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未熟な柘榴をかじる  作者: 矢野華
6/10

1-悲劇のファミリーパーティ 5

夜遅くの更新です。今回はいつもよりも少なめで。

 あまりにも一瞬の出来事で脳の整理が追いつかない。嘘ではない。穂波が安心して目を閉じ、開いた次の瞬間まるで映像のシーンが切り替わったように現世から戻っていた。

「どういうこと」

 穂波が視線を下ろすとやはり死にかけている左童の姿が。

「てか、そうだ! 救急車!!」

「いい、いい。大丈夫だって」

「左童の声?」

「びっくりした?」

 重要なのはかみ合わない会話ではなく、左童の元気そうな声の方だ。

「幻聴じゃない」

 声は穂波の足元から聞こえた。ゆっくりと視線を下ろすと先ほどとは打って変わって生き生きとした左童が寝転んでいた。

「おわああああ!!」

 あまりの驚きで穂波が後ずさりしてしまう。そのおかげで左童の体は鈍い音を立てながら床に落ちた。

「痛いなぁ」

 落ちた衝撃で頭を打った左童は頭を擦っている。

「死んで……ない?」

「いや、死んでるでしょ」

「え?」

「死んでるから死ねないの」

 服についていた砂利を叩き落としながら「もー汚いなぁ」文句を言っている左童。それは夢なんかではない。

「あぁ、そうか」

 何故だかその左童の言葉が妙に腑に落ちてしまっていた。動かない脳でもそのくらいなら理解はできた。

「傷は、痛くないのか」

「いやー、めちゃくちゃ痛かったよ。痛覚はあるわけだからね」

「よくそんなの耐えられたな」

「ずきずき、とかそういうレベルじゃないね。痛すぎて最早痛くなかったりして。でもボクこういうの慣れっこだからさ」

「慣れっこって」

 笑って答える左童に穂波は不気味がるが、それよりも気になることが他にあった。

「ていうかそれ! 血は!」

「これ。ニセモノだよ。血糊」

 そう言って「ほら」と左童は着ていた服を捲って袋に穴が開いた血糊を取り出した。

 その時に左童の刺されたはずの箇所を盗み見たが何も異常はない。つまり、穂波は左童にまんまと騙されたということだ。

「ってことは、なに。無傷! 俺、もしかして心配して損したっていうのか!!」

 両目をかっぴらき、オーバーに両手を思いっきり振る穂波の騙されように左童は必至に笑いを堪えている。

「うん」

「だってあんなに呼吸もつらそうに、顔だって必至だったろ!」

 それでも騙された方の気持ちは収拾がつくわけでもなく、左童に怒鳴り散らす。

「いやー、ボクの演技力がずば抜けているおかげだね」

「じゃあ、血も出てない傷だってない。ということは」

「うん、正常な体だね」

 二人とも一時停止し、何秒か時が止まったような空気が流れる。

 それを壊したのは穂波の方だった。

 彼は羞恥と怒りと驚きがぐるぐると混乱し、「ああああぁぁ!」と思いっきり髪を掻きむしった。かと思えばすぐにぴたりと動きを止め、左童の方に視線をやった。

そこでようやく思考が鮮明になっていき、自分を見て笑う左童を睨むことができた。

「今度そんな馬鹿なことしたら二度と口きかないからな」

「えぇ、いいじゃん別に」

「俺が良くない。寿命縮むかと思った」

 乱れた呼吸をどうにか落ち着かせた穂波はラウンジにある椅子に座った。

「寿命なんてとっくにないけどね」

「やめろ、口にするな」

「何だよ、ただのブラックジョークでしょ」

「笑えないジョークはジョークとは言わない。覚えておけ」

同じように左童も机を囲んで座る。

「それで、だ」

 真剣な顔つきで話を戻し、穂波の方が先に口火を切る。

「どうしてこっちに戻ってこれたんだ?」

「ボクのおかげ」

「左童の?」

「そうそう。特別にボクだけここの職員と同じ権利を貰っているわけ。だからボクがここに戻るようにしたの」

 いまいち左童の答えが穂波の中で上手く解釈できないまま、穂波は話を続ける。

「でも、どうして」

「ん?」

 血糊をタオルで拭きながら左童が聞いてくる。

「どうして戻って来た」

「んー」

 彼は視線をこちらに向けずに唇を突き出しながら悩む素振を見せる。

「キミだったらあのまま残って何ができたと思った?」

「そんなの勿論、事情を説明して最後まで孝児のことを見とどけようと」

「で、見とどけてどうなるの」

「孝児に刺されたのは嘘だって安心させるのもそうだし、母親を説得するのもそう、父親に事情を説明するのも」

「ダメだよ」

 その否定の言葉はいつもよりも強い口調で、しっかりとした意思が込められている。

「だめって、どうして」

「またどうしてどうして。キミがそんな自分で考えないオツムを持っているから他人にも寄り添ってあげたいと思うんだろうね。それじゃあダメだって。それじゃああの子は成長しない、それにボクらは彼の家族でもなければ友達でもない。ボクらは赤の他人に過ぎない」

