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兄弟

 建保元年(一二一三)、畠山重忠の死から八年後の、その年の九月。

 五月に起きた和田一族の討伐から、ようやく人々の心も落ち着きを取り戻したころ。

 重忠の末子で仏門に入っていたはずの重慶(ちょうけい)が、日光山の麓で牢人たちを集め、謀叛を企てているとの報せが将軍実朝のもとへ届いた。

 畠山討伐の際、幼少のため合戦に加わることなく、ゆえに生き延びた彼が、長じて父の仇を討とうとでもいうのだろうか。

 ちょうど実朝のそばには長沼宗政が伺候していた。日光山満願寺の別当(寺院の長官)には彼の親類の一族が代々就任しており、宗政とも縁深い。

 実朝は宗政に重慶を生け捕るよう命じた。

 父兄に似ず争いを嫌う現将軍は、

「決して無体なことはしないでよ」と念を押した。

 宗政は御所からまっすぐに下野(栃木県)へ向かった。一族の者と家来八名が彼に続き、これを伝えられた長沼邸の郎党も武装して後を追ったため、鎌倉の街は「また合戦か」と騒然となった。


 七日後、晩景を背負い、宗政は鎌倉に帰還する。

 手には重慶の首級を持って。

「あれほど生け捕りにせよと言ったのに!」

 将軍家の怒鳴り声に、周囲は目を見はった。

 重慶は実朝の従弟にあたり、さらに義理の叔父、重忠を無実の罪で死なせてしまったことを、密かに悔やんでいた。

――今回は、問答無用で命を奪うようなことせず、きちんと詮議を受けさせようとしたのに。

 長沼の顔など見たくもない。

 実朝は宗政の面会を拒んだ。

 とはいえ、彼の言い分も聞かねばならない。

 長沼の命令違反は不可解に過ぎた。

「重慶を誅したのはそなたの本意ではなかろう。誰に頼まれた。重慶を殺せと」

 臣下の源仲兼を通じて宗政を詰問させた。

 すると、

「『誰に頼まれた』と。それを御所自身がおっしゃるのですか」

 宗政は恐れ入るどころか、逆に目を剥いて仲兼に迫った。仲兼の後ろにいる実朝へ。さらにその後ろにいる者たちへ。

「太平の世となってこの方、弓馬の業をもって君主にお仕えするより、讒言や中傷をもって忠臣の足元をすくう輩が幅を利かせております。しかし、それを歌や蹴鞠にうつつを抜かす将軍家はご存じないようですな」

 宗政の直言に、今度は仲兼が目を剥く番だった。

 ――讒言により誅された重忠の子が、またも讒言により誅された。それも我が手で。

 宗政は己が手を凝視した。

 ――自分が斬られた方がまだましだった。


 『重慶謀叛』の報を聞いたとき、宗政もまた疑いを抱いた。我らは再び同じ過ちをくり返すのかと。

 己れの疑念を持て余しながら御所を出ようとした直前、宗政の袖を引く者がいた。

 そして、彼の耳に囁いたのだ。

 重慶を殺せと。

 さらに「将軍家の御為(おんため)だ」と付け加えた。

 宗政は男の目を睨んだ。

 袖を振り払うと、何も言わず従者を連れ、御所を飛び出した。


 北の街道。

 冬に向かう故郷の空はいっそう寒々として見えた。

 重慶は、重忠の息子たちの最後の生き残りだった。彼の兄たちは重忠とともに幕府勢に討たれた。 一族の討伐を命じた北条時政は、自分の孫を殺したことになるのだ。

 重慶は年少であることを理由に許され、俗世から離れることで生き長らえていた。

 しかし、彼が成長するにつれ、重忠の一族へ心疚(やま)しさを抱える者たちが、またも蠢き出したのだ。

 謀略を仕掛けた者が、復讐を恐れて先手を打つ。

 もう見飽きた光景だった。


 日光山。

 秋。

 紅葉黄葉に彩られた最も美しい季節。

 だが、宗政の目には、山々の錦繍もくすんで見える。

 案の定、麓の堂には謀叛人など集まってはなかった。堂の中では重慶が一人、経を読んでいた。清廉な居住まいは若き日の重忠を思わせる。宗政は胸を打たれ、声をかけることをためらった。

