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5-1 野宿火

R1.9.19加筆修正

R2.10.5 加筆修正

 顔から地面に叩きつけ、その小さな後頭部を押さえつけ、逃げられない様にする。

 そして僕はバタバタ暴れ跳ね回るその右肘に金槌を振り下ろした。

 枯葉に埋もれる、くぐもった絶叫。

 体勢を変え、今度は左肘――のつもりが、想像以上に暴れまわるので肘回りの肉を数回抉りながらようやく左肘を壊せた。

 この足が暴れるのが悪いんだ。

 後頭部を押さえつける手を離し、仰向けにする。腹に跨り、太腿を押さえつけ――振り下ろす。立て続けに反対側も。

 金槌を伝い、固いものを砕く感触が掌に伝う。

 これで――もう逃げられない。

 自分でも興奮しているのが分かる。耳の奥がジンジンとして、この子の悲鳴はおろか自分の鼓動の音も聞こえないし、股間は痛いほどに膨れあがっている。


 まずは手足の骨を砕いてみよう。

 子供の顔に腰を下ろし、足の脛や腿に金槌を何度も振り下ろした。尻が子供の息で熱い。

 もう抵抗は出来ないだろう――今度は腕だ。

 子供の顔から腰を上げ、横に座り込む。

 動きを止めた両腕に何度も金槌を叩き込む。


 視線を感じ顔を上げると、正面に誰か大人が立っていた。まるで怪物を見つけたかの様な、不気味な何かを見るような目を僕に向けている。

 大人が何かを叫んでいるようだが、僕には何も聞こえない。でも、この大人は僕の邪魔だ。

 排除しよう。




「医療少年院送致が相当であると判断されました」


 少年審判は被害者家族からの意見聴取のみで非公開が原則。それは担当となった弁護士から聞いては居たが、被害者家族にさえ結果の通知のみとは――あまりにも酷い。

「現在の少年法の下ではこれが精一杯でしょう」

担当の弁護士さんは私にそう言った。

「医療少年院って…なんですか」

様子を窺いながらおずおずと話し出す弁護士さん。

「――被疑少年の更生と社会復帰を」

「そういう意味じゃないです。他人の子の将来を傷物にした奴が社会復帰?犯罪者の将来を、どうして国が保障するんですか?この子の社会復帰は何も保障してくれないのに」

「…お子さんには障害手帳の申請が」

更に弁護士さんが続ける。違う。私が言いたいのはそういう事じゃない。ゆっくりと首を振る。

「そういう意味じゃ――ないんです」

私はそれ以上何も言わなかった。これ以上弁護士さんに噛み付いたところで何も変わらないのだから。


 息子は事件当時四歳。

 あの日は家から少し離れた大きな公園へ遊びに行き、他の子達と遊具で遊んでいたが、私が目を離したわずかな隙に、当時十五歳の犯人によって公園奥の林間部に連れ込まれ、準備してあったハンマーで両の手足を執拗に殴打された。

 子供の悲鳴を聞きつけた通行人に発見されると、犯人はハンマーを持って発見した通行人に襲い掛かったらしい。だが騒ぎを聞きつけた人達によって取り押さえられ、警察に通報、息子も救急搬送された。

 犯人である十五歳の少年は警察の取調べに対し、

「人間の身体に興味があった。だから今のうちから、実際に怪我を負わせ、その治る過程を研究する必要があった。だからあの子の手足をハンマーで粉砕した。僕は良い子だから神様が助けてくれるのに何故責められるのか分からない」

と供述したらしい。

 らしい、というのは、被害者やその家族にも情報は伝えられないからだ。

 この話だって弁護士さんがやっとの思いで手に入れた情報だ。警察は取り調べの状況などは教えてくれない。しかも警察では犯人と言わず被疑少年と呼んでいた。

 そして、少年の供述や振る舞いから精神的に未熟な状態にあると判断され、医療少年院への送致が決定した、という事らしい。死刑とまでは言わないが、大人と同じ刑事裁判による厳罰を求めていた私にとっては、余りにも軽すぎる結果だった。

