幕間 其の弐
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「よろしくね、可愛い後輩陰陽師くん」
相志さんや紫苑さんよりも明らかにひと周りくらい歳上の、女たらしっぽい顔をした、相志さんレベルとは言わないまでも美形の男性。イケエロオヤジという部類なのだろう。わざとらしいポーズとウインクでキメたつもりなのか笑いを誘っているのか。反応に困っていると、オホンと咳払いをして普通に戻られた。
「改めて自己紹介するね。俺は紫苑様の忠実な臣下。夢見 憂だ」
彼はそう言うと爽やかに笑みを浮かべ、
「ところで…そろそろ離すように命じて貰えないかな?」
まだ手に齧りついているサンを顔の前に提げて指差した。
「あっ…はいっ、申し訳ありませんっ!」
私は慌ててサンを両手で捕まえ、肩に乗せた。
「もういいの?」
無邪気に聞いてくるサン。守ろうとしてくれたのは分かるので優しく注意するだけに留めました。
「ありがとね。でも私の先輩にあたる人だから、もう噛んじゃダメだよ」
「はい。わかった」
そう言って私に頬擦りしてくるサン。夢見さんはそんな私達をニコニコしながら眺めていた。
「言葉も綺麗で素直な式だねぇ」
そこまで言うと少し考え込むと、眉根を寄せながら私に顔を寄せ、
「――もしかして『歳神』からの式かい?」
と聞いてきた。
「あ、はい。私、『辻神』とは相性が良くなかったみたいで…」
「なるほどねぇ…」
そしてふーん、と考え込んだあと、私の耳元に顔を寄せ、小さな声で、
「紫苑様との熱いキスはどうだった?」
と聞いてきた。
「はひっ?!…えっ?!でも――どどどうして?」
思い出したのと知られたという両方の思いで、自分の顔が一瞬で真っ赤になるのが分かる。
「俺だって一端の陰陽師さ。それくらいは分かるよ。あれは『魂繋の儀』といってね。式神を通じて陰陽師同士が認識を繋ぐ儀式なのさ。しかし葛葉一門で『歳神』の契約者は四百年ぶり位じゃないかな?うん――超絶レアだねぇ君は」
そう言って感心する夢見さんの横で、相志さんが私に教えてくれた。
「陰陽師の歴史や術式の知識は紫苑様以上なんですよ、夢見様は」
「能力が低いのを知識で補っているだけですよ」
相志さんの言葉に謙遜の態度で応じる夢見さん。相志さんが更に追加情報を教えてくれた。
「ちなみに、『怨みを拾う蝶の術式』を構築して下さったのも夢見様です」
これは私も体験しているので良く知っている。激しい怨みを持つ人を探し出し、『タタリアン』へと誘うしくみの事だ。式神かなにかを利用しているのかと思ったら、まさかの術式だったとは…
「運用は紫苑様ですけどね。しかし町を流れる地脈を利用するというのは僕も考え付かなかった…そうすることで効果範囲は格段に向上させられる。やはりセンスが違うのでしょうね」
開発会社がソフトをクライアントに渡したら、想定以上の運用テクニックを編み出していた、といったところか。でも術式を構築、ということはもしかして…?
「あの…夢見さんも」
「憂、でいいよ。若葉さん」
相志さんと違い、狙っているのが丸分かりな微笑みを浮かべながら私にそう言う夢見さん。
「――夢見さんも裏の仕事をされてるんですか?」
その返答に対し、あからさまにしょんぼりする様子を見せる夢見さん。頭をボリボリ掻くと、
「そうだよ――でも殺しはしないんだ。俺は囲うだけ」
と教えてくれた。だが囲う、という意味が分からずキョトンとしていると、相志さんが横から解説をしてくれた。
「夢見様は客層が違うのです。彼が扱うのは魂の虫籠です」
うん。余計に分からなくなっちゃった。
「そう、俺は厭世の魂に夢を見せているのさ」
「魂に――夢を?」
魂に夢を見せるとはどういう事だろう。紫苑さんや私のように『妖怪』を使って『祟り』を起こすのとは違うのだろうけども。
「そう。現世で地獄、来世も地獄、憎い相手を地獄に落とせば自分も地獄というのなら――いっそ全てを捨てて、夢を見続けるほうがおトクだと思わない?」
夢見さんの言葉に私は思わず頷いていた。確かにそういう人は沢山居るだろう。私は紫苑さんや相志さんのお蔭で立ち直れたが、立ち直りたくない――このまま全てを捨てたいと思う人も居るだろう。
「俺はこの腐敗した世界に背を向けた人々の魂に、永遠とこしえの安らぎを与えているんです」
巡り合わせが違えば、私もその中に居たのかもしれない。悲しい事だけど、立ち上がれる人も、そうでない人も居るのだから。全ては出会いと選択なのだ。
私が考え込んでいると、夢見さんは相志さんの肩を抱き、
