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6-3 溝出

 さっさとあぁすれば良かったのに。何でもっと早く片付けなかったんだろう。


 青柳伊知郎は焼酎にお湯を注ぎながら考えた。

 母親だから?

 飯も作れない、洗濯も出来ない、臭いだけの役立たずなんて親と言えるのか。

 でも、あいつのお蔭で何もせずに金が貰えるのだから、少しは感謝するべきだったのか?いや、『何もせず』ではなかったな。俺の金から弁当を与え、俺の金からオムツを与えていたんだから――結局、お荷物だったんだ。


 あの日は『水をくれ』と煩かったので、イラっとしてつい焼酎の瓶で頭を思い切り殴り付けた。噴き出した血に一瞬怯んだが、俺を見ながら口をパクパクしている様子が不思議と生き物には見えず、母のような汚いモノとしか見えなかった。


 だから――なげた(捨てた)


 押入れからプラスチックの収納ケースを出し、中身を空にすると母を放り込む。手足がはみ出たので、はみ出した所からポキポキと折り畳んで詰め込んだら、丁度納まったのだ。

 これで気兼ね無く酒が飲める。

 処理は後でいい。今は酒が飲みたい。そのうち庭にでも埋めよう。



 そうして一人で酒を飲んでいると家の奥でゴトゴトと音がした。

 さては猫か鼠でも入り込んだか。

 一番奥の、日当たりが悪い部屋――母が寝ていた部屋から音は聞こえていた。

 床に転がっていた焼酎の瓶を握り、襖を開けるが、誰も居ない。しかし音は聞こえている。音の正体を探ろうと、様々な匂いが染み付いた室内に足を踏み入れる。

 音は押入れの中から聞こえていた。何事かと襖を開けると――

 母を入れた収納ケースがごとごとと揺れていた。


 生きていたのか――?

 殴り付け、手足の関節を折り、ケースにぎゅうぎゅうに詰め込んだというのに。

 死んでいる婆が動く訳がない。

 だが俺の目の前では、実際に腕の力でケースの蓋を中から押し開けようとしている。なら生きていたのだろう。死に損ないの癖にしぶとい婆だ。

 俺はガムテープを蓋の上から貼りつけ、更に蓋の隙間をガムテープで埋めた。そしてそのまま部屋に戻り酒を飲んだ。

 人騒がせな婆だ。あのまま燃えるゴミに出してやろうか。


 すると今度はどばん、どばんと何かを叩きつける様な音が聞こえてきた。

 再び収納ケースの様子を見に行くと――みっちり入れられたケースの中で、腕を動かしてはケースの側面を何度も拳で殴り付けていた。


 細く萎びた拳が。

 何度も。何度も。収納ケースの側面に叩きつけられている。


「い…いい加減にしやがれこのクソ婆ぁ!」

目の前で起きている、現実とは思えない光景に尻込みしそうになるが、大声を上げて踏み止まる。

 だが、プラスチックのケースを殴りつける勢いは衰えるどころか次第に増す一方だった。


 そして。

 箱が壊れた。


 収納ケースの側面には穴が開き、そこから萎びた腕が――いや。

 殴りつける力に老いた皮膚が耐えられなかったのだろう。痩せ衰えた皮と肉はべろりと剥げ、肘の辺りからだらりとぶら下がり、血に濡れた白い骨が。腕の骨だけが拳を握ったまま突き出されていた。


