1-3 絡新婦
R2.10.2 内容に若干の修正あり
薄暗く広いマンションの一室に若い男が4人――それぞれが煙草を咥え、だが煙草とは少し違った甘ったるい匂いのする煙を吐き出しながら気だるそうに、それぞれが勝手に愚痴をこぼしていた。床には女性モノの汚れた下着やビールの空き缶、真っ当な用途だとは思えない細い注射器などが散乱していたが、男達に誰も気にした様子は見られなかった。
「ねぇねぇ、今日は女の子居ないの?つまんないからナンパでもして来いよぉー蓮んー」
ソファにだらりと寝転がる金髪の若い男は、テーブルの上に寝そべって必死にスマホを弄る、おそらくこの中では一番若いであろう男に声をかけた。
「嫌ッスめんろくせぇ。それに連れて来ても大河はんがすぐ壊しちまうひ。文句言うなら大河さんに言っへよね。それに俺は今イベント中なの。忙ひいの」
蓮と呼ばれたその男は呂律の回らない口でそう言いながら、ドア近くの床で寝転がっている、大河と呼ばれた巨漢へと空になったビール缶を投げ付けた。
巨漢は空き缶を頭に受けても起き上がることなく咥えタバコのままで天井を眺めている。
「女遊びなんて壊してナンボだろぉ。それより、俺のハッピーターンの在庫切れたんだけど、食ったのお前だろ、涼」
そしてぼぉっと天井を見上げながら、咥えタバコを指で摘むと大河は、涼と呼ばれた金髪の男に向けて指で弾き飛ばした。
「あつっ!っぶねぇな…てかお前ハッピーターン好きだって言うけど、お前いつも粉だけ舐め取って煎餅捨ててる外道じゃねぇか。メーカーの人に謝れ、死んで詫びろ。煎餅にプロテインかけて食ってりゃいいだろてめぇどうせ味わかんねぇだろいや食ったの俺だけどさ」
そんな大河に勢い良く捲し立てる涼。さらりと自分の犯行を暴露してはケケケと笑っていた。
そんな3人の低俗な争いを苛立たしそうな眼で見る、一際高級そうなソファにもたれる――おそらくこの中では一番若いであろう優男がゆっくりと立ち上がった。
「いい加減にしろよお前等…そんなに女ぁ欲しかったら手前で準備してみやがれってんだ。金も女もクスリも――全部俺がお前等に恵んでやってんだろが…文句あんの?」
「あ…サーセン皇帝さん…」
皇帝、と呼ばれた男の喝に、即尻尾を巻いて謝る金髪の男、涼。それに続き巨漢の大河も起きて姿勢を正す。スマホゲーに興じる蓮も一時その手を止め、それぞれが皇帝に詫びを入れていた。
皇帝、と呼ばれた男は機嫌が悪かった。
女で遊びたかった時にその女と連絡が取れなかった。それだけの事。
しかし皇帝は自分の思い通りにならない事が嫌いだった。
小さな頃から親の金で白いモノも黒と言い、実際にそうさせてきた。
金さえあれば何だって出来る。
ただ――時々こんな事が起こる。こればかりは金の力ではどうしようもない。
だから無性に腹が立つ。
皇帝は苛立ちを抑えきれず、ガラスのローテーブルを蹴り飛ばした。ガラスが割れ、破片が飛び散ったが取り巻きの男達は片付けることもせず、ただ逆鱗に触れないようにと目を逸らしていた。
そんな時――部屋の呼び鈴が鳴った。
「誰か来たお?」
スマホから目を離さず蓮が言う。
「なになに?実は誰か呼んでたの?用意いいねぇ皇帝くん」
ソファに踏ん反り返りながら、涼が新しいビールの栓を開ける。だが皇帝はほんの僅かな違和感を感じ、スマホゲーに興じる蓮に声を掛けた。
「…蓮、お前出ろ」
煙草をふかしながら皇帝が薄笑いで蓮に声をかける。
「えーなんれ俺?」
変わらずスマホから目を離さずに応じる蓮。
「いいからとっとと行ってこい。大河にケツ掘らせるぞ」
機嫌が悪そうな顔のままで皇帝が言う。
「ったく…山場らのにぃ…」
ブツブツ文句を言いながらも腰を上げる蓮。
「その課金のカネもハッパも俺の小遣いって事ぉ忘れんなよ?」
煙草を咥えながら皇帝が意地悪げに笑う。それを見た蓮はおどけて敬礼をすると、
「あいっ!感謝しへます皇帝くん!」
と懐っこい笑顔を見せ、そして再びスマホに目を向けると玄関へと向かった。皇帝はその背を見送ると床に寝転がる巨漢、大河に声を掛けた。
「大河…スタンバっとけ」
その眼は大麻で淀んだものから冷たい色に変わっている。
「…うっす」
大河も素面に戻り、立ち上がるとドアの向こうを睨み付け始めた。
「どしたの…?皇帝くん」
