7-1 川赤子
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「ねぇ雷斗、私――また妊娠した」
ベッドに寝転んでマンガ本を読んでいる彼――雷斗がごろりとこちらを向いた。
「んぁ?そんなのいつも通り堕ろせよバカ」
そして考える間も無く告げられるひと言。というか考えていないのだろう。想定していた答えとはいえアタシが応じかねていると面倒くさそうに言い捨てた。
「俺達みたいなクズがガキ育てられる訳ねぇっつーの。その位自覚しとけバカ」
そりゃさ。定職にも就かないでブラブラしてるかパコパコやってるかだけだよアタシ達はさぁ。
「そういやむーぽんお前…最近酒もタバコもしてるとこ見た事ねぇな?あっちもなんだかんだ言ってゴブサタだったしよぉ」
それでもさぁ。
「もしかして産みたいとか思っちゃった?お前バカ?」
それでも。
――せめて人並みに夢見たいじゃんよ。
自分達は世間の屑だって事は承知してるんだ。コンビニ前の灯りに群がる蛾よりも社会の役に立っていない、本当に掃いて棄てるしかない――人間の屑。
そんな屑だってさぁ。
お腹に命があるって思えば。少しは変わるもんなんだよ。
アタシの家は貧乏人の子沢山を地でいく家族だった。
小学校のランドセルも中学校の制服もみんなお下がり。この家には“アタシのモノ”なんて一つも無かった。
いつも近くに誰かが居て。どんな時だって誰かの笑い声か泣き声が聞こえていた。
真面目だけど能天気な父親。いつも汚い身なりで必死に家事をこなしていた母親。
そして容赦なく何でも持ち去ってゆく兄妹達。
アタシはそんな生活が大嫌いだった。
だから高校に上がる頃には、家には居付かず学校にもロクに行かず、悪い仲間の家を渡り歩き――気が付いたら街の吹き溜まりに埋もれていた。
そんな中で出会ったのが雷斗だった。同じ様な境遇の彼とはすぐに意気投合した。
そして付き合い始めて一年もしないうちに、私は妊娠していた。まだ十六歳だってのに。
困り果てて雷斗に相談すると、迷う事も無く、
「堕ろしちゃえば?むーぽんだってまだ遊びたいっしょ?俺だって育てらんねぇし」
と言ってくれた。アタシはその言葉が嬉しかった。妊娠したからって産んで育てていたら、アタシはまたあの兄妹だらけの家に居た頃と同じになってしまう。
それから雷斗の知り合いに代理務めてもらって、仲間のカンパで初めて中絶する事になった。
連れて来られた病院は繁華街の一角にある――内科。
「ねぇ…まさか妊娠を便秘の親戚とか思ってないよね」
「ここは金さえ出しゃあ何でもやってくれんだよ。お前、保険証無ぇべ」
私の不安を感じた雷斗が、肩を抱いてくれた。
「そうそう。ここは不法就労の奴等とか俺らみたいなのも何でも診てくれる、ありがたぁい先生なんだよ」
一緒に付いてきた雷斗の友達も同じ様な事を言ってくる。
つまり私は闇でヤブ医者に腹を掻き回されると言うことか。
けど、他に選択肢は無かった。
銀色のトレイに乗せられた、生命になるはずだったなりかけを見せられても、何の感想も――面倒だとか、気持ち悪いという気持ちすら湧いて来なかった。
「分かってるとは思うが、俺は産科の指定医じゃねぇ。何回もここに来てたらデキなくなるぞ。お前らも気を付けてやれよ」
去り際にヤブ医者はそんな事を言っていたが、その時は『厄介事が消えた』程度にしか思っていなかった。
そんなだから、アタシと雷斗はそれを何回も繰り返して、何度なりかけを見せられても何も感じなかった。
――そして。
「礼夢さん。あなたの子宮はもうボロボロです。次に妊娠出来たら、それが最後のチャンスだと思って下さい」
六回目の中絶の後、今ではもう馴染みになったヤブ医者が、初めて真面目な口調でアタシにそう言ってきた。
そうして、銀色のトレイに乗せられた。
命のなりかけを私の前に置いて。
