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5-3 野宿火

 あの子には本当に悪い事をしたと思う。

 殺してあげられなかったから。


 あの時の僕は、ただの興味本位であの子の手足をハンマーで叩き壊した。

 むしゃくしゃしていた、とか親に迷惑をかけてやりたかった、とか理由は色々とあったのだが、自分より弱い者を徹底的に責めぬいてやりたいという思いが根底にはあった筈だ。

 自分の事なのに“はずだ”なんて曖昧なのは――動機が上書きされてしまったから。


 僕が警察に捕まると、頼んでもいないのに弁護士がやって来た。

「私に任せて貰えれば、罪を軽くしてあげますよ」

所謂、人権弁護士と言う奴だ。僕の裁判で勝ち、名を売りたいと言うのが本音だろうが、自薦と他薦だったら自薦の方を選びたいのが普通だ。

 そして僕は、彼の書いたシナリオ通りに笑ってしまう様な供述を行った。

 面白いことに、そんな供述を続けるうちに、いつしかそれが本当の動機だと自分でも信じ込んでしまっていた。自分で自分を騙した事になるのだろうか。いや。本気でそう思い始めたのなら、それは新しい動機なのだろう。


 そして僕は弁護士の思惑通り頭がおかしい子供と判断され、医療少年院への送致が決定した。

「それで貴方はよく被害者家族の顔を見れますね」

判決が出た後、僕がそう聞くと彼は、そんなの見たこと無いさと笑いながら、

「話題性のある事件で勝ちを得る。これが良い宣伝材料になるのさ。所謂プロモーションだね」

と言いのけ、さらには、

「悪人を普通に裁くだけじゃあ儲からないんだよ、この業界はね。弁護士なんて苦労して免許を取っても、大半はどっかの事務所に就職して、借金の利息をちょいと()()()様なセコい仕事さ。まぁ俺達の中には、本物のお花畑も居るんだけどね。君のようなクズ――っと失礼、依頼主をクズ呼ばわりはダメだよね。まぁそんなクズを本気で救えると思ってる奴らがさ、居るんだよ。笑っちゃうだろ?」

とも言っていた。

 彼も人間としてはクズの部類に入るのだろう。真っ当な暮らしをしてきた人達からすれば。

 まぁクズ同士気が合ったのだろう。再犯の時には指名するよ、と約束しておいた。




 そして僕はその約束通り、あの時の興奮をもう一度味わいに公園を訪れた。

 医療少年院では医者のオバサンは勿論、同性ともそういう行為に及んでみた事はあったのだが、あの時の様な興奮は得られなかった。

 気持ち良くなかった訳ではない。ただ、身体の芯が熱くなり、ごうごうと血液の巡る音だけが耳に響くような、脳がはち切れんばかりの興奮は味わえなかった。


 やはり――叩き壊すしか。

 そう結論付けた僕は、夕暮れの公園、木々の暗がりの中へと身を潜ませていた。

 時間は夕方。人通りの少なくなった頃合いを見計らい、誰でもいいから――いや、できれば若い、小さな子が居れば尚良しだ。


 だが場所が悪かったのか時間帯が良くないのか、獲物となる人間が誰も通りかからない。

 簡単に捕まるわけには行かないので徹底的に下調べをして、ベストな場所と時間を選んだはずなのに。今日に限って誰も通りかからない。


 辺りが暗くなり、公園の街灯が灯りだした頃、僕の潜む低木の葉が背後から幽かに明るく照らされた。

 これは車のライトが照らすのとは違う。背後で明るい何かが揺れている。

 振り向いてみると、木のすぐ傍に火がついていた。

 けど、ここに身を潜めた時もそんな痕跡は見当たらなかったし、勿論、身を隠している僕がこんな所で火を起こす訳がない。


 けど、僕の目の前では焚き火の様に火が上がっている。

 それに何故だか懐かしい。見つめていると僕の中の何かが開放されていくような――そんな錯覚を起こしてしまいそうになる。

 そうしてこの不思議な火を眺めていると、僕の隣に何かが現れた。


 緑色の学校指定ジャージを着た男が、小さな男の子の腕を引っ張って、この草陰に飛び込んできた。

 パッとしない髪型。気色悪い目つきを興奮で充血させたそいつは、先客である僕の存在などお構いなしに小さな男の子を地面にねじ伏せていた。

 何処かで見た事がある。いや、生まれてから嫌と言うほど眺め続けてきたこの顔は。


 こいつは――僕だ。


 何故僕が目の前に居る。

 しかもあの時の僕が。あの時の子供を連れて。ここに居る。

 けどそんなことはどうだっていい。

 先ず最初に金槌を振り下ろすのは――うつ伏せにした右手の肘の筈。そう思いながら僕が見ているボクは、左手で子供の後頭部を押さえつけ、金槌を右の肘に振り下ろした。

 くぐもった悲鳴。骨の砕ける音。

 だが僕の耳にはその音は届かなかった。あの時の――耳がジンジンする程の興奮が全身を貫いていたから。

 次は――左肘を失敗して。そう、膝だ。

 目の前のボクが金槌を振り下ろす。

「そうっ…そこっ!そうだ!そこで指を!」

目の前で繰り広げられる光景は、僕が求めてやまなかったあの時そのものだった。あの時のボクが金槌を振るうたび、僕は発情した犬のようにズボンの中で放出し続けていた。


 ズボンがどろどろになったのも気にせず、全てを搾り出した僕は肩で荒い息をする。

 そして興奮の波が退いてゆくと共に、僕はこの出来事をやっと、おかしいと思い始めた。


 何故あの時の光景が?あの時とは場所も時間も違うのに。

 ならこれは幻なのか?

