余録 夢オチ
やや長いです。
一族たちに見守られながら、俺の意識は闇に溶けて行った……。
………。
……。
…。
* * *
ふむ?
知らない天丼だ。
いや、落ち着け俺。
うーん。
何やら、とても長い夢を見ていたような。
傍らの携帯を手に取り、日時を確かめる。
”平成●年X月Δ日◇曜日”
……、おお!?
やっべ、提出するレポート明日までだった!
寝ぼけてないで、さっさと仕上げないと。
忘れてたなんて言ったら、あいつ等に何て言われるか……。
えーと、題目は確か……。
お、あったあった。
”安土時代における、三英傑の役割についての考察”
うん。
まあまあ有名どころだ。
ちゃちゃっと書き上げてしまおう。
………。
……。
…。
よーし、でけた。
おっと、念のために細部の確認をしとこう。
インターネット全盛期の昨今、ウィッキー先生で大体は判るから素晴らしいな。
丸写しは論外だが、確認の為に使うなら、大活躍だ。
さて、ネットを起動して……、時代……、室町……、戦国……、ん、これか。
クリック、と。
* * *
<安土時代>
安土時代とは、日本の歴史において、織田将軍家が日本を統治していた時代である。
織田時代とも言う。
なお、この時代の織田将軍家による政府は、織田幕府と呼ぶ。
「安土時代」の名称は、近江の安土に幕府が置かれていたことに由来する。
太守時代と言う別称もあるが、こちらは安土時代に何らかの領土だった地域を指す言葉として使われる例が多い。
・期間
安土時代の期間は、織田信長が征夷大将軍に任命されて、安土(現在の新京)に幕府を樹立してから、明治元年、朝廷に織田幕府が将軍位を返上するまでの、約300年間を指す。
尚、初代将軍の織田信長は、天下を統一したとされる時から将軍に付くまで、多少のズレがあったことから、その始期には異論もある。
また終期についても、将軍位を返上してからも実権を握り続けたとして、王政復古令が出された時だとする異論がある。
・沿革
織田信長は征夷大将軍に就くと、自身の居城であった安土に幕府を開き、ここに織田幕府が誕生する。
足利幕府後期の政局の混乱を治め、産業・教育の振興その他の施策に力を入れるとともに、琉球・台湾や蝦夷地などに領土を拡大。
さらに国号を、初めて大日本国と定め、現在の我が国の基礎を築いた。
織田幕府は、一族主義でありながら政局安定策を執り、各種法度を制定して法治体制を敷いた。
国主格として太守を各地に配し、その下に各領主層が存在した。
自家優先主義との批判もあるが、結果的に300年前後続く長期安定政権の基盤を確立し、現代に繋がっているのは間違いない。
経済振興主義政策を執り、身分制度は策定されたが、縛りは緩やかな場合が多かった。
信仰は許可制であり、宗旨証文や檀家制度で厳しく取り締まられた。
もっとも、禁教とされた宗教は数えるほどしかなく、届出さえすれば、ほとんど許可されたようだ。
また、織田幕府は積極外交策を執り、台湾で中国(明、後金、清など)・オランダやイギリスと交流を行いつつ、対馬藩と琉球王国には朝貢させ、大陸や朝鮮半島との接点窓口を任せていた。
北方では函館を拠点に、蝦夷地を開拓し、その先である樺太や千島列島にてロシア民族とも接触していた。
………。
……。
…。
* * *
閉じた。
ふぅーっ
目を閉じて、ゆっくり深呼吸。
改めて、ワンモアクリック!
……。
・天下統一
戦国大名の中で織田信長の勢力が強大になり、足利義昭を奉じて上洛したことで、信長の政権が始まったとされる。
足利義昭が不慮の死を遂げると、阿波より足利義助を招き将軍職に就ける。
信長が織田信清らの助けを受け、陸奥から薩摩まで平定を遂げると、足利義助は将軍位を返上する。
これを以って、室町幕府は正式に終焉を迎え、織田政権が確立する。
但し、信長が将軍位を受けて織田幕府を開くまでには数年を要した。
………。
……。
…。
ファッ!?
え、お……、織田幕府?
いやいや待て待て、まずは落ち着け。
そもそもなんだ。
戦国の次は安土桃山じゃなかったか?
いや、レポートは安土時代であってる、はず?
それに、織田信長が天下統一って……。
……ちょっと、信長の項目と……
ん、これは……?
