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未熟な柘榴をかじる  作者: 矢野華
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1-悲劇のファミリーパーティ 4

今回も読んでいただきありがとうございます。

今度は左童を引き連れて現世へと向かう穂波。朝と違って日が暮れ始めていた。歩道を歩いている人たちはみな朝とは反対側に向かって歩いている。帰路につく彼らをよそに孝児の家へと訪れる二人だが、孝児の姿が見当たらない。もしかしたら家の中にいるかもしれない、と考える穂波。

「ホナミ、何してるの」

「いや、あの」

左童に呼び止められた穂波は震える指でインターホンを押そうとしていたが、せっかく左童がいるため彼に聞いてみることに。

「呼んでみる?」

「やめておいた方がいいよ。鬼が出てくるかもしれないよ」

「そう、だね」

 指をゆっくり下ろす穂波を横目に左童は周辺を見回してみていた。

「ねぇ、きみたち。高野くんって男の子知ってる?」

 帰り道を歩く通行人の中に黄色い帽子を被った男子小学生たちに左童は話しかける。彼の後姿を見て穂波は慌ててついていく。

「いきなり声なんかかけたら怪しまれるだろ」

 左童に小声で穂波が注意をするが彼はそんなことお構いなしに「どう?」と小学生たちに声をかけ

続けていた。

 突然知らない青年たちに話しかけられ一瞬ざわめく小学生たちだが、その中に一人威勢よく手を挙げる少年がいた。彼らの視線が一斉にその少年へと集まり、自然と少年が前に出て来た。

「おれ、知ってるよ!」

 少年は穂波と左童の腰辺りまで背で彼なりに必至に大声を出している。

 それを見てまた一人、輪の中から抜け出し少年の手を引っ張った。

「ゆう、おまえ」

「みんなはこうじのこと心配じゃないの」

 ゆう、と呼ばれた少年は後ろにいる小学生たちに訴えかけるように言った。そんな彼の姿を見て再度話し合うためにざわつく彼らだが、一人また一人と小さく頷いていく。

「決まりだね」

 ゆうはそう言ってもう一度大きく頷くと穂波たちの方へと振り向いた。

「何か聞かせてくれないかな」

 左童に促され、ゆうが口を開いた。

「こうじは少し大人しいやつだけど、遊ぼうと言えばぜんぜん遊んでくれる。でも、それがまずかったみたいで」

「まずかった?」

 ゆうの言葉に左童ではなく穂波が口を挟んだ。

 穂波の問いにゆうは「うん」と大きく縦に首を振る。

「本当はいつも五時のチャイムが鳴ったら帰らなくちゃいけない。でも、その日はいいかなって。そう思っちゃっておれたちはいつもの公園で遊んでいたんだ。そしたら、こうじのお母さんがすっごいこわい顔してむりやりこうじを引っ張って。それからおれたちも帰って。でも、次の日こうじが怪我だらけで学校にきたんだ」

「そうだったのか」

 頷いて腕を組む穂波の隣で今度は左童がゆうに尋ねる。

「もしかしてその次の日から、コウジくんは学校に来なかった?」

「そう」

 小さな声でゆうは答えた。

「ところで、そのコウジくんって今どこにいるか知らないかな?」

「さっきここに来るとき見たよ! いつもの公園」

 それを聞いて穂波がさっさと駆け出して行ってしまう。

「あ、ちょ。ホナミ!」

 左童も続いて追いかけようとしたが何故だか前に進まない。

「こうじのこと、たすけてくれるの」

 振り返るまでもなく左童には自分の背中に小学生たちが泣きそう声でしがみ付いていることが分かっていた。

 左童は彼らの声を聞き、無意識に拳を掌が痛めるまで強く、強く握っていた。そして、ゆっくりと指を開いていき小さく息を吐く。

「大丈夫。必ずコウジくんを助けるから」

 彼らに顔を見せずに左童はできるかぎり優しい声でそう答えた。すると彼らの掴む力が少しずつ弱まっていった。左童はそれを確認すると、急いで穂波の後を追った。

先に公園に着いていた穂波は孝児を見つけていた。彼は体育座りでブランコの上に乗り、俯いたままでこちらに気付く気配は全くない。午前中からそこにいたのか、と疑ってしまうほど孝児は動かない。

