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あるゴロツキの胸に沈む憧憬  作者: きりま
本編

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4/13

四部 望郷

 寝起きは体が冷え切って、これは本当に俺の体なのかと思い、まだ生きているのが不思議なほど――不愉快な朝を迎える。

 毎朝、毎朝、その冷たい塊を飲み込むんだ。


 そのはずだ。


 なのに、随分とあったかい。

 まるで、故郷で暮らしていた頃のように。






 あれは俺が、蹴り転がすのにちょうど良さそうな大きさのガキん頃だった。

 肩までしっかり毛布にくるまりなさい――そう言って、母ちゃんが俺を抱きしめてよ。それで安心した俺は、ころっと眠った。

 それが、雪が解ける春先まで続くんだ。


 春先になればそれはなくなるが、今度は父ちゃんが俺を構ってくれる。

 思わず浮足立つような温かな日差しだ。

 慣れた大人でさえ、足元をすくわれるような陽気が、惑わすんだろう。


「ソール、たまには新鮮な魚が食いたいと思わないか?」

「思う! さかな食べたい!」


 小川のほとりで焚火の番をしながら、罠を張る父ちゃんを応援する。

 焚火は魚を食うためじゃない。

 川に入る父ちゃんが手足を温めるためだ。まだ随分と水は冷たいからな。


 間に小さな網を張った杭を川底に刺し、そこへ魚を追い立てるんだ。

 まだお前は小さいから見ていろと言われたが、水の冷たさで風を引かないかと心配してくれているのは分かっていた。

 だから、大人しく言いつけを守る。


 目に映るすべての色が鮮やかに彩られ、暖かな温度を持っているように見えた。


 たとえ、時おり銀色に光る川面が穏やかに見えても、山の上のお天気は分からない。

 雪解け水が、突然に流れを変えることがあるなど、ちっぽけな人間に分かりはしない。


「ほら、うまいこと追い詰められてるだろう?」

「うん、覚えた。すぐ父ちゃんを手伝えるようになるからな!」


 すべてが眩い色彩は、景色と同じように、父ちゃんも変えていた。

 命に満ちた力強さを強調し、あんな男になるんだと目を細めた。

 誇らしいような、照れくさいような気持ちでくすぐったかったが、それも掲げられた獲物を見るまでだ。


「すげえや!」

「母ちゃんの分も獲らねえとなあ」


 そう言って、豪快に笑っていたのに――。




 同じく何年か経った春先に、すっかり成長した俺は戸口に立ち、母ちゃんに抱きしめられている。

 ガキの頃から続いたことではない。成人してから、最初で最後の抱擁だ。


「ソール。どうか思い直して、この村で働いてくれない? 行かないでほしいんだよ。父ちゃんもいない。あんたまで……」


 涙を見せた母ちゃんを見たのは、初めてだった。

 俺に不安を抱かせないためだろう、気丈に振る舞ってきた母ちゃんが、初めて弱々しく見えた日。

 動揺を隠すように、俺は殊更に陽気さを装う。


「もちろん戻ってくるに決まってる! ちょっとばかり稼いでくるだけだ。村の宣伝をすりゃ、商人が寄ってくれる機会が増えるかもしれないだろ?」


 ただでさえ少ない村人が、交代で麓の町へと物売りや交換に出かけていく。

 その負担を減らせるかもしれないと、浅はかにも考えていた。


「約束するからよ」


 そんな、できもしないことを言って、出てきた。

 あの時の、全てが輝いていた暖かな陽ざしを思い出すと、どうしようもなく消えたくなる。






 心の底まで冷え切るような気持ちも、同時に訪れる季節。

 今、肌に感じているのが、そんな春先の暖かさだ。


 薄っすらと頭に光が飛び込む。瞼が開いたんだろう。……夢だったのか。

 暖かいと目覚めもいいもんだ。


 春……って、まだ秋のはずだ。来るわけねえ。