「だからって孝児にトラウマを与えたのは俺たちだろ! 俺たちが、孝児に、刺された、から」

 穂波の言葉はどんどん尻つぼみになっていく。目の前にいる左童の目つきが険しくなったことに怯んでしまい、どうにも言葉が出ない。

「どうやらキミはただのお人良しの馬鹿ではないみたいだね」

「え?」

「コウジくんに助けを求められたからってあまり調子に乗らない方がいいよ」

「乗ってない」

「乗ってなければそんな自分にはみんな助けられるなんて大口たたかなさいさ」

「そんなこと一言も言ってないだろ!」

「もうボクらに対するあの子の信頼は消えたと言っても過言ではないと思うよ。あの子はボクたちの言葉に心を開いてくれずにあんな暴挙に出てしまった。これが何を示すかわかるかい」

「交渉決裂とでも言いたいのか」

「ご名答。あんな裏切り者の家族、ボクらが助ける必要なんてないさ」

「これも仕事の一つだろ」

「だったらボクはここまでにさせてもらうね。あぁ、それとキミは自分のエゴをあの子にぶつけ、依存している自分に目を背けているだけだからそこは注意した方がいいよ」

「そんなわけないだろ!」

「そんなわけあるから、わざわざこう言ってやってるんだよ」

 珍しく左童の口調から苛立ちが読み取れた。

 穂波は理解をしたくなかった。穂波にとって孝児は仕事の依頼者。孝児にとっては家族でもなければ、友人でもない。ただ、今が辛いから目を背けるために穂波と仲良くしているだけなのかもしれない。

穂波はあまりにも孝児のことを知らなかった。それなのに自分は知っている、理解していると知ったかぶった顔で彼に言葉をかけた。

いくらその時の言葉が熱を持っていようが、いつかは冷めて消えてしまうものだ。

「だ、だとしても刺した孝児の罪悪感は一生消えないかもしれないんだぞ。その責任はとれんのかよ」

「責任も何も。もし、ボクが前に出なければどうなってたと思う」

「それは」

 答えは口に出さなくても分かる。孝児が実の母を殺そうとしたのだ。あのままだったら家族の距離に一段と溝が深まってしまう。いや、それどころか一緒に暮らすことだって叶わないのかもしれない。

「それくらいわかるでしょ。あの子はそれほどに、ボクらも手が付かなくなるくらいに追い込まれていた。本当にあの親子は似たもの同士だ。蛙の子は蛙とよく言うものだよ」

「じゃあ、俺たちがしたことは無駄だったのか?」

 左童はそれに答えず、「洗面所で洗ってくる」と行ってしまった。

「……そこまでは答えてくれるわけ、ないよな」

 いかにも「無力」という言葉が似合いそうな場面だった。助けてほしい、といくら手を出されても彼らの手を強く握ったそこから引っ張りあげることは自分たちにはできないのだ。