 従者たちをその場に待たせると、おもむろに歩み寄った。

 重慶の経を読む声が途絶えた。

 宗政の(おと)ないに気付いた彼は、身体の向きを変えて一礼すると、そのまま(こうべ)を上げることはなかった。

 宗政の来意を聞くに及ばず、その首を、

「どうぞ、お心次第に」

 とでも言うかのように。

「いや・・・・・・」

 宗政は狼狽した。

「やめてくれ、将軍家から言われているのだ。そなたを生きて連れて帰ってくるようにと。いや、将軍家だけではない。御所にはそなたの伯母となる尼御台や縁者の女性たちがいらっしゃっる。きっと、そなたをかばってくださるに違いない」

「それでは多くの方がお困りになるでしょう。あなた様だって……将軍家のご配慮はもうお気持ちだけで十分でございます」

 重慶の声は玲瓏として、この世の憂いを知らぬ者のように澄みきっていた。

「言うな! そなたに何かあれば、そなたの母がどんなに悲しむか―――」

「私は、母をこそ、困らせたくないのです」

 彼の言葉に、宗政は心臓を鷲掴みにされたような息苦しさを覚えた。

 重慶の母は、夫と息子を殺された揚句、畠山の名跡を遺すため周囲の強い勧めで、足利宗家の長庶子を婿にとらされた。彼女の本意はわからぬが、翌年、婿との間に男児を授かり、その子は畠山の家督と定められ、武州の地は安寧を得た。

 では、重慶は? 浮き上がった彼に帰る故郷や母は?

