疾駆伝 零 織田太平記
「この俺と、信清の行動を綿密に記録するべきだな。」
尾張統一が為されたある日、清州城の一室にて信長は呟いた。
「俺たちは天下を獲る。その軌跡は、後世に残さねばならない。」
すぐさま信長は記録係りを任命。
また、敢えて信清には知らせず進めることに決めた。
全てが整った時、驚くであろう信清の顔を想像してほくそ笑む信長。
「ふむ。万全を期すために、犬山にも協力者を募るか。」
後に信長は、犬山の重臣・中島豊後を呼び出し協力を要請するのだった。
因みに要請された中島豊後は、信清に内密と言うことで大層苦悩した。
なにせ、普通に考えて信長の指示はスパイしろと言っているようなものだから。
已む無く中島は、織田清正に相談。
清正から信長に確認が行き、漸く正しく認識された。
中島も、それならばと張り切って信清をガン見するのだった。
因みに中島にガン見された信清は動揺したが、やがて慣れたのか気にしなくなった。
細かい事は気にしない性格は相変わらずであった。
* * *
「では、頼んだぞ。」
「御意に御座います。」
清州城内謁見の間、の隣の小部屋。
そこで信長は、清州奉行の織田吉清を記録係りに任命していた。
吉清は織田一族ながら、傍流であり家臣の一人でしかない。
しかし守護代に仕え続け、信長が清州城主になってからは信長に実直に仕えている。
その実直さを買われたと言う訳だ。
吉清の与力として太田信定などが配された。
実際に編纂するのは、恐らく配下の者となるのだろう。
記録係りという裏の部署が発足すると、部門長の吉清は信清にバレないことに一番腐心した。
なにせ、織田家の裏方を取り仕切っているのは信清だと言っても過言ではないのだから。
そこで、裏方を牛耳る信清に近い者たちの協力を得ることを思いつく。
織田清正の他、伊賀衆や蜂須賀正勝率いる蜂須賀党や川並衆たちだ。
清正は織田家臣として協力を仰ぎ、その他の犬山衆は中島豊後の協力が物を言った。
やはり、持つべき物はその権力である。
吉清自身に然したる権力は無いが。
犬山衆としても、信清の功績は絶大だと思っている。
これを世に遍く広げ、後世への記録とすることに異論はなかった。
だから積極的に協力した。
織田家の裏側を担っている部門の協力があるのは大きい。
部外秘の箇所に気を付けながら、順調に記録を取り続けて行くのだった。
* * *
しかし信清が清州城主となった時、彼らは大いに焦った。
流石にお膝元でアレコレすると、バレてしまう可能性が高い。
清州衆の筆頭である吉清は、秘密が漏れぬ様に必死になって偽装した。
ここで移って来た犬山衆は彼に大いに協力。
結果として、清州衆と犬山衆は一枚板となるに至った。
その頃には記録専任部署が発足しており、各地へ随行する者、清州で編纂する者。
更に信長の下で調整を行う者など、大規模な組織が運営されていた。
全て信清に見つからない様に。
だが組織が大規模になるに従い、隠蔽することは不可能となる。
そこで彼らは権力ある協力者の助言に従い、正式に表の記録所として発足する。
木を隠すなら森、である。
この助言をしたのは織田信広。
信長の兄で、信清の義兄。
その権力は絶大であり、また両名からも大いに信頼されている。
吉清たちは、信広の助言を元に記録所を作りたいと信清に奏上。
情報の重要さを認識していた信清は、その提案を一も二もなく許可。
記録所は正規の部署として存在することになったのだ。
信清も、まさか情報整理部署で己の武勇伝が記録・編纂されているとは思いもしなかった。
これが後の悲劇に繋がるとしても、致し方無いことだろう。
まあ主観と客観、誇張などもあるから仕方ないね。
因みに、織田信賢こと岩倉殿の記録もここで付けられていた。
と言うか、織田家に係る全ての記録が集積される。
これをどう編纂し、世に出すかの会議も徐々に進む。
そんな感じで編纂を続けてきたある日。
* * *