 穂波が静かに孝児に近付き、彼の視界に穂波の足が映ったところで顔を上げた。その瞬間だった。

「ごめんなさい!!」

「うわっ!」

左童が公園に着き、目撃したのは孝児が穂波に泣きながら抱き着いてきている姿だった。

 飛んだ反動で、先ほどまで孝児が乗っていたブランコがぎぃぎぃと鈍い音を立てながら前後に微かに揺れた。その音だけがやけに大きく聞こえ、音が止まると辺りは静まる。かと思えば次に孝児が大泣きし始めた。

「うぞづきなんて言って、ごめんなさい」

 何が起きたか分からなかった穂波が助けを求めるように左童に視線を送るも彼はいつの間にかいなくなっていた。

 周りを見渡す穂波。視界の端で左童を見つけるも、どうしてか彼は公園の入り口で外を見ていた。

「ちょ、お前も手伝えよ!」

「ボクじゃ何も手助けにならないよ。それに」

 そう言いかけ、左童は視線を穂波の奥にいる孝児に移す。

「コウジくんも多分ボクよりも、知っているキミのがいいと思うよ。ね」

 促すように左童が孝児に向けて笑いかけると孝児は泣いたまま小さくこくりと頷いた。

「ほら、ね」

 しかし、穂波からしたら左童の笑顔は憎たらしく感じる。それでも、結局のところこの仕事を請け負っているのは自分。

 自分自身を鼓舞しながら、そっと儚く消えてしまうものを触るように孝児の頭を撫でる。

 出来るだけ、優しく。怖がらせないように。

「俺こそごめん。今度はちゃんと聞くよ。だから何があったか教えてほしい」

 そのまま膝を折って地面につけ、孝児の視線の高さを自分と合わせた。すると、少しずつだが孝児が口を開こうとしてくれていた。

「ゆっくりでいいから」

 普段しない笑顔のせいか、口の端が震えているような気がした。慣れない笑い方がおかしいと思ったのか、そこでようやく孝児が笑ってくれた。まだ孝児の頬についている涙を穂波が自分の服の袖で拭った。

「何だよ、笑えるじゃんかよ」

 胸に手を当て、一安心した穂波に「あのね」と自分の気持ちを整理するように孝児は何とか言葉を紡ぎ始める。

「あんなの見てびっくりしたよね」

 恐らく顔の傷のことだろう。穂波はすぐに察し、「大丈夫」と言った。

「そんなの気にしてないから」

「ただ、助けてほしくて」

「分かってる。だから今助けてやる」

「でもね、おにいちゃんをまきこみたくないの」

「あんたが俺に傷を見せた時点で巻き込んでるって」

「ごめん」

 うつむきがちに謝る孝児の姿を見て、慌てる穂波に後ろから左童の野次が飛ぶ。

「あー、また泣かせてる」

「あんたは静かにしてろ」

「はーい」

 左童が口を閉じたところでようやく孝児が穂波の顔を見上げた。

「ぼく、今ね。どこにも居場所がないみたいなんだ」

 そう言って孝児は後ろで手を組みながら、今の精一杯の笑顔を向けた。

 それは一体何に対しての笑顔なのだろう。

 彼が吐き出す言葉によってどんどん儚さは増していく。こんなにも小さな背中に寂しさも、辛さも、我慢も全部ランドセルと一緒に背負っている。一つでも落としたら、きっと彼の中の何かが音を立てて崩れてしまう。誰かを巻き込むことが怖くて、だから、拾われないように落とさない手段を考え、泣くことをいつも我慢している。

 泣かないから泣き方も、弱音を吐かないから人に助けを求めるやり方も知らない。それを教えてあげるのは家族の役目だ。

「おにいちゃん?」

 黙っている穂波の顔を孝児が覗き込んだ。

 孝児は泣いた後もケロリとまるでなかったかのように笑い続けた。しかし、その目は真っ赤に腫れ、元からあった腫れた跡がさらに酷くなったように見えてしまう。その傷を隠すように穂波は自分から孝児にパーカーのフードを被せた。

「ごめんな。さっき答えることができなくて。自分なりに俺に助けてって、言ってくれたんだよな」

 もう一度穂波は孝児の頭をちゃんと撫でた。

「おにいちゃん、無理しなくていいよ」

 その声は今にも消え入りそうだった。穂波が被せてくれたフードの裾をぎゅっと掴み、目元を隠すように鼻の辺りまで下ろした。

その手はまた震えている。頭に当てていた手を離して孝児の手を優しく、けれど力強く握ってあげた。すると、ゆっくりだが孝児も穂波の手を握ってくれた。自分よりも二回りは小さい指が包み返そうとしてくれる。彼が力を入れる分だけこちらに熱が伝わり、彼が生きていることを証明していた。

