8-1 鉄鼠
「あらま桜舘さん――またサボりですか?」
証拠物件管理室の扉を開けると、担当の黒磯が私を見てヤレヤレといった様子で声をかけてきた。
「眠くて仕方ないんですよね。ここが一番静かですし、滅多に人も来ませんからね。黒磯さんは、相変わらずゲームですか?」
私がそう応じると、黒磯はバツが悪そうに笑いながら、机の下に隠していたスマホを取り出してゲームの続きを始めた。
「私が留守番していますから、黒磯さんも一服してきてはいかがですか?どうせ誰も来ないのだし」
そう言って笑いかけると黒磯は嬉しそうに、
「あぁ、助かります。丁度小腹が空いていたんですよ。滅多に人が来ないとはいえ、席を外すわけにも行かなかったので――じゃ」
と言い、ニコニコしながらそそくさと立ち去っていった。その背中にごゆっくり、と声をかける。
「…さて。これで」
黒磯は一服と言って出て行ったがいつも一時間は帰って来ない。
これでゆっくりと調べものができる。
初めは些細な違和感だった。
二課――組織犯罪対策課の成績が急に良くなった、という事だ。
拳銃の押収数が急激に伸びている。
その時はやり手の捜査員が配属されたのだろうと思ったのだが――その好成績が続いているという事が疑問なのだ。
拳銃なんていうものには勿論、旬の時期も無ければ豊作も無い。つまり出るか出ないかは、摘発される側の都合に因るところが大きく、そうなると安定して収穫できる代物ではない。
それが月に3~4丁は必ずどこかしらから押収している。しかも押収される拳銃は決まって首無し――所謂、所有者不明の拳銃がその殆どを占めている。曰く――
――駅のコインロッカーに入っていた。
――放置されたゴミの中から発見された。
明らかに不自然だとは思うのだが、上はその過程に興味は持たない。結果さえ出せば事足りる。
違和感を感じた私は、今は現役を退いて“一般人”となったある組織の元幹部に聞いてみた。すると、知らなかったのかと逆に驚かれ、挙句、
「桜さんでもこれは手を出しちゃいけねぇよ。今の二課はもうヤクザ以上の悪だよ」
と忠告までされてしまった。
だがここで引き下がる訳には行かない。枝が腐っているのなら取り除かねば、いずれその木は全体が腐ってしまう。それが自分の職場、警察という組織であるならば尚更だ。
そうして私は昼行灯という立ち位置と、長年の現場で育んだ表裏に通じる顔を有効的に使い、それを知る事ができた。
その実態は――
二課は拳銃を暴力団から融通してもらい、その見返りとして麻薬の密売に目を瞑り、時には手を貸している。
正確には、暴力団が自分達の麻薬取引、つまり外国籍の船舶が密輸してくる情報を二課に流す。そして二課がそれを摘発・押収するのだが、その大半は暴力団へ横流ししているのだ。
つまり暴力団は相場よりはるかに安く、安全に麻薬を入手する事が出来、二課は必用な時に必用なだけ拳銃を準備できる上、麻薬の摘発という成績も上げられる。
――最悪のマッチポンプだ。
私は急ぎ署長へとこの件を報告した。
署長は大いにショックを受けたようで、フラフラになりながらも「挙げられるだけの確実な証拠はあるのか」と問うてきたので、
「あります」
と答えた。
拳銃の売買についての証拠は発見出来なかったが、押収された麻薬の量と保管してある麻薬の量に大きな差がある事は突き止める事が出来たのだ。
発覚しないという自信の表れでもあるのだろう。なんとも杜撰な管理と隠蔽だった。いや、隠蔽しようという気すら無いようにも思えた。
署長は「慎重に対応する必要がある。いいか、誰も信じるな。誰にも漏らすな。必ず私がなんとかする」と言ってくれた。