「違うっ。私はそなたを殺したくなどないのだ!」

 思わず叫んだ宗政へ、重慶はうつむいたまま首を振った。

「ここで命を長らえたとて同じことです。ならば、終の棲家と思い定めたこの地で死にとうございます」

 彼の覚悟は揺るぎなく。

 ――では何のために、何のために、この若者は今まで生き長らえたのだ。ここで死を受け容れたら、彼の生きてきた時間は、全てが無意味だ―――

 宗政の胸に答えるかのように、重慶はすっと顔を上げた。

 見返す瞳の涼やかさは、まさに生前の重忠そのものだった。

「亡き父と兄らの菩提を弔うことが、私の生の意味でした。罪深き武家の一族の」

「武士が罪深いのであれば、俺だって・・・・・・」

「いいえ、違います。ご存じでしょう。父重忠の初陣のことを」

 不意をつかれ、宗政は何も言い返すことができなかった。

 重忠初陣のもう一つの禁忌。

 それは、祖父殺し。

 京城警固の父に代わり、留守を預かっていた十七才の重忠。

 彼の初戦の相手は、三浦義明。

 旗揚げした頼朝に、いち早く参じた母の実家だった。

「父は自分の祖父を殺したくはなかったでしょう。けれど」

 平家の全盛期にあって、官軍の将たる重忠は、賊徒となった血族を征伐せねばならなかった。後に、その官賊が逆転するとも知らず。

「父は初陣での過ちを一生の負い目としました。だからその分、常に心正しくあろうとしたのです」

 皆に愛された重忠の、その高潔さが、亡き祖父への負い目から生まれたものとするなら……

「父の追討軍に参じた方は、どなたも父を殺したいとは思わなかったでしょう。それでも父は殺された。父は、自分や一族の最期を予感していたような気がします」

 抗えぬ力によって、己れの元始たる祖父を滅ぼした重忠は、いずれ同じように己れと己れの子孫が滅びることを覚悟していたというのか。

「私は生き長らえた時間を、父に代わって曾祖父の冥福を祈ることができました。ありがたいことです。御仏(みほとけ)のお考えに、無駄なことは何一つないのです」

 宗政は重慶の静かな瞳に見据えられ、人の意思を超えた存在に呑み込まれていく自分を、それに逆らえぬ自分を感じた。

 重慶は再び頭を垂れる前に、穏やかな笑みを浮かべて宗政を見た。

 宗政は許されていた。

 彼がこれから為すことを、すでに。

「……」

 沈黙の(みぎわ)を絶えかねたように、

 風が、

 園庭のもみじ葉を堂内へと運び、

 二人のあわいを通り過ぎていった。

 黒光りする床の板張りは波一つなく、

 その(おもて)に浮かぶがごとく、

 散る赤――…

 宗政の足元に凜秋の無常を映した。


「――およそ右大将家(頼朝)の時代、御自ら恩賞を厚くしようとしきりに薦められたのを断り、ただ望んだのは東国の平和を守り、世の乱れを正したいという使命だけでした。そのためにこの宗政、いついかなるときも(いくさ)の備えを怠ったことはありません。しかし、平和とは、世の乱れとはいったい何なのでしょうか」

 ――重慶が、彼の父が、その死に値するどんな過ちを犯したというのか。

 否だ。

 あの者たちには、ただ一つの罪もない。

 彼らを死に追いやった我らこそ罪人(つみびと)であるのに。

 宗政は瞼を閉じた。

 重慶の、彼の瞳が目に焼き付いて消えない。彼の声が耳に付いて離れない。

 ――重慶、俺を許すな。

 煩悶の中、宗政は言葉を継いだ。   

「今は太平の世であります。けれど人が正しいものを正しいと言えず、間違っているものを間違っていると言えぬ世の中に、真の平和はあるのでしょうか。御所。目をお開きください。そして御辺(ごへん)を見回してください。正義はいずれにあるかを」

 積年心に()していたものを曝し尽くすと、宗政は、はぁっと息を吐いた。

 仲兼は、一言もなく座を起った。

 ――これでお終いだな。俺も。

 将軍実朝だけではない。彼を(めぐ)る者たちへここまで楯突いたのだ。

 ――ただでは済むまい。

 だが、心は清々しくあった。

 出世と安泰、そんなつまらぬもののために、もう何年も言いたいことを(こら)え、鬱屈した日々を過ごしていたのだ。そんな己れに嫌気が差していたところだった。

 宗政は覚悟を決め、翌日から出仕をやめた。御所からも謹慎の沙汰が伝えられた。

 さらに、()の沙汰を宗政は待った。

 ――俺にはもう未練はない。

 まるで、あのときの重慶のように。

 ――この世での言うべきことは全て言い切った。次はあの世で罵詈雑言を並べ立ててやる。仏だろうと閻魔だろうと、指突きつけて理不尽を糾弾してやるのだ。

 そうして二十日が過ぎ、御所から使者が訪れた。

 彼らを迎えるにあたり、すでに潔斎は済ませてある。

――捕縛、監禁、流罪、謀殺、何でも来い!

 しかし申し伝えられたのは、謹慎処分を解く旨の下知であった。

 宗政は拍子抜けする。

「これはいったい・・・・・・?」

 長兄朝政の尽力である。

 不肖の弟に代わって実朝に謝罪し、さらに宗政の直言に内心、喝采(かっさい)をあげた御家人たちを味方につけ、将軍家周辺の者たちを牽制したのである。

 ――そういうことか・・・・・・

 己れの生に見切りをつけていた宗政は、すっかり身の置き所をなくし、

「兄貴、余計なことをしやがって」

 つい、いつもの悪口(あっこう)を吐く。

 そんな次弟へ、朝政は、

「余計なこと? 私がお前の兄だということを忘れたか。傍観なぞするはずなかろう」

 宗政の胸中を見透かし、(てん)(ぜん)と答える。

 次兄のため、同僚たちに頭を下げて回った長兄朝政。

 彼が奔走する姿に、朝光は胸が熱くなった。

 ――兄上は、いつまでも私たちの兄上なんですね。


 以後も朝政は一族に道を(あやま)たせず、合戦と陰謀の時代を乗り切った。

 彼の(おし)えは一門に受け継がれ、将軍実朝が甥公暁に殺され、三浦・安達が滅びの道を歩み、幕府さえ倒れてなお、小山・長沼・結城の三氏族は連綿とその命脈を保ったのである。


                                           ―了―


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