7-2 川赤子
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閉店間際、一人の女性がふらりふらりと見るからに具合が悪そうな様子で店を訪れました。
「なにか…温かいものを貰えますか」
覆い被さるようにテーブルへと身を預ける女性。その右手には――冬でも店の前にだけは咲き続けている、紫苑の花がしっかりと握られていた。
厨房に引っ込みこんぺいさんを呼ぶと、女性をチラリと見て、
「随分とくたびれたギャルだな。好みじゃねぇが行ってくるか」
と言ってフラフラと宙を泳いでいった。しかし今時はギャルなんて言わないと思うのだけど――ん?だったら何ていうんだろう。とにかくこんぺいが口にすると途端に古臭く感じる事だけは確かだ。
いつもの様にこんぺいさんがお客様の背後に回り『怨みの記憶』を確認し始める。そしていつもは鼻歌混じりで帰ってきては色々と教えてくれるのだが、今回は言い難そうに、
「妊娠しては堕ろすを繰り返させられて、産めない身体になっちまったみてぇだな」
とだけしか話さなかった。
「じゃあその、相手の男を祟りたいって事ですね」
私がそう聞いても、
「だろうな――じゃあ俺は先に行って待ってるぜ」
それだけ言うとさっさと猫用の扉から『夕闇の境』へと出て行ってしまった。
「こんぺいさん、どうしたんでしょうね?悪いものでも食べたのかな…」
気になって相志さんに聞いてみたが、相志さんはこんぺいさんの様子など全く気にしていない様子で、お客様を見つめていた。
「しかし、あのお客様もあまり具合がよろしくない様ですね…」
そう言うと相志さんは温めたミルクにいつもの『夕鈴見の粉』を溶かし、更に褐色の粉末を溶き始めた。これは――
「ホットココアです。お出ししてきて下さい」
ですよね。何か凄い薬でも出るのかと思ってゴメンナサイ。
「若葉さん、お客様にご同行をお願いしてもいいですか?車椅子を“向こう”に準備しておきますので。サンを先行させてこんぺいに伝えるよう命じてください。そろそろ『夕鈴見の粉』が効き始める時間です」
たしかにあれでは『祟り庵』に辿り着く前に行き倒れてしまいそうだ。
「サン、先に行って、こんぺいさんに伝えてきてくれる?」
「わかった」
サンは敬礼のように前足をピョコリと上げ、とててっと猫用ドアから『夕闇の境』へ走って行った。
「じゃあ、私は付き添いながら『祟り庵』へ向かいますので。紫苑さんをお願いします」
「はい。若葉さんはお客様をお願いしますね」
そう言うと、相志さんは紫苑さんの準備をする為に二階へと向かっていった。
「あの…お客様、そろそろ閉店のお時間になりますので」
私がそう声をかけると、
「えっ…」
と、依頼人の女性は落胆した様子を見せた。
『カフェ タタリアン』で祟りのオーダーをしたお客様は、店内で何のモーションも起きない事に肩を落として店を出る。このお客様も例に漏れず、項垂れながらもとりあえず席を立とうとするが、膝から力が抜けたように床へ座り込んでしまった。
「大丈夫ですか?顔色がすぐれない様ですが…」
脇から支え、優しく声をかけた。
「すいません…」
申し訳無さそうに俯く依頼人の女性。
「お出口まで肩、お貸ししますね」
「いや、でも…あの…」
紫色の花に対する反応が何も無い。その事が気になっているのだろう。でも“店内”で説明したところで理解できるとは思えない。実際に見せた方が早い。私は少し強引だとは思ったが、俯く女性に肩を貸して『夕闇の境』へと連れ出した。
外に出たのに寒くない事を不思議に思ったのだろう。女性がゆっくりと顔を上げ、目の前に広がる黒い板塀がどこまでも続く道を見て驚きの声を漏らす。
「えっ…ここは――」
「ここは『夕闇の境』――怨みを抱いてご来店されたお客様だけが辿り着ける場所です」
ここは私が説明するべきだろう。相志さんもそれ込みで私に付き添いを頼んだのだろうし。
