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未熟な柘榴をかじる  作者: 矢野華
4/10

1-悲劇のファミリーパーティ 3

今回も読んでいただき、ありがとうございます。

「はぁ」

 翌日に目が覚め、体を起こした際に自然に出た自分の溜息に穂波はうんざりしていた。この世界には日光というものが浴びられず、あるとしたら人工的な明かりのみ。おかげで体は起きてもなかなか頭は動きそうにない。

結局先日は既に寝ている左童を見もせずに穂波はベッドに寝っ転がったのはいいものの全く睡魔が襲ってくる気配はない。それもそのはずだ。安住や左童、そして孝児に言われた言葉が頭の中で飛び交っていたおかげで見事に寝不足。

何も解決しないまま孝児の様子を見るために部屋から出て行くしかない。

一階の流し台で軽く顔を洗い、拭いていた穂波の肩を誰かが叩いた。穂波が振り向こうとしたが、何かにせき止められ首が回らない。視線を下ろしてみると人差し指が彼の頬を突いていた。よく小学生や子どもがやる膝かっくんとかと同じ類の悪戯だ。

穂波にこんな子ども騙しをしてくる人間なんて一人しかいない。

「朝からごくろうさまー」

 穂波は自分の肩に乗っかっている手を退かして振り向くと見たくない顔があった。

「何の嫌がらせだよ、左童」

「彼のところ、行くの?」

 穂波は口を開かずに力強く頷くだけ。

「そう。なかなかに大変だろうけど頑張ってねー」

 左童はそれだけ言うとどこかへと行ってしまう。彼なりの見送りだったのかもしれないが、穂波には全く理解ができずに彼はそのまま現世への扉を押し開けた。隙間から入り込んでくる新鮮な日光に一瞬目が眩んだが、怯むことはなくホームから出て行った。

 出て来たところは昨日と同じだが、人がたくさん歩いているのは唯一違う点だ。昨日穂波が現世に来た時間はこちらで言うと夜だった。それから時間が経ち、夜が明けて現在は通勤、通学時間なのだろう。穂波の前を何人ものスーツを着た男性や女性、自転車を漕いでいる高校生たちが通り過ぎていく。彼らは穂波が視界に入ると一瞥するが、足を止めずにそのまま一心にどこかへと向かっていた。

 穂波も彼らと同じように目を数秒だけ合わせ、すぐに反対側の歩道の方に視線を向ける。それは昨日孝児が出て来た建物、つまり彼が住んでいる一軒家だ。

 近くの横断歩道を渡り、孝児の家の前に立つ。高野と書かれた表札から穂波の予想は的中していた。インターホンを鳴らそうか、扉をノックしようか穂波が悩んでいた時だった。扉の隣にある窓から物音がする。何度も窓を叩く音、誰かがノックしているような音だ。穂波が視線を窓にやると孝児が窓を叩いていた。

 穂波は急いで孝児に気付き、窓の方へと走るとあちらも気付いたようで、今度はどこかへと孝児が走って行ってしまった。

数秒後、扉の鍵が開く音がし、ゆっくりと扉が開いた。中から現れた孝児は着ていたパーカーのフードを深々と被っていた。平日の昼間というのに孝児が家にいることに穂波は驚いたが、それよりも彼が家にいながらランドセルを背負っていることの方が気になった。

 孝児は穂波を見て分かりやすく口をあんぐりと開けていたが、家の中から物音がすると穂波の手を無理やり握り、行き先も分からないまま彼は家を飛び出した。

「おい! どこに行くんだ!」

「静かにして!」

 歩いている人の間を縫い、何かから逃げるように思える孝児の姿に穂波の中で感じていた不安が徐々に吹きだし始めていた。苦い顔をしながら孝児の家の方へ振り向き、すぐに視線を戻す。

