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新しき世

 何かが息苦しくなってくる。

 戦さの中で覚える、あのひりひりとした緊張感とは別種の。

 疑心暗鬼。誰もが互いの顔を伺って。

 そんな中、一人風を切って御所の廊を(めぐ)る者がいる。

 侍所別当、梶原景時。

 彼は次期将軍とされる頼家の補佐役として確固たる地位を築いていた。

 ――なぜ将軍家は、あのような讒言者を重用するのだろうか。

 誰もがそう思いながら、口に出せない。うっかり耳に届いて言い付けられては、こちらの命が危ない。御家人たちは敬う振りで彼を避け、決して心許すことはなかった。

 しかし不思議なことに、朝光はこのところ、景時と次兄が親しげに語らう姿をよく見かけた。御所の御厩(みうまや)別当(べっとう)も兼ねる景時に、名伯楽(めいはくらく)(馬の目利き)たる宗政は気に入られてしまったのか。

 朝光が兄に訊ねると、

「そうなんだよ。最近よく声をかけてもらってるよ。『お前の言うことには裏心がなくていい』ってさ。でも、これって聞きようによっちゃ『お前は単純だから』って意味にもとれるから、ちょっと複雑だよな。けど、つき合ってみると案外いい人だぜ。皆が言うより」

「別当殿には気をつけてくださいね」とも言えず、困り顔になる朝光へ、今度は宗政が訪ねた。

「そういうお前こそ、近ごろ、三浦の御曹司とずいぶんいい仲じゃないか」

「三浦殿とは、趣味を通じて、ちょっと・・・・・・」

 朝光は言葉を濁す。

 三浦義村とは同じ寝所番仲間で年の近いせいもあり、そのころから親しかったが、結番を退いたあと、時間にゆとりができたせいか、以前より互いの邸を行き来することが多くなった。二人には和歌という相通じる趣味があり、義村は、

「七郎は武芸一辺倒の他の御家人と違って、見所があるな」

 と、朝光の優越感をくすぐってくれる。

 けれど、次兄は和歌などの芸事を軟弱だと決めつけているから、あまり口にしたくない。

「にしても、三浦の御曹司と(さき)の別当殿が従兄弟同士っていうのは不思議だよなぁ」

「それを言えば、次郎殿もですよ」

 三人は三浦義明という共通の祖父を持つが、年齢も性格もまちまちで、特に三浦義村と和田義盛は、全く似たところがない。立ち回りの上手い義村に比べ、義盛は無骨者で愚直なところがあり、先年、景時に侍所別当の職を奪われていた。

 二人はそういったことを思い出し、お互い顔を見合わせると、しゅんと押し黙った。

 ――何か、引っかかる。

 南関東の御家人たちの蠢動。それに自分たちが巻き込まれる予感がした。


 建久六年(一一九五)三月、奈良の東大寺では頼朝による盛大な法要が執り行われようとしていた。平家に焼かれた大仏殿を始めとする堂舎群が再建され、それを祝う式典である。十六歳の後鳥羽天皇も母后の七条院と列席する厳粛なものだ。造営には頼朝を施主に、東国の御家人らが大いに貢献し、小山朝政も戒壇院の普請を割り当てられていた。

 昨夜からの雨は朝になって一旦止んだものの、午後になって再び降り始めた。しかし、これを瑞兆として式典は開始される。

 御家人らは堂前の庇の間に着座を終えていたが、何やら門の方が騒がしい。東国の大将軍、源頼朝を一目見ようと、奈良中の(しゅ)()が門の近くまで押し寄せていたのだ。

 制止しようとする警備の兵に、それを押し返し門の中へ入ろうとする衆徒――血気盛んな僧兵らが前面に出て、押すな、戻れの問答となり、彼らの間に諍いが起きた。

「仕方がない。私が見てきましょう」

 と、梶原景時が席を立ち、郎党を連れて門へと向かった。

 しかし、

「皆の者、静まれっ。この先にどなたがおわすと心得る! 無礼者めらがっ」

 頭ごなしに叱りつける景時へ、悪僧らは腹を立てて、いっそう騒ぎ出した。この日は地震もあり、人々の気が昂ぶっていたのだ。

「どっちが無礼者だっ。東夷のくせに!」

「何を言うっ、お前ら、誰がこの東大寺を再建したと思っているんだ!」

「ふん、そんなもの俺たちゃ頼んじゃいねぇ」

「何だと、この恩知らず!」

 衆徒も景時らも互いに大声を張り上げ、罵り合い、余計に収拾がつかなくなった。

「……平三では無理であったか」

 頼朝は溜め息をついて、朝光を呼んだ。

 景時は口が過ぎるというか、()が高いというか、奥州討伐でも捕虜から重要な情報を聞き出す際に尊大な態度をとって、ことをこじらせてしまった。その折は重忠が仲裁に入って別状なかったが、今回も重忠というわけにはいくまい。そこで似たような好青年、朝光を選んだのである。

