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 景時は死に、自分は生き残った。

 死に行く者は皆、生き残る者の犠牲だ。

 九郎殿も蒲殿も御所の犠牲だっただけではない。我々全ての犠牲だったのだ。

 東国の、侍のと蔑まれてきた我らが、己れのことは己れで決め、己れの土地を己れのものとする――時代の大きな変わり目には多くの血が必要とされるのだ。

 人々は景時の死をもって犠牲は終わったと思っているが、それは違う。景時ですらその中継ぎでしかないのだ。

 鎌倉という土地は時代のうねりを受け止めるにはあまりに脆弱で、常に人柱を欲し続ける。

 そうだ、あの御所でさえ人柱の一つであったのだ。


 梶原氏亡き後、頼家のもう一人の補佐役であった比企(ひき)能員(よしかず)が、永年の重石が()れたように伸び伸びと振る舞う。頼家の周囲には比企氏の縁者ばかりとなって、のさばり始めた。

 建仁三年(一二○三)七月、日ごろの不摂生が祟り、頼家は発病し一時危篤状態となった。彼の妻は、これも比企氏。二人の間にはすでに嫡男の一幡がいた。

 以後(・・)の比企氏の独裁は誰にも予測できた。

 人々は、対抗勢力となる頼家の弟千幡を擁する北条氏の動きを注視した。

 一方は初代将軍頼朝の妻の実家。

 一方は二代将軍頼家の妻の実家。

 どちらも幕府内を二分する勢力だった。

 諸人の緊張が高まるなか、九月二日、北条時政は行動に出る。素知らぬふりで能員を頼朝の法事へ誘い出して殺すと、頼家の妻子が住む比企氏の館へ追討の軍勢を差し向けた。

 小山一族は、朝政の判断で真っ先に北条氏に付いた。

 鎌倉の通り(じゅう)に将兵が溢れかえる。

 名だたる御家人たち。

 その面々を見たとき、人々は『幕府内の二大勢力』の実態を知る。

 比企氏の命運は尽きた。そして頼家の命運も。


 同九月十五日、頼家の後を継いだ千幡へ、早くも朝廷より宣旨が下される。わずか十二歳の征夷大将軍の誕生である。同じころ、皮肉にも危篤状態から回復した頼家は、その月のうちに伊豆へ送られた。

 彼は翌年七月、修善寺で若過ぎる死を迎える。


 しかし、その後も幕府の地盤が安定することはなかった。

 権力の中枢には北条氏。そこへ名門三浦氏が隙を伺う。些細な失言で足元を掬われ、小さな諍いが血闘へと発展する。

 日々、瞬時の政治的判断が求められるなか、小山一族を率いる朝政は決して見誤ることなく、彼らを安全な場所へと導いた。

 そう、畠山重忠のときも。

 

 元久二年(一二○五)六月。

 『重忠謀反』の報せに誰もが耳を疑い、朝光も「嘘だ」と叫んだ。 

 皆に愛された次郎重忠。その名のとおりの忠義者が。

「もう決定したことだ。お前も追討軍に加わらねばならぬ」

 弟の目を見ずに言う朝政を、朝光は信じられぬ思いで見上げた。

 数々の軍功をうち立てながら(おご)ることを知らず、忠実に勤めを果たした、あの重忠を。

 景時弾劾のとき先頭に立って署名を加えてくれた、あの重忠を。

 その彼を討てと。

「相州殿(義時)が大反対をして止めようとしたが、執権殿は頑として譲らなかったそうだ。相州殿にできぬことが、他の誰にできるというのだ」

 執権時政は老齢に達し、すでに所職の一つ、相模守を息子義時に譲りながら、なおも権力の座に居座り続けた。

 そして、時政の後妻、(まき)の方と重忠の確執は、以前から人々の知るところであった。重忠の息子が、婿に口答えしたのしないの、全く取るに足らぬ出来事から発展していった逆恨み。また何を勘違いしてか、幕府や御家人たちのことに口を挟む牧の方にあって、時政は年若い妻の言いなりだった。娘(前妻腹)を重忠に嫁がせたというのに。

 ――その理不尽に同調せよというのか。

 兄朝政の命令に、朝光は吐いた。なぜ、彼を討たねばならぬのかと。

 だが、朝政は許さなかった。朝光を引き摺るようにして、重忠追討の陣に参じた。

 数万の軍勢に攻められながら、重忠は正々堂々戦って死んだ。

 切り取られた重忠の首級は陣所に持ち帰られ、その顔を見た仲間たちは、声を上げて泣いた。

 このとき朝光は生涯でただ一度だけ兄を憎んだ。心の底から兄を憎んだ。


 ――『重忠謀叛』は讒言だ!

 ――その証拠に、武州では戦の備えなどしてなかったではないか!