「次を流せば、アンタもう――子供を抱けないよ」
神妙な顔つきでそう言われた。
「まともな産科で処理してりゃ、こうはならねぇんだけどな。俺みたいなヤブ医者じゃこれが限界だ」
アタシの家は兄妹ばかり多くて貧乏だったけどさ。そんな生活って子供からすりゃ虐待と変わりないんだよ。『宿題はいいから妹の面倒みろ』なんてさ。親の言うことかよ。
自分の収入とか家族計画とか考えないで子供バカスカ作ってさ。それで結局子供にはひもじい思いさせてさ。
少なくとも、アタシがそうだったから。そう思ってた。
でもさ。
殺してないんだからアタシよりずっと偉いよ。ちゃんと産んで育ててるんだもの。
子供に囲まれた生活は、きっと幸せなんだろうね。
でもアタシにはもう望めない。
アタシを囲むのは。
赤ん坊にもなれなかった――なりかけ達だ。
箪笥の隙間から。
仄暗い部屋の隅から。
誰も居ないトイレの裏から。
出来ていない耳でアタシの声を探し。
出来ていない目でアタシの姿を探すだけ。
笑いかけてくれることも、駄々をこねて啼くことも無い。
ただ――出来ていない口で何かを言いたげに顔を向けるだけ。
これは命を粗末にした報い。そう思って、感じるはずの無い視線に怯えながら、気を付けていたつもりだった。
でもこればかりは相手の――雷斗の協力が必用だった。けど雷斗はそんなことお構いなしだった。
そして案の定――アタシは七回目の妊娠をした。
もう、次は無い。
そして今、微かな希望を込めて、アタシはこの子の半身である雷斗に伝えようとしていた。
けれど相変わらず他人を馬鹿にするような眼差しでアタシを見ている雷斗。
「けど――これが最後かもしれないんだよ」
言葉で傷付く訳ではないが、アタシの両掌は無意識に下腹部にあてられていた。
「はぁ?」
意味が分からない、と言った様子で顔を歪める雷斗。
「つ、次堕ろしたら、きっともう妊娠できないって――」
声が震える。絶対に男には分からない。女性だけが感じる『女』を否定される恐さが下腹部を包み込み――奪おうとされる感覚を幻視してしまう。
お願いだから――もう。
けれど。
「好都合やんそれ。そしたらむーぽんも遊び放題だな」
雷斗は、以前と対して変わらないといった風に応じるのみだった。その言葉に思わず目を剥いて叫んでしまう。
「な――なんでそんな事言えるの?」
だが雷斗は訳が分からない、といった様子でケロリとして、
「だって俺、親になる気なんか無ぇよ?」
「その気ないのにヤリまくってた訳?!」
「えっ…なに人のせいにしてんの。お前も散々楽しんでただろ」
雷斗の言葉に心臓が跳ね上がる。
「最初にデキた時なんか『これ以上デキないから』って何人ともヤリまくってたよな」
その通りだ。あの頃はセックスが楽しすぎて、雷斗だけじゃなく他の仲間達とも遊び回っていたんだ。
「でも…アタシは育ててみたいの」
だってあの頃は。こうなるなんて思わなかったから。
「それが今更もうデキないからって『子供が大事』か?」
雷斗は煙草の煙を私に向けて吐き出しひと言、
「調子こいてんじゃねぇよ」
と言った。
「本当に子供が大事なら初めてデキた時にそう言やぁ良かったんだよ」
だって――だってあの頃はもっと遊びたかったから。
「産まないと決めて遊びまくったのはテメェだろうが」
そんな――そんなの今更すぎるよ。
「それに何だよ『育ててみたい』てよぉ。子供はペットじゃねぇんだぞ」
でも、でも――もう手に入らないんだよ。
「欲しがる事と育てられる事は別だろ」
嫌だ嫌だ。今更そんな正論なんか聞かせないで。そんな事は分かってるよ。
「俺は育てられないってのを自覚してる。初めにもそう言ったぜ?けどお前は今更半端なセンチメンタリズムに浸ってるだけじゃねぇか」
そうかもしれないけど、それは悪い事なのかな…そうなのかもしれないけど。でも――