その様子に涼が不安そうに皇帝へと声を掛ける。
「俺は誰も呼んでねぇ。此処に来た事あるのぁもう来る事のない女だけ――そういう事だ」
それを受けて少しだけ考え込む涼。
「…涼は捨て駒ッスね」
「あいつ近頃調子乗ってっからな。たまにゃ死んでこいっての」
皇帝がそう言って笑うと涼もそれに合わせヘラヘラと笑った。
「へいへーい、ろちらはまで…」
蓮がスマホ片手に玄関を開けると、そこには夏物のセーラー服に黒いストッキングを履いた、控えめだが可愛い女の子が立っていた。
蓮はその女の子を見て一瞬、希視感を覚えたが、その女の子が浮かべる煽情的な笑みと、違法煙草の酩酊感にかき消えた。
「おっ…あ、遊びに来たの?」
蓮がそう言うと、女の子はその場にしゃがみ込み、蓮のズボンに手を掛け脱がし始めた。
「えっ、ここでしてくらるの?ぼはぁ君みたいな子って…すんごいタイプなん…うおぁ」
今までに感じた事の無い強烈な快感が蓮の腰を駆け昇る。蓮は女の子の頭を両手でしっかりと掴み、その感触に夢中になっていた。
「遅ぇな…」
ドアの向こうを睨みながら皇帝がぼやく。
「今頃泣いて土下座してんじゃないッスか?」
涼は笑いながらもその手にバタフライナイフを握りパタパタと踊らせている。大河は何も言わずにやがて来る者を待ち受けていた。
「あああああぁぁっ!」
そこに響く蓮の悲鳴。そして駆け寄る足音。
「随分保ったッスね」
その声に涼が笑う。
「気合い入れろよ、大河――殺せ」
「うっす」
だがドアを開けて飛び出したのは、裸の下半身を血に染めた蓮だった。
「痛ぇ痛ぇ痛ぇよ!早く…死んじまうっ!」
床を転がり、絨毯を血で染めながら転げ回る蓮を踏みつける涼。
「どぉした、蓮?ちんこでも齧られたか?」
そう言って笑いながら、必死に股関を押さえる蓮の腕を蹴り飛ばす。
「齧られたんじゃねぇ!喰われたんだよ!」
泣いて叫ぶ蓮の股関には、陰茎も睾丸も付いて居なかった。
その惨状に目を奪われる三人は言葉も出ない。
「あの女が咥えて齧り取って目の前でモグモグって!だから」
早く助けて、と言おうとしたのだろう蓮の顎を涼が蹴り飛ばした。気を失う蓮。
「皇帝さん、これって…」
「――来たぞ」
涼の声を皇帝が遮った。その気配に、部屋の入り口に目を向けると――
セーラー服の小柄な女が立っていた。どこにでも居そうな、ちょっと可愛い位の娘だった。
だがその口元とセーラー服は血にまみれ、何かを咀嚼している。そしてごきゅりと喉を鳴らして何かを飲み込むと男達を見て――
ニヤリと笑った。
「大河!」
皇帝が声を掛けるその前に、巨漢の男、大河が女の前に立ち塞がっていた。
大河の巨体で女の姿が見えなくなった事へほんの少し安堵する皇帝。
「蓮の粗チンは食えても俺のはデカ過ぎて口に入らねぇぞ?」
大河の背中の筋肉が盛り上がる。女といえど気を抜いていない証拠だ。
「殺されたくなかったら、さっさとそのケツをこっちに向けておねだりしな。お前の腹ぁボロクソになるのは変わらねぇがな」
大河の背筋がうねり、右肩が揺れ、肉を打つ音が響く。おそらく右正拳だ。
だが攻撃した大河の方が身体をブルブルと震わせているのは何故か。
そして、女の声がした。
「――よく吠える」
その声だけなのに皇帝も涼も、背中を冷水が伝ったかのようにぞわりとした。
「ひっ――」
一瞬だけ聞こえる大河の悲鳴。
ごがっ…がばっ…がうううううぅ
続けて聞こえる、溺れる様な声。
そして打撃音。その瞬間、大河は部屋の隅まで吹き飛ばされていた。吹っ飛んできた部屋の入り口には、無造作に足を上げた女が居る。
「まさか、蹴り飛ばしたってぇの?!大河は柔道と空手とバレエの有段者だぞ?!」
それを見て即立ち上がりナイフを構えた涼だったが、その足は意思に反し震えていた。
「涼…み、見ろ…大河が――」
背後に聞こえる皇帝の怯えた声に振り向いて大河に目を遣る涼。
「うっ…何だこれ…?」
大河は壁に激突し、ビクビクと身体を痙攣させているがそのまま動かない。口や鼻からは血の泡を吹き出している。が…その中に何か小さい、動くモノが居る。
「てめぇ!大河に何しやがった?!」
振り向いて女を睨みながら自分へ喝を入れる為に声を張り上げる涼。
「私は何も。ただ――子供達に『パパの所へお行き』と言っただけ」
こいつ――何だ?