「孝児こそ」

 こんな小さな子が年上を気遣うなんてあまりにもお門違いだ。

 顔は見えないままだが、孝児は返事をするように肩を大きく上下に動かし、必死に泣くのを我慢している様子だった。微かに嗚咽も聞こえる。

「大丈夫。俺は味方だ。学校の子たちも心配してたぞ。一人なわけないだろ。もし、また死ねなかったことを責めるものなら俺が生きていていいって何回でも言ってやる」

 今度の笑顔は上手くできた気がした。また穂波に抱き着いてくる孝児。その勢いでフードは脱げ、傷と涙だらけになった顔が露わになるも、そんなの孝児はお構いなしに今度はさらに大きな声をあげ泣いている。

「しっかりと抱きとめてあげなよ」

 そこで左童がようやくまともに口を開いた。

「きっとホナミの気持ちを伝えられる手段はそれが最初で最後だよ」

 左童が珍しく優しく諭すような口調で言ったそれが、どうしてか穂波の心に染み込んでいく。

「言われなくても分かってる」

 文句を言いながら穂波は目の前にある小さな体を、柔らかく抱きしめた。不思議と小ささを感じるよりも先に、彼の普通の子よりも華奢な体つきに驚いた。

 自分には既にない体温が直に伝わってくる。ぽかぽかと温かくて、背中までじんわりと包み込んでくれるように思えて気持ちが穏やかになる。穂波の冷たい体にまで温度が侵食していく錯覚さえ覚えてしまうほど。しかし、そんなわけはなく。穂波の体は勿論冷たいまま。

 きっと孝児にとって家は戦場そのものだったのだろう。彼が見るこの世界はあまりにも小さかったけれど、どこもかしこも銃弾が飛びかっていた。それは時に優しさだったり、気遣いだったり、正義だったり、はたまた狂気だったり、球は様々な形に変化していた。勿論全部銃弾ではない。きっと味方が彼のSOSに気付いていたものだってあったかもしれない。しかし、SOSを出している本人が気付いていなかったのだ。だから全部が銃弾。凶器。攻撃。当たったら当然死ぬ。現実はゲームじゃないため、蘇生はしない。避け方しか分からない孝児は武器なんて持ち合わせていなく、撃ち合いなんてできっこない。あるとしたら自分を護るためのヘルメットくらい。負け戦の戦場に駆り出され、毎日毎日息をするのさえも困難だ。

居場所がないと言っていた彼にとって学校も大して変わらなかった。誰にもバレてはいけない母親との残酷な内緒の約束。

 その後、何度も穂波は「大丈夫」と落ち着かせるように孝児の背中を優しく叩いた。

「孝児に痛いことするやつはここにはいないから。安心しな」

 ひとしきり泣き終えたことを確認し、穂波が手を離すも孝児は一向に離れない。

「ちょ、まだ落ち着いていないのかよ」

 孝児は何も言わずに穂波の服の裾を両手で掴みながら小さく頷いた。

「おにいちゃんと一緒に暮らせればいいのに」

 小声でそう言った孝児。穂波の耳にその願いは届いていた。しかし、彼には聞こえないフリしか出来なかった。

 孝児は生きていて、穂波は死んでいる。これが現実。だから彼と一緒にいることなんて不可能だ。これまでも、これからも。

「よし、これからどうするか決めるぞ」

 明るい口調で言うとようやく孝児は体を離してくれた。まだ残っている涙を穂波は自分の服の袖で拭い、孝児の肩を軽く叩いた。

「どうするかって」

「このままじゃダメなことくらい自分でも分かってるだろ。だから現状を改善するために――」

「いやだ!」

 拒否する孝児は小さい獣が吠えているみたいだった。弱いなりに自分を大きく見せようと「いやいや」と否定する。

「何が嫌なんだ」

「お母さんもお父さんも一緒。おにいちゃんだって一緒! ねぇ、それじゃあだめなの」

 当然無理に決まっている。

 とは言え孝児にとって今が彼の世界なのだ。暴力をふるってきてもお母さんはお母さんで、距離が分からないし助けてくれなくてもお父さんはお父さん。そして、こうやってお母さんがいない時にでも自分に優しくしてくれる穂波。磁石の引力のように彼の頭の中の誰かはどんどん、彼の世界、価値観を作り上げている。