* * *
<織田信清>
織田信清は、戦国時代から安土時代にかけての武将・太守。
三英傑の一人。
尾張国(現在の愛知県)の犬山城主・織田信康の嫡男。
織田信長の従兄で、義兄弟。
信長の信頼厚く、織田政権において内外の政務・軍事両面で活躍を見せ、天下統一に大きく貢献した。
最終的には尾張・下野・大和・土佐・筑後の五ヶ国の太守となるに至る。
また官位も、従二位大納言に栄進したことから、尾張大納言と尊称された。
信長は信清を傍らに配して重用し、また信清も信長によく進言して織田家の舵取りを左右できる人物であった。
・生涯
尾張時代
天文元年(1532年)、信康の嫡子として尾張国犬山に生まれる。
幼少期の信長と出会い意気投合。最大の理解者となる。
父・信康の死後、伯父・信秀の命で信長の異母姉・央を娶り、信長の義兄となった。
信長に英雄の気質を見出し、全力でサポートすることを誓ったと言う。
尾張統一においては、自ら国中の領主を訪ねて回って顔を売り、信長の為に奔走。
伯父・信秀死後、弾正忠家の家督を信長が継ぐ時、その伝手を使って織田一族会議を主催。
信長と距離のあった信勝を始め、一門衆たちとの間を繋ぐことに成功する。
これが大いなる助けとなり、織田信長の尾張統一は成ったと言える。
但し、信長と他の織田一族との間に立ち、独自の権益を確保していた狡猾な一面もあったとする説もある。
いずれにしても、信長の尾張統一に役立ったのは間違いない。
織田家公文書によると、織田幕府における定例会議は、信清が主催した一族会議の流れを汲むとされる。
尾張統一の過程では、尾張守護職にあった斯波義統が、下守護代・大和守広信に殺害されている。
信長は、義統の嫡男・義銀を擁立し、広信を討ち果たしたが、同時に信清は上守護代にも手を伸ばした。
上守護代・伊勢守信安の嫡男・信賢は反信長派であり、これを廃し、親信長派の次男・信家を擁立した。
また、擁立された斯波義銀が己の立場に不満を抱き、信長に反意を表した際、信長はこれを追放するも、信清が匿い、後に織田一門斯波家が躍進する切欠となったのは有名な話である。
織田家公文書によると、信清は「信清が補完するので、信長は好きに生きよ」と話したとされる。
実際、その後も信清は信長のサポートを常に行い、その覇業を助けて生きた。
………。
……。
…。
* * *
フゥ。
疲れてるのかな。
或いは、これも夢の続きか?
待てよ。
夢。
そう、夢だ。
あの夢!
夢、じゃ……なかった?
ちょ、ちょっと続きを……
* * *
・伊賀衆元締め
信清は伊賀衆・甲賀衆ほか、忍者と通称される者たちを積極的に登用したことでも知られる。
情報の重要さは当時から当然とされてきたが、それを集める者たちの待遇は、決して良いものではなかった。
それを信清は、伝手を講じて集めさせ、当時としては衝撃的なほどの高待遇で迎えている。
初めて信清に仕えた下山甲斐が残した秘伝書には、その冒頭に以下のように記しされている。
「織田信清公が伊賀衆へ下さった御配慮・待遇は他に類を見ないことである。
今後何か事が起こり、誰が裏切ろうとも下山家に連なる者は、決して裏切ることは許さない。」
これを見る限りでは、当時としていかに画期的であったかが伺える。
なお、伊賀衆以外にも多数登用したが、下山組を筆頭とする組織であったためか、総称して伊賀衆と呼ばれたようだ。
また、北条家に仕える風魔衆への待遇改善を呼びかけ、娘婿であった北条氏直が重臣の反対を押し切って実行し、風魔衆の忠誠を一身に浴びて、極めて高い地位を保つことに成功している。
このように信清は、忍者を囲い込むことで情報の摂取に努め、また彼らを保護したことで大きな功績を遺した。
………。
……。
…。
オゥフ。
なんだこれ、信清の功績が残る時代ってことか?
有り得ない、とは言い切れんかー。
なんてこったい。
しかしまあ、夢か現か幻か。
とりあえず寝てみよう。
そしたら起きた時、どうなるか判るだろ。
楽しみなような、不安なような。
……ま、どーにかなるさぁー。
おやすみー。
* * *
「……きろ、……オイ!起きろッ」
ほわぁーっ!?
なんだなんだなんだーっ
「お、やっと起きたか。大事な日だってのに、寝坊とはな。」
あ、ああ、すまん。
起こしてくれたか。
「うむ。ほら、遅刻するぞ。さっさと支度しろ。」
ああ。
あんがとさん。
「応。外で待ってるから、早く来いよ清!」
あいよー。
* * *
ふぅ。
全く、相変わらず騒々しい奴だ。
俺の名は織田清長。
起こしてくれたアイツは俺の親友で、織田信恒。
血統については言うまでもあるまい。。
どうやら夢は現で、そして今は幻ではないようだ。
何の因果か判らない、謎は増えたが……。
「おーい、本当に遅れるぞー、きーよーっ!」
「わぁかってるってー、今行くからっ」
外から叫ばれ、中から叫び返す。
まあ細かいことは気にせず、せっかくの人生。
親友たちと一緒に、精一杯楽しむとしますかね!
ウィキ風が難しかったので、少し書いてみた一部分だけ出展。
あとは後世云々を余録として混ぜて収録してみました。
笑顔大百科風とか年表とかも考えてはいますが、果たしてどうか。




