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三部 斡旋

「いつまでも、しょげるな。本当に食わせてやるから、立て」

「う、うん。ありがとう兄ちゃん」

「気色悪い呼び方するな」

「だって……そうだ、名前は?」


 教えてやる義理などなかったが、どのみちこの街では通り名だけで通じる。

 本当の名を告げて、まかり間違って故郷に届いたらと怖かった。

 まあ、気の利いた偽名なんか浮かばにゃしねえから、元の名をもじっただけだ。


「ソルだ」

「ソルだね。分かった! あたしはね、タダノフォロワーダオーグライ・まぬあにみ……」

「待て待て! 随分と長ったらしいな。いや長いっつうか、妙な発音で聞き取れねえ。どっから来た」

「南の海を渡ったところにある島国だよ」

「はあっ? 海を、越えた? 何言ってやがる」


 しかも大陸の南端からって、ここは北の端だぞ。縦断してるだろうが。

 碌な船もなく、海は波が荒いとかで渡るのは難しいと聞いた。

 酒場で、人を小馬鹿にした目で商人がほざいていたから間違いないだろう。

 あの小賢しい奴らは、他の奴らがすでに話していたことを考え、ばれて恥ずかしい思いをするような嘘は言わないからな。


 海なんぞ俺も見たことはないが、山の中にも川や大きな湖くらいはあった。

 波ってのは、風が作るさざ波が巨大になったようなもんだろう。

 そりゃ危険だろうさ。到底人が渡れるようなものとは思えん。


 浅い川でさえ、人は簡単に足元を取られ流されていく。さっきまで、すぐそばで一緒に笑っていたのが……次には消えてなくなっちまう。


 クソッ垂れが。そんなことはどうでもいい。嘘も大概にしろってんだ。

 まさか、どっかいかれてるんじゃねえだろうな。


「いやぁ迷っちゃってさ」

「迷って荒野や海が渡れるかボケ」

「本当だって」

「もういい。なんだっけ、なんとかかんとかライなんとかだったな」

「そんな一部!」

「呼びづらい。飯食いてえんだろ? ほら立てって」

「わかったよぅ」


 そうして二人してのろのろと体を起こし、壁に手を付いてどうにか立ち上がる。

 俺は隣を見上げて、腫れぼったくて閉じかけの目が開いたのを感じた。


「なに食ったら、それだけでかくなるんだか」


 思った通りに、背は俺より頭一つ高いし、体は一回りでかい。

 だが鍛え上げて膨れた全身は、それ以上の巨体に見せていた。


「えへへ、好き嫌いしないでなんでも食べることかな? わっ、なんでいきなり殴るのさ」


 イラついたからだ。

 腹に拳を沈めるつもりで殴った。

 だが、服の上からでも拳に伝わった感触に、柔らかな部分などなかった。腹もしっかり鍛えてやがる。


「来い」


 何度目かの溜息と一緒に血の滲んだ唾を吐き捨て、重い足を引き摺りながら歩き始めた。




 そんで残りの小銭でパンを二つ買ってきたんだがよ。

 この木偶の棒、ぺろっと食いやがった。

 頭の骨より硬そうなパンだぞ。

 それを渡した途端、飲むようにだ。まじもんのバケモンだな。


 そして最悪なことが起こった。

 一瞬、目を離しただけだってのに、二つ目が食われていた。

 それは、俺の分だよこのアホが。


「あ、誰が全部食えといった?」

「痛いよ、脛を蹴らないで! ごめんって! これっぽっちだもん。兄ちゃんの分まであるなんて思わなかったんだ!」

「あぁ? これっぽっちだぁ?」

「い、いや腹いっぱい満腹ごちそうさま! ほら、元気出たからさ。仕事紹介してくれるんだろ? 早く行こうよ。日が暮れちゃう前にさ!」

「チッ……おう、そうだな」


 正直、意外だった。

 てっきり、食ったら俺を殴り飛ばして逃げるか、そのまま走り去るもんだと思っていた。

 まさか本当に働く気があったとは。

 仕事の口を利いてやりゃ用済みってな腹積もりなのかもしれないがな。



 まあどっちでもいい。

 もう、俺にはどうでもいいことだ。






「そこで待ってろ」


 町はずれの薄気味悪い小屋にきた。

 下働きどもを束ねて野良仕事を斡旋している悪党の棲み処だ。


 ライを待たせ、入り口に立てかけた板の隙間へと体を滑り込ませる。

 暗い部屋の奥、ごつい体を窮屈そうに小さな椅子に押し込め机に足を乗せて紙切れを睨んでいる男の姿。勘定に精を出している親父と目が合い会釈する。

 あからさまに、うんざりとした視線を向けられた。