 しかも弁護士さんによると、犯人の家庭は金銭的に裕福な環境に無く、賠償請求も望むものは得られないだろうと言われた。


 小さな子供から目を離した貴女にも責任があるのではないですか。

 警察からそう言われた時、

「警察はどっちの味方なの?!」

と声をあげ掴みかかりそうになってしまったが、弁護士さんに取り押さえられ、

「警察は被害者の味方ではないんです――()()()()()なんです」

と静かに言われた時、私はただ涙を流すしか出来なかった。

 確かに被害者となった息子は生きている。

 でも手足の骨を徹底的に粉砕され、奇跡的に治療は成功したが体に重い後遺症を残す結果となった。医者によると、完治しても杖を使って歩く事が限界で、走ったりする事は難しいだろうと言う話だ。

 見ず知らずな我が子の将来を踏みにじっておきながら、犯人の未来は、生活は守られるのか。

 これではただのやられ損ではないか。

 弱い者が更に弱い者を叩き、相応の裁きを求めれば『弱い者』として守られるのか。

 被害者となった息子の名は報道されて晒し者になったと言うのに、犯人は名前も公表されず、守られながらのうのうと生きていく。

 私はこの結果を息子に何と伝えればよいのだろう。

「悪者はやっつけたよ。だから、もう大丈夫」

なんて言えやしない。路地の影や公園の草影を見ては怯え泣く息子に対し、私はただ抱きしめてあげる事しか出来ないのに。

 これが人の世の習いというのなら――相応の裁きを求める私は人ではないという事なのだろうか。犯人の手足をミキサーにかけて挽き肉にしてやりたいと思う私は。

 私はベッドで静かに眠る息子の頭を優しく撫で、嗚咽を噛み締めた。



 あの事件から数年が経過した。

 息子は小学生になったが、歩くにも両手に杖が必用だし、体調が悪い時には杖も使えず車椅子が必用になることがある。

 損害賠償は案の定、三ヶ月目から滞りだし、今では全く振り込まれなくなっている。

 けど息子は回りの友達に恵まれ、今では普通に暮らせるようになってきた。

 それだけが唯一の救いだった。

 そんな、ある日のことだった。


 足の痛みを訴え学校を休んでいた息子だったが、気分転換になるかと車椅子での散歩に誘ってみた。

 多少渋りながらも了承した息子を車椅子に乗せ、曇空の街中を散歩していた。


 そんな時だ。車椅子に座った息子の身体が一瞬ビクリと跳ね上がった。

「どうしたの?」

車椅子に腰掛ける息子の顔を覗きこむ。目を見開き、顔中から脂汗を流し、目の前をただ見つめていた。

 自然と私の視線もそちらに向く。


 道の先に背広を着た、まだ若い男性が立っていた。

 その男性は、真っ直ぐ私達の方へ近付くと。

 車椅子の上で動けない息子に顔を寄せ。

 震えるその手に手を重ね。


「僕に生きる素晴らしさを教えてくれてありがとう――()()()()()()


 そう言うと私に笑顔で会釈をし、去って行った。


 まさか。


 辺り一帯に息子の叫び声が響いた。

 張り詰めた手足を痙攣させながら、涙を流して叫んでいた。

「いやだもうやめてたすけてやめてやめてごめんなさいおねがいたすけてやめて」


 さっきの男が。


 私は車椅子から落ちそうなほどに硬直して震える息子を必死に抱き締めながら、大丈夫だよと言い続けるしか出来なかった。

 息子は通行人の通報により救急車で搬送され、児童精神科へ入院する事になった。

 主治医の先生は息子の状態を、事件当時のフラッシュバックでしょう、と言い、

「極度のストレスを引き起こすような記憶なんてものは通常、記憶の奥底に仕舞いこまれているもので、そう簡単に蘇る物じゃないんです…何かきっかけのような事があったんですか?」

眠る息子のベッド脇で、そう聞いてきた。

「――あの男が」

「あの男?」

「息子の手足を壊した犯人が、息子の目の前に現れて、声をかけてきたんです」

「そ、そんな」

「偶然かも知れないし、狙っていたのかもしれません。けどそんなのはどうでもいいんです。あいつ――私に笑いかけたんです」

「笑い…かけた?」

「目を伏せるでもなく、母親の私に――笑いかけていったんですよ。先生、人間ってそんな残酷な事が出来るんですか?他人の将来を壊し、体の傷が癒えた頃に今度は心を壊しに来るなんて」

「それは――そんなこと」

「アイツは人間じゃない。アイツは」

生まれついての化物だ。


 病室のベッドで小さな点滴を受けながら眠る息子の手を優しく握る。

 少し歪になった、まだ小さな手。

 いつかは私より大きくなるこの手を、あいつは何度もハンマーを振るい、叩き壊した。

 いつかはこの手で幸せを掴み、老いた私の手を握ってくれるであろうこの手を。

 そして今度は心を壊していった。笑いながら。


 許せない。法が許しても私が許さない。

 何故他人を傷付けるような化物を世間は、法は許すのだ。それとも許せない私が鬼なのか?