 それを離すということは即ち、孝児の世界を壊すことに値する。

「ごめん、そればっかりは俺にも」

「孝児!!」

 女性の声が孝児の名前を呼んだ。

 声のする方へ振り向くと、彼を捜しに来た孝児の母親と父親が公園の入り口に立っていた。

 走って来たのか二人とも呼吸が乱れている。一方は安心しきった表情でこちらに近付いてこようとする父親、もう一方は小刻みに肩を震わせながら表情を隠している母親。きっと母親のあれは泣いているわけではない。

「孝児、こんなところにいたのか」

 父親がそう声をかけながら穂波に会釈をしてきた。返す穂波。それよりも肝心なのは母親の方だ。

「あんた何してるのよ!!」

 半狂乱で孝児を責めるように言う母親。安堵や心配なんかではない。その声から唯一読み取れるものとしては最早殺気だ。

 今までこんな母親の姿を見たことがないのか、父親をなす術なく驚いて口を開けながら母親を見ているだけ。

父親と左童は彼女よりも後ろにいるためどんな表情をしているか分からないが、穂波はしっかりと目にやきつけた。これがどれだけ痛くても我慢していた孝児の目に映っていた全てだ。

 正に鬼の形相と言えよう。目は血走り、全身で怒りを表している。こちらに近付いてくる一歩一歩の足音がとても重い。歩いているのは同じ砂利のはずなのに、彼女が歩くとまるでここにある遊具が反動で浮くくらい気迫が迫ってくる。これが我が子にする母親の表情なのだろうか。

 孝児を背中に隠して穂波は前に出た。怯えている孝児の瞳は着々と恐怖の色に染まっていき、止まっていた震えがまた復活している。

 それでも、孝児はどうしたいのか。さっきのお母さんも一緒がいいという言葉が本当なら、もしかしたら自分たちが今からすることは間違っているのではないだろうか。

 一瞬だけ戸惑いを見せたが、突然聞こえた父親の言い合いに似た声に何とか我に帰ってこれた。視線を移してみると動こうとしている父親の腕を左童が掴んでいる。

「「何してるの!」」

 思いもよらないことについ言葉が被ってしまう父親と穂波。

「アナタが助けちゃ意味ないですよ。今のアナタたちの仲良しな家族の水面下で何が起こっているかいい加減に知らなきゃいけないです」

 至って真面目に答える左童を見て覚悟を決める穂波。

 確かにその通りだった。

このまま孝児に手をあげる母親の姿さえ父親が目撃してしまえば今まで母親が隠していたこれらが全て公になる。それが何よりの証言になるのだ。

 左童は初めからこれが目的で穂波についていきた。わざわざ公園の入り口の前に佇んでいたのも、孝児の父親が後ろにいると予想して。

 穂波が目を離していた瞬間、勢いよく左頬に痛みが走った。その振動は脳まで届いた勘違いをするほどの衝撃。少しだけ眩暈に襲われたが、何とか倒れずに足を出して踏みとどめた。