 孝児は自分のSOSに気付いている人たちに気が付いている。彼は、分からないフリをしているだけだ。自分に繋がれているあの「家族」という足枷をわざと取らないだけだ。

 どうして孝児がそんなことをするのか穂波には全く理解できなかった。


 洗面所で服にこびり付いた血糊を洗っている左童に声をかける人物がいた。

「多かれ少なかれ生きている人間に干渉したのは違反だ」

「まぁ、そんなかっかしないでよ。仕方ないでしょー、ああでもしないと事の収まり処が見つからなかったんだからさ」

 左童はいつもの調子で言葉を返し、ようやく血糊が落ちることを確認して裾を絞った。湿ってはいるが、汚れているよりはマシだろうと「よし」と言いながら振り返る。

 そこにはドア枠に背を預け、こちらを睨んでいる安住が立っていた。

「でも、その違反を罰則するのがアナタの仕事だもんね」

「あぁ」

「でも、ボク今回はもうおりたし、見逃してくれてもよくない?」

「いいからついてこい」

「いつものことだから今更文句言っても仕方ないか」

 そう言って安住は踵を返し、洗面所から出て行った。

「今日はどこに入れられるのー」

 左童は今から投獄されるというのに鼻唄交じりで安住の先を歩く。

「それよりも先に行くところがある」

「え?」

 先を行く左童を今度は安住が追い抜かし、行き先を案内した。

 目的地はカウンセリング室だった。ドアを開けると、部屋の真中には大きな机が一つだけ置いてあり、その奥には整理されている書類がいくつも並べられている棚が見えた。

 何とも簡素な部屋だが、この部屋の用途は「相談を聞く」ということであり、最悪机と椅子だけあれば十分なのだ。

 入口のすぐそばに部屋の鍵をかけ、安住は奥の椅子に腰をかけた。

「なーに。安住、もしかしてボクの話でも聞いてくれるの」

 安住に続いて喜々として左童も中に入って、入口側の椅子に座った。

「冗談言うな。情状酌量の余地を与えてやるだけだ」

 真面目な顔をしてそう言ってくれる安住に少しだけ驚嘆した左童は小さい声で「ありがとう」とお礼を言った。

「安住はやっぱ人にあついねぇ。でもね、ボクにまでそんな優しいことはしなくてもいいよ。ボクは罰されることを自分からしたんだ。そこに言い訳をいくら重ねようと罪は罪。ボクが一番嫌いなのは罪を犯しているのに、罰されないこと。それくらい安住も知ってるでしょ」

 目を瞑りながら語るように言葉を紡ぐ左童。彼はゆっくりとそのまま背もたれに体を預け、指を組んで膝の上に置いた。

「だからその優しさは他の人にあげてよ」

「分かっていたんだろ。あの子どもが母親を刺すことを」

 両手の親指同士をくるくると回しながら左童は「まぁ」と一息ついて話を続ける。

「そこまでは分からなかったけどさ。でも、多分誰かしら死ぬかもしれないっていうのは分かってたよ。もし、ボクじゃなかったら前も言ったけど多分ホナミだった。けど、それよりも最悪なのはあの家族の中の誰かが死ぬこと。誰かが殺して、あの中に被害者と加害者という存在が出来上がってしまうのは何とか阻止しなくちゃいけなかったって思ってね」

「だからお前が犠牲になろうとしたのか」

「血糊も用意したわけだし。刺されて血が出なかったらボクたちの存在が分かっちゃうでしょ。それに」

「それに?」

「ボクが犠牲になろうとしたのはホナミのためでも、あの母親のためでもない。あの子のためでもない」

「お前自信のためか?」

 しかし、左童はなかなか答えはせずに「どうなんだ」と安住がもう一度催促する。

「内緒」

 左童は頬杖をつき、答える気はない。

「もし、お前がそうだと頷くなら」

「なら?」

 今度は安住が口を閉ざす。

「ボクの記憶に関するのか?」

 代わりに左童が口を開くと、安住が微かに目を逸らした。

「そんな露骨な反応でボクが面白がると思ってるの?」

「自分の情報を集めることさえも、お前にとってはゲームでしかないのか?」

「そうでもしないと」

「気でも触れるか」

 安住が言葉を挟んできたことで、ようやく左童の口が閉じる。

「それは安住の推測でしかないけどねー」

 張り詰めた空気はそこで解れ、安住が「そうか」と相槌をうつと席から立ち上がった。

「ちょ、最後にもうちょっとだけ話し相手になってくれないかな」

 安住は立ち上がったまま左童の言葉に耳を傾けた。

「ホナミのこと、どう見る?」

「ここに来てから間もない。どうも何もこれから次第ってことだろう」

「ボクは期待してるんだけどね」

「なんだ、遊び相手にでもしたのか」

「まぁね」

「随分懐いてるみたいだな」

「勿論。ここの情報を抜き取るのに丁度良さそうだしね」

 それに安住が鼻で笑い、左童の方に向き直った。

「いい加減諦めろって。いつまでそんな馬鹿なことしている」

「だってー、諦めたくても諦めきれなくてしてるのはそっちでしょ。ここにいる間は本当に退屈しないよ。毎日宝探ししているみたいでね」

「宝なんてどれだけ探しても見つからないけどな」

「あったけどね」

「なに」

「今回のこの安住の優しさの裏にお宝が隠れてる」

 しかし、安住は何も答えずに今度こそ踵を返した。

「あれ、もう行くの」

「話は終わっただろ。鍵は置いておくから少ししたらどっかに行け」

 そう言って安住はドアを開けた。

「適当に重症でも言っておく。今回は免除だ」

「お、鬼教官の意外な一面見つけちゃったり。ま、ボクと安住の関係だもんね。これくらい優しくないと」

 安住は何も言わずに強くドアを閉めてどこかに行ってしまった。室内には時計の秒針の音とだんだん小さくなる安住の足音だけが響いた。

「一人で宝探しするのがどれだけつまらなくて時間の無駄で退屈か。安住はそこがわかってないなぁ」

 緊張が解れたようで左童は椅子に背を預け、後ろに腕をうんと伸ばした。伸ばしきると普通に座り直し、虚しさを一人で感じた。

「傷が、いたむなぁ」

 そう言いながら治っている腹部をおさえながら、静かな室内で左童は机に突っ伏して呟いた。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

来週の月曜にまた更新するのでよろしくお願いいたします。

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