「て、店員さん…?」
何が起きたのか分からず、肩を貸す私を見つめてくる女性。
「お辛そうなので付き添う様に申し付かっております」
さすがは相志さん。すぐ手の届くところに車椅子が置いてある。依頼人を車椅子に座らせ、私がそれを押し、黒い板塀の道を歩いた。
「この先に建物があります。そこで貴女の怨みを『祟り』に変えるんです」
女性は何も言わず、ただ板塀の続く道を見ていた。
そのまましばらくは互いに無言で、車椅子のガラガラいう音だけが夕闇の空に消えていた。
「何も――聞かないの?」
少しして、依頼人が声をかけてきた。
「話したいのであれば、お聞きします」
私がそう言うと彼女は礼夢と名乗り少しずつ、ぽろぽろと零れ落とすように話しだした。
「アタシ…もう子供、産めなくなっちゃったんだ」
私は何も返さない。私程度が何を言ったところで慰めにもならないのは、自分でも分かっているから。
「雷斗…彼氏に都合良く扱われていただけだったんだよね」
彼女の独り語りは続いた。
「ちゃんとした産婦人科に行ってたら、多分こうはならなかったんだけどよね。けど、それは仕方無いの。アタシが悪いんだから。でも――そうやって何人も赤ちゃんを殺してきた。そうやって結局アタシのお腹、ボロボロになっちゃったんだよね」
そして彼女は暫くの沈黙の後、覚悟を決めるように。自分に言い聞かせるように。
「アタシは、この決断に関わった全てを――赦す訳にはいかないの」
と力強い口調で言った。
私も妊娠したけれど、その相手に弄ばれて流れたんだけど――彼女の気持ちは少しだけなら分かる気がする。けどそれを言ったところで傷の舐め合いにしかならないし、それを望んで訪れた訳じゃない。否定も肯定もない。ただ、怨みを祟りへと――それが私達の立ち位置。そんな私に対し彼女は、
「ありがとう」
と言って車椅子から私を見上げて笑った。
「聞いて貰ってるだけなのにね。なんかモヤモヤしてたのが吹っ切れた――覚悟出来たわ」
そして再び視線を前へと戻し、それ以降何も言わなくなった。
やがて、黒い板塀に同化する様に一軒の平屋が見えてきた。黒い板壁に黒い木枠の障子。下げられた白い暖簾の端には「祟」の文字。
久しぶりに正面から見る『祟り庵』だ。
「このまま中へ入りますね」
車椅子のままで敷居を跨ぎ中へと入る。
窓も無く、かろうじて背後の障子を透かして入り込む明かりだけの、広い部屋。今回は腰掛が置いてない。車椅子で来るから不要と判断して相志さんが片付けたのだろう。
「お連れ致しました」
いつもは案内の式神達が行う仕事だが、姿が見えないので代わりに行う。私の声に反応するかのように、三階くらいの高さに、揺れる灯りに照らされた障子が浮かんだ。
そこに映っている影は、髪が長く身体の線が細い。紫苑さんだ。
ふと、部屋の隅からサンが呼んでいる気配がして顔を向けると、サンが待っていた。その横にはこんぺいも控えてこちらに手招きをしている。静かに依頼人の傍を離れ、こんぺい達に近付く。
「どうして出て来なかったの?」
「今更出てきてお客を混乱させても良くねぇだろ?研修だと思ってガンバりな」
たしかにそれもそうである。
そうこう話をしていると、依頼人の女性の前に白い形代が飛来するのが見えた。
「ほれ、行ってこい!」
そう言ってこんぺいさんが放り投げて寄越したものはまるでメスのようい小さいナイフだった。
何食わぬ顔で彼女の隣へ戻り、声をかける。
「この紙に貴方の血を付けると、それが祟りになるの。少し痛いですが…」
小さな声でそう教える私。すると、
「これが『血の代償』――なら」
そう言って礼夢さんはポケットから小さなプラスチックの筒を取り出して蓋を開け、その中身を籠の中にブチ撒けた。少量の血の他に、透明な液体に濡れた、肉片らしきなにかが中の形代にへばりついている。
「えっ…これって?」
思わず顔を近付けて覗き込もうとする。