 将命を受けた朝光はゆっくりと衆徒に向かった。

 衆徒たちはまた新手が来たかと身構えた。

 しかし、朝光は彼らの前に進むと、その場に跪いた。雨の中、衣が濡れるのも構わず、手をついて頭を下げた。

『前右大将家の使者』と称する若者のようすに、人々は非難を止め、しんと静まり返った。

「主より言辞を申し伝えたいと存じます」

 顔を上げた朝光の真摯な眼差しに、衆徒らは、はっと息を呑んだ。

「当寺院は、平相国(清盛)のために空しく灰燼に帰しました。衆徒の皆さまがどれほど悲痛な思いをしたか、私たちも想像しただけで胸が痛みます。この度は、僭越にも(あるじ)頼朝が施主として再建に携わることになりました。造営の始めより微力を尽くし完成に至り、今日の法要のため万里の道を越え、この大伽藍の前に参詣したのです。衆徒の皆さまも歓びをもって迎え入れて頂けないものでしょうか。罪深き武士の身でありながら御仏との結縁を願い、当寺院の建立に従事したのです。それを有智の皆さまがなぜ争いを好むようなことをなされるのでしょう。どうぞ仏心(ぶっしん)をもって、この場をお収め下さい」

 朝光の言葉に、皆、胸を打たれた。己れの狼藉を恥じ、彼の礼儀正しさをしきりに感心した。

「顔もいいし、弁舌もさわやかだし、この人はいったいどこのどなただろう」

 名前をお聞かせ下さいと口々に言い出した。

 場を収めるため、名乗りを上げようとした朝光は「小山」と言いかけてやめた。

「結城七郎と申す者です」

 実家や兄たちからの独立の意思を込めて。以降、彼は結城の名字を名乗るようになる。

「――うまいことやったなぁ。おい」

 人々の賞賛の合間を縫って自席に戻った弟を、宗政は目だけで合図を送った。駆け寄りたいが、それはできない。彼は頼朝の御剣役として近侍していたからだ。御剣役は朝光もよく任されるが、頼朝は小山兄弟を縁起物か何かのように思っている節がある。

 後で宗政が笑いながら弟の背中を叩いた。彼も少し前から長沼を名乗っており、三兄弟はそれぞれの領地を本拠に、一家を構えている。

「皆、お前の外面(そとづら)の良さに騙されているよなぁ」

「どうせ、本当は腹黒いとか言うんでしょう」

 朝光は先回りして答えた。

 宗政は言葉に詰まり、それから照れたように言った。

「でも、本当の本当はそのままだと思うよ」

「え?」

外見(そとみ)中身(なかみ)も一緒ってこと。『人を見る目』がある俺が言うから間違いないさ。お前はいい奴だよ」

 褒められて、朝光もまたちょっと照れる。それから互いに顔を見合わせて笑い合った。

 例え、名字や住む場所が変わっても、彼らの兄弟を思う心に変わりはない。


 建久十年(一一九九)正月、頼朝死去―――

 突然の訃報が鎌倉中を駆けめぐった。

「先月まであんなにお元気だった方が、まさか」

「橋供養の帰りで馬から落ちたと。その怪我がもとで」

「噂では妾宅の帰り、ということになっているが」

「どちらにせよ、武家の棟梁たる方が落馬などありえないではないか」

「ではどうして・・・・・・」

「実は、他にも・・・・・・」

 動揺する御家人たちの間に様々な噂が乱れ飛ぶ。それもそのはず、今後の展開で関東の勢力図が大きく塗り替えられるのだ。

 今後は次期将軍頼家とその取り巻きたちの天下となることは必定、これに頼朝の舅北条一族はどう出る? 名門三浦一族は? 頼朝の死を悼むより前に、人々の関心はこれからの政局に移り、己れの保身と出世に結びつける。