 なのに、この背中全体に伝わるごりごりした感触の暖かさ。

 思い当たることは、一つあるな。


「俺を毛布代わりにしてんじゃねえぞこのデカブツ!」

「あだっ……あぃえ、もう朝?」

「朝に決まってんだろ! 朝?」


 慌てて飼い葉の山から這いだし、外へ出た。

 遠くの空が白くなっている。


「まずい、日が昇る……」


 わずか。

 ほんの、わずかながら、小屋の親父の目に浮かんでいたものを考える。

 俺への最後の機会が与えられたと感じていた。


「クソッ……こっからじゃ、間に合わねえ」


 その信頼を得る機会も、ぶっ壊したか。


 これが俺の末路。

 この街から、そろそろ出て行く時だと思っていた。

 ぐずぐずしている内に、どうにも行かなくなっちまった。


 似合いじゃないか。


 途端に嗅覚が時間を取り戻し、今まで気にならなかった悪臭が鼻を衝く。

 汗と垢にまみれた体に、殴られて漏れた血や、吐いたもんが染みついている。

 一度、澱んだもんは、綺麗になりはしない。


「なに暗い顔してんの? あの小屋まで行けばいいんでしょ。余裕余裕」

「街の真反対だぞ……おい!」


 こいつ俺を軽々と担ぎやがった。


「降ろせ。俺は芋袋じゃねえぞ」

「舌噛まないように、口閉じててね」

「何をするつもりだ」

「走るよ!」

「はしるだ……っ!?」


 意味が理解できると、とっさに口を閉じた。

 あっという間に景色が変わっていく。

 それが、さらに加速した。


 俺はライの服を両手で必死に握りしめたまま、吐き気をこらえて歯を食いしばっていた。




「とうちゃあく!」

「お前な、吐くところだったろうが! そもそも、なんで俺まで連れてきた!」

「だって、あたしすぐ道に迷うからさぁ。でもほら、間に合ったみたいだよ?」


 冷や汗を手で拭いながら振り返ると、小屋の前に集められた男達もこっちを見て目を丸くしていた。

 ちょうど現場へ向かうところだったようだ。


「お、おぅ。まあ、間に合ったつうことにしてやる」


 さすがは金に汚い親父だ。一番に正気を取り戻すとライに声をかけた。

 その視線は、一瞬俺を向いて逸らされたのも見た。

 ふん、そんなもんだろうよ。

 間に合ったって、できて当たり前だもんな。


「やった!」


 ライは喜びもあらわに、親父に向かって走り出す。


「ありがとう、鼻曲がりのおっさん!」

「ぶほっ!」

「いま、笑ったやつ……覚えておけ」


 吐き気で笑うどころではなかった俺は命拾いしたようだ。

 親父とライを先頭に移動する、顔を青くした男どもを茫然としたまま見送った。




「……く、ぷはっ……」


 奴らの後姿も見えなくなってから、遅れて、笑いが込み上げてきた。

 いつも抜け目のない堂々とした態度の親父だ。

 あの親父が、アホ面をさらしたところを拝んだのなんか初めてだ。

 それだけでも、ライからは飯代くらい十二分に返してもらえたといえる。


「もう、いいだろうよ」


 これで、こんな生活は吹っ切ろうじゃないか。


 小屋から立ち去り、また、逆の外れへと歩き始めた。

 街を出る準備をするのに、今朝寝床にしていた場所はうってつけだ。

 周辺の小屋には、肉や野菜をその辺に吊るしてある場所もある。

 旅の準備といったって、その干し肉やらと荷物を詰める袋をちょっとばかりいただいて、水を汲んでいくくらいのもんだ。


「……自分自身に、目隠しをしているか」


 その通りだよ。糞親父が。

 あんな人間だが、世話になった。

 ライの馬鹿力を見りゃ、代わりの人材としては上出来だろう。

 最後に、ささやかながら報いることができたのだと思いたい。


「俺自身では、無理だったがな……」


 ふと、足を止める。

 なぜか俺は、街の中へと行き先を変えていた。



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