ゆっくりと視線を戻すと、穂波の目の前には母親が立っている。母親は唇を血が出るほどに噛みしめ、もう一度手を大きく振り上げる。

今度は二回も叩かれた。制止も効かない暴力は穂波にまで牙を剥き、後ろにいる孝児にたどり着こうとしている。

まだ拳で殴られないだけマシだが、自我を強く持っておかないと体が倒れかねない。自分という壁が崩れた瞬間、目的の孝児に暴力を振るわれてしまう。

「さっさとそこをどきなさい!!」

 母親はいよいよ拳まで振りかざしてきた。それが見事に穂波の頬を捉え、そのまま力が抜け倒れる。口内が殴られた勢いで傷つき、鉄の味があっという間に広がって行く。

 激情した母親を止める方法は見つからず、いとも簡単に孝児への進出を許してしまった。それでも何とか力を振り絞って彼女の足にしがみ付き、穂波は止めようとする。

「やめろっ」

「離せ……離せ!」

 穂波の顔を目がけて何度も蹴り落としてくる母親。次第に顔を上げて母親の顔を見ることさえも叶わなくなり、視線が地面へと落ちていく。

 母親に引きずられる度に砂利が顔に傷をつけ、まるで足跡のように砂に穂波の血が塗れた。

「孝児、逃げろ!」

 必至に叫んでも孝児がその場から動く様子がない。

「孝児?」

「やめろ、やめろぉ!!」

 母親を止めようとしているのは穂波だけじゃなかった。差し含む涙を堪えながら震えている孝児も同じだった。

「おにいちゃんに痛いことするな!」

 孝児の手にはどこから出したのかハサミが握られていた。その刃は微かに震えながらも迷うことなく母親をさしている。

「おい、何してるんだよ」

 穂波の口から漏れ出す問は孝児の耳には届いていない。認めたくないが、感情に抑止力がないのは親子そろって似ているみたいだ。

「だめだ、孝児。それだけはだめだ!」

「うわああああ!!」

 喚き声を吐き散らしながら勢いよく走り出す孝児。

 地を蹴り上げ、刃を前に衝き出して前屈みになる姿に穂波は寸時目を奪われた。今はそんなことをしている場合ではない。

 間に合え、と何とか力を振り絞って母親の前に立とうとするも穂波の体は言うことをきかない。

 目の前の母親がずしり、と揺れた。――後ろに後ずさるように。

 それはまるで誰かが彼女を押した動きだった。急いで穂波が視線を上げると、母親と同じくらいの背丈の背中が前にあった。しかし、それは父親ではない。

「左童?」

 左童が前屈みになりながら、ハサミを持っている孝児の手をしっかりと掴んでいる。そのハサミの先は紛れもなく左童の腹部に刺さっていた。

「おい! 左童!!」

「え?」

 苦しむ左童を呼びかける穂波とは反対に孝児は今自分が何をしているのかも理解出来ずに、ただ立ち竦んでいた。

「っあぁ!!」

 力が入らない体に鞭を打ち立ち上がり、左童を支えようとする穂波。けれど、それも虚しく孝児が簡単にハサミを抜くと左童が力なくその場に崩れる。そこだけ穂波にはやけにコマ送りで映った。急いで左童を抱きかかえ、彼の顔を見る。左童は額に脂汗を掻き、苦渋に満ちた表情で何とか呼吸をしている。その呼吸は弱弱しい。

「おい! 目を覚ませ!」

 左童はただでさえ冷たくなっているのに、目まで瞑られると本当に死んでいるように感じた。

必至に揺さぶりかけている時だった。

穂波の手に気持ち悪い感触が襲った。ぬるりと温かい何か。

 手は鮮血に染まっていた。左童に視線を戻すと刺された箇所からどくどくと血が流れていた。穂波は自分の目を疑った。見たことのない光景に呼吸が乱れ、信じられない左童の姿に視線を逸らしたくなった。

 自分がどうするか、ではなく左童を助けるためにどうするか、だ。

 穂波は上手く声が出ないまま口を開いた。

「救急車と警察、両方、呼んでください」

 その声に今まで放心状態だった母親がようやく元の彼女に戻り、突如自分の両肩を抱きながらその場に膝から崩れていく。

「はやく!!」

 叫び似た穂波の声に父親が電話のボタンを押した。

「お、お兄ちゃん。僕」

 目は血走り、ふらついた足取りで何とかこちらに向かおうとしている孝児。

「大丈夫」

 空いている手で孝児の頭を撫でた。けれど、上手く笑顔は作れずまた口の端が震えているだろう。左童には孝児が持っていたハンカチで止血し、安静に寝かしておいた。

 それから数分経った頃に耳を劈くようなサイレンが近くで聞こえた。父親が先に救急車を呼んだようだ。サイレンが一層大きくなると、救急車の頭が公園の入り口から見えた。すると、みるみる内に野次馬と救急隊と警察によって塞がれていく。

「こんなはずじゃなかったんだ」

 穂波は横たわる左童の手を強く握る。ホームに来てから左童はいつも憎まれ口ばかりを叩き、ひねくれた意見ばかり吐き、おまけに嘘だってつく誰も手に付けられない天邪鬼のようだった。

 しかし、そんな彼にも穂波は無意識に涙を流していた。ここまで自分にアドバイスをしてくれ、手伝ってくれたのは左童だった。

「目を覚まませって」

 刹那、場面が変わり、気付いたら穂波は施設のラウンジにいた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

また明日も更新しますので、よろしくお願いします。

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