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平家滅亡

 寿永二年(一一八三)七月、木曾義仲は鎌倉に留まる頼朝を尻目に入洛を果たし、平氏は一門をあげて京を脱した。

 平氏の軛から解放された後白河法皇は彼を絶賛し、義仲は我が世の春を謳歌する。

 けれど、彼には引き連れてきた軍兵を統制する能力がなかった。

 しかも飢饉のこの年、兵士らに十分な食糧が行き渡らず、彼らは洛中で数々の無法を行った。

 京の人々は義仲に愛想を尽かし、宮中でも諸事に不案内な彼を貴族らは馬鹿にした。

 気がつけば、法皇までもが頼朝に色目を使い、誘いに応じた頼朝は、異母弟の九郎義経に軍勢を与え、伊勢まで進行させていた。

 裏切られた義仲は法皇を幽閉するが、これに至り、頼朝はもう一人の異母弟、範頼(義経とも異腹)を主軍の大将として送り出し、義経勢との合流を命じた。

 軍勢の中には小山朝政、宗政兄弟の騎馬姿があった。


 京洛に迫る鎌倉勢。

 所詮、烏合の衆であった義仲勢を駆逐するに時間はかからなかった。

 元暦元年(一一八四)正月、義仲は近江国(滋賀県)粟津にて討ち死にし、彼に与していた義広も歴史から姿を消す。

 鎌倉勢の快進撃は止まらず、合戦の余勢に乗じ、平氏の追討に向かうのだった。


 同年二月四日、摂津国(兵庫県)生田の森、平清盛が都とした福原の東城戸口にて、鎌倉勢は平氏の軍勢と対峙していた。

 大手(主軍)には大将範頼、五万六千余騎。この中に、郎党を連れた小山朝光の姿があった。

 兄たちに遅れること数ヶ月、義仲討伐には間に合わなかったものの、これが彼の初陣となる。

 矢合わせは七日卯の刻(午前六時ごろ)との陣触れがまわった。

 

 夜明け前。

 すでに両軍勢は陣形を整え終えていた。

 迎え撃つ平家は堀と逆茂木(さかもぎ)を巡らし、鎌倉勢を睨みつけている。後に一ノ谷の戦いと(ひと)(くく)りにいうが、東の生田の森から西の一ノ谷まで、本拠福原を囲むように十数里(当時の一里は約六百五十m)に渡る陣営を構えていた。

 靄かかる朝のひんやりとした空気の中、朝光の緊張は視界が明るくなるにつれ、徐々に高まっていった。


 小山朝光はこの年十八歳(満十六歳)。

 彼の若さを考慮されたか、朝光の手勢は兄二人のそばに配された。

 朝政と宗政、轡を並べる頼もしい兄たちのもとへ思わず馬を寄せた。

「やっぱり華やかだなぁ。平家の武将はさ。鎧の色糸も凝ってるし」

 次兄宗政は己れの余裕を見せつけるように、戦さとは関わりのないことを口にした。「威しの色を段々に変えるなんてさ」

 平野育ちの兄弟は目が良い。敵将の鎧を見て、あれこれ(あげつら)おうと――

「でも、(すそ)()威しなら、紅より紫の方が映えますよね」

 朝光も次兄にならい、綽々(しゃくしゃく)と答える。緊張していることなどおくびにも出したくない。

「けっこうな口を利くなぁ。初陣だってのに落ち着いたもんだねぇ」

「これでも御所(頼朝)の近習ですから」

 と、胸を張って見せる。だが、心の(うち)は、

――五郎の兄上と軽口を叩いていると気が紛れていいな。

 一方の長兄朝政は、黙って二人の会話を聞いている。

 宗政は己れの鎧を見下ろし、

「戦装束では平家に負けたかなぁ」

 朝光も次兄につられ、自分の装束を見下ろしたが、敵将の甲冑に比べると、確かに冴えない気がする。

褐色(かちいろ)(濃紺)の直垂(ひたたれ)なんて地味だったなぁ。鎧の威し糸は一色だし」

「私の千鳥だって子どもっぽかったかも」

 鎧の金具廻りに、兄弟揃いで八大龍王の意匠を凝らしたのも、かえって野暮ったく見える。気張って(あつら)えただけにがっかりした。


 そんな弟たちのようすに、長兄が口を開いた。

「お前たちは装束のことばかり言ってるが、武人本来の(わざ)は武勇にあるのだ。衣装というのはそれを際だたせるものであり、中身が伴わなければ意味がないのだぞ」

 兄の真っ当至極な言い分に、弟たちは少し鼻白む。


 宗政は兄の戦装束をつくづくと眺めた。

 一色(ひといろ)といえど鮮やかな(あか)で威した大鎧。その下には真っ青に染められた直垂。前回の合戦で落馬した鹿毛は縁起が悪いと、今戦の乗馬はひばり毛(黄色と白の斑に(たてがみ)と尾が黒)の逸物。