「ついさっきアタシが堕ろした子。アタシの血なんかよりよっぽど相応しいでしょ」
そう言われるといつか授業で習ったような、人のなりかけのような形をしているように見えなくもない。
――私の中にも、こんな子が居たんだな。
私もいつか結婚し、再び子供を授かる時が来るのだろう。
けれど、彼女にはそれがもう訪れる事は無い。堕ろしたばかりの胎児を捧げ祟る――その怨みは相手の身を滅ぼし尽くして治まるものなのだろうか。
血と肉、そして他の何かで濡れた形代が宙に飛んでゆく。
「その形代が、血と怨みを受け継いで、祟りとなるのです」
そして一切に動じない紫苑さんの声が聞こえた。そろそろ紫苑さんが『それではこの祟り、存分に味わって頂きましょう』と言って締めくくる頃合い――と思っていたのだが、今日はいつもの様子とは違う雰囲気で、
「――本当によろしいのですね?」
と聞いてきた。それに対し礼夢さんは何も言わず、静かに頷くだけだった。
はて、どうしたのだろうと思っていると、サンが扉に回って手招きをしていた。もう終わりという事なのだろう。私は無言で車椅子を回した。
「ここを出たら元の世界に戻ります。大丈夫ですか?」
私の言葉に彼女はありがとう、と返しゆっくりと立ち上がった。そして振り向くと、
「どうか――お願いね」
そう言って車椅子から立ち上がり、『祟り庵』の扉をくぐって元の世界へと戻っていった。
「若葉さん、お疲れ様でした」
階上の障子の向こうで紫苑さんの声がする。障子に映る影が立ち上がった。
「では参りましょう。『鬼哭の辻』へ」
黒い板塀の道はいつ途切れるのだろう。そう注意しながら歩いていたはずなのだが、いつも気が付くと荒れ野の道を歩いている。
詮索を諦め、やがて首を失った地蔵の前を過ぎると――枯れた松の枝と共に見えてくる十字路が『鬼哭の辻』だ。
「紫苑様、今日は何をお使いに?」
パティシエ姿の相志さんが恭しく伺いを立てる。
「えぇ――『今昔画図続百鬼 中之巻』を」
その言葉に相志さんとこんぺいさんが頷く。
辻の中央へ輪を描くように蝋燭を立て、その中に『今昔画図続百鬼 中之巻』を置いた。
相志さんが蝋燭の輪から離れると、こんぺいさんがふよふよと蝋燭に近付き、その口から細い糸の様な炎を吐いて蝋燭に火を灯す。
相志さんが脇に提げた鞄から『骨鈴』を恭しく取り出して紫苑さんの手に乗せる。
左手に骨鈴を持ち、辻の真ん中に並べられた蝋燭の輪に近付く紫苑さん。
骨鈴を軽く振ると、骨同士のぶつかり合うカラカラという寂しげな音が周囲に響いた。
「双盃の左 塵玉の右 天を地と成す 逆撫の社」
唱えながら、左足の草履をたんたんと踏み鳴らす紫苑。
右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ。
「黄幡の御座は地に伏して 歳破の兵主は我が前に集う」
その言葉に応じるように、四辻の草むらからぞろぞろと。
足首から上が存在しない、 草履を履いた黒い足。凶事の塊『辻神』だ。
それを確認した紫苑さんが呪文を唱え始める。
「逢魔が時より出るモノ
誰そ彼に横たわる形無き理の貌よ来たれ
絵姿に寄りてここに現れよ
怨みを糧に踊り出で怪異きを為せ」
円の中に置いた『今昔画図続百鬼 中之巻』 の頁がパラパラとひとりでにめくれてゆき、やがてピタリと止まった。
草の生い茂る川の浅瀬。その横に、打ち捨てられたのであろう筏と釣竿。
その浅瀬の草葉の陰から。
髪も疎らな――赤ん坊の様な小さく、むくむくとした顔と腕が覗き、口を大きく開けて声をあげ、誰も居ない筏と釣竿へと手を伸ばしている。
玩具を求めてなのか。持ち主たる大人の姿を求めてなのか。
定かでは無いが。どちらにせよ寂しくて泣いているのであろう事だけは理解できる。
そんな絵が描かれている。
紫苑さんが狩衣の胸元に右手を差し込む。抜き出された指の間には依頼人の――胎児のなり損ないを浴びた形代が。
「怪威招来――川赤子!」!
