征討使ジラーレス
それは原初の誓い。俺にとっての原風景。
子供たちを集めて放り込まれる野山の中で3人は出会った。ここで生き残れば次がある…終わりのない戦いの螺旋の始まりの山。
「ねぇ君たちの名前は何ていうの?」
少年が言った。自分だって泣き出したいぐらいに辛いだろうに、話をすることで他の二人の助けになろうとしていた。思えば、この山で他者のことにまで目を向けていたのは彼が最初だろう。
自分と彼女はそれに釣られて嘆くのを止めて、他にも人がいるということを認識できるようになったのだ。
思うところは別々だったけれども、それで生き残ることができたのだった。
「レーフィア。私の名前はレーフィア」
波打つ金髪の少女が言った。その髪は売るために首のあたりから切り落とされている。再び伸びるまでにどれくらいかかるのだろうか?
「僕の名前はアラン。アラン・ハーヴェイ。…ねぇ君は?」
眩しい輝きの少年が自分に声をかけてくる。泥に塗れていても気品がある。蜂蜜色の髪が柔らかな日差しのようで目が眩む。自分の黒髪がなんとはなしに恥ずかしくなってくる。
「僕は…ジラーレス。アラン…君は怖くないの?」
なんて残酷なことを聞いたのだろうか?怖くないはずがなかった。
何もかもに見捨てられた子供たちが集っているのだ。そして、ここで自分すら失うことになるのだ。
だけど…アランはこの時から俺の英雄だった。
「怖くないよ。だって君たちがいるから」
その言葉で生きる気力が湧いてくる。空腹を訴える腹も引きずられた際に痛めた足も気にならない。即席の絆が全てを凌駕して押しのけるという幻想を、容易く実現するアランはまさに生まれながらに輝く者。
その言葉でレーフィアは力を合わせればきっと生き残れると希望を抱き。
その言葉でジラーレスは…“そういえば、この山では他の子供たちも敵になるんだな”ということに気付いてしまった。
獣の声が轟いて、気味の悪い鳥が羽ばたいた。
この山には獰猛な獣や魔獣さえいるのだ。そこで一晩生き抜けというのは大人であろうとも容易ではない。しかし、先程まで身を包んでいた無力感はもう無い。
「全員で生き残るんだ」
言葉も決意も一つ。
アランはどんな獣が来ようとも皆を守るべく枯れ枝を握った。
レーフィアは誰かの助けになれるかもしれないと枝を杖にした。
ジラーレスは誰が来ようとも打ち倒さんと石を手に握った。
それは何年経とうとも色褪せない荘厳な誓いだった。今でもそれを違える気は無い。
その村はよくある貧しい村だった。貧弱な土地にへばり付いて生きる人々が住まう地だ。
しかし、その年は様子が違っていた。近くにそびえ立つ山岳に住まう翼竜が繁殖期に入ったことを皮切りに時折、村近くまで現れるようになったのだ。例年であればありえることではなかった。竜種は縄張り意識が強く、一族が定めた活動範囲から出ることはまず無い。だからこそこの村は“そこ”に作られたのだ。
翼竜は古代竜や始原竜などに比べれば力も知性も下等だが、竜であることに変わりははない。巨大な体躯から繰り出される剛力も然ることながら、何よりも飛んでいるのだ。
こうなると村人達には手も足も出ない。仮に領主達の兵が来たところで一矢報いれるのが精々だろう。
だから村人達はあらゆるものを質に入れて金を用意し…呼んだのだ冒険者を。金緑級冒険者…上から三番目の位階にある一団は辺境の村にしては随分と気合を入れて呼んだといえる。
村長夫妻がかつての結婚指輪などまで売り払った成果だった。
あくまで集団としての力を買われて高位に位置している一団ではあったが、確かに彼らは強かった。常識外の敵を相手に活躍する冒険者という職に相応しい強さだ。一説によれば彼らは倒した相手の魂から力を吸い上げているのだとも聞くが…確かに信じたくなる。
そのように村人たちも最初は考えていたのだ。幾度も翼竜を撃退する一行を呼んで良かったと。…そう思っていたのだ。
「おい!とっとと酒を持ってこねぇかババァ!」
冒険者が老婆を蹴り上げる。苦悶に沈む老婆は酒を取りに戻るどころではない。蹲って動かなくってしまう。
「おいおい、良いのか?もてなしてくれよぉ。じゃないと…次に翼竜が来た時、どうしようかなぁ。食われちまうかもなぁ!」
10名の冒険者達は村唯一の酒場兼宿屋に溜まったまま、居座り続けた。確かに翼竜を撃退してはくれる…が、倒しはしないままにこうして一月ほどにもなる。わざわざ高位の冒険者を呼んだのは名のしれた者達なら狼藉はしないだろうという期待を込めてのことだったというのに…見事に踏みにじられた。