 こんな事が起こる訳が無い。きっと酒が切れそうになって幻覚を見ているんだ。

 酒を飲めば元に戻る。そうだ――そうに決まっている。

 そう言い訳しながら、腰が抜けたのか酒の所為なのか。立って歩けず這って部屋を出ようとする。


 だが。


 ぐちゅ。

 衣装ケースの方から音が聞こえた。

 ぐちゅ。ぶじゅ。ぶじゅじゅ。ちゅぽん。


 畜生。今度は一体何だってんだ。

 振り返ると――

 突き出された白い骨が伸びていた。


 ぶじゅ。ぐちゅ。ちゅぽん。

 いや違う。


 出ている骨が増えている。

 裂けて剥げた肉と皮の傷口から。

 骨が出てきている。

 チューブを押したら歯磨き粉が出て来るように、傷口から骨が出てきているのだ。

 右腕の骨、右の鎖骨から左の鎖骨。そして左腕の骨が現れる。小さな腕の傷口から、左右の腕の骨だけが脱け出ている。

 そして――


 ぶじゅぶちゅぶじゅじゅじゅじゅ。


 凄まじい音を立てながら、背骨がぞろりと抜け出てきた。

 すると今度は両腕の骨で、自らが生えてきた腕の傷口を穿(ほじく)り返し、肋骨を抜き出すとそれぞれの位置に納め始める。


 なんだこれは。

 まるで古い海外のドタバタアニメを見ているようだ。

 残念なのはこれがアニメじゃないことと、俺の目の前で起きているという事だ。


 そして、傷口の大きさを無視して骨盤が、まるでズボンを脱ぐかのように右足の骨、左足の骨が現れ。ついに――

 俺の目の前には首の無い骨が立っていた。


 首の無い骨は手探りで脱ぎ古しの傷口を探し当て、おもむろに右手を突っ込むと引っ張り始めた。


 じゅぽんっ


 ひと際大きな音がして、首の無い骨がひっくり返る。

 そして四つん這いになったままだった俺の腕に何かが転がってきた。

 見たくは無いが、思わず目をやってしまうと――


 最後の一つ、頭蓋骨が俺を見上げ――

「ははははははははははははははははははははははははは」

口を開け、高笑いを。


 俺は一目散に居間へと転がり込み、安酒のボトルに直接口を付けると浴びるように飲み続けた。

 これは酒が切れた所為だ。酒が切れたからあんな幻覚が見えたんだ。骨が抜け出てきたり笑ったり。そんな事が起こる訳が無い。


 すると今度は台所から水を出す音が聞こえ始めた。

 ある訳無いと思いながら、冷たい廊下を足を忍ばせて台所の様子を窺うと――


 さっきの骸骨が台所に立ち、汚れたままで放置していた皿を洗っていた。

 何故化物が皿を?


 その時、台所に立つ骸骨が、左肩を竦め、首の骨をコキリと鳴らした。

 そのしぐさには見覚えがあった。


 あれは俺がまだ小さな頃だ――

「これが終わったら肩ぁ叩いてけねぇか」

「嫌だじゃそんな面倒くせぇ」

「――そう言うと思ってたサ」

そう言いながら、左肩を上げて首をゴキゴキと鳴らしていた。それに、若い頃の行商で膝を悪くしたという、少し右に傾いた立ち方は。


 母さん。


 老いて歩けなくなり、布団に寝たままで尿便を垂れ流すだけの汚らしい存在となった婆ではない。

 あの頃の母さんが骸骨となってそこに居るように見えた。


 骸骨が。

 皿洗いの手を止めずに首だけ後ろを向いて。

 あの頃の母さんの声で静かに言った。

「ここば片付けたら――次ぁお前ぇんとこだすけな。片付けとけ」


 俺はあの頃に還ったのか。

 無邪気で。純粋で。何の心配も無く日々を過ごせていたあの頃に。

「――わがった、母ちゃん」

俺は台所からビニール袋を掴み、居間に転がる空き瓶を片付け始めた。


 これでまたあの頃のように褒めて貰える。そうすれば、オヤツに蒸かした芋を出してくれるんだ。


 かつり

 かつり


 固い足音が廊下を近付いてくる。


 俺は酒を飲みながら母さんがやってくるのを待っていた。


 ぞろ。ぞろ。


 ゆっくりと背後の襖が開いてゆく。

 廊下からひやりとした空気と――生臭い匂いが入り込んでくる。

 俺は背を向けながら、酒を飲み続けていた。


「おめ――部屋ば片付けたのか」

背後から。ゆっくりと母さんが話しかけてきた。吐息に乗って嗅ぎ慣れない匂いが鼻をついた。何故だか俺はその匂いを嗅いで、青森にあるお寺の墓所を思い出していた。

「んだよ。偉かべ」

あの頃はこれでいつも褒めて貰えたんだ。今日もきっと――


「じゃあ――あとはお前だ」


 背後に立つ母さんは、そんな俺の腕を骨の指で掴むと、万力の様な力で締め上げてきた。そのまま背後に引き倒される。

「痛ぇな!何すっけ!手ぇば放せ!」

だが俺の腕を掴む力は更に強くなり、腕を掴む骨の指が腕の肉に刺さって血が流れ出した。

 褒めて貰えると思って酒瓶を片付けたのが失敗だった。片付けられた部屋には殴りつけられるような物など何処にも無い。

「畜生!放しやがれ!何でこんな事するんだよ?!」

その時――

「おめぇみったロクデナシ、この世さ遺したら世間様の迷惑にしかなんね」

懐かしい母さんの声。母さんの口調。だが。

「――だからお前も死ぬんだよ」

そう冷たく言い放たれた言葉は、母さんのそれではなかった。

「うるせぇ黙れ!親の金は息子である俺の金だろうが!俺が使って何が悪い!」

腕を振りほどこうと必死にもがくが、腕を締め上げる力は増すばかりで、暴れた事で肉が裂け、骨の指が余計に食い込んだ。

「それが貴様の本性だ。自分勝手で他人を省みない――骨の髄まで腐り果てた畜生だ」

そう話しながら骸骨は、俺の腕の肉が裂けるのも気にせず、もがき暴れる俺を奥の部屋――婆を入れた収納ケースのある部屋へ引きずり込んだ。収納ケースは穴があいたままであり、その穴からは()()()()()()()死体の腕がだらりと垂れ下がっていた。


「てめぇ一体何なんだよっ!」


「私は溝出」

「みぞい…だし」

その時、表情など分かる筈の無い髑髏の顔が、笑ったように見えた。

「未練や心残り――肉。全てを棄て()()()だけで踊る」

骨の指が俺の顔に向けて近付いてくる。


 ――祟りだよ。


 首を掴まれ吊り上げられる。

骸骨の乾いた笑い声。

 これが終わるまでしか生きられない。アルコール漬けの頭でもそれくらいは分かる。


 死んだ母親ってのは強ぇな。

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