 走っている間に孝児が被っていたフードが脱げていたことに気付くも、走り続けた。

 普段走る機会なんてあまりない穂波は孝児と違って、あっという間に片腹が痛み、さらに心悸が高まっている。胸に手を当てなくてもいいほどに自分の鼓動を肌身で感じられた。

 突然孝児が止まる。目的地に着いたようで彼は穂波から手を離した。呼吸を整えながら穂波が周りを見渡すと、昨夜孝児が自殺未遂したあの山がある公園だったことに気が付く。

 もうそろそろ動悸が静まってもいい頃なのに全く治まる気配はない。もしかしたら走ったからではなく、他に理由があるのではないだろうか。

 穂波の中で答えはすぐに出た。あの孝児の首の爪痕だ。

 この高鳴りは恐らく警告なのだろう。どんどんどん、と内側から大きな音をたてて知らせている。今、穂波の目の前にいる彼はとんでもない爆弾を背負っている、と。疑う余地もなく彼は危険分子だ。

『体を張っても彼はキミを信じずにまだ死のうとしているわけだよ。もうキミがいくら喚こうが、説得しようが彼にキミの言葉は響かない』

 左童の言っていたあの言葉がふいに穂波の脳裏を過った。そう、彼は穂波がどれだけ手を差し伸べても気持ちを変えないでいる。彼をそこまで死に追い込む原因は何なのか。

 孝児はフードが脱げてから一度も穂波の方を向いていない。ずっと穂波は孝児の小さな背中しか見られずにいる。言い得て妙だ。

 心配し、孝児を助けたいのなら今すぐ彼を力づくでも振り向かせればいいだけ。ところがどうだ。孝児に恐怖し、声をかけるのさえも怯えている。

「おにいちゃん、あのね」

 そう口を開いてこちらに振り返った彼の顔は豹変していた。

 孝児の頬には大きな紫色の痣があった。首の傷なんかと比べものにならないほどの重傷を負っている。明らかに事故ではなく、故意でできたもの。それは幼い顔にはあまりにも痛々しい傷跡だった。

 益々彼に何が起きているのか分からない。穂波が痣のことを聞くよりもはやく、彼は聞いてくる。

「これを見てもぼくは今死なないほうがいいの?」

 その声はとても震えていた。

彼の瞳から出てくる涙が喉に流れていく。ただの水なんかじゃない。濁った水だ。それも底が全然見えない汚水。喉だけじゃない。孝児自体を何者かが悪意を持って彼を溺れさせ、一生水面から顔が出ないよう沈めているのだ。そうして副産物として生まれた恐怖が、不安が、孝児の声を震わせてしまっている。

孝児が変わっても、その変化はあまりにもこの世界にとってちっぽけで誰も気付いてくれない。彼を自殺にまで追い込もうとしている原因はまだどこかに息をひそめている。きっと、また孝児の心を食らい尽くしにくる。虎視眈々と舌なめずりをしながらこちらの隙を衝こうとしているのかもしれない。

穂波は自分の勘の良さを恨んだ。

この世界には足を踏み入れちゃいけない事情というものがいくつもある。特に関わってはいけないものは人の死が隠ぺいされているもの。孝児は死に片足突っ込んでいるようなものだ。きっと穂波が彼の手を引こうとすれば、ミイラ取りがミイラになりかねない。

体の芯が小さく震え出した。抑えの効かない震えの対象は死に対してではない。殺しに対してだ。殺意があろうがなかろうが、暴力は暴力だ。そして、まだ小学生の孝児の未来を消し、自殺を刷り込ませているのは法で裁けない罪だ。

「これがおにいちゃんの好意を受けた結果なんだよ、わかる?」

「そんなこと、言われても」

「ねぇ、教えてよ。本当にぼくを助けようと思ってる? ぼくは死なない方がよかったと思ってる?」

 迫りくる孝児に穂波は慄然とした。自分の善意が悪に塗りつぶされた瞬間。自殺を考えている人間がここまで悍ましいなんて聞いてない。こんな救いようもない闇に溺れているなんて誰が想像できるか。