「そんな感情だけで産まれてくる子供の面倒が見れるのかよ。欲しい欲しいでポコポコ産んでたら、子供も迷惑だろ」
でも――いや、そうかもしれない。気持ちだけで産んでたらアタシの実家みたいになってしまう。
「結局、俺とお前はお似合いのクズ同士なんだよ」
アタシは雷斗の投げ付ける正論に一言も反論出来なかった。
雷斗は雷斗なりに考え、答えを既に出していた。けどアタシはそんな事を考えもせず、ただ遊び呆けていただけ。
アタシがもっとちゃんと考えていたら。真剣に考えていたら、こんな事にはならなかったのかな。
ごめんね。アタシは結局、誰のお母さんにもなれないんだね。
「お金ちょーだい。堕ろしてくるから」
「あれ?せっかくデキたのにパーリーしないの?」
「――堕ろしたらもうデキないんだから変わらないでしょ」
「それもそっか」
雷斗は戸棚から封筒を取り出し――この辺は慣れたもので、必要な分の金額を封筒に残してこちらに放ってきた。
「んじゃ、いってら」
外は小雨が降っていたが、傘を差そうという気にもなれず、濡れたまま街を歩いた。途中何度か親子連れや妊婦さんとすれ違ったが、私を見る視線が自分をゴミクズ以下の人間だと蔑まれているようにしか感じられず、その度に大袈裟に顔を背けて歩いた。
そして、今では馴染みとなったクリニックの扉を開ける。
「結局――来たのかい。雨に濡れてちゃ母体に悪ぃ――って、決めた奴に言う言葉じゃねぇか。寒かったろ。茶でも飲むか?」
ロクに客も来ないので、受付嬢なんてものは存在しない。待合室で煙草を吸っていたヤブ医者は、アタシを心配して声をかけてきた。
「いいから早く堕ろしてよ」
もうどうだっていい。捨てるしかないのなら愛着が増す前に捨ててしまえ。
「――じゃあさっさと台に乗りな。俺ぁ支度してくっからよ」
ヤブ医者は薄くなった頭をボリボリと掻きながらよっこらせと立ち上がった。
そしてアタシの腹の中から、最後のなりかけが掻き出された。ヤブ医者はなにも言わず、以前の様に子供を見せる事もしなかった。
「ほれ。これで終いだ。今回は出血が多かったから、いつもより少しゆっくりしていきな」
ヤブ医者は優しく手を取り、傍にあるベッドへと案内してくれた。
「じゃあ俺はあっちでテレビ見てっからよ。何かあったら声かけな」
「――先生」
気が付いたら声をかけていた。
「どうした、いきなり“先生”だなんて」
驚いて振り向くヤブ医者。
「アタシ――本当は産みたかった」
誰かに話したかったのかもしれない。全てはもう遅いのだけれど。
「でも今の暮らしじゃ…この子にまともな暮らしなんてさせられないのは分かってる」
他に客も居ない部屋で、ヤブ医者は煙草に火を点けた。
「暮らしなんて、変えようと思えば変えられるもんさ」
でもアタシには出来なかった。
「育てていける自信も無いし」
「誰だって初心者からのスタートだ」
でもアタシはスタートラインに立とうとしなかった。
「それに雷斗が…」
アタシがそう言うと、ヤブ医者は大きく溜め息を吐き、煙草の吸殻を床に捨てサンダルで踏み潰し、
「そうやってお前は、目の前にぶら下がったチャンスを自分でドブ川に捨ててきたんだよ。本当に子供の事を考えてたら『雷斗がー』なんて言わねぇんだよ」
と冷たく言い放った。
「本当に子供を育てたいと覚悟決めたらな、男なんか気にしねぇでとっくに逃げ出してんだ。結局お前は理屈を捏ねてゴミ溜めで男と馴れ合っていたいだけのクズなんだよ」
そんな――いや、そうなのかも知れない。結局アタシは失ってから出ないと気付けなかったんだから。
「体調良くなったならさっさと帰れよ」
そう言うとヤブ医者は待合室に出ていった。
アタシはバッグからスマホを取り出し雷斗にメッセージを入れた。
『手術終わったよ。もう妊娠は絶望的だって』
そして返信は――
『おつ』
二文字。
これだけで。
『命』とアタシの『女』を捨てる決断の結果を。たった――二文字で済まされた。
