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5-2 野宿火

R2.10.5 加筆修正

「いらっしゃいませ」


 殴り込みに来たような表情で店のドアを開け、そして店内の雰囲気に戸惑う。これは『祟り』のお客様特有の反応だ。

 腹を括り、薄暗い興奮を纏って扉を開けたものの、呪いや祟りと言った雰囲気すら想像もできない店内の雰囲気に戸惑ってしまうから。

 今、ショーケースの前で腰を屈めながら、並んだケーキを慎重に選んでいるこの女性もそうだった。かつての私もそうだった。

 ケーキを選び終えたのか、女性がイートインコーナーに座ったので、水とメニューを持って伺う。

「『栗のミルフィユ』をコーヒーとセットで――お願いします」

そう言って私の顔を見ながら、道端によく咲いている小さな薊を一輪、テーブルの上に置いた。私もそうだったが、殆どは店員がテーブルを離れてからそっとテーブルの端に置くのに、随分と度胸の座った女性ひとだと思いながら席を離れると、肩に乗ったサンが彼女の怒りと悲しみの匂いを私に伝えてくれた。

 間違いない。私は厨房に入り、

「栗のミルフィユをコーヒーセットで」

オーダーを読み上げると、こんぺいさんを見て、

「――お願いします」

と言った。こんぺいはイートインコーナーの女性を見ると小さく頷いて、

「人妻からの怨みかい。こいつぁ腕が鳴るねぇ」

そう言うと女性の背後にふよふよと泳ぎ、『怨みの記憶』を調べ始めた。ちなみにサンは私の肩の上で、そんなこんぺいさんの様子を見つめている。後輩という立場を弁えているのか、先輩式神の仕事に首を突っ込むような事はしないサンだった。