「遂に、遂に殿様たちが成し遂げられた……っ」
「大殿が仰られたことは、誠であった!」
「こうしてはおれぬ。すぐに人員を掻き集めよ!取材じゃ、取材じゃーっ!」
信長と信清が天下統一を成し遂げた。
一般の認識では天下を統一したのは信長だが、ここでは信長と信清は一心同体扱い。
位階の上下に関わらず、所属する全ての人員が喝采を上げる。
そしてすぐに取材へと向かう。
完全にジャーナリズムの小世界となっていた。
そんな中、一人の老人がさめざめと涙を流す。
「父上。いかがなされた。」
そんな老人へ一人の若者が声をかける。
「おお、吉光か。なに、ワシが生きておる内に殿からの命を果たせる。これが嬉しいのだよ。」
織田吉清、還暦を過ぎて遂に織田家による天下統一を見る。
その歓喜の涙であった。
「成程、確かに。私が元服する前の話でしたからね。」
そう言って微笑む若者の名は、織田吉光。
吉清の嫡男であり、父の仕事を継ぐと嘱望される実直な若者である。
吉清は清州守護代の一奉行人から始まり、記録係りとして長く務めた。
記録部署の長になったとは言え、織田家全体からみればその地位は決して高くない。
しかしそれを己が職掌と思い定め、粛々と務め上げてきた。
そんな父の姿を、吉光は誇りに思うのだった。
吉清親子の感動シーンを横目に、ジャーナリズムの小世界は突き進む。
「一班と二班は至急、安土班と手分けして当たれ!」
「三班は都で信広様……あー、明智様の、誰だっけ。重臣の……」
「斎藤様ですか?」
「そう!斎藤様に洛中の様子を頼めっ」
「四班と五班はー、信勝様と秀孝様の、……そう!柴田様と佐久間様の下へ!」
「六班は北条様に、えーと。風魔衆へ繋げ!」
「七班と八班は奥羽だ。信昌様と、主に探題殿の下へ、急げっ」
「九班は越後から越中までだ。信家様の下、判っているな?」
「十班から十三班は四国と九州だ。詳しくは丹羽様に繋ぐように!」
「信濃は如何致しましょう?」
「………。羽柴様に、お願い致せ。」
「承知!」
こういった喧々諤々の騒動を越えて、記録係りは遂にその時を迎える。
* * *
安土城の大広間。
「こちらが完成した原本に御座います。お納め下さい。」
吉清と吉光、太田信定らが将軍・織田信長に拝謁し書籍を献上。
表題は『織田太平記』となっていた。
それは原本の他に、複写した三部が添えられている。
「複写分は随時増刷致しますが、まずはこれにて。」
「うむ、大義である。」
信長、既に御満悦の様子。
そして早速、最上段横に控える信清にドヤ顔を見せつけている。
対して信清は、何時の間に……とか呟いてそれを見ていない。
「では我は早速読むとしよう。信清、お前も一部持って行け。」
「ん?あ、ああ。判った。」
「是非、お読みください。そして宜しければ、御意見など頂きたく。」
吉清が言上し、他の者も頷いて同意する。
「ふむ、左様よな。では後日、論評会を開くとしよう。信清も、良いな?」
「ああ、判ったよ。……って、これ多すぎね?」
信清が難色を示すのも当然である。
一冊辺りのページ数はそれほどでないとは言え、一部辺り五十冊。
多すぎる。
「なに、他の仕事は後に回せ。最優先で熟読せよ。これは主命ぞ?」
「ぬぐっ。わーかったよ、頑張って読むわー。」
嫌な予感は拭えないが、確かに興味はある。
信清はとりあえずは読んでみようと思い、屋敷に帰って行った。
そんな信清を尻目に、信長は満面の笑みを浮かべている。
原本は保管用に取って置くとして、複写の方を手に取る。
正直この日を待ち望んでいた。
誰よりも先に読了しなければならない。
信長はそう考え、全ての仕事をキャンセルして読書態勢に入るのであった。
南北朝時代を中心に描いた『太平記』が欠巻込みで四十巻と言われています。
そこで、追補含めて五十冊と設定してみました。追補の件は省略しました。
みんな張り切って詰め込み過ぎて、五十冊に膨れ上がったと言う設定です。
それと、太田信定の別名は牛一。