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奥州合戦(二)

 爽秋の山々に、つわものたちの喊声が響きわたる。

 山城の大手(正面)城戸口では、畠山重忠や小山朝政、和田義盛に三浦義澄――名立たる御家人らが武威を振るい、我が身を曝しながら戦っていた。

 同時、朝光は城砦の背後の山に潜んでいた。昨夜のうちに近在の集落の者に案内させていたのだ。

 梢には「絶対に合戦に巻き込ませないから」と約束し、雇った山人ら数十人を登らせてある。

 ――たった七人の兵で何ができるか。

 思いついたのは小勢での奇襲、亡き義経の顔が浮んだ。

 敵が正面の大軍に気を取られている間に、背後から虚を突く。敵の混乱に乗じて主軍を招き、一気に本陣を攻撃する――彼の戦術に学ぶのだ。

 それから『野木宮』、兄らの勝利にも。

 搦め手(後背)は急峻な山の斜面であったため、大将国衡は油断していた。そこへ朝光は、山人に鬨の声を上げさせ、郎党らに矢を連射させた。

 夜が明けたとはいえ周囲は霧が立ちこめ、視界は暗い。

 案の定、城の中は動揺し、搦め手にも大軍が押し寄せてきたかと思い込む。二方向からの攻撃にうろたえ、戦術を切り替えることもできず、国衡勢は逃走を始めた。止めどなく敗走する人馬は網から漏れる魚のようなもので、朝光になす術もなかった。

 弓の名手たる彼であれば、矢の数ほど敵兵を射倒すことができただろうに、先の攪乱作戦の連射で(えびら)は空。口惜しさに歯噛みする。

 しかし、そんな敵方にあって、なおも防戦に努めようとする一団があった。

 霧が晴れかかるなか、大鎧をまとった壮年の武将を目にすると、朝光は、

 ――良い敵に巡り会えた!

 とばかり駆け付ける。

 馬上から周囲を睥睨し指揮をとる武将へ、名を求めようとまずは己れから名乗りを上げる。

「我こそは鎮守府将軍藤原秀郷公の嫡流! 小山下野権大介四郎政光が息、七郎朝光と申す!」

 堂々と呼ばわったつもりだったが、相手は物足りなげに顎髭をしごいた。

「知らぬ名だなのぅ」

 そう言われてすっかり落胆するが、武将としては無名であるから仕方がない。気を取り直そうとする朝光へ、相手の武将は居丈高に言い放った。

「そなたは運がいい。我が首討ち取らば、この合戦第二の武功に預かるぞ」

 何と副将の金剛別当であった。 

 さらに、別当のそばにいた黒斑馬の若武者へも、ちらりと視線を送る。

 小柄だが、周囲から浮き上がるような存在感で先程から気になっていた。

「貴殿の名は?」

 彼にも姓名を求めだが、返事はない。

 朝光は馬の向きを変え、金剛別当を相手と定めると、勢いをつけて己が乗馬を体当たりさせた。

 しかし、相手はびくともしない。朝光はすかさず両腕を伸ばす。

 取りついて組み打ちに持ち込む覚悟。

 互いに揉み合うようして馬上から落ち、地面に叩きつけられた。

 朝光は鎧の重みを物ともせず跳ね起きると、直ぐさま別当を組み敷いた。

 相手が力づくで押し退けようとするのを、左手だけで喉頸(のどくび)を締め付ける。

 苦しみもがく金剛別当は、両手で朝光の腕を外そうとし、左右の脇ががら空きになった。朝光は右手で素早く腰刀を抜くと、鎧の隙間へ突き刺した。左脇から心の臓を貫かれ、別当は絶命する。

 朝光は伯父の郎従らに手伝われながら、その首級を切り落とした。『この合戦第二の武功』を得たのだ。

 朝光は歓喜した。


 一方、潰走した国衡勢は、阿津賀志山から大挙して泰衡の陣へ向かったため、大将の泰衡は度を失い、己れもさらに北の奥地へと逃げた。国衡は途中、重忠の軍勢に討ち取られたという。