そんなに軽いモノだったのか。
正論を振りかざしてたけど、そもそも妊娠させ続けたのはお前じゃないか。それが土壇場で責任だけを押し付けるなんて。身勝手な欲求の為に誘導し、都合良く扱ってきたのを難しい言葉で誤魔化しただけじゃないか。
そうやって何人も殺させやがって。
アタシの『女』を殺しやがって。
叫んで居たのだと思う。
膨れ上がる痛みと悲しみが、空にした胎の中で悲鳴を上げていた。
殺してやる。
台所から包丁を取り出し、眉間に突き立てるだけの簡単なお仕事だ。でもそんな事を企んだところで雷斗に殴られるか蹴り飛ばされるか。もしくはその両方が待っているだけ。
子供を育てる力も、仇を討てる力も無い。ならこのアタシに遺された怒りと悲しみは――怨みは何処にやれというんだ。
「どうした?喧しいな。今更ショック受けてやがんのか」
騒ぎを聞きつけたヤブ医者が顔を出して聞いてきた。
「先生…」
「どうした?」
「雷斗が憎いよ…殺してやりたいよ」
「やめとけ。ありゃヒョロくても喧嘩は強ぇぞ」
「それでもっ!首に齧り付いてでもころしてやりたいんだよっ――!」
大声を出した所為か目の前の景色がグルグルと回っている。もし立ち上がっていたら酷い事になっていただろう。ヤブ医者はそんなアタシの肩に手を置き、そのまま椅子に腰掛けると、静かに話し出した。
「これからお前が聞くのは俺の独り言で、あくまでも町の噂だ――質問は受け付けねぇ」
そしてまた煙草に火を点ける。
「怨む相手を殺してくれる喫茶店って知ってるか?」
今この人は何と言ったのだろう。喫茶店?――聞き間違えかな。喫茶店がそんな事をしてる訳がないから、用心棒の事だろうか。
「バウンサー?」
「バウンサーじゃねぇ喫茶店だ。どう聞き違えりゃサテンがバウンサーになるんだよ」
本当に喫茶店と言っていたのか。けれど――どういう事?
「その店で紫の花を置いて飲み食いすりゃ、テメェの血を代償に怨む相手が――祟り殺されるって話だ」
「たたり…ころすって何?」
「知らねぇのかよ。ってか質問は受け付けねぇって言っただろうが」
「こんなのに学問を求めないで欲しいんだけど」
「こんなの学問って言えるかよ。ほれ、昔からあんだろうがよ。『怨めしや~、祟りじゃ~』ってよぉ」
「オバケの事?…アタシまだ死んでないんだけど」
「死ぬほどの怨みじゃないとダメって話だから、あながち間違っちゃいねぇだろ――聞いた事無ぇか?親のカネと権力をバックに女を食い物にして派手に遊んでたチームが全員殺されて、現場には骨しか残ってなかった…ありゃ食い物にされた女達の祟りだってよ」
「あ…」
そういえば何処かで聞いた様な。でも、よくあるターボ婆さんとかそんな類かとばかり思っていたけどまさか――こんな所でこんな人の口から聞かされるとは。
「まぁ与太話かも知れねぇがな。そこで試してみるのも悪くないんじゃねぇか?お前さんの、その」
覚悟って奴をよ。とヤブ医者はそう言って部屋を出ていった。
祟り――どう考えても胡散臭い。
でも、あの先生はヤブだけど嘘は吐かない。それにこんな女を騙してその喫茶店に誘導したところで利があるとも思えない。売り飛ばされるのだとしても、礼斗と離れられるなら構うものか。
それに、オバケが祟り殺すというのなら。
アタシ達にはピッタリじゃないか。
ベッドからゆっくりと身体を起こす。フラつくが歩けなくはない。処置室を出て待合室に居る筈のヤブ医者を探した。
「菅原先生…」
案の定、ヤブ医者は長椅子に寝転がって咥え煙草でテレビを眺めていた。
「――出て行けとは言ったがもう少し休んだ方がいいぞ、血が足りてねぇんだからよ。カツ丼でも食うか?」
こちらには目もくれず、テレビに映るグラビアアイドルの胸を眺めるヤブ医者。その背中にひと言。
「うちの子――連れて帰っていいですか」
アタシは。
この選択の全てを許せない。