全身が恐怖に染まる前に。狂気が全身に沁み込む前に。正気を振り絞り、涼はナイフを腰溜めに構え女に挑みかかった。
「よせっ!涼!」
皇帝の声が聞こえた――ような気がした。けどそんな事はどうでもよかった。
腹を刺そうとした涼の手は女の腕に止められていた。
眼の前に見える、女の2本の腕――それ以外の3本目の腕に。
女の顔を見上げる涼。
腕は女の肩から生えていた。
三本目、四本目の腕が涼の身体を掴んでくる。
増える腕にセーラー服が破れ、裸体が露になる。だがそこにはあるはずの乳房は無く、虫の腹の様な――六本の腕に二本の足が生える胸板がそこにあった。そして、スカートの下には人間の腹部がそのままぶら下がっている。
人間の身体を使って蜘蛛を組み上げてみた、という様な子供の悪戯をそのまま再現した悪夢のような存在が其処に居た。
「何だよ!これじゃバケモノじゃねぇか!クスリの所為じゃねぇぞ!?どうなってんだよっ!」
「貴方…生きがイイわね――私が直々に食べてあげる」
肌色の蜘蛛女は、4本の手で涼の手足を拘束し、二本の足で大きなベッドの上に登ると、爪を使い丁寧に涼の衣服を剥ぎ取り始めた。そして全裸になった涼をベッドに押し倒し、
「その前に少し――楽しませて貰おうかしら」
そう言うと、蜘蛛女は涼の首筋へと静かに唇を寄せた。
「痛っ!てめなにしや――」
首筋から顔を離した蜘蛛女がそれに答える。
「何って…お前達も散々使ってきたろう?何をされても気持ちヨクなれる毒――いや薬さね」
その言葉が持つ意味を理解したのだろう。蜘蛛女に組み伏せられた涼が必死の抵抗を見せた。だが涼に覆い被さる蜘蛛女はびくともしない。その間にも涼の一部が今までに無い程の隆起を見せていた。
「活きがイイねぇ。どれだけ保つのか楽しみだ」
「えっ嘘なんで!いや、いやだ…いやいやいやいやいや」
人の肌を持ち、女の顔と手足を持つ蜘蛛女は、その腹の根元にある生殖吻を隆起した涼の体へと沈み込ませてゆく。
「いやあああああああっあ?ああっ!あっあっあっあっ――」
蜘蛛女の腹部が涼の上で揺れる。その度に聞こえる悲鳴には戸惑いと恐怖。そして――快楽が融けていた。
手足を押さえられてもいないのに。悲鳴を上げ続けているのに。それでも――
「おい涼!何してやがる!さっさと逃げ――」
皇帝が逃げるよう声を掛けても、涼は逃げようとせず、皇帝を見て泣きながら首を振った。
「皇帝くん無理だよこれ…気持ちいいんだよ…逃げ出したい程気持ち悪ぃのに逃げ出せない程気持ちいいんだよぉおっ!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした涼が、喘ぎながら蜘蛛女の腹の下から悲鳴をあげる。
「あああ――厭だっ…いいい厭だっ――あああこここ怖いいいいい止まんないいやあああ」
何度も叫び痙攣し、涙を流しながらまた叫ぶ――
涼はきっとこのまま殺される――
皇帝は何も言えずにただその恐怖の様相を見ているしか出来なかった。
「もうやめて…俺もう壊れちゃうよ…ごめんなさいごめんなさい…」
全裸でベッドに横たわり、息も絶え絶えな様子の涼は指一つ動かせずに泣いていた。それを見た蜘蛛女は涼からぬるりと腹部を離すと、見下ろしながらひとこと――
「女達がそう言って、お前は止めたのか?」
冷酷な瞳でそう告げた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
念仏を唱えるかのように同じ言葉を繰り返す涼。だが蜘蛛女は、
「何言ってんだい。これからが本番じゃないかえ」
そう言って仰向けになった涼の腹部に自分の顔を押し付けた。
「うわあぁぁぁなになになにいやだあぁぁやだやだやだやだあぁ」
