7-4 川赤子
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「すいません、お忙しい所を失礼します」
朝早く、開店準備中の『カフェ タタリアン』を訪れた。準備中、しかも自分達を疑う警官の訪問だ。嫌な顔をされるのが当然だと思っていたのだが――
「いらっしゃいませ、小鳥遊さん。今日は『ジャルダン・フリュイ』がお薦めですよ。お昼のデザートにどうですか?」
店員の飯綱さんに笑顔で出迎えられてしまった。
「い、いえ…今日は仕事で伺いましたので」
笑顔で出迎えられるとは想定外だった。そもそも準備中ではないのか。と言うか常連客扱いされているような気がするのだけれど。
気を取り直して私は仕事の顔に戻り、懐から一枚の写真を取り出して飯綱さんに見せた。
「こちらの写真の方に見覚えはありませんか?」
飯綱さんは写真を覗き込み、勿論覚えていますよと言った様子で答えてくれた。
「歩くのもやっとと言った様子で、閉店間際にご来店されました。確か…五日前だったと思います。雨の夜に傘も指さずに来店されまして…何か温かいものを、という事だったので、温かいミルクでココアをお出ししました」
別件で何度も質問されているので、こちらの聞きたい事は把握していると言った様子で応じてくれる。成程、印象深い来店客ではあったようだ。スラスラ答えるのにも頷ける。
「…何か変わった様子は?」
「かなり顔色が悪かったですよ。相志さんが奥から心配そうにしていました。その後は閉店ギリギリまでお休みになられていましたけど――」
目撃情報ではこちら方面に向かっていた、という情報から、もしやと思い聞いてみたのだが、やはりこの店に立ち寄っていたのか。
「――その後は?」
「もう大丈夫だから、と歩いてお帰りになられましたが…」
そもそも彼女の家とこの店は方向が逆なのだ。わざわざ立ち寄った、という事は何かしらの理由がある筈なのだ。
「彼女は何か言っていませんでしたか?」
「いえ、特に。お話できるほどお元気なご様子ではなかったので…」
「彼女は閉店時間までこの店で休んでいたという事で、間違いありませんね?」
防犯カメラの映像に映る彼女の時間とも、およそ一致する。偽証は無いだろう。
「はい…でもどうしてですか?」
何食わぬ顔で聞いてくる飯綱さん――白々しい。
「亡くなっていたんです」
知っている癖に、と思いながらも答えたが、その反応は私の想定していたものとはかけ離れていた。飯綱若葉は私の答えに顔を蒼白くして愕然とした表情を浮かべていた。
「えっ――そんな…」
職業柄、人の表情を読み取るのは得意だが、この顔は本当に知らなかったとしか思えない様子だった。
「どうして…何で…?」
膝から力が抜ける様に、その場に座り込んでしまう。まさか――本当に知らなかったというのか?
立ち上がれず小さく震える彼女の様子を見かね、店の奥からオーナーの不来方さんが出てくると、飯綱さんを店の奥へ連れていった。
「すいません。少しショックが強すぎたようですね」
店の奥から戻ってくると、私の発言を咎めるふうも無く爽やかに答える不来方さん。
「…申し訳ありません」
本来、さっきのような事件の情報は一般市民へ軽々しく伝えて良いものではない。ましてや、今回のケースのような不可解な事件については尚更だ。だが私は敢えてそれを伝えたのだ。
この人達が犯人であると狙いをつけて。
だが先程の取り乱し様は本当に知らなかった、想像もしていなくてショックを受けた者の反応だ。
ならばこれは――本当に私の勘違いなのだろうか。
「しかし、よくこの店に立ち寄られた事が分かりましたね」
文句の一つも言われるだろうかと覚悟したが、何事も無かったかのように尋ねてくる不来方さん。
「彼女の部屋にこれが落ちていたんです。もしかして、と思いまして」
そう言って取り出したのは、ビニール袋に入れられた紫苑の花だ。現場の部屋で私が見つけ、こっそり回収したものだ。
「うちの花壇から摘まれたのでしょうね。この時期にも咲かせているのはウチくらいでしょうから」