「おにいちゃん!!」

 孝児の叫び声に似た呼びかけで初めて孝児とまともに目を合わせられた。穂波は彼の目に宿る涙にはたと視線を再度逸らそうとする。

「昨日みたいに、また言ってよ」

「な、なにを」

「死ななくていいって。生きてていいって言ってくれなきゃ、ぼく」

 孝児の声は潤んでいた。助けを求めているのがひしひしと穂波の骨身にまで伝わってくる。

 けれど、穂波は彼の声を聞いても心変わりはしなかった。暫し自分の正義感と葛藤した後、口を一文字に結び、黙秘を貫いた。

甘く見ていた自分への復讐なのだろうか。

時間なんて数秒しか経っていないはずなのに、喫驚するほどに永く思えた。

呼吸する音さえも聞こえないくらいの静けさが辺りを覆う。

「ごめん」

 穂波は喉から搾り取ったような声で静寂を切り裂いた。

突如強烈な耳鳴りと頭痛に襲われ、一瞬目を閉じもう一度開くと消えていたはずのタイムリミットがまた復活し、時間を記している。

「復活して――」

 穂波は思わず自分の目を疑った。まだ、終わりじゃない。三十四・〇〇。前回から時間が延びたとは言え、孝児が死ぬ未来は何一つひっくり返っていない。

 一体誰から恨まれてこんな無理難題を引き受けることになったのだろう。

 穂波の思考はどんどん凝り固まっていき、綺麗な正方形の箱を作る。振っても、下から見ても上から見ても、横から見ても殴っても何も変化はない。後悔と疑念と恐怖の成分を混ぜ合わせたそれは穂波の脳内を覆っていき、

「ねぇ」

「来るな!」

 狂気を授けていた。

 気付けば穂波は孝児を突き飛ばそうとしている。孝児は避けきれず、体を押し倒そうとしたが何とか穂波は踏みとどめた。このまま孝児に傷をつけたら彼らと同じになってしまう。理不尽な怒りの矛先を無条件に自分よりも立場の弱い誰かにむけるのが、そんなにいいものだろうか。そんなものはただの憂さ晴らしに過ぎない。

「おにいちゃん、また助けてよ」

「無理に決まっている」

「ねぇ、どうして?」

 糾弾とまではいかないものの孝児の純粋な疑問に咎められる。

「俺は」

 人の命に責任なんてとれない。

 孝児の言葉を否定するように穂波は左右に首を振り、彼を拒絶した。

 どうすればいいかわからず、次第に思考は止まり始め、理性を繋いでいる糸の切れた音が頭の中のどこかでやけに大きく聞こえた。

 すると、先ほどまでの成分が全て液体として流れ出て行った思考は萎み、原形をとどめていないほど曖昧な形になっていた。腐敗している。言うならばトマト。腐ったトマトに指を突っ込んで飛び出たエグイ色をした汁が穂波のまともじゃない考えに答えを付着させた。

