七部 それでも明日へ
荒れた通り沿いから崩れた木片やらを移動し、元通りに殺風景な土の道を取り戻した頃には、夜が明けようとしていた。
資材置き場を兼ねている野っ原へ来ると、兵から一度ここで区切ると言われて、各々がその辺に座り込み体を休める。ようやく疲労感が思い出されたようだった。
俺も木材の端に腰かけると、並んでライと占い師も座る。
「寝ないといつもよりお腹空くよねぇ」
「旅慣れた俺でも寝ずの働きは些か堪えますなぁ」
変わりもん同士気が合ったのか、そんな雑談が聞こえてくる。
俺は黙って空の向こうを見る。
ゴミの積まれた草地の周囲には、まばらに低木が生え、おざなりに荒野との境を主張している。
そこへ視線を向け、目を眇めた。
見えはしない、その向こう。西側の砂漠を目に留めるように。
少しはましな行動を、とれたはずだ。
だってのに……後味は悪い。
『貴様らの長が、そう言い聞かせたのか』
あの男の言ったことを考えていた。
俺達の長ってな、この辺を治める領主達のことじゃねえだろう。その上の王様でもない。
幾つかのちっこい国が集まって、あいつら砂人どもに対抗しようと連合した。その連合国を中心で牛耳る奴らのこと。
未だに睨み合ってるとはいえ、停戦が長引きゃ、くだらん争いも忘れ去られていくだろうと思っていた。
すでに、今の生活からは縁遠いもんだったんだ。
俺も暢気に野垂れ死ぬことができるほど、平穏だと思っていた。
仮にも決着をつけたなら、それぞれの生活に戻らなきゃ立ち行かなくなる。
ライと会ってから、胸の内に押し込めていた記憶が甦った自分を思い返す。
変わらず心を抉るようでいて、少しだけ捉え方の変わっていた思い出のことを。
ともかく、それは色褪せもせず、こびりついているってこった。
俺だってそうなんだ。
いつまでも変えられない奴らがいるのは当然だろう。
ただ、俺にしろ、この町の他の奴らにしろ、どこかが違う。
忘れがたい恨み言があろうと、その記憶は褪せなかろうと、だからといって、それを後でどうこうする気はない。
本当に、そうなのか?
俺達の上にいる奴らの行動を考えた時に、途方もないことに考えは行き着いた。
わざと、あいつらを逆なでしているのではないかと。
それは、上の奴らに忘れがたい恨みを持つ者がいるということにならないか。
結局、俺達下働き連中には背負うもんがない無責任さからくる感覚でしかないのか。
そんなことばかり考えたところで、腹が膨れるわけではない。
これまでの恨みつらみが、無くなる訳じゃねぇなら。
だったら、止めるしかねぇだろ。意地でも。
実際に暮らして町を支えている俺たち下っ端が。
「……またこんなことを、起こさないようにしなきゃならねぇよな」
「ふん、甘ったれの意見だな」
思わず出た俺の言葉に鼻を鳴らし、吐き捨てるように言ったのは、鼻曲がりの親父だった。
何か用があったのか近くに立っていた親父を見上げれば、いつもの覇気はなく、疲れ切っているようだった。
だが、次には気迫を滲ませ俺を見る。
まるで、仕事を受けておきながら現場を抜け出して金だけせびりに来た奴を、問答無用で殴りつけるときと同じ目だ。
周囲で休んでいた奴らが、不穏な気配を感じてか、こちらへ意識を向ける。
親父からそんな視線を向けられようとも、なぜかもう恐怖や、怒りや、胸糞の悪さが湧いてこねぇ。
気分は沈んだままで、それは意外と根深いらしい。
無理矢理かき消して親父の言葉を待つ。
親父は静かながら強い口調で言った。
「それで、やるとしたらなんだ。具体的に言えってんだ」
俺にそんなことが考えられるかよ。分かってるのに、いびるつもりか。
これまでなら、そう言っていただろうが、腹も立たない。
どうせ俺は町を出る人間だ。半ば投げやりに言った。
「国境沿いの町で、拠点だって言い張るんなら、まずは壁でも築いたらどうだ」
親父は頷き、息を吸い込む。また怒鳴り散らすんだろう。
だが親父は背後へと向きなおり、両手を広げた。
「この町には壁が必要だとよ! 聞いたなっ野郎どもぉ! 衛兵、てめえらもだ! 全力でやるぞお!」
――う? う、うぉおおおおおおおおおおおおおおお!