「じゃあ俺はちょっと上で野郎同士の熱い語り合いをしてくるからね。あ、くれぐれも変な妄想しちゃあダメよん?」
と笑い、相志さんを連れてさっさと二階へと上がっていってしまった。
一人残された店内。私はひとつ溜息を吐き、
「血統書付きの陰陽師ってみんな美形揃いなのかなぁ…」
と愚痴を溢していた。そんな私にサンが、
「ママもかわいいよ?」
と言って頬を寄せてきた。ありがとね、サン。
夕闇の境にある『祟り庵』で、相志と夢見が膝を突合せ座っていた。夢見もカフェで見せていた飄々とした雰囲気ではなく、真剣な面持ちである。
「それで、話というのは?」
相志が切り出した。
「はい――長髄彦の魂を捕らえましたので、ご報告に」
長髄彦。その名を聞き、相志の眉がピクリと動く。
「とは言っても偵察が任務だったらしく、充分な情報を得るには至りませんでしたが…それでも消息を絶った事で、長髄彦はこの町に注目する事になると思います」
「それは何よりです。紫苑様もお喜びになるでしょう」
相志が静かに応じる。だが、夢見はその言葉に異を唱えるかの様にしかし、と溢し話を続けた。
「本当に宜しいのですか?いくら相志様が歴代最強と謳われる方相士だとしても…押し寄せる長髄彦から紫苑様を守りきれるとは――やはり私の『月光の森』と蝶達を…」
身を乗り出して相志に訴える夢見。だが、相志は静かに首を振り、
「憂さん。申し出は誠にありがたいのですが――これは紫苑様がお決めになられた事。主が“やる”というなら刀はそれに従い刃を振うだけ。」
と言った。
「妬けますね…その迷いの無い目。でも俺は一緒に――」
その時、『祟り庵』の障子が静かに開き、狩衣姿の紫苑が姿を現した。相志と夢見が座したまま頭を下げて迎える。
「ご苦労様でした。憂さん。感謝致します」
紫苑は二人の間に座ると夢見に向かい、手をついて頭を下げた。
「紫苑様…!俺などに頭を下げる事などありません!どうかお顔をお挙げ下さい」
その様子に気が付き、あまりに畏れ多い慌てる夢見。紫苑はその様子に、
「もう『葛葉』の“家”は存在しません。もう主従の関係ではないのですよ。私達の間には、絆と深い闇があるだけ――そうでしょう?」
と少しだけ寂しそうな表情を浮かべながらそう言った。
「それでも俺の魂は紫苑様に従う事を望んでおります。是非とも俺と蝶達もご一緒させて頂けないでしょうか?!」
はっきりと言い切る夢見。だが紫苑はそんな夢見に対し、
「それはなりません。これは私個人の問題なのですから」
と、明確に否定の意思を見せた。
「ですが『長髄彦』を相手に…相志様お一人では――」
何としても助力を願い出ようとしている夢見に、紫苑が告げた。
「悲願達成の為には手段を選びません――あの日から私は『百鬼夜行』を準備しています」
百鬼夜行――それが意味する事を理解した夢見は思わず目をギュッと閉じて俯くしか出来なかった。
「それしか――本当にそれしか無いのでしょうか…」
まるで愛する人から永遠の別れを告げられたかのように。膝の上で拳を握り、肩を震わせる夢見。
「これが一番確実です。ここで全てを精算するためにも」
感情を見せず、ただ淡々と話す紫苑。
「あの子…若葉殿に『百鬼夜行』の話は?」
「しておりません。これは彼女が背負うべき業ではありませんから」
その時紫苑は、ほんの少しだけ、一瞬だけ。長年紫苑を見てきた者だけが漸く窺い知れるような――哀しみに顔を曇らせた。
「憂さんは引き続き、街に目を光らせて下されば結構です。くれぐれもやり合おうなどと思いませんように――奴らは私の獲物です」
紫苑はそう言って立ち上がり、『祟り庵』を後にした。
床に拳を突き、俯いて肩を震わせる夢見。そこへ相志が静かに声をかけた。
「先代様――紫苑様の父上殿が殺され、力を失った葛葉は、紫苑様の保護という錦旗を名目に物部へと吸収される所でした。それに異を唱える紫苑様を隠し、私達を鍛え、タタリアン開店の準備までして下さったのは夢見様です」
「あの時は俺もまだ若かったですからね。いい女を取られたくなかっただけですよ」
皮肉そうに笑いながら応じる夢見。
「私も紫苑様も、夢見様に恩義を感じているのです。だから貴方を――」
死地に立たせたくないのです。
相志はいつもの様子で。だが鉄の意志を込めて夢見へと伝えた。
「だったら何故…『百鬼夜行』など使わずに俺を頼って下さればきっと違う手も!」
夢見の痛切な訴えを、相志はゆっくりと首を振り否定した。
「賽は投げられています。僕も紫苑様も――もう引き返さない」