 頼朝の御前で、この報告を聞いた朝光は天を仰いだ。

 ――せっかく次郎殿と肩を並べられたと思ったのに。

 縮んだと思った差がまた開く。重忠の実力を見せつけられ、溜め息が出そうになった。

 そのとき、侍所別当の和田義盛が立ち上がり、

「国衡の首は儂のもんだ」と騒ぎ出した。呆気に取られる周囲へ、

「一の矢を国衡の肩に射込み、二の矢をつがえている間に次郎の軍勢に遮られてしまったのだ」

 武功による恩賞の配分に過ちがあれば、御家人から信用を失う。頼朝は義盛の言い分の正否を検証すべく、国衡の鎧を取り寄せて調べさせた。

 すると、確かに矢の跡があり、皆は「和田殿の申し出は正しかったのだな」と納得する。

 これを受け、重忠は、

「多くの軍勢に囲まれて私は気付きませんでしたが、こうして証拠がある以上、別当殿のおっしゃる通りでしょう。邪魔だてして申し訳ありませんでした」

 素直に謝ったため、義盛もすぐに機嫌を直した。

 周囲も彼の正直さに感心し、朝光もその中の一人だったが、隣にいた宗政が弟の脇腹を突つき、

「おい、聞いたか?」小さく耳打ちする。

「矢合わせ前に、三浦の御曹司たちが抜け駆けしたってのは知ってるだろ? 先陣の軍勢をすり抜けたから、当然次郎の耳にも入っていたのに、あいつってば、敢えて見逃してやったんだって。武州の御曹司め。どこまで人間ができているんだよぅ」

 己れの戦功しか頭になかった朝光は、同じ武将の列に連なる人間として恥ずかしくなった。

「次郎殿と並び立とうとしたのは間違いだったのかしら――」

「それは俺だって同じだよ――」

 重忠はつくづくいい奴で、嫉妬もできない。朝光は次兄とともに嘆き合った。

 と、その耳へ、

「金剛別当に最後まで付き添っていた武者ですが・・・・・・」

 例の黒斑馬の若武者の話題が飛び込む。

「別当の子息だったということでしてね」

 朝光は思い当たることがあって顔を上げた。

 子息は伊豆の武将に討ち取られたが、最後までよく奮戦したそうだ。年は十三歳だったという。 

 ――周囲から浮き上がっていたのは当然だ。子どもだったのだから。名乗りを上げなかったのは、声変わり前の少年が、敵に侮られまいと口をきかなかったのか。

 得心はできても、朝光の胸には殺伐とした思いが過ぎった。

 戦いは兵どもを生死をもって分け隔てる。(おさな)き者にも容赦なく。


 合戦は終盤の予感をもたらす。

 残るは惣領泰衡ただ一人。

 遠く北の玉造郡に逃げたとの報せがあったが、これとは別に国府中山に向かったとの情報を得ていた。

 頼朝は主軍を玉造へ進撃させつつ、三兄弟を別働隊として中山へ向かわせた。


 国府中山。

 物見の岡と呼ばれる頂上の陣所を取り囲んだものの、当地に泰衡の姿はなく、帷幕が残されているばかりである。それでも、敵の郎従四、五十騎が居残り、抗戦の構えを見せたので、三兄弟は郎党とともに討ち入った。抵抗する者は首を跳ね、残りは生け捕りにした。

 あっけなく終わった戦いに、三兄弟は馬を寄り合わせた。

「これからどうすんの」

「この分だと、泰衡は玉造の方だな」

「早く行かないと、兜首、皆に持ってかれちゃいますよ」

 考えていることは一緒だった。

 三人は互いの闘志を確め合うと、鞭を振り上げ、玉造に急いだ。


 すでに玉造の多加波々(たかはば)城では戦闘が開始されていた。太平洋側を北進していた軍勢もここに集結し、泰衡の勢力を遥かにしのいだ。しかし、その圧倒的な数を前に、敵は血路を開くべく、死を覚悟して城砦から打って出たのだ。

