第四十九話 隠居
信長を頂点とする、この国の支配領域が確定。
北は樺太と千島列島から、南は琉球諸島に台湾まで。
そして信長は、将軍宣下を受けた。
遂に、織田幕府の誕生だ!
* * *
いや、朝廷をどうこうする意図なんてないよ?
ちょっと釘を刺しただけだってば。
大人しくしてれば仕事も斡旋するし、公領も上げる。
皆で幸せになろうぜ!
と、言うことで。
朝廷から三職を提示された信長は、将軍位を謹んで受けた。
姓は平氏のままで。
朝廷としては、足利など源氏の養子になって欲しかったみたいだが。
先例主義が、実績に敗北したのだ!
何事も最初はあるんだから、大したこっちゃないと思うんだけど。
ところで。
俺の隠居願いを却下し続ける信長は、色んな法を制定していった。
その意見調整を俺に求めるもんだから、結構忙しかったよ。
「一人だけ先に、楽はさせんぞ?」
信広殿が隠居しちゃったから、寂しいんだと思う。
なんだかんだ身内に甘い上、自分も甘えたがりなとこがある奴だからな。
まあ俺も一応年上だし?
それに、ねえ。
これはこれでで、吝かでないと思ってる時点で、俺の負けだよねー。
* * *
さて、織田幕府として打ち出した施策の一部をご紹介。
まず一番でかいやつは、国号を”大日本国”と定めたこと。
朝廷に配慮して、帝国にはしなかったよ。
次に、朝廷の了解を得て出羽国と陸奥国を分割。
出羽国は羽前(山形)と羽後(秋田)に。
陸奥国は岩城(福島)・陸前(宮城)・陸中(岩手)・陸後(青森)に。
東北も、でっかすぎる行政区分を細分明確にして、ちゃんと管理しようということで。
その上で、国主格として太守を配置。
主に一族に配分され、その下に各領主が居る形にした。
俺は尾張のほか、下野・大和・土佐・筑後を預かった。
飛び地に過ぎるのは、嫌がらせだろうか……。
因みに、信益も俺とは別に伊予一国を持たせて貰った。
信勝は防長と豊前を預かり、信澄は別に播磨一国を。
秀孝は、石見・出雲・隠岐。
伯耆一国には秀孝の嫡男・秀常が。
その他、信成は甲斐と上野。
信広殿の跡を継いだ信孝は、若狭と阿波に。
信興・信定は伊勢と伊賀、信時は信濃などなど。
斯波義銀は遠江一国を預かることになり、謎の勝ち組と呼ばれてるらしい。
謎と言えば、岩倉殿の逃避行が巷で静かに流行の兆し。
斯波一族の最上義光は羽前を、大崎義隆は陸前を預かった。
太守は国主格だが、全て”預かり”であり”持たせて貰う”ものにした。
国主とは大日本国の主、つまり将軍と位置づけて。
代替わりの時には一旦全て返上し、改めて将軍より預けられるというスタイル。
こうすることで、否が応でも上位者としての権威が上がると言うものだ。
身内でも例外はない。
そういった行政に関することは、大分頭を捻ったよ。
お陰で、まあまあ納得出来るものになったと思う。
出てくるであろう不具合や、細部の調整は次に任せればいい。
* * *
そうして施策が大体整った後。
信長は、信忠に将軍職を譲渡。
そして最大五年間、大御所として後見することを発表。
五年間ってのは信忠の将軍研修期間だ。
もう大丈夫だと判断したら、途中で後見を止めることも有り得る。
さて、次に五ヶ国の太守となった俺だが。
身内とは言え、五ヶ国は多すぎるよね。
実はこれ、俺に限らず分割相続が前提の配分だったりする。
早速だが、そろそろ隠居したい。
これが、新スタイルの良いデモンストレーションになるハズ。
将軍・信忠に預かってた五ヶ国を返上し、隠居を願い出る。
信忠がそれを許可し、返上された五ヶ国から適正に領地を配分し直す。
俺が持ってたのは、尾張・下野・大和・土佐・筑後。
跡継ぎは信益だが、既に伊予一国を預かってるので、尾張と筑後を相続して三ヵ国の太守となる。
下野は次男の遠山信景が相続し、三男・康清が大和を相続した。
残りの土佐は、娘婿の長宗我部に与えられた。
こんな感じで、多くても二・三ヵ国の太守になるよう調整されてたのさ。
ともあれ、家督を譲って隠居した。
これで俺は、晴れて自由の身!
「よし、信清。暇だな?では相談役に任じる!」
え?
楽隠居なんてない、ブラック一門。それが定められた宿命。
次回、多分最終回。人物紹介をどこに入れるか迷っています。