悲鳴に紛れ聞こえてくる音。
ぶちぶち
ぐちゃ
じゅる
裂き、齧り、啜る音がする。まさか――
腸を――食っているのか。
思わず顔を背けようとした時、喘ぐ様な涼の声がそれを引き止めた。
「ああぁぁ俺もうムリだわ。キモチイイんだよね――食われるのがさ。腹ぁ裂かれてる筈なのに。肉を噛みちぎられる度に、腸を啜られる度に、さっきの化物ファックよりもずぅっと気持ち良いんだよ。分かる?自分の身体が無くなっていくのがたまらないんだ。こんな快感知らなかった…もっと、もっと食べて。手も足も、みいんな捧げます。こんなの初めてだ。あぁこわいのに」
こわいのにたまらないんだよぉ。
そして涼は、首だけになりながらも快感を訴え続け――やがて皇帝の目前で真っ白い骨となってベッドに転がった。
もはや骨と皮のみとなった大河の口からは1センチほどの大きさになった子蜘蛛がぞろぞろと溢れ出ており、既に虫の息になっていた蓮の体をも喰らい尽したが、皇帝だけは襲おうとせず、遠巻きにしながらの部屋の壁や天井を我が物顔で歩き回ってり、蜘蛛達の鳴き声なのかキイキイという微かな音が室内に満ちている。その中でプライドだけでかろうじて平静を保っていた皇帝が、歯の根が鳴り出しそうなのを堪えて蜘蛛女へと声を掛けた。
「お前…一体何なんだよ」
すると肌色の蜘蛛女の余分な手足は消え、最初に見たセーラー服を着た女の子がそこに居た。部屋を覆い尽くさんばかりの蜘蛛の群れも消えていた。
「飯綱若葉…覚えていて?」
「は?」
まさか人の名前が出るとは予想もしていなかった皇帝。この異常な状況下で当然思い出せる訳も無く、次の瞬間には蜘蛛女に言われたその名前すらも失念していた。
「私はその娘の怨みから生まれ出た――祟り」
「た、たたり…?」
たたりとは何だ。でも女の怨みなんてそれこそ“今までに食べたパンの枚数”みたいなもので、いちいち覚えている訳が無いし、怨んだところで誰も俺に手出しできる訳が無い。俺の親父は国の――
「そうさね。私は交尾した相手を食い殺す妖怪――絡新婦」
そんな皇帝の考えなど気にも留めず、セーラー服の化物は自らを『妖怪、じょろうぐも』と名乗った。
「妖怪だぁ?ふ…」
ふざけるなと叫びたかった皇帝だが『祟り』だ『妖怪』だとでも言わねばこの惨状の説明が付かない。まさか本当に――
そう思った時。
『妖怪 絡新婦』が口を開いた。
「まだ足りない――まだ残ってるね」
絡新婦がその両手をすぃ、と持ち上げた。その指先からは煌く蜘蛛の糸が伸びており、その先には――30センチはあろうかという大蜘蛛が十匹連なっていた。
「ひぃ――っ!」
「ほぉれお前達、あの人がおとうさんだよ」
“子供達”にそう伝える『絡新婦』の顔は、人の眼は消えうせ、冷たく光る丸い8つの――蜘蛛の眼になっていた。
「お行き」
手綱を操るように蜘蛛の糸を操って“子供達”を操る『絡新婦』
取り囲み、確実に自分へと近付いてくる蜘蛛を見て、皇帝は膝をついて必死に声をあげていた。
「ゆ、許して下さい!その女も金が欲しいんだろ?金なら好きなだけやるよ!どうか俺だけは!お願いします!」
その言葉に飯縄若葉――絡新婦は人間の面影を唯一残すその口許に笑みを浮かべると、
「私の事は助けてくれなかったのに?」
そう言うと、床一面を覆い尽す子蜘蛛に視線を落とし、
「まだ子供だからお行儀良くないの。痛いと思うけど――骨になってもそう簡単に死ねないよ」
と言った。
もはや立つ事も出来ず、逃げる事も叶わず。キチキチと顎を鳴らし近付いてくる“子供達”
その向こう――自らを絡新婦と名乗る顔に、皇帝はようやく一人の女の事を思い出したが――それも蜘蛛の顎が自分の肉に食い込むまでの僅かな時間だけだった。