外に翼竜を、内にならず者達を抱えることになった村は絶望の日々を過ごすことになったのだ。
「おい若い娘はどうした…?気付いてないとでも思ってるのか?」
「ひぃぃ…」
年老いた男の胸ぐらを掴み上げる無精髭の冒険者。
男たちがならず者だと分かってから、村人たちは出来る限りのことをした。泣く泣く娘達の髪を切り、隠した。非道を訴えるべく、外に遣いを出そうとした。
そして、その全てが失敗に終わっている。仮にも生き馬の目を抜く世界で生きてきた男たちに、田舎者の知恵など通用しない。
外に出た若い男は帰らず。娘達が襲われなかったのは男たちが酒に飽きるまでの間だけだった。彼らは隠れ場所を探し当てる必要すらない。残った村人たちを人質にすればいいだけのこと。
ああ、この世に救いはないのか?なぜこのようなことになったのだ、そう老人達が嘆きに濡れた時…宿屋の扉が開かれた。
「あん?」
木の扉が開かれた先にいるのは若い男。冒険者達の仲間ではない。間が悪い旅人か?それとも、まだ顔を覚えていない村人がいたか?いずれにせよ自分達を恐怖していない顔が気に入らない。
この黒髪の男が何かするまえに威を示そうとして…冒険者の首から赤い血が迸った。
ぼどぼど。ぼどぼど。
粘り気のある血が木の床に溜まっていく。吹き上げられた血は天井まで濡らしている。
人型の噴水を作り上げたのは黒髪の男…ではなかった。
倒れた男の影から猫の様な目をした少女が現れた。その口は三日月に歪んでいる。
「きゃはっ」
「…ミスレル。少し早い。一応事情くらいは聞かないとまた団長に怒られる。報告書を書くのも手間なんだから」
男が腰に佩いている鉈のような剣に宝石が光っている。同じ金緑級の冒険者…?それがなぜこのような真似をするのだ、と思考の迷路に陥りそうになっていたならず者の首に短刀が突きつけられる。いつの間にか少女に後ろに回り込まれていた。
その事実にならず者の冒険者達はぞっとした。野に生き、多くの強敵を屠ってきた自分達が気付きもしなかったのだ。
残る8名も動けない。なぜならば…
「ミスレル…お手柄。どうやらそいつが頭だったらしい」
「本当?偉い?」
「偉い偉い」
「へへー」
集団が力を発揮するには指揮をするものが必要だ。図ったことではなかったが、思わず上手い具合に事が運んだとジラーレスは笑った。
鮮血で満ちた屋内に場違いな明るい様子に冒険者達は何かおぞましいものに捕まったのだとようやく気付いていた。
精神的な優位が取れたことは喜ばしい。事態の急転について行けないゴロツキまがい達は気付いていないようだが、数はあちらのほうが上なのだ。そして…実は戦闘力もさほどジラーレスとミスレルが上を行っているわけではないのだった。
一方的に二人を手玉に取り、一団をまるごと手中に収めたのは単にジラーレスとミスレルが人間を相手にすることに慣れているからである。
ジラーレス達は冒険者組合に所属しているが、国から付けられた鈴なのだ。冒険者として受ける討伐依頼も人間相手が主であり、時に無法を働く冒険者を処分ないし捕縛して回る。いつからか彼らは冒険者でありながら違う名前で呼ばれるようになった…征討使と。
「てめぇら!武器を捨てて頭を離せ。さもないとこのジジィをぶち殺すぞ!」
「ひぃえっ!」
男達の一人が村人の首に剣を押し当てて、脅迫に出る。哀れな老人は今にも天に召されてしまいそうな顔色をして、ジラーレス達に目で救いを求めている。
「…ふむ。人質を取った。罪状一点追加だ」
「あははは!」
しかし、ジラーレス達に動じた様子は一切ない。ミスレルは笑い続け、ジラーレスの表情は動かない。言葉を続ける気も無いらしく、人質を取る様子を黙って…いや、ぼんやりと見ていた。
まさか…まさかそんなはずはない。
ならず者は再び声を張り上げた。
「聞こえてんのか!さっさと頭を…」
「ああ…やれば?俺は事態の解決を命じられている。その最中に犠牲者が出ることは大変遺憾ではあるが…やることは変わらない」
お前たちが何をしようとも結果は決まっているのだ。そう征討使は言う。
それは事実だからこその冷厳さに満ちていた。仮に冒険者たちがジラーレス達を殺して逃げおおせたとしても…目を付けられた時点で冒険者組合に居場所は無い。次に来るのは新たな征討使か同業者か、官憲に追われるということもある。逆に言えば国にとってジラーレスは死んでも良いということでもあるが…