 ――なら鬼でいい。人を棄てたって構うものか。

 あいつの居場所を掴んで、今度は私があいつを

「失礼します。浅倉さ――ひっ!」

ノックに気付かず、入ってきた看護師が私を見て小さく悲鳴を上げた。

「あっ…すいません。何か?」

「いえ、さ、サインを頂きたい書類が…」

「分かりました。すぐに伺います」

私がそう言うと、看護師は足早に去っていった。そんなに酷い顔をしていたのだろうか。溜息と一緒に顔を撫で下ろし、眠る息子のベッドにバッグを置いて判子だけを持ってナースステーションに向かった。


 廊下を歩きながら頭を冷やして考えた。

 たとえ私があの化物を誅したとして、遺される息子はどうなるのだ。旦那はアテにできない。なら誰がこの子を守れるというのか。

 軽率な事は出来ない。たとえそれが屈辱に塗れた人生だとしても。

 怒り、屈辱、怨み。全てを飲み込んで耐え忍ぶしか――


 病室に戻ると、ベッドの手すりに蝶が止まっている様に見えた。

 だが注意してみようとすると、それは消えていた。特に気にもせずベッドサイドに座ると、息子が私のスマホを握りしめて眠っていた。無意識に手繰り寄せたのだろうか、ベッドの上にバッグの中身が散らばっていた。財布も鍵もサニタリーポーチまで剥き出しだ。

 私が居なくなった事で寂しかったのかなと思い、優しく頬を撫でると――息子が涙を流しているのに気が付いた。

 寂しかったのか。悔しかったのか。どちらの涙なのかは分からないけれど。

 スマホを握る息子の手に掌を重ねようとして――画面が点灯している事に気が付いた。

 画面には小洒落た小さな喫茶店らしき店の画像と、これは店内だろう。テーブルの上に置かれた紫色の花の画像が交互に映し出されていた。


 これは――なんだろう。こんな画像は保存していない。


 ぅ――


 その時だ。息子が小さくうめき声を上げた。

 けれど、今までに聞いた事の無い、しわがれた――まるで成人男性の様な声。

 どうしたのだろうと思い様子を見ていると、息子の唇が繰り返し小さく動いている事に気が付いた。

 何か話している――私は息子の口許に耳を寄せた。


 小さな唇から洩れ聞こえる声は成人した男性の様な声だった。 




 怨む相手が居るのなら

 殺したい程に

 死んでしまいたい程に

 赦せぬ相手が居るのなら

 しるし一つだけ持ち来たれ

 汝が怨みは祟りへと変じ

 祟りは相手を滅ぼすだろう

 怨みひとつだけ持ち来たれ


 


 ゆっくりと顔を上げ、息子の顔を見る。先程まで涙を流していたとは思えない程に穏やかな顔で眠っていた。

 ――違う。

 ()()()()()()

 伝えたい事を伝えられて。

 息子はスマホを握っていたのではない――この画像を指差していたのだ。

 怨み――祟り――。

 普通に考えれば“そんなものは在り得ない”と思うだろう。けど私にはそれが嘘とは思えなかった。確信の様な何かを感じずには居られなかった。

 息子の怨みと私の怨み。それが“あれ”を呼んだとしか考えられなかった。


 人の法が犯罪者を守るのなら、それを破ろうという私は人ではないのだろう。けれど

 それがどうした。

 あの男に復讐出来るのならば。息子が不安を感じずに眠れるのならば、私は喜んで奈落に落ちよう。鬼となっても構わない。

 息子を壊そうとしたあいつを。

 今度は私が。私の怨みで――こわしてやる。

 怒り、悲しみ、怨み。その全ての遣り場所を見つけた私には、もう微塵の疑いも迷いも無い。全てが開放されたような気分だった。

 そして私は看護師に外出する旨を継げて病院を出ると。

 道端に咲く(あざみ)を一輪摘み取った。


 待っていろ。

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