そう言って左手を胸の前に翳し、袖を捲り上げる。相志の左腕には一枚の札が――様々な図形や文言が記されているのであろう呪い札が貼り付けられていた。
「分かりました…けど一つだけ、臣下としてではなく、年長者からとして言わせてくれ」
袖で目を拭い、おっこいせと立ち上がる夢見。
「冥府の一本道にだって希望が落ちている事もある。もっと周りをよく見るんだよ、相志」
そう言い残し、夢見は『祟り庵』を後にした。
立ち去る夢見の背を、相志は何も言わず、ただ平伏して見送った。
「あ、夢見さん。お話は終わったんですか?」
二階から降りてくる、いつもと違う足音でそれが夢見さんだと気付いた私は笑顔で声をかけた。ついさっきまで手に齧りついていたサンも夢見の足元を走り回って遊んでいる。
「あぁ。相志様はもう少し上に居ると思うから」
そう言ってにこやかに笑う夢見さん。けど――寂しそうに見えるには何故だろう。
「そういえば…紫苑さんを様付けは分かるんですけど、どうして相志さんも様付けで呼ばれるんですか?」
夢見さんともう少し話をしてみたいなと思ったので気になったことを聞いてみた。
「そっか。若葉ちゃんは“家”の事は知らないんだもんね」
イートインの椅子に腰を下ろす夢見さん。手招きをしてきたので私も向かいに座る。
「あれ?隣でいいのに」
「大丈夫です」
夢見さんは小さく笑い、そして話しだした。
「紫苑様にとって相志様は護衛役、というのは分かるかい?」
「あぁ――それなら以前、こんぺいさんに『守り刀』と教えて貰ったような…」
「そうだね。その中でも相志様のような、当主を守護する存在は『方相氏』と呼ばれるんだ」
「ほうそうし?」
「節分の豆まきは知ってるよね。あの『鬼は外、福は内』のアレ」
節分も豆まきも知っているが、それと陰陽師の結びつきが分からない。首を捻っていると、
「節分というのは元々、宮中の魔を払うために陰陽師が取り仕切っていた行事なんだよ。そして方相氏とはその『鬼を退ける』役職の名前なんだ。鬼を退け陰陽師を守る懐刀。我ら普通の臣下とは別格の存在なんだよ」
はぁ…と溜息しか出てこない。そんな古い時代からの役職なのか。
「まぁ『葛葉』の家が無くなってしまった以上もはや形骸、と本人は思っているんだろうけどね。それでも俺のような“臣下”からしてみれば雲の上みたいな存在なんだよ」
「織田信長の御母衣衆みたいなものですね」
私がそう言うと、多分そんなもんかな、と夢見さんは笑った。
「若葉ちゃんも紫苑様のように『妖怪』を使うのかい?」
「はい。私も一度『幽谷響』を使った事があります」
そう答えると、神妙な顔付きになり、
「…ちゃんと御魂には戻したかい?」
と聞いてきた。
「はい。紫苑さんに教えて貰いました」
それを聞いて夢見さんは安心したように息を吐いて、それから少し考え込むと、
「これは若葉ちゃんへのプレゼントだ」
と言って私に三冊の薄い古書を手渡してきた。表紙にタイトルが記されているが、達筆すぎて私には読めない。開いてみると、見慣れた雰囲気の妖怪画が並んでいた。
「それは『百鬼徒然袋』だ。『歳神』を使う君になら、きっと上手に扱える筈だよ」
「どうして、これを私に?」
「オジサンの内申点を上げておこうと思ってぇーうふっ」
と言って冗談ぽく身体をクネクネさせながらウインクをして笑っていたが、私がジトーっと冷ややかな視線を浴びせている事に気が付くと咳払いをし、居住まいを正した。
「これは主に付喪神が記された本なんだけど、紫苑様は所有していないんだ。『辻神』とは相性が良くないみたいなんだよね」
そう言われ改めて本を開いてみると、主に生活道具が化けたような器物の妖怪ばかりが収められている。確かに、楽器や鍋では、対象者を直接的に祟る辻神では難しいのかもしれない。
「だから君に使って欲しい。プレゼントさ。ちなみに解読できれば付喪神を造りあげる事も出来るようになれるオマケ付きの本なんだよ」
三冊を胸に抱き、ありがとうございます、と礼をする。そして顔を上げると、思わずドキリとするような、切なそうな表情で、
「紫苑様の事――どうか、宜しく頼むよ」
そして、じゃあねと夢見は店を後にした。
その背中に演技ではない悲しみの様なものを感じ、声をかけようかとも思ったが何と声をかけるべきかが分からず、結局そのまま見送った。
「ママ、あの人ないてたよ」
サンも夢見の気持ちには気付いていた。けど本人の前では言うのを控えていたようだ。
「そうだね…」
二階では何が話されていたのだろう。
次なるお話は『川赤子』。親を求めて川辺に浮かぶ祟りは如何なるものか。ご期待下さい。