 馬の蹄が砂埃を上げる中を兵の太刀が燦めき、血みどろの戦いが繰り広げられていた。

「本当だ。ぼやぼやしてたら手柄がなくなる」

 朝政がまず、もうもうと渦巻く武者(むしゃ)(ほこり)の中へ跳び込んだ。

 めぼしい騎馬武者を見つけると、名乗りを上げ一騎打ちを申し込む。

 踊る(ひばり)毛の馬、

 舞う緋色の鎧。

 太刀を高々と振り立て、敵に向かう大げさな仕儀に、周囲でどよめきが起こった。

 朝政は難なく敵を討ち取り、奪った首級を天に掲げながら弟たちの方へ示す。

「どうだ。見たか」と言わんばかりに。

「派手だねぇ、兄貴は。やっぱり兄弟の中で一番の目立ちたがり屋なんじゃないの?」

 兄の武者振りに惚れ惚れしつつも、何か一言つけ加えずにはいられぬ宗政だった。

「見とれてるばかりでいいんですか? 早くしないと四郎の兄上に全部持っていかれちゃいますよ」

「そうだな。派手さでは兄貴には適わないが、兄弟の中で一番強いのは俺だからな」

「一番? いいえ、私だって負けてはいませんよ」

 互いに不敵な笑みを見せ合うと、兄弟は馬腹を蹴って戦場へ跳び込んだ。


 怒号と悲鳴が交わる修羅の世界。

 血汁がとび散り、肉塊が跳ねあがる中を(つわもの)どもがひしめき合う。

 錯乱と騒擾に溺れながら、男たちは敵の命を奪い、己が身を捨てた。

 狂おしいほどに猥雑で繁華な喧噪、

 完璧なる混沌。

 まさしくこの世の地獄でありながら、四季の花が一斉に咲き競うような華々しさは、絢爛たる祝祭にも似ていた。

 やがて血の饗宴は絶頂の果て―――

 祭りは終わり、三兄弟は地獄から生還する。


 泰衡は逃げ延びた。多数の家来を犠牲にして。玉造から平泉へ。平泉から志波へ。

 本拠平泉では、代々の黄金の館を頼朝に渡すくらいならと従者に火を付けさせた。

 志波(しば)郡陣ヶ岡では北陸道(日本海側)からの軍勢も合流し、頼朝軍は二十八万騎もの巨大勢力に膨れ上がった。泰衡は戦う気力すらなくし、またも行方をくらます。

 しかし泰衡探索のため、頼朝が陣所で群議を開いていた、まさにそのとき、秀衡の郎従河田次郎が主人の首を持って投降したのだ。

「己が身惜しさに主の命を奪ったか」

 それは泰衡とて同じだ。父親の秀衡から、「何かあらば、九郎殿を大将に奉じて奥州を守れ」と遺言されながら頼朝の圧力に負け、自殺に追い込んだのだ。

 因果。

 その言葉がここにいる全ての者の胸に駆けめぐった。

「いかが致しましょう。これが先例となって主を殺した者が生き延びるとなれば、後の輩が真似をし、武家の秩序は崩壊いたします」

 こう述べたのは梶原景時だった。

「河田が首を持ってこなくとも、我らは合戦で得ることができましたものを。こやつに何の功がありましょう」

 景時の言葉に誰も異議を唱えなかった。

 河田は朝光のもとへ預けられた。追って沙汰をするという。

 ――断罪は免れないな。

 朝光は思った。

 景時の言がなくとも、頼朝が河田を許すことはなかっただろう。

 彼の父義朝は、自身の郎従に裏切られて命を落としたのだから。

 因果。

 そうとしか言いようがないではないか。


 奥州藤原氏を降した頼朝は、武家の頂点に君臨した。

 後日、小山三兄弟は奥州征伐の恩賞に、藤原氏から没収した所領を賜る。

 奥州王国と称された北の大地が分割されるのだ。遠くは津軽など彼方の土地も預けられたが、特筆すべきは、朝政の菊田荘(奥州東南部、常陸との境)、宗政の南山長江荘(南会津)、朝光の白河郡である。いずれも奥州支配の基軸となる領地で、南奥に位置する。これは当地での軍功の恩賞である一方、関東に対抗しうる勢力への、防人(さきもり)の任が課されたことを意味した。

 後年、恩賞地へは彼らの子孫が移り住み、一門の勢力は奥州にも広まるのだった。



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