタシらも逮捕出来なくて悔しい思いしてたのよ。だから」
却ってありがたいくらいよ。と言ってショートケーキのてっぺんから脇に保護していた苺を口に放り込み、幸せそうな笑みを浮かべながら教えてくれた。
「報道で知ってるとは思うけど、飯塚を轢き殺したのはこっちも元官僚の高齢者。しかもこの人には認知症の既往があったの。罪に問われる事はないでしょうけど…その人もその場に居た現役官僚による過剰な取り押さえにより死亡した疑いがあって、今も事情聴取…そのおかげで事件への現役官僚による関与が明らかになって、もう本庁も経産省も大騒ぎらしいよ?『これは祟りだ』って」
「本当に祟りなんですけど…なんか、大事になってますね」
「ホント、『ざまぁみろ』って言いたくなるよね」
二人でそんな事を話していると、背後から紫苑さんの声が聞こえた。
「OBとはいえ、この国を牛耳っていた特権階級の人間を祟ったのですから、大事にもなるでしょう」
振り向くと狩衣姿の紫苑さんが立っていた。その後ろにはパティシエ姿の相志さんが付き従っている。
「牛耳るって…そんなぁ悪の秘密結社でもあるまいし」
そんな小鳥遊さんの声に、紫苑さんはゆっくりと首を振り、続けた。
「日本という国は、上層で暮らす特権階級の人達だけが楽しく幸せに暮らせるように、庶民が安い給料で働き高い税金を払い、それを支えることで成り立っているのですよ」
話している事はトンデモナイことなのだけれど、それですらも納得せざるを得ない説得力を発揮するその声――その美貌。
「そう言われても、庶民の代表格である私達にはピンと来ないよねぇ、若葉ちゃん」
小鳥遊さんが私の方を見て同意を求めてきた。国家公務員が庶民の代表と言われてもなぁ…と思い曖昧に返答していると、
「それがこの国における“愚民政策”というものです」
紫苑さんはキッパリと言い放った。そして、
「そんな特権階級の人達が、いわゆる庶民に何を望んでるのか、分かりますか?」
慈愛に満ちたまなざしで私達を見て、問いかけてきた。私と小鳥遊さんは互いに顔を見合わせ二人で首を傾げる。すると紫苑さんは優しそうな微笑を浮かべ、
「ずっと愚かでいてくれればいい。世の中の仕組みや不公平にすら気付かず、不平や不満も言わず唯々諾々と働き続けてくれればいい。そうすれば我々は楽しく暮らせる――」
と、笑みを絶やす事無く言った。
「そんな――」
思わず言葉を無くした私だったが、小鳥遊さんがそれに異を唱えた。
「充分納得に値する言葉だけど、そんな事が何故分かるの?世間にはもっと高い志を持って上を目指す人だって…」
だが紫苑さんはゆっくりと首を振ってそれに応じた。
「魔窟に入ってなお清廉を保つ――それが出来た方を私は知りません」
「…まるで見てきたような言い方だね」
鋭い視線が紫苑さんに向けられる。だが紫苑さんは動じる事も無く、さらりと言いのけた。
「葛葉もそんな特権階級の最上位に居りましたから――父の代までは」
その言葉に、店内に少しだけ静寂が訪れた。紫苑さんの家――葛葉家は長きに渡り朝廷、政府の裏側から世間を見張り、暗躍してきた一族なのだ。この程度の後ろ暗いところなど、見飽きて欠伸がするモノなのだろう。そしてそれが過去形で語られたのは、紫苑さんの父――先代葛葉当主は、もうこの世に居ないからである。
「そっか。本当に見てきたんだ」
なら納得だね、と小鳥遊さんは言い、新しく苺とフランボワーズのムース『パルテール』にフォークを突き立て、口に運ぼうとしたところで――何かに気付き、ちょっと待って、と声を上げた。
「じゃあさ、その特権階級のお偉方の中にはアンタ達の仕業だって――」
その問いに静かに頷く紫苑さん。
「えぇ。数人は本当に“葛葉の祟り”だと気付いているでしょう」
「平気なのかい?その…報復とかさ?」
心配そうにそう尋ねる小鳥遊さんに対し、紫苑さんは笑みを崩さぬまま答えた。
「他人事なので気にしないと思います。それに――己の全てが危うくなるというのに“葛葉”に向かって報復をしようなどという輩が存在するとお思いですか?」
笑っているが、つまりは『邪魔立てするなら消す』という事だ。“表”の物部、“裏”の葛葉――高度に発達した文明社会となった現在でも、陰陽師は政治――いや、この日本という国から切り離せない存在となっている。そんな相手を敵に回そうとする行為は、私から見ても正気の沙汰とは思えない。
「気付く人間は昔からの顧客達…陰陽師を敵に回す危険性は身に沁みています」
背筋も凍るような答えに小鳥遊さんも大きく感歎の溜息を吐いた。
「ところでその格好は、私を出迎えるため…じゃないよね?」
大きな口を開け、ひと口で『パルテール』を平らげ、もしゃもしゃとしながら質問する小鳥遊さん。それにしても豪快と言うか…体重を気にせず食べられるっていいなぁ。
「小鳥遊さんにはご来店頂き感謝しておりますが――生憎、大事な来客をおもてなしする必用が生じまして」
ほんの少しだけ首を傾け微笑む紫苑さん。心なしかいつもより嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。そんな様子を見て小鳥遊さんは、ふーん、とあまり気にしていない様子でケーキを食べ続けていたが、
「それってさぁ…」
と言ってほんの少しだけ怪訝そうな顔を見せ、
「店の周りに――あれって辻神の親戚か何か?目玉の親父の出来損ないみたいなのがワラワラ居たんだけど…それと関係してる?」
まだムースの付着したフォークで窓の外を指しながら尋ねた。
目玉?外に?
気が付かなかった。サンは――って小鳥遊さんの所か。繋がりを意識してみると、サンは既に気付いており、おおよその動きも把握しているようだ。そして多少緊張はしているけど、そこまで危険とは思っていない様子が伺える。私、変に嫉妬しちゃってたから気が付かなかったのかな。
そっと窓の外を窺ってみると、溶けかかったソフトクリームに目ん玉を付けた様な、物怪と呼ぶに相応しい不快な何かが店の前の敷地にワラワラと群がっていた。
一体何なのだろう?辻神とも違うようだけど…
それに対し紫苑さんは、その笑顔があればヒトの種としての原罪すらも赦されようという様な笑みを浮かべ、小鳥遊さんと、そして私を見て言った。
「巻き込んでしまったようで申し訳ありません」
次は『幕間』。
紫苑と相志を狙う刺客『長髄彦』とは?ご期待下さい。