1-悲劇のファミリーパーティ 6
今回も読んでいただきありがとうございます。
後日、自室のベッドで寝転んでいた穂波は自分の手の甲にあったはずの期限の数字が消えていることに気が付く。
孝児が最後にどうなったか様子を見終わって、そこで初めて仕事に片が付くと仕事の紙に書いてあったのを思い出し、まだ整理しきれていない気持ちはあったものの、重い体を起こす。
すると物音に気が付いた左童が穂波に声をかけてくる。
「一つ一つの仕事にいつまでもしがみ付いてたらここではやっていけないよ」
しかし穂波は聞こえないフリをし、そのまま部屋を後にしようとする。
「見間違いだといいんだけどさ、彼、ボクを刺した時笑ってたよ」
左童の声に穂波の足は無意識に止まっていた。けれど、彼の方を向き直すことなく「あんたの勘違いだろ」と一蹴して部屋から出て行った。
現世へと赴いた彼の足は自然と公園に向かっていた。公園に着くと、あの時と同じように孝児がブランコに座っていたのを見つける。穂波は彼に近付くことは出来ずに、ただ入口で佇んでいた。すると、あちらの方から穂波に気が付き元気よく「おにいちゃん!」手を振ってくる。穂波は苦笑しながら少しだけ手を上げた。
孝児はブランコから下り、走って穂波の傍まで寄ると「会えてよかったよ」と無邪気な笑顔を向けて来た。
「急にいなくなるからさ、びっくりした。お母さんとお父さんにおにいちゃんたちのことを話しても全然知らないって。だから、もしかしたらぼくが夢でも見てただけなのかなって思っちゃった。でも、また会えたってことは夢じゃないんだね!」
真っ直ぐな視線を送ってくる孝児に対して、穂波は斜め下に視線を下ろし「あ、あぁ」と曖昧に返事をする。
孝児の両親の記憶を消したのは左童だ。わざわざ彼の記憶だけ残した理由は分からないが、きっといくら見られたことをなかったことにしても刺したことに対して上書きできる方法はなかったのかもしれない、と穂波は動かない頭で何とか考えることができた。
「ねぇ、おにいちゃん。あの人は大丈夫なの?」
その質問に穂波はますます孝児の目を見れなくなった。あの人というのは間違いなく左童のことだ。
「まぁ、そう。無事だから。気にすんな」
「それならよかったよ」
ふと、穂波の手に温かい何かが触れた。穂波が反射的に視線を下ろすと孝児が自分の手を握っており、その手はわずかに震えていた。
「孝児」
「ぼく、自分の心配ばかりしてた。おにいちゃんたちがいなくなって、夢かもしれないって思っててもずっとあの時から怖くてたまらないんだ」
穂波は声につられ、恐る恐る顔を上げて孝児の表情を確かめた。
笑っている。笑っているようで、でも、悲しんでいるように見えた。もしかしたら穂波から見たらそう見えるだけで孝児自身は笑ってなんかないのかもしれない。それほどに孝児の表情は困惑を表していた。
「おにいちゃん、やっとこっち向いてくれたね」
そう言って孝児は無邪気に笑おうとする。
「ごめん、俺たちのせいで」
本当に自分たちのしたことが正解だったのか、穂波には分かるわけがない。それでも、最善は尽くした。もしかしたら誰かが涙を流しているかもしれないが、そんな犠牲の上で孝児の笑顔を取り戻すことができた。
「いい。ぼくもごめんなさい。こんなことになるなんて思わなくて」
「誰もそんなの予想つかないって」
「でも終わったことはどうしようもないよね!」
「……え?」
驚きのあまり穂波の返事は少し遅れてしまった。
孝児は同じように笑っている。笑ったまま彼は「どうしようもない」と言った。
自分の耳を疑った穂波はもう一度聞き直す。
「今、どうしようもないって言った?」
「うん」
「分かっててあんなことしたのか」
孝児は鼻歌を混ぜながら自分が座っていたブランコへと近づき、また座った・
「こうでもしないとお母さんからはなれられないでしょ。あ、ちなみにおにいちゃんがいない間にお母さんとお父さんがりこんして、ぼく、お父さんのところにに引き取られることになったの」
孝児はブランコを小さくこぎながら、さっきと全く同じ口調と変わらずに喜々として話し続けている。
「どうしてそんなこと」
聞きながら穂波の脳裏に左童「指していた時に笑っていた」という言葉が流れた。今の孝児の言葉を聞くまで、穂波は嘘だとずっと思っていた。