 やがて確認を終えたこんぺいさんがふよふよと厨房に戻ってきました。

「彼女の子供が…まだ小さな頃に手足の骨を粉々にされてるぜ。しかも、最近その犯人が平然と目の前に現れて――挑発してやがる」

いつになくこんぺいさんの口調が重い。

「なんで?普通そんな事したら、刑務所じゃないの?」

私がそう質問するとこんぺいさんは、

「やった相手は未成年だ。しかも医療少年院で済んでいるらしい」

と、苦々しそうに言った。

「では、早くて数年で戻って来るだろうな。はい、若葉さん。お願いします」

相志さんが栗のミルフィユと『夕鈴見の粉』を溶いたコーヒーをトレイに乗せて差し出した。

「相志、姐さんの支度――頼んだぜ」

こんぺいさんはそれだけ言うと裏口の猫用出口からちゅぽんっと出て行ってしまいました。

「こんぺいさん、なんかちょっと怖かったです…」

私はその後ろ姿を見送って、相志さんに声をかけました。

「こんぺいはあぁ見えて子供好きなんですよ。紫苑様が幼い頃に作った式神だからでしょうかね。なので相手が許せないのでしょう」

と相志さんは言って、後はお願い致します、と二階へ上がって行った。


 女性はケーキーとコーヒーを平らげた後、しばらく落ち着かずに店内をキョロキョロとしていたが、やがて大きな溜息を吐くと席を立った。

 そして「私は何をやっているんだろう」という表情で会計を済ませ――扉をくぐって『夕闇の境』へと足を踏み入れていった。

 私達も『夕闇の境』へ向かおう。肩に座るサンが小さく頷いた。


 建物の二階、黒塗りの障子を開け、薄暗い広い畳の部屋に入る。ここは『夕闇の境』にある怨みを聞き届ける場所、『祟り庵』と繋がっているのだ。

 障子を開けてすぐの所に相志さんが正座している。そしてその奥。薄紫色の装束を纏い、蝋燭の灯りに照らされて障子の前に座る紫苑さんが居た。

「お客様をお連れ致しました」

紫苑さんが向かう障子の向こうからこんぺいさんの声が聞こえる。

「身体と将来を無残に砕かれた上、魂にも傷を負わされた子の復讐に燃える魂の持ち主よ」

紫苑さんが穏やかに言う。

「我々、闇の陰陽師が、貴方のその怨み――祟りと成しましょう」

少し間を置いて、障子の向こうで女性の声が響いた。

「不思議な世界、不思議な生き物…全てを知る陰陽師…異世界では言葉なんて不要という事なのでしょうね」

女性の一人語りは続いた。

「法律はあの男を許し、更生の機会を与えました。けれど、私はそれが許せない。何食わぬ顔で息子に近付き、嘲笑い去っていった、あいつが――ゆるせないんです」

女性の声は震えていた。

「お願いします。あの男を――祟ってください」

 その問いかけには応じず、依頼人の元へ形代を飛ばす紫苑さん。

「その形代に、貴方の血を頂きます」

「――指を出しな」

声をかけるこんぺいさんの声がいつにも増して渋い――人妻好きだからなぁ。

 そして僅かの時間が流れた。人妻の指を堪能したのだろうこんぺいさんが促す。

「その血をこの紙に押し付けるんだ」

はい、と声がした後少しして、血の付いた形代が障子の隙間から紫苑さんの手元へと戻ってきた。

「貴方の身体に流れるその怨み――ここに頂きました。この形代が貴女の血と怨みを受け継ぎ、祟りとなるのです」

そしてこんぺいが扉まで案内し、『夕闇の境』を出てゆく――そのはずだったが、遠ざかる気配が止まり、再び女性の声が部屋に響いた。


「最後にこれだけ――教えて頂けませんか」

お調子者のこんぺいさんも無言だ。紫苑さんも無言だ。だが静寂を肯定と取ったのか、女性は続けました。

「法で許された者を許せず復讐を願う私は――人ではないのでしょうか。子供を守る為に、相手を殺すと決めた私は――鬼なのでしょうか」

 暫しの沈黙が流れる。紫苑さんは答えないだろう。そう思っていた。

 けど、

「許す心も許せない心も――すべては人の思いです」

そう言った紫苑さんの声が聞こえた時、私は、おそらくは相志さんも驚いていたと思う。

「自分の子を守る、仇を討つ――人の親ならば当然でしょう」

紫苑さんの言葉を受け、祟りを願った女性はひと筋の涙を残し頭を下げると、『祟り庵』を後にしていった。

「では参りましょう。『鬼哭の辻』へ」

そう言って立ち上がった紫苑さんの表情はいつもと変わらず美しかった。




 黒い板塀はいつの間にか途切れ、気がつくと草ばかり生える荒れ野を貫く路を往いている。

 今回は何故、紫苑さんはあの女性の問いに答えたのだろう。いつもなら定型文の様なやり取りだけなのに。

 何か思うところがあったのだろうが、それを相志さんに尋ねるのも気が引け、結局無言のままで『鬼哭の辻』に到着した。


「紫苑様、今日は何をお使いに?」

いつものように相志さんが紫苑さんに尋ねる。

「えぇ。『絵本百物語 巻第一』を」

紫苑さんの言葉に相志さんとこんぺいさんが頷く。

 相志さんが十字路――辻の中央へ輪を描くように蝋燭を数本立て、その中央へ『絵本百物語 巻第一 』を置いた。

 相志さんが蝋燭の輪から離れると、今度はこんぺいさんがふよふよと蝋燭の円に近付き、その口から細い糸の様な炎を吐いて蝋燭に火を灯した。


 紫苑さんが左手に骨鈴を持ち、辻の真ん中に並べられた蝋燭の輪に近付く。

 左手の骨鈴を軽く振ると、骨同士のぶつかり合うカラカラという寂しげな音が周囲に響いた。


「双盃の左 塵玉の右 天を地と成す 逆撫の社」

唱えながら、左足の草履をたんたんと踏み鳴らす紫苑さん。

右手を胸の前で握り、人差し指と中指を立て、印を結ぶ。


「黄幡の御座は地に伏して 歳破の兵主は我が前に集う」

その言葉に応じるように、四辻の草むらから、土の中から『辻神』が現れ、地面に立てられた蝋燭の円を前にそれぞれ並んだ。

その様子を見た紫苑さんが呪文を唱え始める。


「逢魔が時より出るモノ

 誰そ彼に横たわる形無き理の貌よ来たれ

 絵姿に寄りてここに現れよ

 怨みを糧に踊り出で怪異きを為せ」


 円の中に置いた『絵本百物語 巻第一 』の頁がパラパラとひとりでにめくれてゆき、やがてピタリと止まった。


 美しい桜の下で火が焚かれている。

 されど宴席にはあらず。

 火の回りには誰の姿も見えない。酒も肴も無い。

 だが火だけが燃えている。

 薪も無く、火の守りも居ない。それなのに燃えている。

 宴のさまを思い出させんが為にと燃えている。


 そんな絵が描かれている。


 紫苑さんが狩衣の胸元に右手を差し込んだ。抜き出された指の間には依頼人の血を受けた形代がある。

 「怪威招来――野宿火(のじゅくび)!」


その言葉と共に、紫苑さんは円の中に形代を飛ばし入れた。

 すると、呼応するように黒い足首、『辻神』達も囲いの中へ我先にと足を踏み入れてゆく。

 途端、排水溝に吸い込まれる汚水のように、黒い足首達が血の付いた形代へと渦を巻いて吸い込まれていった。そして全ての辻神が吸い込まれた途端、円を作るように置いていた蝋燭の火が火柱となって吹き上がった。そしてそれは渦を巻き、巨大な焔の竜巻と化した。


 炎熱と轟音が掻き消え、煙と土埃が残された『鬼哭の辻』に何か――いや、

 道の真ん中に、青い火が揺れていた。

 燃えるものなど何も無いのに、そこに火だけが青々と燃えている。

 見ていると心の奥がもどかしくなってくる。

 あの火の向こうに何か――ありそうな気がして。

 もう少し――あと少しだけ近くで――と思っていたら、相志さんに肩を抑えられた。


「…えっ?」

「それ以上は危険ですよ、若葉さん」

もしかして――誘われていたのか。

「ありがとう御座います…これも――妖怪なんですよね?」

私が相志さんに尋ねると、見た目は普通の火ですからねぇ、と笑った。

「でも、薪や燃料も無く燃えているでしょう?それに煙も出ていない」

そういえば、普通は多少なりとも煙が出るはずなのにそれが無い。燃えるものが無いからと言えばそうなのだろうけど、ならば何故燃えるものが無いのに燃えている。

「陰火と言いましてね。普通の火とは違い熱くない。それに燃やさないんですよ。でも燃えている。陰の気を糧に燃えるのです。しかも雨や水の中では勢いが増す」

紫苑様の受け売りですがね、といって笑う相志さん。続けて、

「花火大会が終わった後って、寂しくなりません?もう少し見たかったって思いませんか?野宿火は、そんな祭の後を見せる妖怪なのですよ」

と言ってきた。

「祭の――あと?」

「祭というのは終わるからこそなのです。過ぎた思いは――身を焦がします」


 野宿火は風に揺れるようにその身を揺らしていたが、ピタリと動きを止めたかと思うと、青い炎が一瞬大きく燃え上がった。

「標的を見つけたようですね」

相志さんの言葉通り、野宿火が移動を開始した。何も無い地面を燃え広がるように。だが何も残さず、火だけが地面を這うように遠ざかってゆく。

 そんな野宿火を見送りながら、紫苑さんが静かに呟いた。


「祟り――ここに成されたり」

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