 けれど――

 そんな喧噪から離れたところに、朝光はいた。

 静かに主を弔いたかった。

 源頼朝。

 烏帽子親にして、実の親子より余程その身近くに侍り、時間をともにしてきた主たれば、彼のいくつもの顔を知っている。

 武力によって日本(ひのもと)を統一し、その頂点を極めた武家の棟梁。

 東国を中央の支配から解放し、武士がもの言える時代を築いた為政者。

 喜びも怒りも人一倍激しく表し、思ったことをすぐ言動に示してしまう激情家。

 一方で、肉親でさえ容赦なく切り捨てる冷酷な独裁者。

 義仲、義広、義経、範頼・・・・・・彼のために命を落とした血族は数え知れない。

 純粋な尊敬ではない。しかし、結城朝光という人間をつくった多くの部分は頼朝から与えられたものだ。彼の死は朝光に穴を開けた。

 そして、その(うつろ)を埋める(すべ)を、彼は知らなかった。


 ある日のこと、朝光は侍所に居合わせた同僚たちへ、

「皆で、故殿(頼朝)のご冥福のためお祈りを捧げませんか」と声をかけた。

 同僚たちは彼の提案に賛同し、念仏を唱え始めた。朝光も、頼朝との思い出に浸りながら手を合わせ、

「今はまだ、心の整理がつかなくて、御所以外の方にお仕えするなど考えることもできません」

 親しいものに呟いた。

 それが。

 どこでどのような経緯をたどったのか。

「朝光めが『忠臣は二君に仕えざる』などと申しております」

 梶原景時が主君の頼家に密告したというのだ。


 ――始まった。

 兄の小山朝政は思った。

 (ふる)いものから新しいものへ。強大な権力が入れ替わる課程で、(さき)の権力者に連なる者から犠牲が出る。旧勢力への弾圧、新勢力への結束のために。

 粛清。

 最初に目を付けられたのが朝光だった。朝光は頼朝の近くに居すぎた。そして旧主の死の喪失感を隠そうともしなかった。

 狙われるのは当然だった。

 朝政はすぐに動いた。

 幸い朝光は仲間から慕われ、友人も多い。一方の景時は、皆の嫌われ者だ。弟を守るべく、御家人たちを集う。

 朝光自身も坐して待つばかりではない。友人の三浦義村のところへ直ぐさま相談にむかった。

「七郎は東大寺の一件で、顔を潰されたと恨みを持たれたかもしれない。狡狭(けんきょう)な男だからな。文治以来何人の人間があいつのせいで死んだろう。つい最近も―――」

 義村は声をひそめた。

 頼家は父の後を継いで早々、御家人安達景盛を三河の群盗討伐に向かわせ、その隙に彼の愛妾を拉致した。安達は泣いてあきらめたが、これを遺恨にしていると景時が主君に言い付け、頼家は討っ手を差し向けようとした。しかし、景盛の父、安達盛長は頼朝の流人時代からの家臣。すぐに母の尼御台に咎められてことなきを得たが、危ないところであったと。

 義村は朝光擁護を約束し、さらに、幕府宿老である従兄の和田義盛を引き入れた。義村の父も幕府宿老であったが、このところ体調がわるく、同じ三浦一族の義盛を頼ったのである。

「まぁた、あの景時かっ。今度という今度は許すものか!」

 かつて屈辱を舐めさせられたことのある義盛はいきり立った。

「きゃつを懲らしめねば、我々に真の安寧などない」

 この二人を中心に、御家人たちの間で景時排斥の気運が高まっていく。

 しかし、弓箭の勝負に決するとなると、ようやく訪れた太平の世を乱すことになる。亡き頼朝公も喜ぶまい。

 思いついたのは、景時弾劾の連署状。

 御家人皆で、やつを訴えようと。

 和田義盛・三浦義村を発起人に、朝光本人、長兄朝政、次兄宗政、血族の宇都宮頼綱、友人の重忠・・・・・・

 計六十六名。

 主たる御家人らが同心し、鶴岡八幡宮の回廊に集い、神仏への宣誓の後、訴状に署名と判形(はんぎょう)(書き判)を加えた。けれど、その中で長沼五郎宗政の署名にだけ判形がない。

 これを見た朝政は激怒した。

「弟の身を案じて友人たちが命懸けて名を連ねているに、お前という奴はっ! 景時の威光を恐れての所行かっ。己れはふだん兄弟の中で一番強いなどとぬかしているくせに、何てざまだ! 本当の強さというものは、このような場で真価が問われるのではないかっ。それに署名だけして判形を加えないというのは、どういうわけだ! これなら名前も書かぬ方がましだ!」

 長兄に怒鳴り散らされ、日ごろ言いたいようにものを言う宗政も、さすがに反論する術はなかった。


 この連署状により景時は失脚する。鎌倉を追放され、さらに本拠、相模一ノ宮へ討っ手を差し向けられると、一族を連れ京へ(のが)れる途中、他国で地侍に討たれて死んだ。


 事件の終局後、宗政が朝光のところへ訪れる。

「あのときはすまなかった。お前のために、きちんとした署名を出してやらなくて」

「……わかってますよ。兄上にもいろいろ事情があったのだと」

 互いに目を合わせるのが辛い。

「でも、俺、思うんだけど、本当に別当殿はお前のことを讒言したんだろうか」

 朝光は思い起こす。

 嫌われ者の景時へ鉄槌を下すべく、皆、熱に浮かされたように彼の排斥に動いた。しかし、そのきっかけとなった『朝光に関する景時の讒言』の出所はどこだったのか。不思議なことに、その真偽さえ定かでないまま、御家人たちは何かに突き動かされるように一連の行動に参加していた。

「……」

 互いにうつむいて、それ以上は言えなくなる。

 梶原景時、結城朝光。仕組んだ人間はどちらでも良かったのかもしれないと、今ようやく気付いた。


 真の謀略者は、影より糸を引く。

 己れが権力へ近付くため、人の命を手玉にとって。

 次兄のどっち付かずの署名は、その見えざる敵への必死の抵抗だったのだ。

「俺は誰も死なせたくない」と。

 ――ならば、四郎の兄上は?

 朝政ほどの男が、何も知らずに踊らされていたというのか。

「……兄貴は強ぇよ」

 呟く宗政は知っていた。

 長兄の胸中(むなうち)

「弟は絶対に守る」と。

 例えそれが、他の誰かの命と引き替えでも―――


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