「痛いの辛いし、怖いから」
孝児の言っていることも一理あった。それは一種の防衛かもしれない。しかし、実の母親に彼は分かっていて刃を向けた。それは偶然なんかじゃない。彼は分かっていて殺そうとしたのだ。
「だからって限度あるとかは思わなかったのか」
「お母さんもぼくに痛いことしたよ。どうしておにいちゃんはお母さんの味方するの。悪いのはお母さんだよ」
「それはあんたも悪い」
この穂波の言葉は左童が言っていた「蛙の子は蛙」ことを肯定してしまうことになる。でも、孝児が道を踏み間違えてしまうのを防ぐのは穂波しかいないと彼は過信していた。
「ちがうよ。お兄ちゃんは僕の話を聞いてくれた! 僕の頭をなでてくれた! それだけでも全然大丈夫。それに、あの後、お母さんが警察の人に捕まって僕の体の傷のせいで家の周りの人まで噂するようになっちゃったの。それから家から出られなくなっちゃった。でも、お父さんは無理して学校に行かなくていいって」
「本当に悪いって分かってる?」
「ぼくの味方のお父さんもおにいちゃんも絶対にぼくを見捨てたりしない」
孝児は穂波の話を聞き入る様子はない。
「お父さんのその言葉がすごくうれしかった」
口が裂けても孝児に「狂っている」とは言えずに、穂波は彼に話を合わせることに。ようやく本性を見せ始めていた孝児が途端に怖く思えた。
「でも、お母さんはしばらくいないんだぞ」
「分かってる。でも、きっとあの時刺したのが本当にお母さんだったらもっと大変なことになってたよ」
孝児はブランコの踏み台の上に立ってうんと膝を曲げて、伸ばした。ゆっくりとふり幅が広がり、どんどんと勢いが増していく。
「だからってこんなの何も変わってない」
「いいんだよ。きっと今のままじゃいけないって分かってたからさ。ぼくが好きなのは死んだお父さんだけだ」
「これからどうするんだ」
「多分、新しいお父さんはお母さんみたいなことしないと思う。だから、大人しく家族になるよ。距離だってちぢめる。じゃないと、ぼくは何もできないからさ」
屈託のない笑顔だった。つい最近まで自殺を考え、親からの暴力に必至に我慢していたとは思えないほど、そこらで遊んでいる子どもと同じ顔をしていたのだ。そんな彼の中での怒りや憎しみが募っていき、彼を作ってしまったのかもしれない。無邪気だが、やっていることは狂気の沙汰だ。
彼はきっと自分から変わろうとしている、と穂波は信じた。父親と距離を縮めたいという想いは嘘ではない。懐いていた父親が死んだことも、母親が自分を殴ってくるのも、全部理不尽で逃げたくなるはずだ。正当防衛という言葉でやられたことをやり返す。そんな狂った方法しか知らない。
結局今回の依頼は完璧なハッピーエンドにはならなかった。あくまでその場しのぎなだけで、これから孝児がどんな風に周りから言われるか、どれだけ過酷な人生を生きていくかも予想なんてできない。しかし、左童がわざと刺した記憶だけ残したのは彼が言っていたように「孝児もあの母親の血を継いでいる」という覆せない事実はずっと孝児の脳裏にこびりついているだろう。
それが多分、左童が孝児にあげた優しさだ。
「だからさ、これはおにいちゃんのおかげだと思ってる。おにいちゃんがあの時ぼくを引っ張ってくれたからもう一度、頑張ろうって思えたんだ」
「でも、俺は何もしてやれてない」
「してくれたよ。お父さんと向き合えるチャンスをくれた」
孝児のその言葉がやけに耳に残った。自分のやったことに対してちょっとだけ肯定されたような感覚。どうしてだか孝児の言い方がとっても、腑に落ち、しっくりきた。
偽りのない穂波への感謝だった。孝児が憎んで仕方ないのはあくまで、母親菜だけであってそれ以外はみんな味方であり、敵ではないのだ。だからこそ穂波は残酷だと思った。
そこからは何も言わずまい、と穂波が口を閉じていると前で孝児がザッザッと靴の裏を地面にすり減らしている音を鳴らした。徐々にブランコの鎖の音は止み、孝児は降りた。
「ありがとう、おにいちゃん」
孝児の最後の言葉だった。穂波が何か言うよりもはやく強制的に施設に戻される。
穂波が自室に戻ると、左童がからかうように話しかけて来た。
