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外伝  回顧録

始めまして諸君。


俺の名は織田おだ信賢のぶかた

由緒正しき織田家嫡流の血を受け継ぐ者だ。



近頃、尾張国内で傍流の輩が勢力を伸ばしている。

弟や、重臣にも迎合する者が出る始末。


是はイカン。

ここは嫡流の俺が、正してやらねばなるまい!



* * *



そんなことを思っていたのが半年前。


今では何の因果か廃嫡され、剃髪して出家・隠居の身。

それもこれも、全ては傍流に与する輩のせいだ!



とは言え……。


俺が出家で済んでるのは、親父がそいつに頼んでくれたことだと知っている。


納得は出来ないが理解は出来る。

親父からの愛情を感じない訳じゃない。


弟と争い、敗れ、嫡男の地位を奪われたが、別に恨んではいない。

そんな時代なのだと、知ってはいるのだから。



そして御同輩。


尾張守護職だった斯波の若殿。


俺よりも若いが、時代の流れを見誤ったのか。


しかしなんでまた、美濃の隠居が居るんだ。


……そんな目で俺を見るな。



* * *



斯波の若殿は、若いなりに苦労をしてる。


その結果、アイツの言い分を吸収し、納得出来たようだ。


俺はまだ、納得出来てない。

だからと言って、反抗する程無節操ではないつもりだ。



そんな俺を見てたアイツは、俺を放流すると言い出した。


表向き、織田家嫡流を自任する俺が現状を認められず、還俗・出奔したとされた。


割と間違ってないのは、多分俺とアイツしか知らないのだろう。



俺は信濃国を経由して甲斐国に入り、名門・武田家の保護を受けた。


後から知ったが、武田信玄もアイツの被害にあっていた。

駿河国や遠江国を得る予定だったが、今川と織田に邪魔されたとか何とか。


間違いなくアイツの差し金だ。

傍流の輩。いや、もういいか。信長はそういうことはしない。


そう言う腹黒いことを考え、実行するのはアイツ…信清で間違いない。


だけど、嫡男を排した武田信玄の考えには賛同出来ないな。



* * *



織田家から来たと言うことで、当然ながら最初は疑いの眼差しが多かった。

しかし俺が尾張と全く音信を取らなかったせいか、或いは知り得る限り全ての情報も喋ったせいか。

次第にその疑いは晴れて行った。


将来、尾張を獲ったら守護代に任ずるとまで言って貰えた。

多分そんな日は来ないだろうなと思いつつ、謝礼を述べて平伏しておく。

我ながら、随分と捻くれてしまったものだ。


甲斐国の人間は、信長や信清に比べれば何とも素朴な田舎者。

よく言えば純朴だ。


そんな純朴さも、子供であれば可愛いものだが武将としてはちょっと……。


しかし、穏やかな日々も長くは続かない。



武田信玄が、駿河国と遠江国、序に美濃国にも侵攻することにしたらしい。


俺は思った。


あ、終わったな、と。



* * *



色々確定した日からこちら、俺は準備を続けてきた。

そして、全てが明らかに成る前に行動に出た。



武田家の滅亡は間違いない。

早く、逃げなければ。


上野国でも良かったんだが、理由が思い付かなかった。


丁度、武田信玄の六男・十郎が怪我をしたので信濃国へ湯治に連れて行ったのだ。


そして信濃国滞在中、武田信玄病没の知らせを受け取る。



最早猶予はない。


早々に越後国へ渡り、上杉謙信に保護を求めた。



* * *



その越後上杉家は、安住の地には成らなかった。


どうも上杉家は、上杉謙信が居るからこそ保ってるようだな。

養子が二人居て、どちらもそれなりに優秀とくればまあ、争い不可避?



やがて謙信が死に、家督争いが勃発。


近くに居た上杉一族の子を連れて、上野国から下野国に入った。


下野国の宇都宮を頼ろうとしたら、常陸国の佐竹が迎え入れてくれた。

ありがたい。

武田十郎の存在が功を奏したようだ。



しかしまもなく、信清の手は関東に及ぶ。


宇都宮・佐竹連合軍が、織田・北条連合軍に惨敗。


俺は武田十郎と、上杉藤三郎、序に佐竹義重の次男・平四郎も連れて北へ逃れた。



* * *



陸奥国の伊達は当主嫡男諸共滅び、またも一族の子を保護して更に北へ進んだ。


南部領へ辿りついた頃、天下の趨勢は織田家で決まりかけていた。


あー。そろそろ、潮時だろうか。



南部家が、織田家に降ったことを知らされた。

そして南部家の使者がやって来て、俺の身柄を引き渡すことになったと聞いた。



こうして、俺の旅は終わった。



* * *



特に意味があったとは思えないが、中々に充実した日々だったように思う。


図らずも、武田、上杉、佐竹、伊達から子を保護した。


名族も名族な奴らだが、今となっては皆、俺の可愛い子どもたちだ。



織田幕府から逃げに逃げた俺の逃避行は、何故か巷で人気となっているらしい。


理由は判らない。


しかし、織田一族でありながら、時代に逆らい続けた人間が居たと言うこと。

これを忘れないで貰えるなら、嬉しいことだと思う。



惜しむらくは、親父の死に目に会えなかったことか。


我ながら親不孝なことだと思うが、遺書には存分に生きよとあった。


俺は存分に生き抜いたぞ、親父。



* * *



過去には分別つかなかったことも、今では納得している。



良い時代になったな、信長。そして信清。


同世代の一族として、誇りに思う。




バックグラウンドの大スター、岩倉殿こと織田信賢の回顧録でした。

ご要望頂いたウィキ風の小ネタですが、情報量の多さに挫折気味です。

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