笑顔を崩さずに応対する不来方さん。だが従業員にショックを与えてしまった事で、私への心象はよろしくないだろう。
「お忙しいところをこんな事になってしまい、申し訳ありません」
素直に非を認め、頭を下げて謝罪する。
「いえいえ、お気になさらず。お仕事なんですから」
人当たりの良い笑顔で応じる不来方さん。傍から見れば、気配りも出来て仕事もこなせる、優しい素敵なイケメンさん。なのだろうが、私には『興味がないから優しいだけ』としか感じられないのは、多少の僻みも入っているかもしれない。
私はもう一度謝罪すると、足早に『タタリアン』を後にした。
車の運転席に座り、大きく溜息をつく。
殺しに関わっている人間が、あの様に初心な反応を見せられるだろうか。先程の飯綱若葉の反応は、正真正銘の『死ぬとは思っていなかった』という反応だ。
視点を変える必要があるのだろうか。そう、例えば――あの店は目印として利用されているだけで、全く別の、本当の殺人依頼を受ける輩が存在するとか…もしそうなら、私が今までしてきた行為は――
「行き詰ったみたいですね、小鳥遊さん」
助手席から声をかけられた。
車の中で私を待っていた、相棒にして大先輩の桜舘慶造刑事が声をかけてきたのだ。課の中で唯一『小鳥ちゃん』ではなく『小鳥遊さん』と呼んでくれる稀有な人だ。
「予想が…外れていたみたいでして」
私がそう言うと、そういう事もありますよ。と優しく言ったあと、それはそうと、と、
「せっかくケーキ屋に来たのにお土産は無いのですか?」
茶目っ気たっぷりにオネダリをしてくる桜舘さん。
「えっ…あっ!すいません!せっかく寄らせてもらったのに…」
「爺だってチョコレートやマカロンは好きなんですよ?」
「いや、あの…準備中だったので」
不来方さんは準備中であろうとも嫌な顔をせず売ってくれそうだし、いっそのこと『タタリアン』に戻って買ってこようかと思ったが、飯綱さんにショックを与えてしまった後なので、どうにも入り辛い。素直に準備中である事を伝えると、
「じゃあ今度お願いしますね。どうも年寄りが一人であんな店に入るとね、こう…いつも『プレゼント用ですか?』って聞かれるんですねぇ。…どうせこんな爺さんには可愛いスイーツなんて似合いませんからね」
と言って、申し訳無さそうに禿頭を撫で上げている。
「じゃあ今度一緒に食べに来ましょうか?ここ、お店の中で食べられるんですよ」
他の同僚とは食事だって遠慮したいところだが、桜舘さんなら話は別だ。
「おぉ、爺が孫娘に連れられて、ですね」
まんざらでも無さそうに顔を綻ばせる桜舘さん。喜んでくれている。
「桜舘さんが退職なさっても、また連れてきてあげますからね」
私がそう言うと桜舘さんは、それは楽しみですね、と笑っていた。
二〇代の男女が自宅内で死亡していた事件。男性の方は浴室で。女性の方はベッドの上で亡くなっていたのだが、死因は二人とも『溺死』。しかも司法解剖で被害者二人の肺からは“川の水”が検出されていた。
つまり、川の水を家まで運んで溺死させたのか、川で溺死させた上で自宅に運んだのか。普通に考えればそういう事になる。だがその手間をかける理由が分からない。それを調べるためにも川辺で遺留品の捜索をする事になっている。『タタリアン』に寄ったのは捜索現場に向かう途中での事だった。
「小鳥遊さん、また現場の方――お願いして貰っていいですかね?」
だが、私の相棒であるこの老刑事は最近、普段の仕事を私に任せていつも何処かに行こうとしている。この人は随分と前から自分独りだけで何やら調べ物をしているようなのだ。
「えぇ、それは勿論構いませんけど…いい加減教えてくださいよ。一人で何を調べているんですか?」
課の最古参でもある上に物腰も穏やかな桜舘さんなので、署内では多少の自由な振舞いも大目に見られている。出動の時に昼寝をしていても、誰に咎められる事もない。これ幸いにと本人は昼行灯を装いながら、ひたすらに何かを調べているのだ。だがそれで一体何を調べているのか。それについては――