施設の他の人たちはすっかり就寝しているというのに、左童がつけたせいで部屋の電気が煌々と明るくなっている。
「初めての仕事はどうでしたか、新人さん」
彼の言葉はあまり真に受けないように無視しようとするも、上機嫌で左童はついてくる。
渋々彼の質問に溜息交じりで穂波は口を開いた。
「別に。こういうもんかって思った」
「けれど、お顔は納得してなさそうな~」
「あれあれ」と、わざわざ穂波の顔を覗き込んでくる左童。鬱陶しそうに穂波はまた答える。
「俺もそうだけど、最初は人間ってあんなに簡単に人生を放棄しようと思いつくんだなって。生きている人は終わった彼らの姿を無理にでも目にやきつけなくちゃいけない。それが、あまりにも残酷だなって。そう思っただけ」
左童は数秒黙りながら穂波の顔を見つめ、
「そんなことか。どうせボクたちは死んでいるんだ。こんなの騙されたと思ってこなしていればすぐ終わる。ボクたちにはもう未来も現在だってない。この心臓が止まっている感覚が何よりの証拠だよ。今更生きている彼らにうつつを抜かしている暇なんてないんだよ。新人くんはどうにもまだまだ心に余裕があるみたいだね」
そう言って興味津々という表情でずいっと穂波に近付いてきた。
「キミが言いたいのはそっちじゃないでしょ」
穂波は核心を突かれ、反射的に目を逸らした。
「露骨だなぁ~。だからボクはアドバイスしてあげたでしょ。いつまでも一個のものにしがみついていたらここではやっていけないって」
あからさまな態度で溜息をつく左童に穂波は悔しそうに拳を強く握った。
「だったらあんたはあれでよかったと思ってるのかよ」
「良かったも何も、ボクらが彼らにそこまで口を出す義理もなければ権利もないよ」
「何もないのか」
「ないよ」
「本当にか」
「ない」
左童はその理不尽さを受け入れているからこそ、何度も穂波の言葉を否定するのだろう。
とても悔しいと思う反面、どうして自分がこんなことに巻き込まれているのかという被害者意識を消せずにいた。
「孝児が笑っていた理由、分かっていただろう」
「分かってたよ。あんなに近くにいたんだから見間違えるはずないじゃないか」
「あんなに苦しんでたのにか」
「苦しんでいた? 狂っていたの間違いだと思うけど」
左童の言葉を聞いて、呆れながら穂波は溜息をついて踵を返す。
「もういい」
「ボクらが手を差し出す時はいつだって手遅れなんだよ」
「もういいって言ってるだろ!」
ドアを開きながら、
「ほうっておいてくれ」
と言って穂波はそのまま寝ずに自室を後にし、ラウンジに向かった。
翌日に目が覚めた穂波は大きく腕を伸ばし、凝った体を解そうとした。が、寝ていたのがラウンジの机だったからか体のあちこちの痛みは取れず、倦怠感も消えないまま。まるで休めた感覚はなく、あくびを一つした。
「こんなところで寝るな。自室で寝ろって言わなかったか」
突然後ろから声をかけられ、一瞬反応が遅れ振り返ると安住がこちらを見下ろしていた。
「あぁ、すみません」
ぺこりと軽く頭を下げ、さっさと自室に戻ろうと急いで席を立とうとした穂波だが何故か向かい側の椅子に安住が腰を下ろした。
「いや、俺、自室に戻るんですけど」
はっきりと断言すると穂波は安住が苦手である。強面で何を考えているか分からず、口調も厳しい。おまけに何か聞こうとすると大体の確立で眉間に皺を寄せられる。そんな常に機嫌が悪そうな男性とこうして一対一で話したいとは思わない。そもそもこんな機会を設けられても何一つ嬉しくない。
慌てて逃げるように立とうとしたが、勢い余って大きな音をたてて机に膝をぶつけてしまう。
「すみません、あの、机揺らしちゃって」
穂波にとって痛みよりも、今現在何も言ってこない安住に対しての恐怖の方が勝っておりそれどころではない。
「あの、俺、やっぱり行くので」
そう言って今度こそぶつけずに立ち上がって、痛む膝をおさえながら安住に背を向けた時だった。
「どうした」
その問いに穂波の体は思わず固まる。
どうした。
それは一体何に対してのどうした、なのか。自分が膝をぶつけたことに対したのなのか、それともあそこまで大きな音をたててドジなことをしたのにも関わらず気が付いていないのか。
もし、膝のことだったらこの人は心配してくれている。穂波は振り返って苦笑をしながら返した。