「押収された麻薬の量から見て、近く取引が行われる可能性が高いんですよね。その日が分かり次第、隣県の麻薬取締官への応援を要請出来るようお願いしますね」
私は署長にそう告げ、署を後にした。
これで桜の御紋へ最後のご奉公が出来る。安心しきってそう思っていたのだが――
その日の夜、帰り道で後ろから声をかけられた。
「桜舘さん…もう終わりにして貰えませんか」
背中に固い物が押し付けられ、カチリと撃鉄の上がる音が聞こえた。
「そうですか――そこまで拡がっていたんですね」
大きく溜息を吐く。だが私を害そうとしている彼には興味の無い事のようだった。
「損をしている人なんて誰も居ないんですよ?むしろみんな喜んでいるんです」
彼の独善的な説得は続いた。
「俺達が拳銃を買い上げ、麻薬の量を管理する事で街の平和は保たれているのです。分かるでしょう?」
「それが違法であるとしてもですか?警察官としての矜持は何処へ行ったのですかね」
プライドに障るように言ったつもりだったが、最早そんなものは持ち合わせていないようだった。
「たった一言…ほら、いつもみたいに『忘れちゃいましたね』なんて言ってくれたら、全てが丸く――」
斜め後ろに一歩下がり、相手の後ろ襟を掴み上げると同時に足を払い、顔面から道路に叩き付ける。間髪いれずに握ったままの拳銃を掴んで指ごと捻りあげ、指の折れる感触と悲鳴が響く中、銃を奪い取った。
「爺と思って甘く見たね。まだまだ若い者には負けないよ」
そのまま背後から襟首を掴み立ち上がらせ、背中を蹴り飛ばし、言ってやった。
「もう充分なネタは掴んでんだ。自首するのなら明日のうちですよ――って署長に伝えておきなさい、黒磯君」
私を襲撃した彼は振り返りもせず、一目散に走り去っていった。
枝が腐っているのかと思ったら――幹まで腐っていたのか。
しかし、あぁやって啖呵を切ったものの、こちらは確実に有罪まで持ち込めるような証拠は揃っていないのが現状だ。つまり、証拠を持って隣県の警察署に駆け込む、などという真似はできない。それに隣県まで力が及んでいないという保証も無い。
これは――私も腹を括らなければならないようだ。
そして翌日。出勤はせず朝から風呂に入り、世話になった人達に頭を下げて回った。
小鳥遊さんには悪い事をしたと思うが、私とは無関係という事が知れれば、累が及ぶ事は無いだろう。
そうしてあちこちを回りゆっくりと家に帰った私は、一瞬で床に引き倒された。
二三回腹を蹴られ、手足を結束バンドのようなもので後ろ手に固定された上で布袋を被せられる。なんとも手際の良い慣れた仕事だ。
「これが最後だ。証拠は何処に隠した?」
そのまま床に転がされていると男の声が聞こえた。この声は覚えている。
「随分な歓迎ですね、二課の青木君」
名前を言われ、怯んだ様子が感じ取れる。その他にも特徴的な息遣いの音も聞こえる。
「二課の桂浜課長もいらっしゃいますね?お久しぶりです」
声も上げずに名前を言い当てられ、動揺しているようだ。
「おいっ!何故バレてるんだ?見えてるんじゃないだろうなっ?!」
「知りませんよ、そんなの…」
課長ともう一人が小声で話し合っているのが聞こえてくる。
「黒磯さんは指、大丈夫ですか?」
「えっ?!あっいやっ…」
「署長は料亭で結果待ちってところでしょうかね?」
桂浜課長と黒磯の慌てふためく様子を聞いていると、腹を思い切り蹴り付けられた。苦しさに背中を丸めて呻いていると、ネクタイを掴み上げられ首を持ち上げられる。この力強さは青木君だろう。
「もう一回だけ聞くぞ。証拠はどこに隠してある!?」
膝立ちの姿勢なのでまだ首が絞まるまでには至っていない。けれども腹部の痛みで自然に丸まりたがっている背中のせいで、軽く首が絞まっている。