「小鳥さんには四十年早いですね」
こうしていつも通り、のんびりした口調ではぐらかされている。不満そうに口元を歪める私を見て桜舘さんは、
「知ってしまったら引き返せない事だってあるんですからね」
と言い、適当な所で車を停めさせて降りると、
「じゃあ、私はいつも通り“お昼寝”してるっていう事で、お願いしますね」
と笑いかけてきた。
何を調べているのかは分からないが、退職を間近に控え、心残りを片付けたいのだろうと思いながら、小さな背中を見送った。
自らの胎児を使って祟りを依頼した『川赤子』の女性。だがその女性までも一緒に死んでいた、と小鳥遊刑事に聞かされた。
衝撃を受け、床に座り込んでしまった所を相志さんに奥まで運ばれ、「そのまま少し休んで居てください」とソファに寝かせられた。相志さんは店へと戻って小鳥遊刑事の相手をしている。
サンは何も言わずに私の傍で丸くなって休んでいる。
「なんで、依頼人まで死んじゃったんですか…?」
こんぺいさんが泳いでくる気配を感じたので、腕で顔を覆ったまま尋ねた。
「若葉ちゃんには言わなかったんだけどよ。俺が『怨みの記憶』を覗いて確認した、怨んでいる相手は二人だったんだ」
「二人って…まさか」
顔を覆った腕を除け、上半身を起こして問い質す。
「そうさ。彼氏と――自分自身だ」
そんな――彼女は堕胎した胎児を使って、相手の男と自分。つまり子供の両親を祟ったというのか。
何も言えずにいると、こんぺいさんが続けて話し出した。
「あのギャルが言ってただろ――『この決断に関わった全てを赦す訳にはいかない』って。あれには自分の事も含まれていたんだよ」
でも。だからって自分を祟るなんて。
「そんな…彼女は彼氏に騙されて、流されて――」
理解は出来ても納得は出来ない。その気持ちが弁護の言葉を紡ぎ出させる。
「それでも最後に決めるのは彼女だ。俺達が口を挟む余地は無ぇんだ」
だが、こんぺいさんは冷たく言い放つ。確かにそうなのだ。でも。頭では分かっていても心が追い付かない。
「紫苑さんは――そうか。だから」
最後に『本当に良いのですね』と念を押したのか。
私達が裁く訳じゃない。依頼人の怨み――祟りが相手を裁くのだ。
たとえ凶事や幸を使役していようが、そこに私達の意志が介在する事は無い。
紫苑さんはそれを弁えているからこそ、『本当にいいのか』と聞くに留めたのだ。
「きっと『祟り』を拒否したところであのギャルは男を道連れに自殺していたと思うぜ。それだけ相手と自分にも強烈な怨みを抱いていたんだからな。俺達はいつも通り、手を貸すだけなんだよ。分かるか?それだけなんだ」
こんぺいさんが静かに語る。そうだ。こんぺいさんはあの時逡巡するような素振りを見せていた。
「喜んで人を殺したい奴なんざ、葛葉にゃ居ねぇよ、若葉ちゃん」
説くように力強く、でも気遣うように言ってくれるこんぺいさん。
「ごめんなさい…」
「いや、俺の方こそ黙っていて済まなかった…テレビドラマに夢中ですっかり忘れてたわ」
気を紛らわせようと適当な事を言って笑わせようとしているのだろう。実際にクスリと笑ってしまったのだけれど。
でも――
「でも…だからって自分を祟る事は無かったと思うんです」
それでも私はそう思いたい。彼女も本当は誰かに赦してもらいたかったのかも知れないけれど。それが出来るのはもう――神か仏だけだ。
こんぺいさんは何も言わず、ただ室内をぷかぷか浮いていたが、ポツリと「けどよぉ――」と言い、私に尾びれを向け、
「せめて祟りでも――自分の子供を抱き締められたんだ。それだけでも、良かったんじゃあねぇか?」
と言って、また厨房へと泳いでいってしまった。
『川赤子』の求めた怨みと愛情は満たされたのだろうか。
せめて礼夢さんは愛情を以て殺されたのだと思いたい。
それでも――やはり悲しい事だとは思うけど。
そういえば、彼女は何故『血の代償』を知っていたのだろう――?
次なるお話は『鉄鼠』。自らを正義と信じて魔道に堕ちた男を蝕み齧る祟りとは如何なるものか。ご期待下さい。