その言葉と共に、紫苑は円の中に形代を飛ばし入れた。
すると、呼応するように黒い足首、『辻神』達も囲いの中へ我先にと足を踏み入れてゆく。
途端、排水溝に吸い込まれる汚水のように、黒い足首達が血の付いた形代へと渦を巻いて吸い込まれていった。そして全ての辻神が吸い込まれた途端、円を作るように置いていた蝋燭の火が火柱となって吹き上がった。そしてそれは渦を巻き、巨大な焔の竜巻と化した。
炎熱と轟音が掻き消え、煙と土埃が残された『鬼哭の辻』。
気が付いたのは水の流れる音。静かに。ゆったりと流れる川の音だ。
けれど『夕闇の境』で川なんて――いやこれは
音だけが――流れているのだ。
やがて辻の向こうから、流れの音に乗って何かが揺れて流れてきた。
あれは赤ちゃんと呼ぶにはまだ早すぎる――胎児だ。
胎児が大きな草――蕗らしきものに背を丸めしがみ付きながら。波に揺られてこちらに流れている。
合わせて七体の胎児が、宙を流されて私達の前へとやってきた。
そして、まだ出来ていない目で私達を見て――
笑った。
そしてその時に気が付いた。
蕗の茎に見えたのは――自らの臍から生えた臍の緒だ。
すると蕗の葉に見えたのは――胎盤か。
温かく身を包む羊水も無く。支えてくれる母の腹も無く。
根着く事の無かった胎盤と頼りない臍の緒に小さな掌でしがみ付き。
それでも――笑いながら。
七体の『川赤子』達は流れの音に乗り。頭上を越え。笑いながら。遠ざかっていった。
「何か――悲しい妖怪ですね」
私はそう呟いていた。しかし相志さんは、
「ですが、あれほど罪深く強欲な妖怪もそうは居ませんよ」
流れ去る『川赤子』を厳しい目つきで見据えてながらそう言うと、そのまま続けた。
「あの『川赤子』は自ら輪廻を外れ堕ちた外道の存在です」
輪廻とは新しく生まれ変わる事だが、それを外れるとはどういう事だろう。それに外道とは随分酷な言い方だと思うけれど…
「輪廻を――外れる?」
「えぇ。本来子供の魂というのは、迷う暇も無く仏が再び導くとされています。ですから元々仏教には“水子”なんて存在しなかったんです。神道においても同様で、三歳を迎えるまでは“神からの預かり物”という立場でした。ですがあの子供達は神仏の掌を自ら零れ落ちて外道となり、親に捨てられた怨みと捨てた親の愛、その相反する両方を求め、自ら“水子”となった欲深い存在なのです」
相志さんにそう厳しく言われても。
それでも私を見て無邪気に笑いながら流れてゆく『川赤子』達を見ていると。
私は相志さんのように厳しい感情を持つ事が出来なかった。
――気が付いてしまったから。
手に入らないと分かっているからこそ求めてしまう――怨めしいほどに。
きっと彼らの『怨』と『愛』は同一なんだ。強く激しく相手を求めるというその一点に於いて。
そうするしか術を知らないのだから。どこまでも――輪廻を外れても追い求めてしまうんだ。
流れてゆく『川赤子』達を見送りながら、紫苑さんは静かに呟くだけだった。
「祟り――ここに成されたり」