「今、膝ぶつけちゃって。でも、きっとすぐに痛みなんて引くと思うので気にしないでください」
それに安住は表情一つ変えない。
「そんなの今のを見れば分かるだろ」
「あ、はい。そうですか」
尻すぼみになりながら穂波は何とか答えることができた。
アンタの言葉に主語がないから、こっちが困るんだろ。という文句は無理やり喉から腹の底に押し入れておきながら。
「そっちじゃない。寝られないくらい何か考えていたんだろ、っていうことだ」
「え?」
穂波が「どうして寝られないって分かった」と聞く前に安住が自分の目の下を指さして「そのクマを見れば誰でも分かる」と答えた。
「あぁ、これですか」
安住は何も言わずに静かに頷いた。
「ちょっと色々悩んじゃって。それで、その、俺って無力だなって思って」
「無力?」
「俺にできることなんて何もないんですよ」
自嘲気味に語り出した穂波に安住は笑い出したかと思うと、突然真剣な表情に戻って強い口調でこう言った。
「できたらこんなところにはいないだろう」
「まぁ」
「他人の心配している暇があったら自分の心配をしたらどうだ」
「自分の心配って。俺は、心配も何も、今、安住さんが言った通り出来ないんですよ」
「そうやってまた自分はできないと決めつけて死のうとするのか」
「え?」
「仕事と自分のことは違うだろう。誰しも、仕事のことで悩む。過度な同情も感情移入も身を滅ぼしかねないのだから。だが、それと自分がここにいる理由を探すのは別だ。更生の一つに惰眠を貪ってどうする。それかそお前は正真正銘のクズ野郎だ」
「だって、俺ここにいても場違いだし孝児に何もしてやれなかったし、結局左童がいなきゃ俺は動けなかったんです。そんな俺には誰も救えない。この仕事にもきっと向いてない。だから」
「なら死ねばいい。今までみたいに逃げ続ければいい」
そう言う安住の顔はすこぶる真面目だった。この人は普通な顔して死ねと言っているのだ。
突然そんな根も葉もない言葉を突きつけられ、一瞬たじろいだ穂波だが何とかして言葉を紡ごうとした。心の奥で無意識にきっと慰めてくれる、と甘えていた自分に自覚してしまったからこそ戸惑った。
「そうとは言って、ないじゃないですか」
「生きるも辛い、死ぬのも辛い。ならお前はどうしたい。どうしてここに来た。それとも人のせいにするのか。自分はここに連れてこられましたって」
安住の口調はとても淡々としていた。だからこそわざと穂波を責めるように選んだ言葉が穂波の心に深く突き刺さる。全ての本音を言い当てられ、それどころか自分が気付いていない弱さにまで踏み込まれ、穂波は今度こそ言葉を失った。
言い終えた安住は項垂れている穂波を一瞥すると席を立ちあがった。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お前みたいな中途半端なガキ、こっちからお引き取り願いだ」
それだけ言って安住は立ち去ってしまった。安住の遠ざかる足音を聞きながら穂波は力のない足を引きずるようにして、何とか自室に戻った。
改めて実感した。ここに自分を護ってくれる盾なんてものは存在しない。自分からこの理不尽な状況を受け入れ、納得するように解釈して何とかしてここで過ごす術を見つけなくてはいけない。弱い奴はいずれ朽ち果てていく。
一人の依頼者に縋っている暇などない。左童のあのアドバイスが身に染みて分かった。
穂波は一日ぶりのベッドに体を預けた。
ただ、安住の言葉が全て厳しいとは穂波には思えなかった。確かに言い方はきついが、彼は死者たちのことに耳を傾けている。仕事をこなした人間には優しくし、道を誤った時には叱咤する。それこそが彼のやり方なのだろう。
それでも、穂波はまだ彼に言い返せそうにはなかった。
「俺、このままやっていけるのかな」
気付いたら弱音が口を衝いて出ていた。
ここで仕事をこなしていき、現世に戻らないといけない。それが、多分、自分の願い。
しかし、穂波の中でまた一つ「自分は現世に戻りたいのだろうか」という疑問が湧き出ていた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
これにて一章は終わりです。来週の月曜から二章に入ります。