 でも目の前で金槌を振るう僕は、あの時の僕そのものだ。けど目の前で幼い子供に金槌を振るう僕は、あの時の様に邪魔される事無く、目を潰し、歯を砕き、呼吸に合わせ血の泡を吹いても続けられている。


 本当の僕はここまで出来ていない。

 一体何が――


 そう思った瞬間、腕を誰かに掴まれた。

 反射的に目をやると、巨大な掌が僕の腕を乱暴に掴んでいた。男の手だろう。けどどこか幼げな印象を受ける、とても大きな手。

 その手は僕をもの凄い力で引き寄せ、地面にうつぶせに押し倒した。


 とても大きな掌が、僕の後頭部を地面に押し付ける。鼻が地面に押し付けられ、息をする度に土埃を吸い込んでしまう。

 何が起こっているんだ?とにかく立ち上がらなければ。そう思い必死にもがくけど、頭を押さえ付ける大きな腕が起き上がる事を許さない。


 その時、右腕の肘に雷が直撃したような衝撃が走った。

 堪えられず悲鳴を上げるが、その声も地面に吸い込まれる。

 続いて左腕に痛みが走る。二度三度。何かに噛まれたかのような、肉を抉られる痛み。


 まさか。


 そう思った瞬間、左腕の肘にも雷が落ちた。


 そんな――これではまるで。


 そして僕の身体は仰向けにさせられ、顔面に巨大な尻が降りてきた。

 息が苦しい。ジャージの汗臭さと洗っていないパンツの匂いに吐き気がする。


 これは僕の――


 だがそんな考えも、両足を破壊される激痛の前にはどうでもよくなっていた。膝に。脛に。足の指のつま先に。何度も何度も金槌が振り下ろされてゆく。激痛に気を失いそうになるが、新たな激痛が僕の意識を強制的に引き戻し、耐えられずに意識を失いそうになると――また激痛が意識を引き戻しに襲ってくる。


 おねがいだからもうやめて。

 痛みに身をよじる事も出来ず、ただそれしか言えなくなった頃、ようやく仰向けの顔面から尻が離れた。

 見たくない。けど思わず見上げてしまった視線の先には、やっぱり――

 あの時の僕が居た。


「もう…やめてくれよ。誰なんだよ、お前」

悲鳴を上げたくなるのを堪えて目の前に居る自分に声をかける。

「僕は君だよ。あの時の僕さ」

目の前に居る自分は、見慣れた薄気味悪い笑みを浮かべ応えた。あぁ。毎日顔を突き合わせてきたその気色悪い目は確かに僕のものだよ。けど僕はここに居る。ならお前は何処から来た。


「お前も…僕なんだろ?なら――もう」

もういいだろ。あの時の僕はそれ以上、出来なかったんだから。

「煩いなぁ。まずはその口を利けなくしてやろうかな」

だが目の前のボクは僕の顎を掴むと、唇にめがけて金槌を振り下ろしてきた。

 唇が裂けたのだろう。頬や口の中を温かい液体が伝う。けど痛くても暴れる事もできず、声をあげる事も出来ない。

「ほらぁ。無駄な抵抗するから口が裂けただろ?ちゃんとイーってしなきゃあ。ほらイーってしろよ」

気持ち悪い目つきで僕を見下ろしてくる。僕は目の前に居るボクの言う事を聞き入れ、裂けた唇が痛むのも構わず、ボクに向かって歯を見せた。

「んんーいい子だね。これで」

開けた口の中に金槌が振り下ろされた。金槌は上顎、前歯に当たり、僕の前歯を粉砕した。

「歯が壊しやすくなった」


 そして何度も僕の口の中に金槌が振り下ろされた。


 前歯は殆どが叩き折られた。唇も千切れて口の中にぶらりとぶら下がっている。折られた歯は口に溜まる血と一緒に飲み込んだ――そうするしかなかったから。


 僕の顔をした何かは、相変わらず気色悪い目で笑いながら僕を見下ろしている。

 僕は頭のおかしい子供だったんだ。刑事裁判にもならずに済んだ。僕は悪くない。もう病気は治ったのに。何故こんな仕打ちを受けなきゃならないんだ。

 お前は僕なんだろ。だったら何で僕をこんな目に遭わせるんだよ。

 そう考えていると僕の考えが通じたかのように、

「君は大きな勘違いをしている。僕は君だけど――君じゃあない」

僕の顔をした何かが僕の声で答えると、目の前に立つボクの姿がぼやけたように見えた。


 いや違う。ぼやけているんじゃない。形がなくなっているんだ。

 水面に波が広がるように、目の前に立つボクから色と形が消えていく。


 そして今、僕の前に立っているのは、人の形をした白い影法師のような形だった。

「いやだもうやめてたすけてやめてやめてごめんなさいおねがいたすけて」

気が付くと僕は思い付く限りの言葉で許しを乞うていた。


「気が付いてるかなぁ。その言葉――あの子と全く同じだって」

目の前の何かは震え波打ちながら僕の声と同じ音で答えた。それでも言わずにはいられない。これが言えなくなったらその時僕はきっと――死んでいる。


「これは君が望んだ行い。これは君が夢見た行為。ボクはそれを君に味わってもらうのさ。なんたってボクは――」

祟りだからね。


 目の前に居るなにか――祟りはそう言って笑うように震え、僕の目に金槌を振り下ろした。

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