「弱虫。おくびょうもの」

「ごめん」

「うそつき!」

 穂波は何も言い返せずに唇を強く噛みしめた。

 孝児への暴力の原因は消せばいい。例えどんな手を使っても。

「ごめん」

 穂波は謝ると自分の服の裾を掴んでいる孝児の手を離し、孝児に背を向けた。

「信じてたのに」

 孝児の声かけに何も言わずに穂波はその場を立ち去った。


「新人くんにいきなり押し付ける仕事ではないでしょ、あれ」

 穂波が現世に行っている間、彼と別れた左童は安住の自室でくつろいでいた。

「お前が自分であんな馬鹿なことをしたから自然とあいつに回った。それだけのことだ」

 安住は答えながら机の上の書類をまとめ、ファイルに閉じた。そのまま椅子の背もたれに背中を預け、凝り固まった体を伸ばす。

「咎めなかった安住にも悪気はあると思うよ。ボクが書き換えたことくらい分かってたでしょ」

「俺は言われた通りにことをしたまでだ」

「そうやって責任転嫁するー。どうやら安住もボクも同じ目的みたいだね。共犯だ、共犯」

「勘違いだろ。お前が始めたことだ。尻拭いくらい自分でしろ」

「いやだよ。こどものおもりほど嫌いなものはないね」

 そう言って安住に足を向け、ソファに寝転ぶ左童。彼は自分の部屋から持ってきた本を仰ぐようにして開いて読んでいた。

「じゃあ、どうしてわざわざ穂波のことを心配する。自分のことじゃないだろ」

「心外だな。ボクだって誰かを気にかける時だってあるのだよ、安住くん」

 それを聞いた安住が鼻で笑う。

「冗談を。どうせお前のことだ。今この状況だって楽しんでいるに決まってるだろ」

「どうだか。それはボクにしか分からないよ」

「それはともかく。そんな与太話をしにきたのか」

「ボクは自分から手の内を明かさない主義でね。安住がそうだと思ってるならそうなんじゃない」

「そうか。なら穂波の件についてのクレームを入れて来たという解釈にしておこう」

 安住がファイルを引き出しに片しているのを左童は本の下から見つめていた。彼は安住がいない間にも勝手にこの部屋を出入りしており、安住が持つファイルの中身は大体熟知している。

 左童の用事は今更それらのファイルを漁ることではない。

「クレームならきちんと処理しないと。答えてくれないとボクは納得しないよー」

「ならここに来た理由を自分の口で言えばいいだけだ」

 あからさまに不機嫌そうに左童は可愛らしく頬を膨らませた。

「安住ってばけち。そんなんだから厳しいだの、鬼だの言われてるんだよ馬鹿」

「構ってくれる人間を探すなら他を当たれ。俺だって忙しい」

 左童の絡みを一蹴するように安住はまた机に向かって事務作業を始めてしまった。

 その安住の一言に左童は起き上がり、安住に微笑みながら近づく。安住の肩に腕を回し、抱き着くようにして彼の邪魔をした。

「やだね。ボクは安住に一途なんだから。他なんか興味ないよ」

 甘えるように頬ずりをする左童を引きはがそうとする安住。

「離れろ。暑苦しい」

「嘘つきー。安住はボクが大好きなことくらい知ってるよ。だからさ」

 耳元まで近づき、怒気を含んだ声で左童は言った。

「答えろよ。どうしてホナミを選んだ。あのままじゃ間違いなく彼は死ぬ。ホナミに期待しているのはアンタたちも同じだろ。気でも触れたか。もう一度よく考えた方がいい」

 しかし安住は彼の剣幕に動じずに答える。

「考える必要もない」

「だから今すぐ取り消せって言ってるんだよ。ホナミが死んでもいいのかって聞いてるんだけど」

「そうなったらそれまでだ。死ぬことを選ぶのは結局穂波自身だ」

「薄情だね。アナタには血も涙もないわけ」

 呆れた様子で左童はそう言い残し、安住から離れて踵を返す。そのままドアノブを回し、ドアを開けようとした時安住の言葉が彼の背中を突いた。

「死にたくても死ねないのはサジ。お前が一番分かってるだろ」

「……ほんとここの人間の人格を疑うよ。どいつもこいつも嫌いだ」

 安住の部屋から出て行く左童。

俯きながら軽く深呼吸をし、顔を上げると彼の視線の先で帰還してきた穂波の姿が見えた。すれ違いざまに左童が挨拶しようとするも穂波は彼を一瞥もせずにふらついた足取りでどこかへと行ってしまった。

