9-2 死神
R2.10.7 修正
黄昏を過ぎて夜の帳が辺りを包み終えた頃、一人の男性客が『タタリアン』の扉を開きました。
「いらっしゃいませ」
「あの――」
入口の前に立ち、左手に握った紫色のスターチスの花を所在無さげに胸元に掲げる男性。肩で荒く息をして、花を握る手は擦り切れて所々血が滲んでいました。けれどそれだけに必死な様子が伺えます。
「そちらへどうぞ。お疲れでしょうからひと息ついて下さい」
私はお客様の背中を軽く押してイートインコーナーの席へと促した。
「只今お飲み物をお持ちしますね」
そう言って店の奥に戻り、こんぺいさんを呼んだ。男性の顔を見るとこんぺいさんは、
「おっ?こいつぁ…」
と、見知った様な反応を見せていた。
「どうしたんですか??」
「元官僚だかにカミさんと娘を轢き殺されて、記者会見開いた兄ちゃんじゃねぇか」
「よく覚えてますね」
「若葉ちゃんもワイドショーはよく見ておきな。何処に仕事のタネが転がっているか、分かんねぇからな」
仕事のタネと言われても、営業して廻っている訳じゃないんだけどな…と思っていると、相志さんがこんぺいさんに釘を刺した。
「要するにテレビばかり見ていると言う事だろ。威張るようなことじゃないぞ」
そんな嗜める相志さんの言葉をへいへい、と軽き聞き流し、こんぺいさんは『怨みの記憶』を確認するために男性の元へと向かった。
ふよふよと泳いでいく後ろ姿を見送りながら、ですが――と相志さんが続けた。
「こんぺいの言うとおりで間違いないでしょうね。若葉さん、お願いできますか?」
そう言って私に『夕鈴見の粉』を溶いた紅茶を差し出してきた。愚痴りながらも認めているという事なのだろう。私がはい、と答え受け取ると、相志さんはお願いします、と言って二階へと上がって行った。
そうしていると、こんぺいさんが記憶の確認を終えて戻ってきた。
「間違い無ぇ。元官僚の爺さんに妻子を轢き殺されてる。その上、いまだに謝罪も何もなしで病院に引き篭もってるんだってよ。ホントにクソみてぇな爺だな」
「じゃあ後は私が引き受けるから、こんぺいさんは『夕闇の境』へお願いしますね」
私がこんぺいさんに言うと、
「任せとけ。サンも一緒に来るか?」
と、こんぺいさんが後輩でもあるサンに声を掛けた。
「いくっ!」
こんぺいのお誘いに尻尾を振って喜ぶサン。二匹揃って厨房の猫用ドアから出て行ってしまった。仲が良いのは喜ばしい事だけど――ママちょっと寂しいです。
さて。私も自分の務めを果たさなきゃ。
「お待たせしました」
テーブルに紅茶を置く為に身を屈めた時、小声で、
「それを飲んで十分経ちましたら、店を出てください。外で案内役がお待ちしています」
と伝えてみた。
閉店まではまだ時間があるし、何も言わずにそれまで待たせるのも可哀想に思えたからだ。さすがに熱い紅茶を一気飲みこそはしなかったが、それでも努めて早く飲んでしまおうと言う気配が伺えた。
ゆっくりと『夕鈴見の粉』が溶けた紅茶を飲み、そして男性は店の扉から『夕闇の境』へと踏み込んでいった。
店の明かりを落とし、狩衣に着替えて二階に上がる。黒塗りの障子をぞろりと開け、薄暗く広い畳の部屋に入ると、そこは『夕闇の境』にある『祟り庵』だ。
障子を開けてすぐの所に相志さんが正座している。
そしてその奥。私と色違いな薄紫色の狩衣を纏い、蝋燭の灯りに照らされて障子の前に座る紫苑さんが見える。
私が座るのと同じタイミングで、障子の向こう――『祟り』を依頼する部屋の障子が開いた音が聞こえた。
「お客様をお連れ致しました」
下の方からこんぺいの声がする。