 重忠を慕っていたのは朝光だけではない。

 御家人たちの怨嗟の声は執権時政と牧の方に向かった。

 (もと)より、この夫婦の専横は目に余った。

 武州に広大な所領を持つ畠山一族はそれだけで疎まれていた。これに牧の方との感情的な齟齬が加わったのである。

 ――次に陥れられるのは、我が一族か。

 不安と疑念が渦巻く鎌倉の空気に、いち早く反応したのは頼朝未亡人、尼御台である。

 亡き夫が遺した幕府の安定のため。実家、北条一族の安泰のため。あるいは、継母と、自分たちを省みなくなった父への反抗。いずれに重きがあったろうか。

 結果、尼御台を中心に、時政は権力の座から追い落とされ、婿頼朝の流刑先にして、孫頼家の終焉の地となった故郷、伊豆に隠棲させられる。


 政変から間もなく、朝政は尼御台の邸に呼ばれた。その場には、執権職を継いだばかりの義時、彼を補佐する政所別当の大江広元と安達景盛も臨席していた。

 騒乱の続く時期にあって、朝政も覚悟を決め、義時の前に跪く。

 そして、脇に控える広元から言い渡される。

 宇都宮頼綱の征伐を。

「すでに一族郎党を率いて鎌倉に向かっているとの報せがあった。嚢祖秀郷公のころより下野の守りに預かる(せい)(とう)として、そなたを追討使に任ずる」

――今度狙われたのは、下野の我が一族か。

 頼綱は梶原景時が権力の中枢にいたころ、その娘を娶りながら、景時が失脚するや急ぎ離縁する。しかし、彼には女運がなかった。後添えに、時政と牧の方の娘を妻にしていたのだ。

広元らは、この縁戚をもって、幕府に歯向かおうとしていると決めつけた。

しかし、これは全くの言いがかりだ。

 ――一族の長として、目立たず、欲を見せず、権力と距離をとっていたつもりだったが。

 鎌倉に幕府が開かれてより、伊豆・相模・武州と、関東の名族・顕要が次々に滅亡している。朝政にはむしろ得心できるものがあった。

 頼綱は宇都宮朝綱の孫。朝政から見れば従兄の子である。血族を討たせることによって下野豪族の勢力を削ろうとする意図は明白だった。

 そして、これまでの朝政の政治的判断を見れば、

 ――よもや小山は、否やを言うまい。

 彼らがそう思い込んでいたのも、無理はなかった。

 けれど、朝政の口にした言葉は彼らの予想を裏切るものだった。

「宇都宮は我が小山に連なる血縁の者です。例え厳命に応じて、その親交を改めることはできましょうが、直ちに追討の任をお受けする朝政とお思いでしょうか。どなたか別の方にお命じください」

 (ひき)(がき)の水干の折り目一つ崩さず、朝政はきっぱりと辞退したのだった。

「むむぅ」

 広元らはうなった。

「ただし、この朝政、叛乱には血族とはいえ決して同心致しませぬ。もし、此度の風聞が真実(まこと)であり、一朝(いっちょう)事あるときは必ず防戦に駆け参じますので、この旨、お心に(とど)めおきください」

 と、付け加えるのを忘れなかった。

 朝政は直ぐさま下野の頼綱のもとへ使者を送り、起請文を書かせると、自らも弁明の書状を沿えて義時へ提出した。それだけでは疑いが晴れぬと言われれば、自ら宇都宮へ向かった。一族郎党を懸命に説得し、名のある者を出家させると、彼らを連れ、鎌倉に取って返した。

 頼綱に叛意のないことを認めさせようと、朝政はあらゆる手を尽くす。

 下手をすれば己れにも累が及びかねない長兄の所行に、

「兄上はなぜ、そこまでされるのですか」

 朝光は訪ねずにはいられなかった。

「――もう十分だからな。次郎のときと同じような思いをするのは」

 その真意を聞いたとき、兄も等しく重忠の喪失に(きず)を受けていたことを知った。

 ――兄上は踏みとどまったのだ。

 もう彼らの言いなりにはならぬと。

 偉方の決定を必死で覆そうと奮闘する。

 朝光は長兄を一度でも憎んだ己れを恥じた。

 自分にもできることはないか、罪滅ぼしの気持ちで、頼綱のもとを訪ねた。

「――それでは、これを執権殿にお渡しください。私が面会を申し込んでも許してくださらぬものですから」

 彼が詫び状代わりに差し出したのは、出家の際に落とした(もとどり)である。

 朝光はこれを快く引き受け、丁寧に義時へ取り次いだ。

 兄朝政と昵懇の義時だが、朝光とも現将軍の近習仲間にして、その昔、頼朝の寝所番仲間であった。

 髻を一瞥した義時は、すぐに朝光へ返した。そして、不安げに顔を伺う彼へ、

「承知した」というように深くうなずいてみせた。

 朝光は安堵して頼綱のもとへ報告に向かった。

 後日、彼は正式に許され、以降、僧形のまま幕府に仕えることとなる。

 自分たちは大権の圧力に屈することなく、それをひっくり返したのだ。合戦で手強い相手を打ち負かしたときと同じような、胸のすくような痛快さである。

 一族は皆で歓び合った。

 ――だけど、ちょっと困ったことになったな。これをどうしよう。 

 戸惑う朝光の手元にあるのは、黒々とつやめく髻。

 ――捨てるわけにもいかないし。本人に返すわけにもいかないしなぁ。

 それは結城邸の奥深くに仕舞われ、やがて誰からも忘れ去られた。


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