 そんな穂波の背中を見つめながら事の重大さを悟る左童。すぐに後を追うと、穂波の行き先は自室だった。

 穂波は力なくゆっくりとドアを開け、中へと入っていく。左童も続けて入るが穂波は全然気付いていない様子だった。

 悩むように自室に引きこもる穂波に左童が声をかける。

「調子はどう?」

 にこにこと穂波の顔を覗くが彼の視界に左童は入っておらず、ただ彼はうわ言のように「どうする」とひたすらに呟いている。

「おーい」

 穂波の目の前で手をひらひらさせても彼は気が付かない。「仕方ない」と左童は溜息を吐くと、穂波の左頬を軽く叩いた。そこでようやく穂波は左童に焦点が合い、気が付いた様子で「左童」と口にした。

「やっと気付いたみたいだね」

「何の用」

 その表情は眉間に皺を寄せ、険しい。

「先輩が新人を心配するのは当たり前でしょ」

「先輩が新人の頬を引っ叩いて話すのも当たり前?」

「だって、こうでもしないとボクに気付かないみたいだったし。仕方なくやっただけだよ」

 そう言って謝る左童を横目に穂波は部屋の真ん中にある机の奥側に腰を下ろした。

「で、どうしてあんたが俺の心配するわけ。関係ないことだろ。自分の仕事しろよ」

「そんなこと言われてもボク、今仕事なくて暇だからさ。その仕事手伝うからボクに構ってよ」

 鬱陶しそうに左童を睨み付ける穂波。ほうっておいてほしい、というオーラが全面に出ているが左童はそんなこと気にしない。

「暇って、自分で仕事を請け負おうとか思わないのかよ」

「思わないかな」

「ならどうしてこの施設にいるの」

「んー、色々訳アリでね。それに今日は追いかけっこもつまらないし、ちょっかいもさっきかけたから飽きたし、今はブルーな気分じゃないからいつもみたいなことはする気にならないし。だから、可愛い新人くんにアドバイスをしてあげようと」

「余計なお世話だよ」

「あぁまぁ。とりあえず話してごらんよ。役に立つかもしれないよ」

 そこでどうしても左童が引くことはないことを察した穂波は呆れたように「わかった」と机に頬杖をついた。

「それで、昨日の今日でどうなってた?」

「あいつの顔、すごく腫れてるの。誰かに殴られたみたいに。しかも死ぬ日時もまた復活している。それで、どうにか打開策を探っているわけ」

 穂波が話している間に左童も彼に倣って床に座り、穂波の話に適度に相槌を打ちながら聞いた。

「ふーん。思った以上に面倒な案件だね。まさかそこまで厄介ごととは」

「それよりもどうしてまだって言えたんだよ。何か知ってたの」

「あぁ、それはさ。灯火だよ。その男子の灯火がまだ消えかかってたからさ」

「その灯火って何。前、安住さんも言ってたけど」

「へ?」

 目を瞬かせながら、ずいっと穂波の顔をまじまじと見つめる左童。一瞬「あぁ」と何か納得するように真面目な顔つきになるが、すぐに戻った。

「な、なに」

「いや、こっちの話だから気にしないでよ。まぁ、そういうのが見える人もいるよーってことだからさ。とにかくその灯火っていうのは生きている人間だけが持つ証みたいな。ちなみにそれは死んでいるボクらにしか見えない。で、それが消えかかっているってことは死にたいって思っている人間がいるのよ。その人たちを救うのがボクたちに与えられた仕事。って、そこらは安住に教えてもらってるはずだから分かってるよね」

「でも、俺にはその灯火とやら見えないけど」

「なぁに、その内見えるようになるって。キミはまだまだ半人前ってことさ」

「死んでるのに半人前も何もないだろ」

 刹那、目が合った左童がまた真剣な顔つきでこちらを見ていたが、まるでそれが嘘かのようにまた飄々とした笑顔になった。

「とにかくさ。打開策でしょ。あ、そうそう。その暴力をふっている犯人はわかったの? あと、その子の家庭環境とか友人とかどんなんなの。そこらは探った? まさか分からないとか言わないよね」