「妻と子の命を理不尽に奪われたものの、その仇は罪にも問われていないその悔しさに泣き叫ぶ魂の持ち主よ」
紫苑さんが依頼人へと呼びかける。“全て知っている。安心して怨みを預けろ”と。
「我々、闇の陰陽師が、貴方のその怨み――祟りと成しましょう」
いつもと変わらぬやり取り。サンは横で控えているようだ。
「あなたが…『祟り屋』さんですか?」
勿論、紫苑さんは応えない。けれど依頼人の話は続いた。
「妻と娘は…高齢ドライバーの暴走事故に巻き込まれて、亡くなりました。けれど、その轢いた相手は元官僚で、天下りもして、勲章まで貰っている様な、偉い人らしくて…でも、何人も轢き殺しておきながら、それでも逮捕すらされなくて…勿論謝罪もありません」
依頼人が椅子から勢い良く立ち上がった。
「偉い人は、人を殺しても守って貰えるんですか!怪我人の救助もせず!罪を認めず保身に走る様な人でなしが偉いんですか?!妻と娘の命は――無視される位にちっぽけなものなんですかっ?!」
記者会見では言えなかった本音。大切な人を奪われ、それを軽んじられる――無念。
違う、そうじゃない、と答えてあげたい。けれど、彼が求めているものは――それじゃない。
「お願いします!妻と娘の…私の怨みをっ…!」
地面に膝を付き、嗚咽を溢す依頼人の男性。
紫苑さんが形代を飛ばす。白い形代はすいと流れるように飛び、依頼人の目の前で停止した。
「その形代に、貴方の血を頂きます」
涙に濡れた顔を上げる男性。目の前には形代が浮いている。
「…わかりました」
男性は血だらけの拳を形代に押しあてた。自らの怨みを、無念を込めるかのように。
血で濡れた形代が宙を舞い紫苑さんの手元へと戻ってくる。
「貴方の身体に流れるその怨み――ここに頂きました。この形代が貴女の血と怨みを受け継ぎ、祟りとなるのです」
これで怨みは陰陽師へと引き継がれた。後は――私達が祟るだけ。依頼人の男性が、大きく息を吐く。
「それではこの祟り――存分に味わって頂くとしましょう」
そして依頼人の男性は丁寧に頭を下げ『祟り庵』を後にした。
「では参りましょう。『鬼哭の辻』へ」
黒い板塀の路地を抜け、荒れ野の路を行く。
名も知らぬ背の高い草に埋もれる、首の欠けた地蔵を通り過ぎるとやがて現れるのが、私達が妖怪を呼び出す為に使っている『鬼哭の辻』だ。
「紫苑様、今日は何をお使いに?」
パティシエ姿の相志さんが紫苑さんに声をかける。
「えぇ。『絵本百物語 巻第一』をお願い」
紫苑さんの言葉を受け、相志さんが辻の中央に和綴じの古書『絵本百物語』を置いた。その周り、十字路の中央へ輪を描くように蝋燭を立てる。
そしてこんぺいがふよふよと近付き、その口から細い炎を吐いて蝋燭に火を灯す。
紫苑さんは左手に骨鈴を持ち、辻の真ん中に並べられた蝋燭の輪に近付く。
左手の骨鈴を軽く振ると、骨同士のぶつかり合うカラカラという寂しげな音が周囲に響いた。
「双盃の左 塵玉の右 天を地と成す 逆撫の社」
唱えながら、左足の草履をたんたんと踏み鳴らす紫苑さん。右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ。
「黄幡の御座は地に伏して 歳破の兵主は我が前に集う」
その言葉に応じるように、四辻の草むらから草履を履いた黒い足首――凶事の塊である辻神が現れる。ざりざりと地面を歩き、地面に立てられた蝋燭の前にそれぞれ足を揃えて並ぶ。
そして紫苑さんが呪文を唱える。
「逢魔が時より出るモノ
誰そ彼に横たわる形無き理の貌かおよ来たれ
絵姿に寄りてここに現れよ
怨みを糧に踊り出で怪異きを為せ」
