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笑う頼朝

 源平合戦は終決し、人々は具足を解いた。

 しかし、勝利に沸く武将たちのもとへ、鎌倉の頼朝から冷や水を浴びせるような通達が届く。

「この度の合戦中、頼朝に断りなく官位を()、恩賞を賜った者がいたそうだが、そのような謀反人はいっそ都に留まって、朝廷に仕えるがいい! もう二度と東国の土を踏むな! もし、墨俣川を越えた者は直ちに領地を没収し、死罪を申しつける」

 書状を受け取った軍鑑の梶原景時は、該当の御家人二十四人を呼び出し、主君の怒りをそのまま伝えた。

 彼らのなかには、小山朝政もおり、

 ――九郎の無断任官の懲戒処分を、そち等は己れのこととして考えられなかったのか!

 激昂する頼朝の姿が目に浮かんだ。

 また、ご丁寧にも当の二十四人を別紙で名指しし、一人一人に口汚い罵りの言葉を書き連ねていた。

 曰く、「前から痴者(バカ)だと思っていたが」

 曰く、「そなたのような鼠顔が官位を掠め取るとは」

 曰く、「猫にもおとる」

 朝政の名も母方の叔父八田知家とともに末尾にあり、しかも思いの(ほか)長文の批判が沿えてあった。

「両人のような者が平家討伐の合間に官位を得るなど、駄馬が道草を喰らうようなものだ。何を勘違いしての所行か。二度と東国に帰れると思うな。云々」

 と散々な書きようだった。

「これ、本当に鎌倉殿のお言葉か?」

 朝政のもとへ廻されてきた書状の写しを、弟たちは額を寄せ合って読んでいた。

 おそらくは口述筆記によるものだろうが、

「あぁ見えて、けっこう感情的なところがあるんですよ」

「にしても、いつもは慎重な兄貴が今回は下手を打ったねぇ」

 次弟の言葉に、朝政は首を傾げた。

「此度の兵衛尉(ひょうえのじょう)の任官は、野木宮戦の恩賞として前々から鎌倉殿にお願いしていたものだ。それが規律違反に当たるというのか? 賜った時期が悪かっただけではないか」

 納得いかぬげな朝政の顔を意に介さず、弟たちは(くだん)の別紙のところどころを指さして、

「『顔はフワフワとして希有の任官かな』って、おもしろくねぇ? あの鎌倉殿がフワフワなんて言葉を使っていると思うと余計にさ。おっ、『色は白かにして……』って、なんか顔のことばっかだな」

「しゃべり方にも文句があるみたいですよ。『臆病気にて』とか『しわがれて』とか、あっ、この人かわいそう! 頭髪のことまで書かれてる!」

 げらげら笑いながら全く真剣味がない。

「逆にこっちは『同』と一字しか書かれていないぞ。関心持たれてないってことか。寂しいものだねぇ。それに比べて兄貴は良かったなぁ、いっぱい書いてもらえて」

 弟たちは好き勝手言ってくれる。

 しかし、朝政は顔にこそ出さなかったが、本当は『駄馬が道草を喰う』の(くだ)りで、ものすごく傷ついていた。自分に限らず今回の遠征で小山一族は目立った活躍ができなかった。「役立たず」と図星を指されたものだ。それなのに、弟たちは・・・・・・

「まったく、二十四人分だぜ。絶対、途中から楽しんじゃってるよ。俺も口が悪いってよく言われるけど、御所はそれ以上だな」

「でも、いいのかなぁ、これ、(のち)の世に残るものですよね」

 宗政も朝光も目の前に本人がいない分、言いたい放題である。

 もっとも、名前を列挙された武将たちも、最初こそ胆を冷やしたが、深刻には受け取らなかった。

 御家人たちの無断任官に腹を立て、頼朝が雷を落としたわけだが、まさに夏の夕立ちのようなもの。

 ちょっと首をすくめているうちに雷雲は通り過ぎてしまう。そのような類だと安心していた。

 特に小山兄弟には先のねんごろな手紙もあり、領地没収や死罪云々については本気にしていなかった。

 実際、御家人たちに言うほどの処分はなく、()の者たちが殊勝げに頭を下げ、それで解決を見た。

 誰も鎌倉に帰還できぬ者はなかった。

 ただ一人、頼朝の弟であり軍功第一の武将であった源義経を除いて。


「廷尉(義経)においては鎌倉に帰参すべからず」

 朝光が頼朝の近習に戻り、まず命じられたのは、この意を義経に伝えることだった。

 平家の大将宗盛親子を護送する任にあった義経は、朝光らより帰還の時期が遅れ、まさに鎌倉まであと一日という距離の酒匂(さかわ)駅にいた。

「なぜ?」という朝光の無言の問いかけに、頼朝は黙って背を向けた。

 ――なぜ、血の繋がった弟君だけを追い返すのです?

 御所を出た朝光は、海岸線へまっすぐに延びる道を駆けながら、必死で考えた。

「見せしめ?」

 例え、合戦の最大の功労者にして御所の弟といえど――否、むしろそれ故に。

 ――でも、兄上を含め他の御家人たちは許されたのに。

 あるいは、壇ノ浦で天皇と神器を沈めた責を負わせようと?