広場は沸いた。なにか無理矢理感あったが。
呆気に取られている俺の肩に、どしっとゴツイ腕が乗せられる。
「な、なんだよ一体」
「いい出だしじゃねぇか! 俺たちにゃ難しいことなんぞ分からねぇ。お国の思惑だとか、そんなもんは腹の足しにもならん。それを、よく踏まえた案だった!」
「おうよ、腕が鳴るよなあぁ!」
ええと……馬鹿にされてるわけじゃ、ねぇよな。こいつらはいつもこうだ。
「お前ら、てめぇ自身で馬鹿だと言ってるようなもん……俺の事もじゃねぇか!」
「いんだよぉそれで! ソル、気負うな!」
「いてぇ!」
親父は殴るように俺の肩を叩いて戻っていきながら、付き合いの長い男どもを呼び寄せた。早速、予定を話すんだろう。その背を呆気に取られて見送る。
あいつが、褒めたのか? 人を?
……俺を。
親父は足を止めて振り返った。
「ソル、ひと眠りしたら来い! 監督役だ。計画があるからな!」
思考が停止し、場も一瞬静まった。
断ち切ったのは、思わず叫んでいた俺の声だ。
「はあぁ!? 俺は町を出るって言ったろーが! おい聞けよ!」
「わーい、今度はソルと仕事かー。頑張ろうね!」
「わーい、ようやく落ち着いて稼げますなぁ!」
なんだってんだ……監督役なんぞできるほど、真面目にやってねぇだろうが。
◇
「目が回る……日差しが刺さる」
「目を開けたまま夢を見るとは器用ですな?」
「うるせぇ。寝不足なんだよ」
差し入れといって町の奴らが持ち寄った食事を、目の前に置かれていた。
木箱の上に板を渡しただけの簡易の食卓には、他の下働き共も、各々に与えられた飯に食らいついている。
こんなに働いたのは、いつ以来か思い出せねぇくらいだってのに。
あのクソ親父まで珍しく動き回ると思えば、俺を監視しやがって。
あん時ゃ疲れ切ってたから、ひと眠りしたんだ。
皆で埋葬を済ませた後で、俺は親父の小屋に断りに行った。
そのまま逃げるつもりだったが、親父の片腕の奴らから引き摺られるようにして連れて行かれたからな……。
そこで真っ先に、任せる意味を問うた。
「お前のように小賢しいやつは珍しいんだ。ごちゃごちゃと考えて、てめぇ自身で動きを縛っちまうような馬鹿だが、そっから抜け出せたようだからな。頭回せるやつが、これから必要なんだよ」
その場にいた他の男らからも特に反対はないらしい。
俺は呆気にとられた。これ以上ないってくらいに。
開いた口から言葉が出ないまま、簡単な計画書らしきもんと図面やらを前に出され、気が付けば意見を絞られていた。
「一日だけだ。俺に任せて後悔しろ!」
そうして自棄になって付き合って数日が経つ。
他の奴らに任せてると、あまりにいい加減なんで口を出さずにいられなかった。
それから、親父が俺に話を持ち掛けた本当の理由が見えた。
少しでも頭を回せて扱き使える奴が欲しかったってことにな。
思い出しては苛立ちながらも、くたくたに疲れ切った体は胸がむかむかして空腹感さえ感じられない。
しかし、そんな気分に反して出された食事を一口放り込めば、動かす手は止まらなかった。
皿を空にして、ようやく落ち着くと、なぜか俺と一緒に働かされていた占い師、デビナに目を向ける。
「いやはや、働く場所を貸してくれと言ったら石運びさせられるとは思いませんでしたなぁ。小石占いなどもありはしますが、いくら卓越した腕を持つ俺でも、さすがに人が潰れそうな石でお手玉は無理でしてー」
聞きもしないことをよく喋る男だ。
この調子にうんざりしたのか、砂漠の馬車に便乗してきたことを知った兵に連れて行かれたが、大した取り調べもされずに放り出されていた。