「珍しいな。昨日、適当な仕事ぶりを発揮したばっかりだってえのに。一日で酒に消えたか。あいにく明日は、お前でもいい日じゃあねえ」


 ここのところずっと、こうして遠回しにもう仕事はないと言い続けられている。

 はっきり言わないのは、街を広げている最中で、獣の手でも借りたいくらい忙しいのは事実だからだ。

 かきいれ時だ、俺みたいなもんでも人数合わせに使うときがある。


「代わりに入れてほしい奴が外にいる。ライってやつだ。馬鹿そうだが、力だけなら使える。一目見りゃ気に入るだろうよ」


 親父は目を細めて俺を見た。

 魂胆を見極めようってな目だ。昔折ったんだろう鼻が、その心根と同じようにさらに歪んだ。


 無言で立ち上がり、俺の側を通り過ぎた親父は、隙間だらけの壁から外を見た。

 俺も隙間から外を見る。

 ライは中腰で、中空を殴りつけていた。相手は……蠅か?


 あの馬鹿野郎。

 なんで無駄に体力を消費してんだ。


「ふん。てめえの女か」

「……すげぇな」


 ぎょっとして親父を見たのは、思わず殴り倒したくなる内容のせいじゃない。

 この距離で、あれを一目で女と見抜くとは、伊達に人を売り買いするような仕事をやってねぇ。

 親父は振り返り、俺をまっすぐに見た。


「これでも人を見る目は磨いてきたからな。てめえで勝手に目隠ししておいて、前が見えねえと嘆いてる奴とは違うつもりだ」


 あてこすりかよ。


「まあ、いいだろう。資材を運ぶ仕事がある。夜明けには来させろ」

「分かった」


 それだけ言って親父は席へ戻り、俺を居ないものとして扱うのは分かっていた。

 だから俺も、振り返らず外へ出る。





 ライの後ろに近付くと、中腰でちょうど良い位置にある後頭部を平手で打った。


「あでっ」

「無駄に体力削ってんじゃねえ。朝飯もねぇんだぞ」

「あっ、そうだね。忘れてたよ」


 飛び跳ねるようにライは直立不動になった。

 目は期待に満ちている。早く結果を聞きたいらしい。


「話はついた。夜明けにこの場所に来い」

「もう? ほんとに!? やった! 飯が、腹いっぱい飯が食えるんだよね!?」

「逃げずに働いたらな」

「ありがとう兄ちゃん……本当にありがとう!」

「ぐぇ、くるしいはなせ! それと兄ちゃんはやめろってんだ!」

「なんだっけ。それそぉれ?」

「ソルだ!」

「ソル兄ちゃん!」


 ばけもんの兄弟をもった覚えはない。

 言い直させようと思ったが、もう面倒くせぇな。

 これ以上、関わる必要も理由もない。


「あとはお前次第だ。じゃあな」

「どこ行くの?」

「寝るんだよ」

「そっか。まだ早いけど、仕事もないなら寝るしかないね」


 ぶらぶらと、こことは反対側になる街の外れへと歩く。

 とっくに宿暮らしなんかしていない。

 気分で路地裏や家畜小屋に隠れて、浅い眠りを得るだけだ。


 背後から、足音が消えねえな。


「なに付いてきてんだお前」

「だって街についたばかりなんだ。また迷いそうだし……」

「ったく、世話が焼けるな」


 少し考えて、街の外れにある干し草置き場へ来た。

 ここなら、この巨体でも眠るに十分な広さがある。

 それに馬鹿みたいなイビキをかいて寝ていても、突然箒で殴られたり水をかけられることもない。


「ここなら滅多に人は寄らん。畜生じゃねえだとか文句言うなよ」

「ないない。扉はないけど屋根があって草の寝床もあるし、道端で倒れるよりは上等だよ」

「そりゃあ、良かったことだな……」


 嫌味がこぼれた。

 どこまで能天気なんだ。

 それとも、俺がからかわれてんのか?


 ライは枯草の山に飛び込んだ。


「うわぁ、ふっかふか!」


 ごわごわの間違いだろ。馬鹿が。


「おい、水浴びたいなら、外に家畜用の水桶がある」

「ありがとう、洗ってくるよ!」




 日が傾いて、空は赤い。

 これ以上、起きてあいつの相手するのも面倒くさい。

 すっかり酔いは冷めても、体には残ったままだ。


 重く憂鬱な気分から逃れるように、干し草の中に潜り込んだ。

 ふかふかだと? こんな、最悪の寝心地があるかってくらい酷い場所だぞ。


 ここのところ寝る前の癖になっている言葉をつぶやく。

 短い祈り文句は、次に目を覚ますことがないように、というものだ。

 何も考える前に目を閉じると、さっさと意識を手放した。



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