『絵本百物語』の頁がひとりでにパラパラとめくれ、ピタリと止まった。
部屋の中には長櫃。証文らしきものが溢れんばかりに収納されている。ここは、さぞ繁盛している大店なのだろう。
そんな家の縁側に――
不吉なモノがいる。
所々歯の欠けた、骸骨を思わせる風貌の男が外に立ち、家の奥に居るであろう者にその両手をひらひらと向けている。
はやくこっちに来い――と呼んでいる。
その不吉な手招きは何処へ誘うものか。知る由は無いが――想像には難くない。
そんな絵が描かれている。
紫苑さんが狩衣の胸元に右手を差し込む。抜き出された指の間には依頼人の血を受けた形代があった。
「怪威招来――死神!」
その言葉と共に、紫苑は円の中に形代を飛ばし入れた。
すると、呼応するように黒い足首、『辻神』達も囲いの中へ我先にと足を踏み入れてゆく。
途端、辻神達が血の付いた形代へと渦を巻いて吸い込まれていった。そして全ての辻神が吸い込まれた途端、円を作るように置いていた蝋燭の火が火柱となって吹き上がった。そしてそれは渦を巻き、巨大な焔の竜巻と化した。
炎熱と轟音が掻き消え、煙と土埃が残された『鬼哭の辻』に何かがいる。
黒いスーツを着た美少年が一人、其処に立っていた。
ポケットに両手を入れ、堂々と胸を張りこちらに顔を向けている。
この子が――死神?
幼い身なりの筈なのに、子供らしくない顔立ちの歪な美少年。
その黒い大きな瞳を見つめていると、どこか安心できるような――そのまま深く沈んで行きたくなる様な…
その時、強い力で肩を掴まれぐいと引き戻された。見上げると、見慣れたイケメンマスクがそこにあった。
「大丈夫ですか?若葉さん」
その直後、氷の張った水の中から一気に引き揚げられたような悪寒に襲われた。
「惹き込まれそうになっていましたよ」
「――なんだったんです?今のって…」
「死神に魅入られたものは必ず不慮の死を遂げる。と言われていますが、正確に言えば間違いなのです。生者の方が、死から目が離せなくなる。死が避けられないのと同じです」
死は近付いて来るのではない。私達が近付いてゆくだけ。という事か。
「けど巫力の高い若葉さんならば、多少気を張っていれば問題ないですよ」
相志さんにそう言われ、ふんっと気合を入れながら再び死神へと目を向けると――
美少年はそこに居らず、代わりに同じ様なスーツを着た、黒髪の紳士がそこに立っていた。
そして背後には――頭が割れ、千切れた腕を反対の腕で携えた、おそらくは交通事故の犠牲となったのであろう人達の姿が浮かび上がっていた。その中には、依頼主である男性が記者会見で公開した写真の面影を部分的に残した、妻とその子供の姿も浮かんで見える。
「不慮の死とはいつだって気まぐれですが、それに理由をつけて納得できる形にしたのが死神です。海外だと“死神”として骸骨姿に大鎌を持つイメージがありますけど、本邦ではそこまでの確固としたイメージはありません。純粋な禍つ。最悪の辻神――とでも言い換えれば分かり易いですかね」
そう説明してくれる相志さんの額には大粒の汗が流れていた。相志さんも耐えているのだろう。私や紫苑さんのように充分な巫力を持たない相志さんには、これだけ近距離で死神の特性に抗うのは大変なのだろう。
「多少時間は掛かりますが、相手に恐怖を植え付けながら始末する、という点においてはベストな妖怪です」
今度は車椅子に座り、白髪を丁寧に束ねた老紳士の姿をした――死神は紫苑さんへ丁寧に頭を下げると、その背後に犠牲者を従えて夕闇の荒れ野を遠ざかって行った。
その背中を静かに見送りながら、紫苑さんが呟いた。
「祟り――ここに成されたり」