 宗政は朝光の耳に顔を寄せた。

「兄貴ってさぁ、いつも落ち着いてじじむさいこと言ってるけど、けっこう派手だよな。実は俺たちの中で一番派手好きかも」

 と陰口を叩く。そんな次兄に、

「へぇ、そんなこと言っていいんですか? 四郎の兄上に言い付けちゃおうかな」

 朝光は意地悪そうに笑ってみせる。

「お前はっ! 兄弟の中で一番腹黒いぞ!」

 掴みかかろうとした宗政だが、そのとき、朝政の一喝が飛んだ。

「お前らっ、周りの皆に見られているぞ! 真面目にやれっ」

 二人は同時に首をすくめた。

 長兄に怒られてはたまらない。弟たちは互いに距離を取り始める。

「五郎の兄上と一緒にいると、余計なことまでしゃべっちゃう。離れておこっと」

「俺のせいにするなよ」

 ぶつくさ言いながら身体を翻しかける宗政へ、朝政がそっと身を寄せ、耳打ちした。

「ありがとう。私にはお前のような真似はできない。」  

「何のことだ。兄貴?」

 宗政は肩をすくめて、とぼける。

 固く強張っていた末弟の顔。今では昇る朝日のように照り輝いていた。


 やがて刻限が訪れる。だが――三兄弟の知らぬところで、功名に逸った小豪族の武将が抜け駆けの上討ち死にし、合戦は開始されていた。

 この戦いでは大手の他に、搦め手(敵の後背を責める別動隊)に義経の軍勢二万騎があった。これを義経は二手に分け、さらに尖鋭七十騎だけで敵の背後をついた。側背の山に油断し切っていた平家軍は、突然の襲撃に驚き、指揮系統を乱し、あっけなく瓦解した敗卒は海へと逃げ、用意の舟で沖へと去った。


 合戦での三兄弟の戦功といえば、可もなく不可もなくといったところか。

 宗政は燃え切らない身体の火照りを持て余していたが、弟の朝光が珍しく不貞腐(ふてくさ)れていたので、仕方なく宥め役に廻った。


 当初は戦場の空気に呑み込まれそうになっていた朝光も、兄たちの奮戦するようすに、俄に体中の血が駆けめぐった。けれど、気の昂ぶりに反して、思うように良い敵に恵まれず、めぼしい敵将の首級を一つも取れなかったのだ。

「場所が悪かったんだよっ。それに大手は味方の兵が多すぎたんだ! 搦め手の九郎殿(義経)のところに配されれば良かったっ」

 これは自分本来の力ではないと。

 興奮を冷ます術を知らず、ふだんは見せぬ弟の荒々しさに兄たちは顔を見合わせた。

「初めてなんだからそんなもんだって」

「気持ちばかり空回りして為すべきことが思うようにできない、気が付けば勝敗が決まっていたなど、よくあることだ」

「そんなこと言ったって、じゃあ九郎殿(義経)はどうなんですか? 初陣のときから華々しい活躍をなされて」

「あの人こそ別格、いや破格の天才っていうんだよ。何しろ型破りで合戦の定法なんて守らないもんな。大将だって自覚もなく軽卒と先陣争いするし。騙し討ちも辞さないし」

「五郎の兄上は、九郎殿に対して随分と辛口ですね」

「俺には人を見る目があるの」

「五郎の兄上が見られるのは馬くらいのものですよ」

「何だと!」

 弟のませた口に、宗政は怒鳴りつけようとしたが、脇から朝政が言葉を挟む。

「五郎の言い方はともかく、九郎殿のような天才と比べても自分が惨めになるだけさ。今後、お前は自分の為すべきことは何かを考えればよいのだ」

 ――それって、身の程を知れってことじゃないですか。

 言うべきことをなくした朝光はむぅっと口元に力を入れた。今にも頬っぺたを膨らましそうな、それを我慢している弟の顔つき。

 まだまだ子どもだなと兄たちは必死で笑いをこらえた。

「生きてこそあれば、次の合戦で挽回できる。そう思って今日のところは機嫌を直せ」

 と、またも真っ当至極を朝政がのたまい、その場をまとめた。


 兄弟たちは一ノ谷合戦後、一度東国に帰還した。

 しかし、当の鎌倉で重大事件が起きる。

 頼朝の面前での一条忠頼誅殺。

 忠頼は旗揚げ当時からの有能な家臣で、義仲追討の功労者でもあったが、頼朝への横柄な態度を注意されても改めなかった。頼朝は、他の御家人への見せしめの意味もあり、御所に呼び寄せて上意討ちを決行したのである。

 意を含められた武将らが周到に忠頼を取り囲み、難なく討ち果たす。

 しかし、忠頼の誅殺を知った彼の郎党は、太刀を振り回し、主の敵を討とうと頼朝の間近に迫った。

 頼朝のそばに伺候していた者は何人も手傷を負ったが、近習の朝光は主君をかばい、これらを斬って捨てた。

 返り血で水干(すいかん)を真っ赤に染めながら詰所に戻った朝光のもとへ、宗政が駆け付ける。弟の無事を確認すると、すっかり安心し、

「お前すごいよ。御所殿のお命をお守りすることができたんだ。近習としてこれ以上の勲功はないって」

 先の合戦で振るわなかった分、大げさに褒めてやる。

 しかし、弟の顔は浮かない。

「どうした? 気分でも悪いのか?」

「いえ、そうじゃなくて・・・・・・」

 心配げに見る兄にはとても言えなかった。

 ――昨日までの味方を殺すなんて・・・・・・

 胃の辺りから込み上げるものがあって、口を押さえる。

 それは血の匂い以上に。

 