 慣れた口ぶりで怒涛の質問をしてくる左童に少しだけ目を丸くした穂波だが、話が終わって静かになった左童がこちらを見つめていることに気が付くと慌てて穂波は答えた。

「と、とりあえず事前情報で、母親が再婚していて今の父親は新しい父親みたい。以前の父親はもう死んでいて、どちらかというとそっちに懐いていた。それで、どうにか新しい父親に近付こうとするけど、どうにも上手くいってないらしい」

「でも、だからって自殺まで彼を追いこむほどのことじゃないでしょ」

 予想だにしない回答に「はぁ?」と穂波の腑抜けた声が出てしまった。

「それは本人に聞かないと分からないだろ」

「分かるよ。だって近寄ろうと努力していたのに途中でそれを放棄するってことは、それ以外の何かの理由があって彼を死に追いやったわけでしょ。じゃなきゃおかしい」

 いつになく真面目な顔で答える左童に穂波は少したじろいだ。それは正論であり、何より孝児が腫れた傷を見せながら「まだ死なない方がよかったかな」と聞いてきた。紛れもなく彼をもう一度死に引きずり込もうとしている原因はその傷にある。

「他に情報はないの」

「あぁ。そうだな。平日の昼間なのに家にいて、しかもランドセル背負ってて、しきりに家の中の様子を窺ってたな。俺に傷を見せる前も隠れるようにして家から出て来たし」

「家の中……ランドセル……」

 左童はそう呟きながら、ちょっとだけ俯きがちに顎に手を当てた。

「どうして家の中でランドセルを背負ってたんだ。それに隠れるように」

「家の中で誰かに見つかりたくなかったから隠れてたんでしょ」

 ちらりと上目遣いで穂波の疑問にヒントを与えた。

「あぁ、そっか」

 少しずつだが着々と答えに近付いていることは分かっていた。その歩幅はもしかしたらほんの少しかもしれない。しかし、今の二人にとってそれは大いなる一歩に感じられた。

「だとするとその見つかりたくない誰かが彼に暴力をふるっている犯人になる。それに」

「ランドセルを背負ってたのは、その人に学校に行っている誤認させるためか!」

 自分の言葉を食いぎみに答えられた左童は目をぱちくりさせた。時間が止まったように数秒間だけ沈黙が訪れる。互いに真顔で見つめ合い表情を窺い合うも何も言ってこない左童に不安げに「多分」と後付けた。

「そうだね」

 頷く左童に安堵し、続けて穂波は答えを口にする。

「あいつ自身から近づこうとしているのは父親だ。わざわざ暴力をふるってくる人間に距離を縮めようとはしない。それに家から出てくる時の顔も、逃げていた時の微かに震えていた手も確実に怯えているのが何よりの証拠。つまり犯人は母親になる」

「よし。じゃあ次に決めるのは彼の母親をどうするか、だ」

「どうするって」

 予想だにしない言葉に穂波は目を白黒させながら、勢いよく立ち上がった左童に見上げる形で穂波は尋ねる。

「え、なに。もしかして何も罰もなしで三人家族に戻れると思ってたりするの? そんなわけないじゃん。いいかい。暴力は悪であり、罪だ。自分よりも相手を下等とみなした時点でその主従関係は完成されるんだよ。そんな醜いものを壊す手段は一つしかないでしょ」

「だからと言って家族を離れ離れにするっていうのかよ。あいつの意見も聞かないで!」

 あまりの不条理さに耐え切れず穂波は感情的に怒鳴り、無意識に立ち上がっていた。

「それを決める権利は俺たちじゃなくてあいつに、孝児にある。 それにまだ、孝児は前の父親のことを忘れられてない。新しい父親との距離感だって掴めていない! あの二人を繋ぐのは、架け橋になるのは母親しかいないだろ! なのにどうして! どうして孝児から世界に一人しかいない母親を離すことができる。そんなの間違っているだろ」