まあ、消火活動など手助けしていたからな。それを見てる商店の奴らも口添えしてくれたようだ。
俺も、助けられたのだと、認めるべきなんだろう。
胡散臭くとも占いという名の助言で、町は助かった。ひいては俺もだ。
だが腑に落ちないことはある。今さらな疑問をなんとはなしにぶつけていた。
訳の分からない占いの話を止めたかったこともある。
「そもそも、お前な。どうして特殊な作戦中の奴らが乗せてくれんだよ。何した」
これまでの会話で窺い知れるのは、俺たちにゃ分からない、部族ごとの価値観の差なのかもしれない。
砂漠側には氏族と呼ばれる一団が、点在している。各集団ごとの特徴が、こっちの部族間よりもはっきりとあるそうだ。
こいつのように手先の術を磨く氏族もあれば、今回襲ってきた奴らのように武芸を磨く氏族があるという。
それらを国としてまとめるために、こういった男が移動するときに乗せてくれと言われれば仕方なく守る決まり事、というのが俺の想像だ。
それにしても、深刻な状況で失敗できない作戦だったろうに、それより優先されるというのは理解しきれないものがある。
「ふぅむ……言われてみれば、占い師と知るや何かの成功を占ってくれと頼まれましたな」
なるほど。深刻が故に、後は神頼みの域にあったと。
「なんと答えた」
「自信もって備えたと感ずるならば、失敗は遠ざかるであろうと。そう伝えたらば、大層喜ばれましてな。俺としては、具体的な理由が明かされなかったもんで、些か曖昧な結果となったのが不満なのですがー」
お前の言葉で、余計に勢いづいたんじゃねえか!
「おぉ、付け加えるならば、予想だにせぬ出来事を漏らさぬよう伝えたのですよ。
しかし、熱い叫びに掻き消されて届いてない様子ではありましたなぁ」
「やっぱ詐欺師かよ」
「占い師ぃ!」
どうとでも取れるように曖昧なことを言ってるだけじゃねえか。
「……まあ今回は、その詐称術に助けられたからいいけどよ」
「占い師ですからして! しかし、貴方は俺の術を見極めようとする目は確かなようですな。おおぉ、ちょこっと占いの気分が盛り上がってまいりましたぁ!」
「前の棒と違うな」
デビナが取り出したのは小さな紙を縒った紐だ。先は解して葉っぱのように開いている。
「ぬぬん!」
それが数枚に開いた。だからどうやってんだよ。広がるなら道具はなんでもいんじゃねえか?
「ふむ……なななんとぉ! 貴方との出会いは俺の運を開くとでましたぞぉ! それで他の運命を狂わすような流れになったやもしれぬということか……ぬぬぅ、これぞ天命! ソル殿、今後はどこまでも付いてまいりますぞぉ!」
「なんでそうなる! くんな!」
「わーい、また一緒にパン食べる仲間が増えたね!」
またおかしなのが増えちまった……。
確かに、家族が欲しいと願ったこともあった。
だが、それは決してこんな奴らじゃねぇ!
「ソル! もっと監督? 頑張れるように、パン食って力付けなきゃね!」
「ソル殿! 貴方は天賦の才を持つこの俺を導く開運の持ち主! 今後も共に開運術を磨こうではありませんか!」
「うるせぇ! 俺はただのゴロツキなんだよ!」
台を殴って叫ぶ俺の文句など意に介さず、ライとデビナが意気投合して盛り上がり、周りはそんな俺達を見て笑う。
けれど、そこに嘲りは含まれていなかった。
◇◇◇
時代は、ばらばらに暮らしていた部族が手を取り、連合国として各拠点の町や街道を整備するのに追われているところ。
組織化された請負者がおらず、まだ各地に溢れていたあぶれもんの下働きが、懸命に町の生活を、己の届く範囲を超えて守ろうとしていた頃の話だ。