国家によって付けられた鈴が鳴るとはそういうこと。超人じみた戦闘能力を誇り、忠誠心の無い冒険者を国が快く思うはずもない。そして国のそうした介入を組合側は黙認するのだ。自由を謳っても支部が居を構える以上はある程度は仕方がないことであった。
人質が効かないと分かったならず者達の内一人が心を決める。即ち破れかぶれの突進だ。後先を考えていないただの感情の発露。
だが、あくまでジラーレスに対してはであったが、それは意外に効果があった。
ジラーレスとしてはこの村の本来の問題…翼竜退治を彼らにして欲しかったのだ。あまり数が減っては困るのだ。
だから…手早く行こう。この一人をできるだけ無残に、見せしめのように。
気合の一閃が繰り出される。鉈剣を盾のように使い、受け流す。
相手が体勢を立て直し、剣を構え直したところに一撃を叩き込む。分厚い鉈剣と真っ直ぐな剣がぶつかって鈍い音を立てる。
その形から対手の長剣を顔面に押し込んだ。ゆっくりと込めて力を込めて蛇のようにしつこく逃がさない。自身の刀身が徐々に迫ってくる光景に男から絶叫が迸った。めこりずぶりと不快な音が室内に響き…やがて男は天井を見上げて痙攣するだけの肉塊になった。
「さぁ。他にやりたい子は?いない?よろしい…じゃあ、翼竜退治と行こうか。仕事は一つずつ、最後までやらないとね」
心臓を掴み上げた男達を翼竜の巣に放り込み、その様子を眺める。
山の中の妙に広い、洞窟の広場で繰り広げられる死闘をミスレルが楽しそうに見下ろしている。
二人は突き出した壁面の上に陣取って観戦を決め込んでいた。
「あぁーバクっていっちゃったぁ。ねぇジラ、人間っておいしいのかな?」
「美味そうには見えん。武器ごと食ってるし、流石に竜にも美味しくは無いだろう」
「そっかぁ」
翼竜はつがいのようで、2匹いる。閉鎖空間の中での戦いだけあって翼竜も必死だ。巣を守ろうと逃げるような様子は見せない。もし翼竜が逃げるようならば、手を出して妨害するが…それ以外で首を突っ込むことはしない。元々が彼らの受けた仕事であり、彼らこそが専門家なのだから。
「いけーそこだー!…あの人達あんなに強いのに、なんであっさり斬れちゃったんだろうね?」
征討使は人間相手ならば等級以上に強いが、真っ当な冒険者のするような仕事に関しては一枚も二枚も落ちる。ジラーレスにせよミスレルにせよ翼竜を相手にしたならば、負けないまでも逃げられて終わりであろう。勝手の違いから実力を出せずにあっさりと負ける可能性も否定できない。
そして、本職とはいえ今翼竜とことを構えている冒険者達も本来の人数ではない。必然として被害が大きくなっていっているようだった。
ミスレルの声援の効果があると良いのだが、とジラーレスは淡々とそれを見守った。
翼竜の尾が唸り、甲冑姿が吹き飛んだ。
翼の先の爪で小柄な男の足が舞った。
さて何人生き残るやら?突き出して司法なり組合になり引き渡さねければならないのだから、1人か2人がよかろう。
そして結果はその通りになった。
「…と、まぁそんな感じだったよ」
ジラーレスは簡単に報告を終えた。相手は上役ではなく昔馴染みであるために口調は砕けたままだ。波打つ金髪を持つ白い尼僧服に身を包んだ女は困ったようにジラーレスを見据えた。
ここは教会であり、若くして空神教の聖女の地位を得た女性…レーフィアは弟を窘めるように言った。
「あまり褒められるやる方ではないわよ。征討使が世の中にも必要なお仕事だって言うのは分かるけど、不要な争いは避けるべきだわ」
ジラーレスは首を竦めて謝った。
あの山を生き残ってからも度々出会える機会はあったが、レーフィアとアランにはどうにも頭が上がらない。
「後から聞いたら事情らしい事情も無くてなぁ…報告書を埋めるのに苦労したよ。…アランは?」
「来れないのを詫ておいてくれって。勇者様は忙しいらしいわね。お姫様との婚約も決まりそうだって言うし…ますます会えなくなるかも」
レーフィアはそれでいいのだろうか?若き聖女と勇者はお似合いだと思っていた。
アランは何年経とうが、真っ直ぐなまま。見事に英雄として名を馳せつつある。冗談のような出世ぶりであり、おとぎ話のように魔王でもいれば彼の名は歴史どころか神話にでもなりそうだった。
レーフィアの小言を聞きながら、ジラーレスは穏やかな気分になっていった。
かつて出会った3人は今も生きている。1人は勇者に、1人は聖女に、そして今1人は名を知られぬまま活躍する。尊敬する2人の友人が守る世界から汚い物を取り除くために自分も汚れることだけがジラーレスの大義だった。
そして、それはこれからも変わらない。