 声を出せば出すほど唇がかさつき、喉が渇き、何回か声が裏返った。大声を出すことが不慣れだったものの、それが今の穂波の最大限だ。

 穂波は目の前の彼から発されたあまりにも無慈悲な言葉を否定するように何度も、何度も首を左右に振った。次に左童が口を開いたのは一通り穂波の意見を聞き終えた時だった。

 彼が言葉にするよりも前についた溜息は確実に穂波への呆れを表している。

「あのね、ホナミ。もっと現実を見なよ。そもそもボクたちがそのコウジくんに加担してどうするのさ。ボクたちがするのはコウジくんを救うこと。彼に共感することじゃない。彼のこれから生きていくレールを正しく敷いていくことだ。ボクたちと違って今に縋らないで、未来を見据えなきゃだめだ」

「だからって」

 穂波が言いたいことは勿論あった。ありすぎて脳のキャパシティがオーバーしてしまうくらい。しかし、それを喉でせき止めたのは左童の意見が正論だということを頭で理解できてしまっているから。

 孝児の傷跡を見た時と似ている感覚だった。あの時は味わったことがない恐怖に圧倒され、拒絶しないことにいっぱいいっぱいだったが今は寧ろ、その奥だ。

 自分を狙って舌なめずりしているあの悪に対峙しなくてはならない。一矢報いるために。そして、孝児にもう一度生きたいと思わせるためだ。

 だから今は感情論に浸れない。孝児の救済が最優先事項だ。母親を殺すなんて、気の触れた考えは消して事態を静かに解決に導く。

「ならお前だったら、どうする」

 穂波は真摯に左童の目を見据えた。

 彼の中ではあまり認めたくないが、恐らく左童が協力してくれなかったら最悪の展開を起こしていたかもしれない。孝児の恐怖が狂気に変わり、穂波の正常な思考を感染させていったようだった。

 それらを全部止めてくれたのは、左童だ。

「警察に言うに決まってる」

「……分かった」

 少しだけ頷こうか戸惑った穂波だが、今は彼の意見に賛成するほかない。

案外簡単に頷いてくれた穂波を一瞥する左童。何か言いたそうに穂波を見つめたが「そう。分かってくれたならよかったよ」と笑って言った。

「じゃあ、行くよ」

 そう言って左童は穂波に背を向ける。

「行くってどこに」

「そのコウジくんとやらのところだよ。期限だって永遠なわけじゃないんだし」

 すっかり穂波に協力してくれる左童を見て、無意識に穂波の口を衝いて言葉が出た。

「本当にあんた、昨日俺に嫌味言ってた人間なの?」

 ドアを開けながら半身をこちらに向けながら左童が嘲笑する。

「そのスペックのないオツム、今すぐどこかで取り換えてきてくれない?」

「……聞いた俺が馬鹿だったよ」

 穂波は呆れた様子で左童の後をついていった。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

突然ですが明日、明後日と連日投稿を予定しております。


今回も補足があります。

・死者たちの世界には現世と違って朝がない。日夜構わず暗いが時間の概念や日付の概念はあるが、四季はなく同じ月をずっと過ごしている。

 外を見ても意味はないため、時間を確認するには時計を見るしかない。現世と時間のたち方は同じ。曜日も一緒で一週間も計七日。

・『灯火』とは概念的なもので、主に見られる姿は灯火だが人によって光の形を変える。人間を照らすスポットのように見えたり、最終的には明るいものに収束される。死者から見る生者への感情を表している。

 人間から見た➡生きている証。感情や生きる意味、夢などを火種として燈っている存在。

 死者から見た➡自分たちが持っていないもの。妬みや憧れや羨む感情によって姿かたちを変える存在。

以上です。今回は要素とホームの説明を入れました。

 では、また明日に続きを投稿するのでよろしくお願いします。

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