「ありません…いえ、正確には『銃の取引で有罪に持ち込めるだけの証拠』はありませんが、麻薬については…ですがこれもちょっと弱いですかねぇ」
「だから何処だって聞いてんだろぉが!」
更にネクタイが引き上げられ、さらに首が締め上げられる。顔面が破裂しそうな苦しさだ。
「ぶ…仏壇の…引きだ…」
少しして、黒磯の「ありました」という声と同時に、私を吊り上げていた力が解放された。床に転がったままで豚のような声を上げながら空気を貪るしかできない。
「おい、そのまま押さえろ――やるぞ」
青木君が課長に命令しているようだ。そうか、主犯は君だったのか。
けれど、私にはもはや為す術は無い。奇跡なんて訪れる筈も無い。
仰向けに転がされ、そのまま特徴のある息遣いが私の身体にどしりと座り込んだ。
「桜舘君。君には俺達の為に死んで貰うよ」
「…桂浜課長のためですか?そいつは御免ですね」
「管理が手抜きだった事は認めよう。なのでお前の他にも勘付いてる奴が居るかもしれない。君は――」
その時、肘の裏に小さな痛みが走った。
「俺達の罪を被って死んでくれ」
抵抗する暇も無く、左腕から全身へと冷たい感覚が広がってくる。これはまさか――
「麻薬の所持と密売、及び使用と銃刀法違反の容疑で――死刑だ。桜舘」
近くなのに遠くから、青木君の声が聞こえる。
あぁ――あのケーキ屋。一緒に行きたかったですねぇ、小鳥遊さん。
出勤した私を待ち受けていたのは、暴力団と見まごうような二課の方々だった。
私の相棒である桜舘さんが麻薬の密売に手を染めていた上、自身も常習的に乱用していた。そして今朝、自宅で桜舘さんの遺体が発見された上、部屋からは薬物と所有者不明の拳銃が発見されたと聞かされ、私はショックを受ける間も与えられず身柄を拘束された。
コンビを組んでいた私は、重要参考人として二課の刑事達から取調べを受けた。
桜舘から何か受け取って居ないか?――
何か他の課に関する話を聞いたり聞かれた事は?――
要点を絞ればこの二つ。それを手を変え品を変え、引っ掛けに誘導――まるで私が桜舘さんから何か重要なものを預けられているかのように。
だが私は正直に答え続けた。サボりと称して何かを調べていたような事。手伝おうとしたが十年早いと追い返され続けた事を。
同僚だから、という手加減も無く厳しい取調べを連日受け続け、ようやく自宅に帰って来た私を出迎えたのは――まるで嵐が過ぎ去ったかのような、荒れ放題の部屋だった。
本棚の中身は全て持ち去られ、ご丁寧に生理用品や下着までも切り刻まれて中を確認されている。ここまでされると、もう悲しいとか恥ずかしいという気持ちすら湧いてこない。
結局、替えの下着を買いに再び街まで出なければならなかった。だが自家用車で出かけようにも車は押収されており、まだ帰ってこない。かといってバスや電車で雑踏に揉まれる気にもなれず、仕方なく歩いて出かけることにした。
桜舘さんが麻薬の密売と使用だって?
しかも薬物の濫用で死んだだって?
今でも信じられないが、取調べ中に見せられた写真は確かに桜舘さんだった。
だが警察が、同じ警官の死を捏造なんてする筈が無い。
気になるのは――私に教えず一人で捜査していた何か。でもそのヒントすら残さず、桜舘さんは死んでしまった。
私はそんなに頼りない存在だったのだろうか?二人で捜査していたら、こんな事にはならなかったのではないだろうか。
今となっては答えを知り様も無いけれど。せめて――
相談くらいはして欲しかったな。
そんな事を考えながら歩いていると、見慣れた店が目に入った。
ひと段落したら一緒に来ようと約束していたっけ。
あの店に行けば桜舘さんが待っているような。
そんな気がして――
私は『カフェ タタリアン』の扉を開いた。