 同年、秋。

 再び平家討伐のため西国へ出発した三兄弟は、またも範頼の軍勢に編成される。

 しかし戦況は捗々(はかばか)しくなく、先年の飢饉が尾を引く西国にあって糧食は欠乏し、士気は著しく低下した。蛮勇を誇る武将和田義盛でさえ、

「儂、もう帰るわ!」

 嫌気が差して帰国しようとするのを、周囲が必死で宥めるといった一幕もあった。

 御家人を統括すべき侍所別当にして、いい年した義盛だが、三兄弟にも彼の気持ちはよく理解できた。

「こう言っちゃ何だけど、大将が蒲殿だからなぁ。なんで鎌倉殿は九郎殿をお使いにならないんだろ」

 辛口、といわれた宗政でさえ、義経が恋しくなってしまう。

 蒲冠者範頼は、先の野木宮にも参戦しながら、

「えっ? あの人いたの?って感じだよな」

 その影は薄い。


 しかも勇将たる義経は今回の追討に加わらず、宮城警護を命じられ、都に留まっていた。

「御所のお気に触わるようなことをしたから、お預け喰らったんですよ」

 朝光はここぞとばかりに事情通ぶる。

 義経は先の戦功により法皇から左衛門少尉に任じられ、検非違使の宣旨を受けた。その上、従五位を賜り、昇殿を許されるという破格の待遇を得る。

 けれど、頼朝は、恩賞の不公平をなくすため、東国武士の無断任官を厳しく戒めていた。

 義経にすれば法皇の厚意を断り切れなかった故だが、これにより頼朝の不興を買ってしまう。

 義経は宮城警護という大義名分をもって謹慎処分中にあった。


 戦況は膠着状態のまま年を明ける。

 鎌倉勢の兵糧不足・士気低下の訴えに対して、頼朝から範頼へ励ましの書状が届いた。その中に、特に小山の者どもを大切にせよとの一文があった。小山氏は三兄弟だけでなく一族こぞって参戦していた。そのための気遣いと思われるが、伝え聞いた兄弟たちはそれぞれの感慨を抱いた。

「喜ばしいことではないか。我らだけに格段のお言葉とは」

「御所のお心遣いが伝わってくると、励みになりますね」

「でも、この小山の者どもって、本当は七郎のことだけを差して言っているんじゃないのか。俺らはおまけでさ。近習をしてるお前は鎌倉殿のお気に入りだし。何しろ殿の寝所番にまで命じられるんだものなぁ」

「殿の身辺警護はいついかなるときも近習の役目なんですよ。何だか五郎の兄上が言うといやらしく聞こえますよ」

 朝光には弓の名手として警護役に選ばれたという自負があり、少し突っかかるような口調になる。

 宗政はむっとして、

「何だとこらっ」

 弟に詰め寄ろうとしたが、

「こらはこっちだ! 鎌倉殿のありがたいお手紙のことで言い争いなどすなっ」

 危うく兄弟喧嘩となるところをまたもや長兄の一喝である。

 だが、これも欲求不満の表れである。思うように進まぬ戦況の。


 三月の末、頼朝から御家人たち一人一人に宛てた手紙が送られた。

 兄弟たちへも届き、押し頂いたその手がさすがに震える。

「やっぱり私たちのことを思って下さっているんですよ」

「合戦で報いねばならぬな」

 うなずき合う兄弟たちは、頼朝への忠誠を誓うのであったが。


 この二ヶ月前にあたる一月(むつき)、義経は法皇の許しを得て戦場に復帰した。

 以降の義経の活躍は目覚ましく、怒濤のような進撃を見せた。

 二月十九日、平家の拠点、屋島を急襲し、壊滅させた。

「だから言ったんだ。早く九郎殿を出せば良かったんだよ!」

 翌三月二四日、壇ノ浦の合戦にて平家を滅亡させた。

「戦さが終わっちゃっいましたよ!」

 頼朝の手紙が届いたのはこの直後であった。

 とろい範頼軍は周防(山口県)・豊後(大分県)間の海をうろちょろするばかりで、三兄弟は義経の活躍を、指を(くわ)えて見ている他なかった。

「俺ら何にもしてねぇじゃん!」

 義経は強すぎた。味方でさえ追随できぬほどに。


 「平家滅亡」という鎌倉幕府創立期の最大事件に、小山三兄弟はろくに活躍できなかった――という史実から、この物語がはみ出すことはしませんでした。何しろ、三兄弟にはこの後たくさんの見せ場がありますから。

 ただ、もったいないなぁと思うのは、彼らの実力からして、もし義経勢に配されていたら、兄弟それぞれに見せ場を与えられ、「平家物語」にも取り上げられて、もっと歴史上の有名人になれただろうに――というところです。

 この物語は、「吾妻鏡」をベースに構成しています。

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