 ――わからない・・・・・・

 目の前には由比ヶ浜。大洋が遙々(はろばろ)と拡がり、風が潮の匂いを運んでいた。


「……言葉もなかったな。海を初めて見たときは」

 由比ヶ浜を三兄弟で訪れたときの朝政の呟きが、ふいに思い出された。

 遠く見渡す限りの大海原、

 うねる潮騒、とび散る飛沫(ひまつ)

 打ち寄せる波は、我先にと(せめ)ぎ合い、

 互いをねじ伏せ、呑み込み、やがて跡形もなく消え去っていく、

 そのくり返し――

 海と縁遠い下野生まれにとって、我が身を圧倒する光景だった。

「あっ、俺もこの海を見たとき同じことを思った」

「私もです」

 長兄の言葉を聞きつけた弟たちは一様に言った。

 京勤めを経験した朝政は東海道を使った道すがら、下の弟たちは鎌倉に出仕して、生まれて初めて海を見た。

「井の中の蛙、大海を知らず、だったと」

「それも同じだ」

 兄弟たちは互いに笑い合った。同じものを見て、同じことを考え、同じ言葉を呟く。

 大して面白味もない科白だが――と苦笑する朝政に、

「けどさ、初めて見たものなのに、なぜか懐かしい感じがしなかった?」

「そういえば」

 兄と弟は同時に海へ顔を向けた。

「やはり我々は兄弟なのだな」

 目に見えぬ絆に、朝光は胸がいっぱいになりながら、兄の言葉を受け止めた。

「夏には、一緒に泳ぎに来ましょうね」

 故郷の川で水練につき合ってくれた兄たちに言ったものだ。


 ――御所と九郎殿は異母兄弟だから? 一緒に暮らしたことがなかったから?

 知らぬうちに涙がこぼれ、風がさらっていく。海からの風は塩を含み、ひりひりと朝光の頬を責めさいなんだ。

 義経とはそう親しい間柄ではなかった。いつも離れたところから一方的に仰ぎ見る存在だった。己れの目標たる人と。

 だが、彼の栄光を地に落とすような裁断を、尊敬する頼朝が決定したのだ。しかもその使者に自分を選び。

 朝光は顔をくしゃくしゃにしながら酒匂の宿所へ向かった。

「――私は兄上のために戦っていたのに!」

 頼朝の下知に、義経は掴みかかるようにして朝光へ迫った。

 二人は頼朝の挙兵の際、ほとんど同時に対面を果たしている。朝光の方が数日早かったか。すでに頼朝の近習としてそばに侍っていた朝光はこの兄弟の邂逅に立ち会っていた。

 同じ父を持ちながら、母親と境遇の違いからその日始めて(まみ)えた頼朝と義経。肉親に恵まれなかった彼らは互いに手を取り合い、涙を流しながら喜び合った。五年前のことである。

 そのときの兄の涙を義経は忘れていないのだ。

「平三だな! 平三が兄上に私の悪口を言い付けたのだなっ」

 平氏追討の総追捕使として義経とともに戦った梶原景時。

 通称平三は年若い彼の監督役でもあったが、二人の仲の悪さは朝光に耳にしていた。

「兄上は誤解しているのだ!」

 目に涙を溜めて訴える義経。長兄朝政と二歳と変わらないはずだが、自分よりよほど幼く見えた。

 勝つためには手段を選ばぬ、歴戦の武将という印象はなかった。

 小柄で童顔と言うだけではない。何かこう、体のうちにある無垢で純粋なものが透かし見える気がした。また、それを年下の自分に容易く見透かされてしまうところに、さらなる悲劇を予感させるのだ。

 義経は涙ながらに弁明の書をしたため、朝光に頼朝への取りなしを頼んだ。

「そなたから申し上げれば、きっと兄上もわかってくれるはず」

 すがりつくような目で朝光を見る。

 頼朝の最も近くにいる存在。それこそ彼が芯から望んだ居場所ではなかったのか。

 それを心ならずも奪っていた自分。

 朝光は、義経の嘆願の書状を頼朝に手渡そうとしたが、主はそれを受け取りもしなかった。

「九郎には、以後、頼朝を兄とは思うな、と伝えておけ」

 これを受け、義経は失意のうちに京へと戻る。

 ――お二人はもう二度と相まみえることはないのだ。

 胸が締め付けられるような思いで、義経の背中を見送った。

 後日、朝光は御所よりしばしの(いとま)をとる。

 ――なんだか、とても疲れて・・・・・・

 落とした肩をしゃんとせぬまま、御所の裏にある朝政の邸を訪ねた。

 そして応対に出てきた兄の顔を見るなり、

「兄上は、いつまでも私たちの兄上でいて下さいますよね」

 思わず口走った。

「……随分と唐突だな」

 そう言いながら朝政は全てを察し、弟の肩をそっと抱くようにして、邸の中へ迎え入れた。

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